▼ 69 部下の嘆き(グレモリー視点)
夕刻を過ぎ、稽古後の更衣室は汗臭い野郎どもで溢れかえっている。
そんな中一人涼やかな顔で体を拭い、颯爽と制服を身にまとう男こそ、我らが団長ーークレッド・ハイデルだ。
俺は気配を消して騎士に近づき、明るい金髪の襟足を見下ろした。
「おい団長。お疲れさん」
「ああ。なんだグレモリー。俺の背後に立つな」
いつもの如くつれない上司の注意を引き、自らに向かせた。今日こそは俺の希望を汲んでもらおうと意気込む。
「なあ今夜飲みに行こうぜ。早く終わったしいいだろ? ネイドは忙しいっつってたけどよ、あいつ酒癖悪いから別に構わねーし。ユトナも行けるってよ」
身支度に手を止めない団長がぴくりと眉を上げる。なんだ、人選に問題があったか?
だが同期のよしみか、飲みの際には自然といつものメンバーが集まるんだよな。四騎士ながら存在感の薄いファドムは、誘ってもめったに来ねえが。
「悪いな。今日ちょっと用があるから無理だ。それに先週行ったばかりだろ」
「はぁ? あんた最近いつも用があんじゃねえかよ。つうかこの前の飲みは先々週だぞ、間違えてんじゃねえ」
「そうだったか? まぁとにかく来週にしてくれ。俺は忙しいんだ。早く帰らないと夕食がーー」
淡々とかわそうとする騎士だが、口元が緩みどこか浮ついた様子を、七年来の付き合いである俺は見逃さない。
「じゃあまた明日な。お疲れ」
俺の肩にぽんと手を置き、気軽に告げた団長が部屋を出ていこうとすると、その場にいた騎士達は一斉に「お疲れ様です団長ッ!!」と反応した。
あんなふやけきった面した団長がいるか? どうしちまったんだ、最近のあの人は。
チッと舌を打つと、一部始終を見ていた同僚が顔を覗き込んできた。
「グレモリー。そんな寂しそうな顔をするな。俺だけじゃ不満か?」
「……ユトナ。気色悪い言い方すんな。変な噂が立ったらどうする」
「ふふ。今更そんな事気にされてもな。まぁたまには二人でしけ込むのもいいだろう。愚痴なら俺が聞いてやるから。ほら、行くぞ」
団長に次ぐ美形の騎士が、なぜかいい匂いのする茶髪をなびかせ俺を誘う。
はぁ、結局いつもの相棒しかいねえのか。
別に文句はねえけど、俺はこいつと違って大人数でわいわい騒ぐほうが好きなんだよなぁ。
*
今日はなんとなく気分を変えようと、いきつけの大衆酒場ではなく、こじんまりとした個人経営のバーへとやって来た。
薄暗い店内で音楽が響き渡る中、俺達のテーブルには立ち代わり女性達が訪れる。
「ごめんね。今日は二人で飲んでるんだ。機会があれば、また今度」
詐欺師的な笑顔を作り、手慣れた様子でユトナが人払いをする。
ご苦労なことだと横目で眺めつつ、俺は強めの酒をあおり、マイペースに飲むだけだ。
「お前も毎日大変だな。そうか、モテすぎて頭がおかしくなったのかもな」
「随分辛辣だなお前。俺のどこがおかしいって言うんだ」
「いやおかしいだろ、どこもかしこも。大体そんだけ選り取りみどりのくせに、なんで男なんかに走るかねえ」
じろりと見やり、嫌味でもなんでもなく素朴な疑問をぶつける。
ユトナは満足げに淡い茶色の瞳を細めた。この怪しげな笑顔に狂わされた人間には、同情心すら湧くもんだ。
「グレモリー。騎士たるもの女性には常に優しく振る舞い、尽くすべきだろう? つまり俺の加虐心が男に向かうのは、ごく自然なことなんだよ。それに男のほうが頑丈だしな。組み伏せる快感を一度知ればもうーー」
また始まった。自分で聞いて後悔する。
長く苦楽を共にした友人同士ではあるが、奴の変態趣味にだけは近寄りたくねえ。
「お前女でも尽くすタイプじゃねえだろ。……待てよ、つうかアレか? 団長ってまさか、女が出来たのかよ」
普段の堅物っぷりから私生活が想像し難いが、あの隠していても滲み出ている浮かれようは……
悶々と考えを巡らせていると、突然ユトナの笑い声が響いた。
「はは! それはどうかな。見てみろよグレモリー、噂をすればだぞ」
