▼ 34 三人暮らし
あれから四ヶ月が経過した。季節はすっかり冬だ。
森の中に建つ石造りの一軒家は、今や屋上付きの二階建てになり、一面に広がる庭も魔術の実験や花火を打ち上げられそうなほど、やりたい放題できる空間へと変貌し、俺とクレッドを大層満足させた。
そしてこいつも。
「よーし、行けロイザ! この棒取ってこい!」
木の端を持って庭にぶん投げる。しかし投力がない俺の腕ではわずか数メートル先でぽとりと落ちた。
見兼ねた弟がもうひとつの木を拾い、「兄貴。それじゃ飛ばないよ」と言い大きく振りかぶる。
すると棒ははるか遠くにすぽーんと飛んでいった。
「おお、すげえ! さすが俺の弟! よっ団長!」
拍手をしていたら隣から冷めた目で見上げられた。獣化したもふもふの白虎の高貴な顔立ちが歪む。
「……お前達は馬鹿か? 俺を犬扱いするなら今すぐこの家を出てってやるぞ」
「ああウソウソ! 冗談だろ、庭の広さをお前に見せつけたかっただけだって。なあクレッド」
「え。そうそう。白虎、お前も気に入っただろ? 自然は全部お前のものだぞ」
「ふん。前からそうだが。まあいい、都会よりはゆっくり出来る。……遊び相手にすぐ出会えないのは困ったことだがな」
ぎらりと好戦的な眼差しが弟をけしかけようとしているが、俺達は朗らかにスルーしていた。
いよいよ今日から二人プラス一匹の生活が始まるのだ。
ここに来るまで色々あったが、無事に今日を迎えられてほっとしている。それにこの完璧な家。
わくわくしながら俺達は中庭のテラスから居間へと入った。
暖炉には火が灯り、冬の寒さを一瞬で忘れさせてくれる。
「あったけえ~。やっぱ家ん中が一番いいわ。そうだ、ホットワイン飲もうぜ。俺入れるから」
台所で鍋にワインとスパイスを調合し二人分作る。
今回力仕事も含め、全てのことにおいて頑張ってくれた弟への労いもこめて、俺達はガラス窓近くの椅子に座り、冬の景色を眺めながら乾杯した。
「引っ越しお疲れ~お前もほんとありがとうな、クレッド」
「いいや、こっちこそありがとうだよ、兄貴。こんな素敵な家に一緒に暮らせるなんて、本当に最高だ」
にこりと笑う可愛い弟に、お前が最高にしてくれたんだとにやけながら応える。
信じられない。今日から俺達は別々に帰ることなく、同じ場所で寝起きをし、毎日会えるのだ。
今日明日は休日だが、平日になっても時間を気にせず一緒にいられるということが、大げさでなく夢のようだった。
「そういやお前、本当に出勤は俺が転移魔法使わなくていいのか? いつでも大丈夫なのに」
「そんな、兄貴は起きなくて平気だよ。ちゃんと魔術師が迎えに来るようになってるから」
その話を聞いた時は驚いたが、もともと騎士団の幹部連中には希望者に移動用の職員がつくらしい。俺が教会に入る前は、弟もそうやって自宅から通っていたようなのだ。
「兄貴が教会に入ってからは、本部の部屋のほうが使ってたけどな。今はもう必要なくなったな」
「はは。確かに。でもあのままなんだろ? 俺等すげえ用途に使っちゃってたもんな、ここだけの話」
「そうだな、すごく思い出深い。あそこは俺の部屋だから、これからも自由だぞ。兄貴が一緒に使いたくなったら言ってくれ」
悪戯っぽい笑みで目配せされるが、熱くなりつつも床に使役獣が座ってるからひやひやする。クレッドのやつ、こいつの前でもお構いなしにラブラブ出来んのか? やっぱすげえ精神力だ。
俺はというと、なんだかまだ慣れない部分があった。
不思議なものだ。例えば家族の誰かと一緒に友人といる時、自分の振る舞いがぎこちなくなる時がある。どちらにも若干別の人格を無意識に見せてるためだ。
でも、弟も使役獣も、俺の家族であって。
かといってクレッドは俺の恋人でもあるし。人に見られたら恥ずかしい振る舞いが出てしまう。
「ーー兄貴、どうかしたか?」
「ーーセラウェ、どうかしたか?」
