▼ 62 黒うさぎのお泊り(ナザレス視点)
「おいナザレス。あいつの前では大人しくしとけよ。調子乗って人化すんじゃねえぞ」
「分かってるよ、しつけえおっさんだな。俺だってむざむざセラウェに嫌われるような真似するか。せっかくのお泊りなんだぞ」
本来なら来たくもねえ聖騎士団領内を、俺は飼い主であるメルエアデと共に訪れた。
立派な一軒家の玄関扉を奴がドンドン叩くと、中から足音が聞こえてきた。
セラウェだ……!
すぐに察知し全身の器官が反応する俺に向かって、おっさんは即座に術式を唱えた。
その瞬間、俺はぽんっ、と筋肉隆々の男から小さな黒うさぎへと姿を変えられてしまう。
「はいはい、今出るからーーげ、師匠」
「よおセラウェ。なんだその失礼な面は。今日こいつを預かれって言っといただろうが」
おっさんが床にへばりついた俺を足で小突こうとする。
慌てたセラウェが急いでしゃがみ込み、優しく抱き上げてくれた。
「何すんだよ師匠、かわいそうな事すんなよ!」
「うっせえな。ただの日常的なスキンシップだ。なぁナザレス」
頭上で二人の言い争いが聞こえたが、大好きな奴の胸に埋まった俺には、もうどうでもいい。他のことはすでに考えらんなくなっていた。
だが家の扉の奥から、もの凄く殺気じみた嫌な気配がした。
この匂い……まさかあのクソ弟じゃねえだろうな。
「じゃあナーちゃん、こんなおっさん放っといてもう中に入ろうぜ。な?」
「……兄貴。……ナーちゃんってなんだ……?」
俺の勘は当たった。
室内で偉そうに仁王立ちになった金髪イケメンクソ野郎が俺を睨んでいる。
「えっ。クレッドいつの間に。な、ななな何も言ってねえよ俺は」
「よう聖騎士。相変わらず兄貴のストーカーしてんのか? 今日は俺の飼い兎のお泊り日なんだわ。悪いけどお前の出る幕ねーから」
「……貴様ッ、なんで定期的にこいつを兄貴によこすんだッ、嫌がらせしやがって!」
「ああ? バカ弟子の希望なんだからしょうがねえだろ。小うさぎに嫉妬してんじゃねえよ小せえ男だな」
普段は俺をこき使う腹立つおっさんだが、中々スカッとすることを言ってくれる。
ようやく三人の小競り合いが終わると、メルエアデ共々、職務を抜け出し偵察しに来た聖騎士も渋々居なくなってくれた。
やっと二人になれたな、セラウェ。
俺がどれだけ愛らしい黒目で語りかけているのか、うっとり微笑み抱きしめてくるセラウェの顔で分かる。
クク……今日はこいつを独り占め出来るんだ。一体何をしてやろうか?
楽しみ過ぎて震えが止まらないぜ。
◆
「はい、ナーちゃん。この人参、オズの実家から送られてきたんだ。美味しそうだろ?」
ソファの前に座り足を投げ出すセラウェが、机の上のカゴに大量に入った人参を一本取り出した。
俺の小さな口にぐいっと差し出してくる。
本物の動物ではなくいわば幻獣ーー半実体の身である俺は、餌なんて食わねえ。全部魔力で補うからだ。
だが俺は迷わずむしゃむしゃ食べた。
セラウェの喜ぶ顔が見たいからな。後で吐き出せばいい。
「あ〜可愛いっ。お前やっぱすっげえ可愛い。ねえなんで? マジでなんで?」
目をキラキラさせて顔に丸い頬を押し付けてくる。
鏡見てんのか? お前のほうが可愛いよセラウェ。
今すぐ人化して食べちまいたいぐらいだ。
「マスター。お風呂の準備出来ましたよ〜そろそろ入ってください。あ、ロイザもまた外で遊んできて汚れてるんで一緒に」
「ええ、またかよ? しょうがねえなぁ、あいつ」
風呂だと?
