ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 42 目が覚めたとき

師匠と俺は、森深くにある湿地帯に突如現れた、古代遺跡の建造物の中にいた。
ひんやりと冷たい内部は至るとこに蔦が絡み、時折猛獣や食中花に平気で襲われる。

俺は基本的に師匠の巨体の影に隠れ、一番弱そうな小物を相手にしたりしてやり過ごしていた。
試練を与え侵入者を排除しようとする幾多の仕掛けを乗り越え、何層にも及ぶ遺跡内を探索し、数時間後ようやく目的の場所らしい地下へと辿り着いた。

「この地図によると、ここらへんで間違いねえはずだが……」
「本当ですか? やったぁ。なんだか思ったよりスムーズにいきましたね。俺、もっと死にそうな目に合うのかなって不安だったんですけど」

とはいえ元々体力のない俺は凝り固まった腰を伸ばし、今のうちにとわずかな休息を取ろうと努めた。
師匠の鋭い琥珀色の目が全身に突き刺さる。

「すんなり来れたのは俺が全部敵を倒したからな。お前一人だったら生き残ってねえぞ」
「……そ、そうですよね。さすが師匠っ、俺ももっと師匠みたいに強くなりたいです!」

返す言葉もなく慌てて太鼓持ちをする。
ぐっと太い両腕を組んだ師匠は、普段のしかめっ面からは想像できないほどの、不気味な微笑みを浮かべた。

「そうか。俺もお前が強くなってくれたら嬉しい。イコールもっと俺の役に立ってくれるということだからな」
「はい、勿論もっと役に立ちたいです! そのためなら俺はッ」
「じゃあ早速頼むわ。そこの、入り口見えるな? 潜入しろ」
「……へ?」

途端に厳しい目で命じる男の視線の先には、人一人入るのがやっとの小さな穴蔵があった。

「む、無理ですよ。俺狭いとこ苦手なんです、パニックになっちゃいますって!」
「情けねえこと言いやがって。ほんとにタマついてんのか? いいから早く行け。お前みたいにちっこい体じゃねえと進めねえんだよ」

押し問答を繰り返し、俺はしつこい師匠の説得により内心嫌々ながらも腹を決めた。

「じゃあ、行ってきます……本当にこの先にお宝があるんですね?」
「おう。何かあったら合図しろ。見つけるまで戻ってくんなよ」
「え!?」

渋々四つん這いになって穴蔵に入ると、そこは土壁に囲まれた通り道が長々と続いていた。
這いつくばるようにして一生懸命進む。

蜘蛛の巣や動き回る何かを発見し阿鼻叫喚の俺は、大声で叱咤してくる師匠と会話していたが、段々声が遠のいてきた。
簡単に引き返せず、恐怖に突き動かされるように前進する。
やがて一本道が途絶え、開けた場所に出た。

「はぁ……っはぁ……もうやだ……足痛い……」

腰を上げて立ってみると、天井はやたらと高いが、そんなに広くない洞穴らしき場所だと分かった。
深呼吸をしてどうにか体を落ち着かせ、火魔法で小さな明かりを灯す。

「師匠! 着きましたよ! ……あ、あれ、なんかあそこに変な像があるーー」

古びた祭壇の中央に立つ石像の周りに、キラキラ光る宝石や杯、金貨、数冊の分厚い本などが散らばってみえた。
一瞬目当てのお宝かと思ったが、師匠の話しぶりだともっと特別な物の気がして、頭を傾げる。

何度か師匠に声をかけるものの、返事がぱたりと途絶え、急激に嫌な予感が襲った。

その時、ぐしゃりと足に何かが触った。
恐る恐る見ると、ばらばらに砕けた白い粉が散らばっている。固い破片も目に入り、骨だと気づいた。

「ぎゃーー!!」

情けなくも大声を出した。動物か人間か分からないが、パニック状態で走り去ろうとすると盛大に転び落ち、がしっと掴んだ手の中には、頭蓋骨が握られていた。

嘘だ、マジで無理。
妖術師の弟子になったくせに、当時からホラーとかそっち系の耐性がなかった俺は涙声で喚いた。

「師匠、もういいでしょう、ここ危ないですよ! 俺帰りますからね!」

もつれる足でどうにか来た道を引き返そうとすると、さっきまで存在してたはずの穴がどこにもなかった。

頭が真っ白になる。
どういうことだ? いくら探しても、今いる洞穴から出口が消えている。

俺は絶望の余りその場にへたり込んだ。
これはこの場にかけられた幻覚の術かもしれない。遺跡の構造上その可能性をとっさに考えたが、魔術師見習いの少年の俺には解くすべもなかった。
転移魔法を使おうとしても、結界が張ってあるのかまるで発動しなかった。

