Undying | ナノ


▼ 11 食事

シグリエルは弟の部屋にいた。簡素な空間に置かれたベッドに横たわり、不服そうな顔で天井を向くアディルを眺める。
黙ってシャツのボタンを外していき、上半身をあらわにすると、きゅっと眉をよせ肌を震わせる弟が憐れに思えた。

「……アディル。そう身構えられると、俺もやりにくいんだが。怖いことはしない」
「う、うるせえ。怖くなんかねーよ!」

昔と違い素直ではなくなった弟に、触れる前にシグリエルは伝えた。

「詠唱して皮膚に指で文字を刻む。そこへ触れて、魔力を流し込む。それだけだ」
「……ああ、そうか」

ようやく胸をなでおろした様子で、アディルは手足を楽にした。気まずいのか目線は逸らしているが、ほっとしたシグリエルは詠唱を始める。
長い詩を唱えながら、儀式と同様に額、胸、喉に古代文字を記していく。

アディルの体が栄養を得たように、力を溜めるのを感じた。手足まで終えると、弟は精神的な疲労を浮かべて起き上がった。

「ごちそうさま。って言えばいいのか。……なあ、これどんぐらいの頻度でやるんだ」
「しばらくは毎日だ。今のお前は消費が激しい。だが、いずれ状況を見て減らせるだろう」

そう言うとアディルはあからさまに機嫌を良くし、複雑な心境がシグリエルに宿る。
弟の体はもう自分が好きに出来るものではないが、魔力を与える行為は自身に安心と安らぎをもたらしていた。

「それと……お前の口の中が気になる。見せてくれ」
「はっ?」
「言っていただろう。違和感があると。勝手に調べたらお前は怒る。だから許可が欲しい」

他の言い方が出来ないシグリエルはまっすぐに伝えた。だがやはり、「あ、当たり前だろ!」とアディルの反感を買った。

「……いいか? 触らせてくれ」
「くっ……ま、まてって…!」

兄はベッドに乗り上げ、弟の隣に座った。体を迫られたアディルは極度の緊張に達し、まるで歯医者にやられるように口を開けたまま固まった。

シグリエルは真剣な表情で口内を見やる。だが、指先をそろりと中に突っ込みまさぐった所でアディルは変な声をもらして抵抗し、ぱっと離された。

「ばっ馬鹿じゃねえのあんた! 距離感おかしいだろうが!」
「悪かった。だが大体わかった。異常はないが、きっとお前は潤いが足りないんだろう」

冷静な診断に弟の口がまたあんぐりと開けられる。それ相応の薬を作り、また試そうとシグリエルは決めた。

はあはあと出る息はないが、アディルは興奮していた。きっと人間のままだったら、真っ赤になっていたはずだ。

シグリエルも表情は変えなくとも、何も感じていないわけではない。
昔、弟にした事をはっきりと覚えている。だからもしその事を責められればどうしていいか分からなかった。

ふとアディルの口元を見つめる。また、手を伸ばしたくなる。
いつから自分は、こんな風に弟に触れたいと、温もりはなくとも違うものを感じたいと思うようになったのか。

「……なあ、兄貴。頼みがあるんだが」
「なんだ」
「屋敷の当主に知らせたいんだ。俺が無事なことを」

そばであぐらをかいた弟が、珍しく控えめに兄に告げた。
シグリエルは一瞬動揺をし、答えに窮した。

「……そうか。少し、時間をくれないか。まだ考えることがある」
「ああ。すぐにとは言わねえ。ただ、悲しんでると思うからさ。……まあ、無事って言っていいのか分かんねえけど」

自嘲気味にアディルがもらす。
駄目だという権利は自分にはない。弟には様々な関係性があった。
ただ、直面した問題はシグリエルの頭を深く悩ませることになる。



食事のあとは自由時間だ。
屋内で気ままに過ごしているアディルとは対照的に、シグリエルは地下の研究室にいた。当主に取り憑かせていた死霊のズタを呼び出し、話をする。

「あいつの様子はどうだ。何か変わったことがあったか」
「すげえ落ち込んでるよ、家族や仲間と喪に服して大人しくしてやがるぜ。けっ人の皮を被った悪魔が。でも旦那はさすがだ、死んだ弟を生き返らせるなんてな、やっぱ俺の見込んだお人だよ、あんたならラノウの野郎も瞬殺できる! 頼む、殺してくれ!」

暗闇の白い霊的存在はいつものようにけたたましく光る。シグリエルは霊の言葉を無視して考え込んだ。

屋敷の当主ラノウは違法組織のボスで、仕事は残忍だが仲間への情は厚い。本来弟が関わるべきでない人種ではあるものの、人に言えないことをやって生きてきたのはシグリエルも同じだった。

