Undying | ナノ


▼ 10 不死者の体

どのぐらい時間が過ぎたのだろう。シグリエルは久々に深い眠りに落ちていた。

夢の中には後ろ姿の弟が立っている。まだあの頃の少年のままだが、今度こそ弟は笑ってくれるだろうか。
そう願うものの、振り向いた顔は暗く隠れて見えない。ごっそりと色が抜け落ちているようだ。

「おい。兄貴」

現実の世界から声がして、シグリエルは紫の瞳をばちりと開けた。丸めていた裸の上半身が飛び起きる。肌は汗ばみ、心臓がドクドクと動悸を起こした。

「……アディル」
「どうしたそんな顔して。怖かったか? 不死者が立ってて」

悪気なく淡々とからかうような口ぶりをされる。
シグリエルは呆れた風に頭を振り、金髪をくしゃりと掻きあげて「馬鹿を言うな」と呟いた。

アディルはシグリエルをじっと見る。体格がいい自分より背は高いが、兄はもっと細身だと思っていた。

それなのに、白い肌は程よく鍛えられていて腹筋も綺麗で、肩幅が広く、かなりスタイルのいい男だと知った。
必死で体を作っている自分が負けたと感じるぐらいに。

そんなことをシグリエルは露とも知らず、話を変えられる。

「おい、それよりあんた、汗だくだぞ。悪夢でも見たのか」
「……いや、大丈夫だ」

シグリエルは答えると、さすっていた顔を上向かせ、座ったままアディルを見つめた。
薄明かりに照らされた濃い紫色の瞳に、アディルは一瞬息をのむ。

「なんだよ。何か言いたいことでもあるのか?」

今更なぜ兄の部屋に入ってしまったのかという、弟の後悔が垣間見える。だが実際シグリエルは、先程アディルが自分のことを兄と呼んだことに気持ちが揺れていた。

「お前が、俺の部屋に入ってくるとは……思わなかっただけだ」

そう話すシグリエルの瞳はどこか柔らかく変化し、アディルの居心地を悪くする。
服を着る間も待たせていると、弟は本題を切り出した。

「あのさ、鏡どこだ? 探してるんだがなくて」
「鏡か。あるのはひとつの部屋だけだ。来い」

シグリエルはアディルを部屋から連れ出した。後ろを静かについてくる弟は、まるで昔の屋敷での光景を思い出す。
だがそれは、同時につらい記憶にもなり得た。

「なあ、なんで鏡ひとつなんだ。不便だろ」
「鏡は通常、外に向けて有害な力を跳ね返すまじないの意味合いがある。だが俺のような死霊に囲まれた奴には、鏡そのものが有害だ。自分に跳ね返ってくるからな」
「……えっ。マジかよ、大変じゃねえか」

なぜか弟に同情された気がしたが、仕方がない。生活環境の違いは事実だからだ。
不死者となったアディルに鏡の類は効かないとはいえ、特別な死者の瞳は死霊を映す可能性があるということは、まだ伝えられなかった。

吹き抜けの居間へ出て、食卓と椅子、中央に白いソファしかない殺風景な空間を通る。アディルは何も言わなかったが、もう家の中は一通り見たのだろう。

大人しく一階奥にある浴室へとついてきた。
だが、予想どおりシグリエルは閉め出され、弟の様子を確認できなくなる。

扉の外で壁に寄りかかって腕を組み、ただ待っていた。自分の姿を見た弟がどのような感想を持つのか、気になっていたのだ。

やがてアディルが微妙な顔つきとともに出てきた。
それも想定内で、申し訳ない気持ちを仕舞って冷静に尋ねる。

「見たのか」
「……ああ。まるで屍だ。正直気味が悪い。あんたよく俺と普通に喋ってるな」

もっともな意見ではあるが、シグリエルはそんなことを思ったことはなかった。どんな姿でも、眼の前にいるのは確かに弟の魂を宿した尊い身体だ。そして心も、確かに自分を映している。

「つうか、この目の色は戻らないのか? さすがにこれじゃ外出れねえんだけど」
「ああ、瞳か。難しいが、なんとかする。時間はかかるだろうが」
「……そうか。真っ白い肌もか?」
「それも、なんとかなる可能性があるとしか言えないな。すまない」

まだ手探り状態なため断言できないことは、自分自身の無念でもあった。出来るだけアディルが納得のいく形に、すべてのことを持っていきたい。

そう願っていたものの、やはり気落ちした様子の弟を見かねて、シグリエルはこう告げた。

「アディル。体のことを話そう。居間へ来い」
「……ああ。いいんだけどさ。その前に……風呂入りたいんだけど」

黒髪を掻き、言いづらそうに向こうを見やるアディルを、兄は怪訝に感じた。加えて強い反発を見せてしまう。

「風呂だと……それは駄目だ。体が濡れるだろう」
「あぁ? なんで濡れたら駄目なんだよ」
「覚醒したばかりでまだ日が浅い。しばらく刺激になるようなことはするな」

兄の命令口調にアディルは急激に血が上る感覚がし、怒り心頭でにらみつけた。

「なんとなく気持ちがわりいんだよ、それに匂うかもしれねえじゃねえか!」

思わず声を荒げ、アディルは舌打ちをして視線を外した。
だがシグリエルは呆気に取られたような顔をし、すぐに苦笑する。

「そんなことを気にしていたのか? 俺しかいないのに。……それに、お前のは不快な匂いじゃないぞ」

そう言ってアディルの首元に顔を近づけた。匂いを嗅ぐような仕草をして、驚いた弟の体が固まる。
アディルはあんたのせいで余計に気になるんだと、喉まで出かかった台詞を必死にこらえた。

「とにかく風呂はまだ駄目だ。体を拭くだけで我慢しろ」

理不尽な命令を兄から受け、弟はわざとらしく肩を落とした。


その後、シグリエルは体の機能について説明をした。
まず、不死者となった者は外見上、肌や瞳に変化が起こる。心臓も内臓も機能しなくなり、汗も出なければ排泄もしない。

もちろん食欲もなく、睡眠もとる必要がない。
痛覚は存在せず、体は常に低体温で暑さも寒さも感じないらしい。

だがアディルはおかしいと感じた。鈍くはあるが、自分には確かに触覚が残っている。
例えば手に感じる重さとか軽さとか、そういう感覚がある程度存在するのだ。

「それに感情もだ。だから死んだと言われても、あまり実感がない。これって普通なのか?」
「……普通か異常かと言われれば、異常だな」

あまりに他人事な返事に聞こえ、アディルは立腹する。兄の共感を削ぐ冷静さはやはり癪に障った。

「お前が不思議に思うのも分かる。だが、俺がそういう風に仕立てたんだ。感情は根幹の部分だろう。それがなければ、どんな者でもただの抜け殻だ。俺の目的は、出来るだけお前らしく施術することだからな」

アディルはそのお前らしく、という言葉に引っかかった。
あくまでもシグリエルは真剣な様子で語っている。この男は本当にそんな面倒くさいことをしてまで、自分を助けようとしているのかと。

どうしてそこまでするのか、いくら考えても理由が分からない。
行き着く先は、やはり八年前の別れまで遡る。

切々と考えていたら、いつの間にかシグリエルの顔が近くにあった。
また間近で観察するように、自分を見ている。

「あんたな、それやめろよ。すげえ居心地が悪いぜ」
「……そうか? 悪かった。だが、お前にもう一つ言わなければならない事がある」
「なんだよ。嫌な予感しかしねえが」

横目でにらむと、兄の口は遠慮がちにこう形作られた。

「そろそろお前の食事の時間だ、アディル」



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