ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 32 開き直る

翌日、任務地から帰ることを許された俺に、クレッドは別の護衛の騎士をつけて、自分は再び任務へと戻っていった。
それから一週間が経ち、俺たちはまた騎士団での日常を過ごしている。

あの時、衝動的に自分の思いをぶつけてしまった俺を、弟は受け止めてくれた。
今思い出すと、恥ずかしくてたまらない言動をし過ぎてしまい、穴があったら入りたい気分だ。

なのにクレッドの言葉や温もりに触れて、少しずつ元気が戻ってきてるなんて、俺はどうしようもなく現金な奴だと思う。

しょうがない。こんなに人を好きになったのは、あいつが初めてだから。

けどもうウジウジ考えるのはよそう。俺の性に合わない。
俺はもともと適当な奴じゃないか、そうだよ。どうだっていいよ司教が言ってたことなんて。

脳内で肯定否定を繰り返しながら、俺はひとり騎士団領内を歩いていた。

また上司の司祭に呼び出され、奴の部屋へ向かっているのだ。
正直嫌な予感しかしないし、元凶であるあのおっさんの顔を見たくない。

深呼吸をして扉を叩くと、中から洗練された風貌のいかがわしい聖職者が現れた。

「やあセラウェ君。任務ご苦労様。……と言いたいところだが、先に帰っちゃうなんて酷いなぁ。君にもまだ参加して欲しいイベントあったのに。まったく、ハイデルは自分の兄に対して、過保護過ぎると思わないか?」
「……イヴァン。小言を言うために俺を呼んだのか。いま精神的に忙しいからもう止めてくーー」

イライラしながら扉の前に立つ司祭を睨みつけると、その背後にソファに座った女性の後ろ姿が見えた。
見覚えのある長い黒髪に、クリーム色のケープをまとった細い肩がのぞく。

「ふふ。君に紹介したい人はもう一人いるんだよ。この前見かけただろう? 司教の娘のメイアだ」

司祭に告げられ呆然とする俺に、女性はぱっと振り向いた。
黙っていると近寄りがたい雰囲気に見える知的美人が、急に表情を明るくする。

「あっ! セラウェさん。はじめまして、白魔術師のメイアと申します。クレッド君からお兄さんのお話、よく聞いていますよ」
「……へっ?」

俺はにこりと笑う美女の前で呆けた声を出した。
女性らしく柔らかい声音で、想像よりもフレンドリーな人みたいだ。

でもクレッド君だと?
そんな呼び方してる人初めて見た。
そうだ俺のライバルなんだよな、この人。

「は、はじめまして。もう知ってると思いますが魔導師のセラウェ・ハイデルです。弟がいつもお世話にーーい、いえ。あいつ僕のどんな話してるんですか? 参っちゃうなぁ、もう」

頭を掻きながら動揺をごまかし、泳ぎそうになる目を必死にこらえる。
堂々としていればいいのだ。俺は負けないぞと開き直りの気持ちが強かった。

「そうですねえ、お兄さんは料理が上手だとか少し抜けているとこがあるとか、それはもう嬉しそうに」

は? 嘘だろう、我が弟ながら馬鹿じゃねえのかあいつ。
でも待てよ、なんか俺を見る女性の目つきが少しギラついたような気が。

「へえ、そうっすか。恥ずかしいなあ、人のプライバシーを喋りやがって。俺の弟、なんか俺が好きみたいで。いい年してベタベタしてくんですよね」

俺は一体何を喋っているんだろう。
だが完璧な造形の女性を前にしていると、何故か気持ちが高ぶってきた。

「……そうなんですか。私もちょっと妬けちゃってるんです。クレッド君、いつもお兄さんのことばかりだから」

白魔術師メイアは異様に言葉尻を冷たくして、すっと立ち上がった。
なんだ、もしかして……すでにこの女も俺をライバル視しているのか?