腕を引っ張られ、扉付近に目をやる。すると一発でそれと分かる、金髪長身の男が誰かと連れ立って店内に入ってきた。
ラフな私服だが、周りに目を配る動作には相変わらず隙がない。
勿論目が合ったが一瞬にして逸らされた。
「おい見たかユトナ、あの男俺らを無視しやがったぞ」
「邪魔されたくないんだろう。セラウェも一緒だからな」
友人の言葉に目を剥いた俺は、カウンター付近に座った二人組を再び注視した。
マジじゃねえか、団長の野郎、魔導師と一緒に楽しそうに酒を注文してやがる。
「おいおい、女じゃなかったのかよ。つうかありえねーあの人、部下より兄貴との飲みを取んのか? あのチビ酒弱えし、何が楽しいんだよクソ」
グラスに酒を継ぎ足し、一気に飲み干す。
隣のユトナに更に笑われた。
「グレモリー。俺はお前のそういう、図体でかいくせに時々ガキっぽいとこが可愛いと思うぞ」
「ああ? お前にそんな事言われても鳥肌立つだけだからやめろ」
「そんな苛立つなよ。じゃあこうするか、二人を邪魔してやろう。お前はハイデルに行け、俺はセラウェに行くから」
急に何を言い出すのかと思い、俺は奴をジト目で捕らえた。
酔ってはいないようだが、ユトナの瞳がやけにギラついて見える。
戦闘時の興奮状態を思わせる目つきで魔導師を眺めていることに気づき、妙な冷や汗を感じた。
「おいユトナ。お前何考えてやがんだ。まさかとは思うが、あいつは止めとけよ」
「ん? なぜ駄目なんだ。セラウェが俺の方に振り向けば、お前ももっと団長に構ってもらえるだろう」
笑顔で告げられ、こいつ友人だが時々マジもんのサイコパスではないかと戦慄する。
大体いくら文句なしの美形といえど、皆がみんなお前のような変態ではないと、突っ込みたくなったがどうにか堪えた。
「あのな、お前も見ただろ? 遠征中に魔導師がナザレスに連れ去られた時の、団長の荒れっぷりをよ。もの凄かっただろうが。俺はもうあれは勘弁だ」
「ふふ。確かにな。今度はあんなもんじゃ済まないだろうな」
当たり前だ。魔導師が来てからというものの、団長の兄好きな面を嫌というほど目にしてきた。
普段はほぼ感情を表さなかった男が、憑き物が落ちたかのように喜怒哀楽を覗かせ、周囲も驚くばかりーーいや、最近は呆れるほどだが。
そこにこの美形のタラシが加わってみろ、部下として団長を支える者として、看過できねえ。
「あれ、俺達の話し声聞こえてないよな。グレモリー、あいつ怖い顔でこっちに来るぞ」
「あ?」
途端に覇気を潜めたユトナの視線を追うと、いつの間にか団長が俺達のテーブルへと向かってきていた。
我ながら単純だと思うが、俺は手を上げて声をかけ、席へと迎え入れようとした。
「よお団長。おせーよ。やっと俺らと飲む気になったか?」
「そうじゃない。まさかお前らもここにいるとはな。俺のリサーチが甘かったか」
「酷いなハイデル。さぁここに座れよ。セラウェはどうした?」
「……兄貴に挨拶に行けって言われたんだ。だから来た」
何だよその不服そうな言い草は。直属の部下に対してあんまりじゃねえか?
「またかよ団長。もうあんたのブラコンにも慣れたけどよ。ほら、いいから魔導師も呼んでこいよ」
「何言ってるんだ、俺は兄貴と二人でいい。今日はそういう約束なんだ。だからお前らとはまた今度ーー」
「ハイデル、そのお兄さんが見知らぬ男に絡まれてるぞ? 早く連れてきたほうがいいんじゃないか」
「は!? 嘘だろ、……クソッ」
ユトナの一声に団長が険しい声を上げ、即座に踵を返す。
実際に絡まれていた魔導師はすぐさま弟によって助けられ、へらりとした笑顔を浮かべていた。
心配げな顔をしてぶつぶつ言いながら、恥ずかしげもなく兄の頭を撫でる二十代半ばの立派な男ーー。
あんた、ほんとにそれでいいのか?
溜息を吐く俺を、同僚のユトナがまた楽しそうに見ていた。
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