▼ 33 揺るがない気持ち
草木の揺れる庭園で、白魔術師メイアと言い争っているうちに、渦中の弟がいきなり姿を現した。
はっきりとした思惑は知れないが、その冷えた表情から、かなり機嫌が悪いということだけは分かった。
「お、お前いつからそこにーー」
「クレッド君! 私のこと、迎えに来てくれたのね、嬉しい…」
打って変わって甘い声音を出すメイアが、弟にうっとりとした視線を向けている。
この二人が揃うところはもう見たくなかった。心臓がキリキリ痛む中、弟がにこりと笑う。
「随分急な訪問ですね、メイアさん。教えてくだされば、俺から連絡したんですが」
「ごめんなさい。あなたの驚く顔が見たかったの。……でもね、セラウェさんが騎士団内を案内してくれて。色々楽しいお話も聞けたし、ほんとに優しい人ね」
目を細めさせ俺に微笑む美女の姿は、なぜか勝ち誇って見えた。
ああ、どうしてこんなに目の前がぐらついてくるんだろう。
「そうでしょう。俺の兄はいつも優しくて、俺もつい甘えてしまうんですよ。なあ、兄貴」
クレッドが俺のそばにやってきて、いつもの柔らかい眼差しで見つめてきた。
二人きりだったら頭を撫でてきそうな優しい表情に、途端に胸がトクトクと高鳴る。
「う、うん。そうだな。ちょ、お前なんか近いぞ」
「そうか? 普通だろう。このぐらい」
おい、こいつ何考えてんだ。
にこにこと間近で眺められ嬉しいのは認めるけど、さすがにおかしくないか。
「……あの! クレッド君、あなたのお部屋に案内してもらえないかしら。私、そこでゆっくり二人で、過ごしたいのだけど」
心なしかメイアが苛立ちをにじませた声で告げる。同時に強い視線はまっすぐに俺に向けられた。
まるで邪魔だから気をきかせろと言っているみたいに。
でも、俺はそんなの嫌だ。
子供じみているとか嫉妬深いとか考えるけど、弟に他の女性と二人きりになんて、なってほしくない。
俺が女だったら堂々と、いやこの際男でもいい。兄弟じゃなければ、きっと言えただろう。
こいつは俺のだって。
「あ、そうだ。クレッド、お前のことネイドが呼んでたぞ。なんか大事な話があるんだって。行ったほうがいいんじゃないか?」
気が付くと俺は嘘をついていた。
目を見開いた弟は、しばらくして目元をぴくっと動かす。口をぎゅっと結んで、なにやら笑みがこぼれそうになるのを堪えているようだ。
自分の行動がみっともないとは思ったが、俺は何食わぬ顔でいた。
しかし女性は黙っていなかった。
「何をーーセラウェさん。そんなことさっき一言も言ってなかったじゃない。……やっぱり、私達のこと邪魔しようとしているの?」
「は? 別にそんなことありませんよ。ちょっと被害妄想が激しいんじゃないすかね」
「失礼な……嘘言わないで! どうしてただの兄のあなたに、そんな権利があるのよ!」
メイアが声を荒げて、俺に向かってきた。勢いにたじろぐと、俺と彼女の間にクレッドがさっと割り込んだ。
「どうしたんです、落ち着いてください。兄の話は事実ですよ。今日は会議もあって、少し忙しいんです。メイアさん、申し訳ないですがーー」
「クレッド君。私にそんな、冷たいこと言わないで…。お兄さんのことがそんなに大事? 同じ職場なんだから、いつでも会えるでしょう? 私たちは普段離れているし、こうしてたまにしか顔を合わせられないんだから……」
彼女は弟のそばにきて、その胸に縋り付くように歩み寄った。
潤んだ瞳で見上げ、細い指先を硬直するクレッドの顔へと伸ばす。
それがぴたっと頬に触れられた瞬間、俺はとっさにケープからのぞくメイアの手首を掴んでしまった。
「や、やめろ……ッ」
ぎゅっと握ってから自分の振る舞いに後悔する。
メイアは俺を凄まじい形相で睨みつけた。
「痛い! 離して……乱暴者!」
ぶん、と勢いよく振りほどいた後、彼女の手が大きく振り上げられた。
手のひらが俺の顔めがけて飛んでくるのだと分かり、とっさに腕でかばおうとした時ーー
俺の体は、大きなものに覆われた。
ぎゅっと抱きしめられ、弟の胸をすぐ目の前に感じた。
そっと体を離されて、今度は弟の広い背中が現れる。
「俺の兄に何をするんだ? 触れないでくれ」
クレッドが感情を乗せない低い声を絞り出した。
「な、なに言って……セラウェさんが先に私の腕を乱暴に掴んだのよ!」
「あなたが俺に触れようとするからですよ」
「それの何が悪いの…? 私は、クレッド君の……」
「ええ。友人ですね。今のところは」
メイアの顔は真っ赤になっていた。
ふるふると華奢な肩を怒りに震わせている。
「おかしいわ、異常よ、こんなの。前の優しいあなたに……戻ってちょうだい、クレッド君」
眉を寄せて苦しげに告げるメイアに、弟は小さくため息を吐いた。
俺はどうすればいいのだろう。俺たちの関係なんて、明かせるわけがない。
けれどずっと二人でいたい。誰にも間に入ってほしくない。
そう思うのは、そんなに我儘なことなんだろうか?