その時、同時に二人の声が聞こえてきて俺ははっとなった。奴らも同じように「あっ」と反応している。
「ははは。お前らハモってんぞ。なんだよ急に。どうもしてないって」
「……そうか? 考え事してる顔だったぞ」
さすが弟は鋭い。しかも斜め下のロイザも、俺を見て「お前の心の動きを感じるぞ」とでも言いたげな無表情で見つめてくる。
俺は悟られまいと誤魔化し、立ち上がった。
「そうだ! 今日は屋上でグリルしようぜ、食材は買ってきたしさ。そのあとはゆっくり大浴場にでも浸かって、最高の気分で暖かい布団に入り眠る、と。どうだお前ら!」
「ん? 素晴らしいと思うが……兄貴、なんだかワクワクしててかわいいな」
弟なのに大人びた瞳を優しく細められると、また恥ずかしくなってくる。おかしい。なぜだかあんまり俺を褒めないでくれとさえ思ってくる。
「セラウェ。どうした。さっきから顔が赤く、動揺している。引っ越し疲れか?」
「ちっちげえよバカ! あーじゃあ準備すっか」
「俺も人化して手伝ってやろうか」
「いや大丈夫。お前は家ではめったに人化しないってこと約束しただろ? 守れよちゃんと」
「……ふむ。分かっている。弟の安心のためにもな」
その含みのある言い方がクレッドにどう作用するのかと肝が冷えたが、奴は真面目に頷いていただけだった。
あー怖え。俺だけなのかもしれない、微妙にきりきりしてんのは。
その後、外が暗くなってきて俺達は屋上へ出た。
天気がよく星空も見える。景色や空気に癒やされ、ここを選んでほんとに良かったと再び感動していた。
焼き担当の弟が、次々と肉を焼いてくれ、俺は優雅にそれを口に運ぶ。酒を飲みながら、弟にも注ぎ、楽しい時間を過ごす。
「なあロイザ。お前別に俺にくっついてなくてもいいんだぞ。つまんねえだろ。魔力ももうあげたし」
「それはそうだが、俺がここにいては邪魔なのか?」
「はぁ? ちげーよっ。そんなこと言ってないけど」
気を使ったのだが白虎はゆっくりと腰を上げ、四つ足で隣に寄り添ってきた。白い毛並みが気持ちよく、暖かい。なついてくるので撫でてやると、奴も喉を鳴らした。
「まだ話が終わってないからな。小僧と」
「え? 何の話だよ。最後に爆弾やめろよ」
焦り出すといつの間にか正面に座り、俺達を悠然とした態度で見ていたクレッドに気づく。
「話か。もしかしてやっと教える気になったのか。お前のルールというやつを」
「そうだ。簡単なことだがな。……セラウェと寝るのは一日置きの交代にしろ」
そう言った途端、冬の空気がぴしりとさらに凍りつく。
おいなんでこのタイミングでそんな事言い出すんだ。もっと前に話し合えただろ。しかも俺の周囲の奴は誰と寝る問題好き過ぎだろ。いい加減にしろよ。
脳内で一人喋るが、さすがにクレッドの顔つきから落ち着きが失せていく。
「一日おきだと……? 冗談を言うな。毎日兄貴と寝食を共にしたいというのが俺の一番の目的であり、願いの根幹だったんだぞ。それをお前、今になってーー」
「俺は習慣的にセラウェの魔力を添い寝で補っている。眠っている主との心のやり取りも自動的にそこで行われるんだ。週に三回というのはかなり譲歩しているんだが?」
ロイザは気迫ある言い方をし、さらに立ち上がり白髪褐色肌の男へと人化した。さっそく眼前でルールを破られ俺は口をパクパクする。
クレッドは身構え、存在しない長剣を探る手つきさえしている。
「人にルールを押し付けておいて、お前なんで人化した? 魔力は直接貰えばいいだろう? 兄貴と添い寝したいだけなんじゃないか?」
「落ちつけよ、小僧。お前と一緒にするな。ではお前の案はなんなんだ? まさか一週間ずっと俺の主を占領する気か。……お前はどう思う、セラウェ。これは切実な問題だぞ」
使役獣の灰色の瞳がまっすぐに俺を捕らえる。
弟の混乱した眼差しも。
どう思うって。どう答えても窮地に立たされるの俺じゃねえかよ。