「どうしよう……助けて、師匠……出られないよ」

俺はそのまま洞穴に閉じ込められてしまった。



何時間経ったのか分からないが、お腹が鳴って目を覚ました。
眠っていたのか。
再び体を起こし狂ったように助けを求めるが、何の反応もない。

俺はここで死ぬのか。まだやりたい事たくさんあったのに。
結局何も成し遂げられないまま、こんな誰もいない場所で若くして命をーー。

最悪な想像に身を震わせる。
家族の顔が脳裏をよぎった。

「みんな……。お母さん、親父……アルお兄さん、シグ兄さん……クレッド」 

お世話になった人や友人、幼馴染。
険悪なままの父や、成長してあまり話さなくなってしまった弟。俺には心残りがたくさんあるのに。

「うう……嫌だ……まだ生きたいよ……師匠、なんで……」

その時、背後で物音がした。
誰もいないはずの薄暗い空間で、がさがさと何かがうごめいている。
恐る恐る振り向くと、じゅるるっと水音が滴る音が聞こえた。

少し離れた所に、黒い大きな物体がいつの間にかしゃがみ込んでいるのが見えた。
大きな口から赤い舌と白い牙がのぞき、それが獣だと分かった。

「やっ、やだ……嘘だ……ッ」

獣が助走をつけて前足を蹴り飛びかかってきた瞬間、俺は何も考えられないまま、咄嗟に攻撃魔法の詠唱を行った。
どれほど通用するかは分からないが、最大限の氷魔法を手のひらからぶっ放す。
ヤケクソの攻撃が何発か当たったものの、獣はわずかに呻いただけで倒れる様子がない。

もう終わりだ。
閉じ込められて死ぬのも嫌だが、獣に食われて死ぬのはもっと嫌だ。

絶望の縁に立たされ力が抜けると、雄叫びとともに牙を出して向かってきた獣の動きが、ぴたりと止まった。
そして、みるみるうちにその毛並みが透明な氷によって覆われていく。

俺は詠唱してないのにおかしい。

そう思って獣の背後に目を向けると、男が立っていた。
白い霧のような中に佇むそれは、姿がはっきり見えない。

「お前は誰だ?」
「……え? あんたこそ、誰だ」

問いかけてきた声に、混乱しながら尋ね返す。
どこから入ってきたのだろう。
一瞬師匠かと思ったが、おぼろげで何やら神秘的な雰囲気が辺りに漂い、全然違うものだと気づいた。

「も、もしかして獣から俺を助けてくれたのか? ありがとう」
「助けた? 俺は……強い魔力に惹かれて、姿を現しただけだ。……そこの、魔導書からな」

男は冷たい声で呟き、じりりと近づいてきた。
言ってる意味がよく分からないが、男のほうこそ膨大な魔力をひしと感じる。

腰が抜けたかのように座り込む俺の前に、立ちはだかったのは、一人の青年に見えた。

「俺は、ロイザだ。お前は何という?」
「えっ……。ああ、俺はセラウェ・ハイデルっていうんだ。魔術を勉強してるけど、魔力はそんなに多くないと思う」
「……セラウェ。確かにお前自身の魔力は、まだ微々たるものだな」

そう言って俺の前に跪いた男こそ、後に俺の使役獣となる、白虎のロイザだった。
褐色の肌に白い髪、涼し気な目元は何を考えてるのか分からないほど、全体的に無表情だった。

魔力の匂いを感知するように、顔の近くに鼻先をつけられて、思わず後ずさる。

「ひっ。な、何すんだ。……ていうかあんた、さっき魔導書から出てきたって……」
「ああ。俺はこの場所に封印された幻獣でな。時の感覚が分からぬほど、長い時間眠りについていた。時折そこの畜生が、迷い込んだ人間を食う音が聞こえたが、とくに興味もわかず放っておいたんだ」

ロイザは初めて灰色のくすんだ目をニヤリと細めた。
身震いをした俺は、なんとか言葉を振り絞ろうとする。

「じゃあなんで、俺のことは無視しなかったんだよ」
「今言っただろう。強い魔力を感じたと。お前の体……その力はなんだ?」
「は? 力ってなんのーー」

俺が問い返す前に、ロイザは手のひらを俺の胸に当て、いきなり何かを唱えだした。
ぐぐっと引っ張られるように全身に衝撃が走り、大きく体が仰け反る。

「ああああッッ」

びくんびくんとだらしなく上半身を震わせる俺の視界が、愉悦に顔を歪ませるロイザの表情を最後に、閉じられようとしていた。
だがその瞬間、洞穴中が大きな衝撃音に見舞われ、地震のようにゆらゆらと揺れだした。

「ーーッ!」

幻獣がまたたく間に俺の正面から飛び退き、姿を消した。
代わりに現れたのは、山のように立ちはだかる大男の背中だった。

大剣をぶすっと地面に突き刺し、黄金色の髪がどこからか入り込んだ風になびいている。

「し、師匠……」
「おうセラウェ。この褐色の野郎はなんだ? 俺のお宝には見えねえが」

落ち着いた声を出す師匠が、おびただしいまでの殺気を放ち、洞穴の隅に身を隠すロイザを睨みつける。

「てめえ。隠れてねえで出てこいよ。俺のバカ弟子に何をした」
「……そうか。お前か。その小僧の体に妙な術式を埋め込み、囮にしたのは。……目当てのものは俺ではなかったか?」