しかし、完全な修羅場が始まってしまったともいえる三人のもとに、新たな騎士がやって来た。
庭園の石畳を踏む靴の音がし、皆が一斉に振り向く。
「団長。うちの姉貴をなに泣かせようとしてるんですか」
呆れた口調で現れたのは、会うのが任務のとき以来の若い騎士、ジャレッドだった。
騎士は懲りもせず俺に目線を合わせ、ふっと笑いかけてきた。
警戒する俺のそばから、即座に弟の苛ついた声が発せられる。
「ジャレッド。遅かったな。お前は新人だろう、機敏に動け」
「すみません。訓練中に急に呼び出されたもので。……それで、何ですか。この重い空気は。修羅場ですか」
内容は不穏だが、普通に会話をしている二人に面食らった。
メイアは少しの間をおいてキッと俺を睨みつけ、ジャレッドの腕を引っ張った。
「そうだわ、セラウェさん。私の弟とも仲良くしてくれてるのよね。ほんとに皆に優しい人。どうかしら、二人でお話でもしてきたら?」
さっきまでの物悲しい表情が嘘のように、笑顔で告げてくる。
俺は素直に感心した。この人すげえ根性だ。
けれどそれほど弟のことが好きなのだろう。
「それいいな。行きましょうか。ね、セラウェさん」
「は? なんでそうなるんだ。俺たち別に仲良くねえだろ」
「いえ、俺はまだ諦めてませんよ。言ったでしょう、あなたとは友達以上にーー」
姉と同じくこの男もしつこい。
しかしこんな時でも、騎士に絡まれそうになる俺にあいつは黙っていなかった。
「おい、俺の兄に馴れ馴れしくするな。お前は自分のお姉さんを送り届けて差し上げろ」
「姉はあなたに会いに来たんですよ、団長。女性を袖にするなんて、騎士のする事ですか? セラウェさんは俺に任せてください」
「なんだと、ふざけーー」
「ふざけないで!!」
二人の口論の最中、女性の甲高い叫び声が鳴り響いた。
可憐な娘の容貌はすでに、むき出しの怒りによって歪められている。
「何なのよ、皆してセラウェさんセラウェさんって……どれだけ人をたらし込めば気が済むの!?」
「えっ。俺はあなたの弟をたらしこんだ覚えはーー」
「そうだよ姉貴。失礼なこと言うな。俺から彼に近づいて、やっと話してもらえたんだから」
ジャレッドは俺に憧憬の眼差しを向け、背にそっと手を添えようとしてきた。
咄嗟にかわそうと身をよじると、騎士の腕が弟の手にがしっと掴まれた。
「おい触るな。……もういいでしょう、我々はそろそろ仕事に戻らなければ。メイアさん、また改めてご連絡します。よろしいですか」
ため息混じりに告げる弟の前で、メイアの大きな黒目に力が込められる。
「いいえ、駄目よ。クレッド君。……私の父がね、皆でお食事でもしないかって提案してくれてるの。あなたも聞いているでしょう? お父様ったら気が早いんだけど、縁談の話を進めたいからって」
縁談?
冗談だろう。
突然放たれたメイアの台詞に完全に固まった俺は、恐る恐る弟を見上げた。
弟は、また感情が消え失せたような冷たい顔つきをしている。
「クレッド、本当なのか……?」
意図せず弱々しい声で尋ねた俺に、弟はすぐに答えなかった。
やっぱり司教は本気だったのだ。
娘であるこの女性が、終始強気な態度なのも納得がいった。
「ねえ、ジャレッド。あなたも参加してくれるでしょう。クレッド君にはお世話になっているんだし」
「……ああ、まあな。親父に言われてるから」
「ふふ。そうだわ、セラウェさんも是非来てくださらない? 家族だもの。いいですよね」
メイアはにこりと笑みを作るが、俺を威圧する気満々のようだった。
予期せぬ誘いに、必死に頭の混乱を鎮めようとする。
「俺は……」
「兄は関係ありませんよ。司教にも、俺一人で出席すると伝えてあります」
すかさず冷静に話すクレッドを、信じられない思いで見る。
俺が関係ない?
なんでそんな事言うんだ。
水面下で進んでいた事態に、俺は拳を握りしめた。
気持ちが不安定だった俺を見て、こいつがわざと知らせないようにしたのも分かっている。
けれど自分だけ悠々と眺めてなんかいられない。
「俺も出席しますよ。いいんですよね、メイアさん」
「……何言ってるんだ、兄貴。そんな必要はない」
真っ直ぐに俺を見つめるクレッドの瞳は、何かを訴えているようだった。
でも俺の意思は、もう決まっている。
こいつは、弟は、誰にも渡さない。
「もちろんですよ、セラウェさん。お兄さんには是非私達のこと、認めて頂きたいですから」
俺と彼女はどちらとも視線を逸らさずに、睨み合っていた。
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