「うぅ゛っん゛……あー、……そうだな。どうしようか。二人の言い分はよく分かる。……でもな、ロイザ。考えてみてくれ。俺と弟はこう見えても恋人同士なんだ。……だからな、俺とお前が一緒にもふもふ寝てる間、奴が一人さみしく冷たい布団に入ってる姿なんてのは、俺は想像したくない。可哀想だし嫌だ。……かといって、今まで居たペットを完全に放置して自分さえ良ければ良いのかっていう、そんな悪徳飼い主にも俺はなりたくない」
めちゃくちゃ言葉を選びながら、言い訳もとい説明を始める。二人の真剣な思いを感じ取りつつ、俺はこう結論を出した。
「よし。決めた。俺は毎日クレッドと一緒に寝る。だが、週に二日、ロイザもそこに入る。もちろん獣化してな。どうだ、もうこれしかない」
幸いベッドは長身の弟に合わせて特大だし、物理的には可能なはずだ。ロイザは異論がとくにないのか無反応だったが、弟は椅子をガタンと動かし後ずさった。
「ふ、二日……こいつも俺達のベッドに……」
「……ふふっ。まあいい。上出来だ、セラウェ。弟、俺もお前がいても許してやるぞ。だからお前も俺の存在を許容するんだな」
ロイザは声高に言い、口元を上げてまた白虎の姿に戻った。
まるで目的が済んだかのように、獣足で優雅にその場を去っていく。散歩にでも行くのか知らんが。
俺は少し恐ろしくなったが、これ以外に方法が思いつかず、クレッドを見やる。
「あ、あのー。怒った? でもしょうがなくねえか。お前と離れて寝んのも嫌だしさ、俺。あいつはもちろん真ん中になんてしないから。獣の姿だし寝る時は静かだから許してやってくんねえかな」
なるべく下手に出て手を合わせお願いする。
すると、弟がいきなり立ち上がり近づいてくる。
何も言わず、長い腕にがばっと体ごと抱きしめられた時はびっくりして言葉を奪われる。
「怒ってないよ。確かに衝撃は受けたが。……仕方ないことだ。二日でも少ないほうだろう? 気を使わせてごめんな。慣れたら、三日でも……いや……でも今日は二人がいい」
切なげな、ちょっぴり拗ねたみたいな顔つきで言い、俺にちゅっとキスをした。
俺が真っ赤になり固まっていると、もう一度弟が唇を重ね、俺の頬に手のひらを当てて深いやつをしてくる。
「んん」
なんでだ。二人きりでいるより、この家でそんなことをされたら現実が襲ってきて足までふらつく。
「兄貴。大丈夫か……?」
打って変わって、低く甘い声が耳をしびれさせ、俺は横目で周りをきょろきょろと伺った。ロイザが見てるんじゃないかと焦ったのだ。
「あいつはいないよ。気になるのか、兄貴」
抱きしめて、胸板に顔を埋めさせられ頭を優しく触られる。
確かに俺は、どうしてこんなに気にしてしまうんだ。
◇
就寝時、俺はクレッドとこだわりのある寝室にいた。
ここは増築部分の二階で、天窓から星が見える。それを横たわって眺め、まさに夢心地だった。
「静かだな……。なあなあ、ここあの保養地の別荘みたいだよな。思い出すよ」
「本当だな。あそこも素晴らしかった。……でも俺は、ここの方がいいけど。二人のもっと特別な空間だから」
クレッドは俺のほうを向いて、体をわずかに起こす。俺は雰囲気に飲まれてるだけじゃなく、こいつの醸し出す色気や逞しい肉体に押され、ときめきの中にいた。
「……ん、む……」
密着してきて上から抱き込まれ、首筋を撫でられ、頬にキスされてるだけで目眩がしてくる。
「ま、待って……くれ…っ」
俺が小声で言うが、弟の優しい手つきと唇は肌を掠め取り、愛撫にとろけそうになる。
しかし俺はぐいっと奴の胸を追い返した。クレッドも瞬きし、俺と見つめ合う。
「ん……? どうした…?」
「……あ……やっぱ、聞こえるかもしんねえ……俺、声でかいし……!」
伝えるもクレッドはくすりと笑い、気にしてない風に頬を撫でてくる。そうされるだけで敏感になり、全身が熱くなった。
「聞こえないよ。あいつは一階だろ? それにもし感づかれてもーー」