あのいけ好かねえ白虎、セラウェと一緒に入浴してんのかよ。ざけんじゃねえ役得野郎。
「じゃあナーちゃんも一緒に入ろっか。俺がちゃんと見といたほうがいいもんなぁ」
えっ。いいのかよ?
俺が言うのもなんだけど正気か。
だってセラウェの裸だろ、俺我慢できなくなっちゃうかもしんねー。
きっとこいつ、想像以上に黒うさぎの魅力にやられちまってんだろう。
セラウェはにこにこしながら俺を風呂場へと持っていった。
そしてなんと、あの邪魔者白虎は入浴が嫌で逃げだしたようだった。
つまり俺達は二人きり……
何か間違いが起こっても後悔すんなよセラウェーー。
「ほら気持ちいいか? 泡たっぷりつけてやっからな〜」
後ろの小さい椅子に座るセラウェはもちろん裸だ。
俺は大人しく床に座り、体をわしゃわしゃと洗われていた。
ああ、すげえ気持ちいい。
細い指一本一本が俺の毛並みに絡みつく。
体を抱っこされ胸に当てられ、耳の後ろまで念入りに泡立てられる。
ここまでの密着が再び叶うとは。生きててよかった。
セラウェの白い肢体をちらりと見る。
エロい腰に薄いタオルが巻かれてんのがちょっと残念だ。
「よし終わったぁ、一緒に湯船浸かろうな」
ぽちゃん、と二人でお風呂に入る。
なんという幸せ……。
今すぐ人化して可愛いセラウェを食っちゃおうという考えも浮かんだが、寸前で踏み止まった。
あと何回かこの幸福を味わいたい。
それまでは嫌われたくねえ。
俺は我慢を学んだ自分に拍手を贈ってやりたくなった。
◆
就寝時間。セラウェのベッドに招かれる。
ああもう俺ずっと黒うさぎでもいいかもしんない。
こんな風に、横に丸まる可愛い奴の腕に抱かれて眠れるならーー
「すー、すー……」
しかし俺はするりと抜け出した。
やっぱベッドは色々とまずいな。結構思い出があるし。
なんだろうな、こいつの無防備な寝顔が近くにあると、すげえヤりたくなってくる。
「……セラウェ?」
ひとりでに人化した。
仮にも魔導師なのに、ガタイの良い男に見下されても、まったく起きる気配がない。
おいおい警戒心がなさすぎだろ。
俺ですら心配になるほどだ。
しかしそれがセラウェなんだよな。抜けてるとこが可愛いくてソソられる。
「食っちまうぞ、おい」
「……んー……クレッド……」
オイ。
がっくりと頭を垂れる。
またあの弟の夢見てんのか?
四六時中一緒にいんのにまだ足りねえのか、こいつら兄弟は。
「俺のこと呼んで、セラウェ……」
子供みたいに柔らかいほっぺたをつつく。
するとセラウェは目を閉じたまま頬をゆるめた。
「……早く寝ないと……ナーちゃんも……」
むにゃむにゃ言いながらまた体を丸めだした。
俺も夢に出てんのか?
意外なご褒美に面食らった。
「はぁ。こんなんじゃ襲えねえ。……なんでだよ。くそ」
今まで感じたことのなかった良心の呵責というものが過ぎる。
何にも知らなそうな顔ですやすや寝やがって。
不思議なやつだ。
俺は心まで黒うさぎのように縮こまっちまったのだろうか。
「もういいや。今日は諦めよ……」
再びぽん、と獣化してセラウェの胸に潜り込む。
何やってんだ、俺は。
目を閉じて考えていたが、与えられる温もりの心地よさに、このポジションも悪くないのかもしんねえ……
柄にもなくそう思うのだった。
prev / list / next