え?
囮ってなんのことだ。

思考が固まる俺をよそに、ロイザは不敵に笑いながら、身を屈め猛スピードで師匠の懐に飛び込んだ。
だがそれと同時に無詠唱で行われた師匠の瞬間転移によって、瞬時に背後に回り込んだ師匠にロイザの逞しい体が羽交い締めにされる。

途端に苦しげな顔で呻き声を出す幻獣の姿を見て、俺は呆然とした。

「お前は獣か何かだな。しかし封印が完全には解かれてないと見える。だからそんな人化した弱っちい姿のままなんだろう」

嘲るように師匠が囁くと、ロイザがぎりりと奥歯を噛んだ。

「なぁ。俺が封印を解いてやろうか? そうすればこんな薄暗い湿気た場所で、余生を送らなくても済むぜ。その代わり、お前には遺跡の宝のありかを吐いてもらうが」

何も答えないロイザに師匠の大きな舌打ちが響く。
だが俺はそろそろと膠着状態の二人に近づいた。

「し、師匠。ちょっと待ってください、そんなことより、さっき俺のこと囮にしたって……どういうことですか? 嘘ですよね、そんなの」
「……あ? 人聞きのわるい言い方すんじゃねえよ。俺はただお前に特別な共鳴の秘術を練り込んで、強力な魔力をもつ何かを引き寄せようとしただけだ。まぁ妙な動物が引っかかっちまったが」

しれっとした物言いで述べる師匠を唖然と見やる。

「な、なんだよそれ……結局俺を餌にしたってことじゃないか……!」
「うるせーな。特殊結界を解くのには一定の時間がかかんだよ。お前が俺の役に立ちたいって言ったんだろ? いいじゃねえか、これこそチームワークだろうがバカ弟子」

さっきから俺のことを馬鹿馬鹿言いやがって。
弟子と認められて嬉しがる場面には、とてもじゃないが思えない。
ぶちぶちっと俺の血管が切れてきた。

「ふざ、ふざけんなよ、俺は、すっげー怖かったんだ、死ぬかと思ったんだぞッ! バカ師匠!!」
「だから助けに来てやっただろ。これ以上何が不満なんだ、セラウェ。言ってみろよ、ああ゛?」

ロイザを羽交い締めにしたまま、師匠の片腕が俺の胸ぐらを掴み、ひょいっと持ち上げる。
精一杯睨みつけるものの、二人をいっぺんに相手に出来る男に、勝つ術なんてない。

くそ。
こんな男だったなんて。
俺は本当にこの男の弟子になって、良かったのだろうか?
俺は、師匠に助けられたのか? はめられたのか?

もう頭がこんがらがってきた。

その時、ふっと馬鹿にするようなため息が間近で響いた。
俺と師匠の睨み顔がロイザに当たる。

「ふん。いつの時代も、人間の小競り合いほどくだらんものはない。……小僧、断言するがお前の力じゃこの男には敵わないだろう」
「……なんだと? お前だって偉そうに幻獣とか言いながら、師匠に捕まったままじゃねーか! はは、俺と同じだ!」
「俺はまだ本気を出してないだけだ。白虎の姿に戻れば、こんな小賢しい力などーー」

暴れようとする体を、ぎゅうっと握りつぶされるかと思うぐらい締められた。

「ほう。つーことはお前は白虎か。俺は動物は嫌いだが、気高き幻獣の力とやらは是非知りたいところだ。……よし、お前の封印は俺が責任を持って解いてやる。その後は俺がきっちり使役してやろう」

得意げに言い放つ師匠を、ロイザの大きく見開かれた目が捕らえた。
どことなく怯えた風なのが垣間見え、若干の同情心がわく。

ともかく、それが俺たち三人の出会いだった。


結局師匠の言う事をのんだロイザは、宝の在り処を吐くことを強いられた。
宝は祭壇の石像の中に収められており、幻獣が手をかざすと辺り一帯に淡く白い光が発散した。
中から出てきたのは、虹色に輝く手のひら大の魔石だった。

「おお! すげえ、これを媒介にすれば、ホムンクルスの製造が何体も繰り返し行えそうだ」

上機嫌で恐ろしいことを呟き、遺跡を後にする師匠の隣を、俺は死地から蘇った屍のようにヨロヨロと歩いていた。
俺の隣にはなぜか無表情のロイザが肩を並べている。

こいつ、これでいいのか?
このおっさん、きっと想像よりももっとヤバイ人間だぞ。

他人事じゃない台詞を一人心の中で吐き出す俺は、もはや師匠をまっすぐに崇拝する少年じゃなくなっていた。



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