なにより、アディルの願いは出来るだけ叶えたいという葛藤に苦しんでいた。
そこでひとつの考えを思いつく。

「お前は引き続き奴に取り憑いていろ。魔術師の姿は見たか」
「いいや。あの白髪野郎は忙しいみたいだ。あんたの弟の葬儀にも出なくて、ラノウは怒っていた。冷酷人間だからな、人を見下してやがるんだよ」

話を聞いてもやはり、シグリエルはその魔術師を最も警戒した。当主はただの人間だが、魔術師は厄介だ。死霊の存在は見つからないように呪文をかけているとはいえ、どの程度の力があるのかは相対しなければ分からない。


ズタを再び屋敷に向かわせたあと、自分も研究室を出た。
行先は屋上にある、ガラス張りの温室だ。中には植物がたくさん植えてあり、研究や調合の素材にしている。

もう夜も更けていて、月明かりがシグリエルの金髪を照らす。
顔つきは相変わらず虚ろだが、紫色の瞳は一点を見下ろしていた。水槽の中にある生き物を。

シグリエルは自身の手のひらにナイフを滑らせ、血を滴らせる。
それを黒くうごめく生き物に吸わせ、ただじっと眺めていた。

「……おい。何やってんだ、あんた」

ただ、何も考えていなかったため、突然後ろから現れた弟の気配に気づくのが遅れた。
シグリエルは長身を振り返らせ、ぽたぽたと垂れる手を放置したまま驚きの表情を浮かべた。

「アディル」
「なっ、おい!」

弟はすっ飛んできた。手をがしりと持たれ、流れ出る血を凝視して焦り始める。

「血が出てんぞ、止血しろ!」
「落ち着け。餌をやっていただけだ。こいつらに」
「……は?」
「ヒルだ。こうして血を飲んでいる」

平然と説明する兄に対し、アディルは顔をひきつらせて交互に見た。本当にペットへの餌やりだったらしい。

「ひっ……なんだよその趣味は。かわいいと思うかこれ」
「……さあな。ただ愛着はわくが。それに傷口を治すのに役に立つ」

説明をしたが、引かれているのが分かったため、シグリエルはヒルを使わずに自身の治癒魔法で手を治した。
アディルは再び兄の手を握り、怪訝そうによく確かめている。
あれほど触るなと言っていた弟の行動を、少し可笑しくも感じた。だが、気にされるのが嬉しくないわけでは勿論ない。

「もう大丈夫だ。……向こうに座ろう、太陽光はお前の体によくないが、月光浴は良い」

シグリエルは弟を呼び、温室と建物を繋げる橋まで歩いた。
そこに長椅子があり、森林に囲まれた外の風景を見ながら、夜風に当たった。

「ここいいな。もっと早く言えよ」
「気に入ったか。いつでも来るといい。だが、お前はどこにでも現れるな。侵入の才能があるらしい」

冗談めかして言うと、アディルは上機嫌にニヤリと笑った。
こんな風に弟と会話が出来ることは幸運だ。
シグリエルは罪の向こう側にあったひとときの幸せに、漂う気分だった。

「考えたんだが、当主に手紙を書いたらどうだ。俺が出してやる」
「えっ、本当か?」
「ああ。だが、お前が無事だと告げたら、きっと墓を暴きに来るぞ。俺ならそうする」

前を見やり、冷静に推察を述べた。
隣の弟は考え込んだ様子だったが、それでも意思は変わらないようだった。

「もしそうなら……会いたい」

はっきりと告げられたシグリエルは一瞬息をのむ。
けれど表には出さずに、駄目だとも言えなかった。

「信用しているんだな、その男のことを」

尋ねるとアディルは頷く。いつもの負けん気は影をひそめ、語り始めた。

「孤児院を出たあと俺を拾ってくれて、十六のときから面倒見てくれたんだ。戦闘も仕事も教えてもらった。頭が上がらない人だよ」

それは再会して初めて見る弟だった。小さい頃のような顔つきで、礼節を重んじる純粋な姿が重なってくる。

「……そうか。分かった。ひとまず様子を見よう。……ただし、手紙にはお前の居所は書くな。それに誰にも言うなと釘を刺してくれ。お前の存在を知られるのは、当主一人で十分だ」

兄の軟化した態度はアディルを安心させる。素直に同意をし、シグリエルに従った。
一方でシグリエルには、当主ラノウと接触する心づもりが密かに出来ていた。



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