「駄目だってそれはっ。俺は恥ずかしいっ」
はっきり言うと、弟も表情が変わる。困ったような顔つきをしたが、俺はなんて言っていいか分からず、強情になってしまっていた。
「でも兄貴。あいつはペットだろ? 気にしてたら、俺達何も……」
「ペットだけど、お前だって気にしてんじゃん、寝るの嫌だとかさ」
焦る余りに責める口調になると、弟は一瞬怪訝な様子で考えたあと、ゆっくり体を起こした。
「あっ、違うから、怒んなよ」
「怒ってないって。でも……そうか。気になるなら仕方ないな」
クレッドはそう言って、ベッドから完全に起き上がり、立ち上がって部屋を出て行ってしまった。
「ちょっ、おい! どこ行くんだよーー」
声をかけても届かず、静かに扉が閉まる。
俺はがーんと頭にショックな音が響いてきて、動けなくなった。
なんでだよ。何も部屋出てくことないだろ。
引っ越しで忙しく、最近は時間がなかったから俺も弟と触れ合いたかったが。
「なんで俺はこんなバカなんだ……」
もっと決意とか心積もりとか色々しとけばよかった。引っ越し早々やってしまったと、涙目になり天窓の星々を見る。
「うう……」
唸っていると、しばらくして扉が静かにキイっと鳴る。
だが、弟の足音ではなく、それは獣の軽やかな歩行だった。
白い毛並みがふわりとベッドに飛び乗り、俺の横に寝そべる。癖のように俺は手を伸ばし、毛に顔を埋めた。
「お前な、今来んなよ。誤解を招くんだよこういうのは」
「お前が一人でいたからだ。一階にいても分かるような不幸を垂れ流すな、セラウェ」
使役獣の慰めが痛い。こいつは何でもお見通しなのだ。
悲しみ混じりに寝てしまえとうとうとしていると、今度は人間の足音が聞こえてきた。
そいつが暗がりの中、ベッドにぎしりと上がってくる気配で、俺は白虎から顔を上げ、わずかに振り返る。
「なんでお前がここにいるんだ、白虎」
「そういうお前はどこに行ってたんだ? 引っ越し早々、主を一人にするとは」
「お前を探しに行ってたんだろう。見つけるのがどれだけ骨折れるか分かってんのかお前」
弟が文句を言いながら、真ん中にいる俺の背中をすっぽりとその体で包み横になる。
「おい? もういいのかよお前…?」
「まだだ兄貴。……いいか白虎。はっきり言うぞ。兄貴は恥ずかしがり屋なんだ。でも俺は愛し合いたい。だからそういう時は、お前は黙って距離を取れ。その代わり添い寝も二日じゃなくて三日でいいから。だがこれも固定じゃないぞ、俺は発情にやられる時もある。お前も知ってるだろ?」
クレッドが後ろからとんでもない事をあくまで真面目に話している。白虎は瞳を開け、きちんと聞いているようだった。
「ああ、よく知っている。お前の話も了承しているぞ。だから今も下に行ってやってたんだろう。俺はお前達の行為になんら不都合はない。……ああ、魔力の味をのぞいてな。まあいい、それは免じてやろう。……ふふ、お前も少しは大人になったな。三日か、満足だ。よし、そうしよう」
二人は俺を挟んで勝手に喋り、取り決めを行った。
一番恥ずかしいのは俺なんだが。でもこいつらは俺のために手を取り合ってくれてるんだと、一番感謝しなきゃいけないことも感じている。
「こっち向いて、兄貴」
しびれを切らした弟が声をかけてくる。俺はおずおずと毛並みから手を離し、クレッドに向き直った。すぐに腕の中に包まれ、そのまま奴は目を閉じる。
この状況を全て受け入れてくれた意思表示のように。
「おやすみ、兄貴。愛してるよ」
「……えぇっ。お、俺も……あい…してる」
すごい勇気を出して伝えると、弟は笑顔になって俺の頭を大きな手で撫でた。
後ろの獣も寝息を立てて寝始めているようだ。
こんな光景もあるんだな。
安堵とそれぞれの愛情を感じながら、俺は安らかな温もりに身を委ねた。
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