目の前まで来たメイアは、俺より少し目線が低いぐらいの、すらっとした体型だった。
腰も細いが、出るとこは出ている。
長いまつ毛に形どられた大きな黒目が、意志の強さをにじませ神秘的な輝きを放っていた。

この人、魔力量もすごい。完全に俺より上である。さすが司教の娘だ。
しかし最初の笑顔はどこへ行ったのだろう。俺のことをじっと見て、見定めているような眼差しだ。

「そうかそうか。二人とも、共通の話題があるようで微笑ましいね。じゃあセラウェ君、メイアは領内を見て周りたいそうだから、案内してあげてくれないか。終わったらハイデルのいる団長室に届けてくれればいいから」

嫌らしい笑みで眺めていた司祭が、信じられないことを言い出した。
なぜ俺が、この人と……つうか弟のもとに一緒に行くなんて、絶対に無理だ。俺の精神が今度こそ崩壊するかもしれん。

「よろしくお願いしますね、お兄さん」
「……は、はあ」

こうなりゃ適当に案内した後、誰かに押し付けて逃げるしかない。
でも、状況を考えると、女性はクレッドに会いにきたらしい。
考えただけで憂鬱だ。




俺はメイアを連れて、まず騎士団本部棟へと向かった。大きな玄関ロビーから入り、訓練服姿の騎士が稽古にはげむ、訓練場へと足を踏み入れる。

「わあ、皆さん逞しい。それにあんなに動き回って。私達魔術師から見たら、考えられないことですよね」
「まあ、そうっすね。よくあんな疲れること毎日出来るなって、感心しますよ」
「ふふ。セラウェさんって、やっぱりクレッド君とは全然雰囲気が違いますね。あまり共通点が見られませんし」

なんだこの女、さりげなく俺をディスってんのか?
弟のことをよく知ってる口ぶりが余計に神経に触った。

その後も美女が感嘆の声を上げるたび、汗水たらし剣術を披露する騎士たちの視線が突き刺さる。

それもそのはずだ、俺も男だから分かる。ただでさえ女人禁制の場に、こんだけ華やかで目を引く女性が現れたら、どんな騎士でも惹かれるだろう。

俺も一年ほど前なら簡単に心奪われてたかもしれない。
なのに今では、こんなドス黒い感情を芽生えさせてしまうとは。


それから渡り廊下を歩いていき、お茶でもしないとまずいかと思い食堂を覗いたが、騎士たちで溢れかえり目立ちそうで止めた。

ほっとしつつ飲み物だけ購入し、庭園へ向かうことにした。
涼しい風の通る木陰のベンチは、俺のお気に入りの場所なのだが、女性を休ませる場所はここしか思いつかなかった。
何より建物内を歩き回り、弟に出くわすのを恐れたためだ。

「付き合ってくださってありがとうございます。優しい方ですね、セラウェさん」
「えっ。いえ、別にそんなことは」

腰を落ち着けると、途端に何を喋ればいいのか分からなくなった。
しかしメイアは今からが本題とばかりに、俺のほうに向き直り、じっと目を見据えてきた。

「この間私の父が何か言ったみたいで、あの……」
「ああ、いや気にしないでください。娘さん思いのいい方ですよね」
「いえ、そうではなく。私からもお願いしたいんです。クレッド君とのこと、お兄さんにも応援して頂けたらなと思って」

おい。
この親子三人組、なんかおかしくないか。なにその他力本願。
外堀埋めるのがこいつらのスタンダードなのか。
やっぱ魔術師ってどこかズレてるよな。

「あのですね、僕はただの兄なんで。応援とか知りませんから。だいたいメイアさん、あいつと付き合ってるわけじゃないでしょ? 告白でもしたんですか? あいつ何て言ってました?」

もう最悪だ。
年下の女性に対する態度ではない。
でも俺の心は急激に燃え上がってしまい、抑えられなかった。

「告白、ですか。そんな感じのは、したつもりですが……彼にはいつも、うまくかわされてしまうんです。昔からあんなに優しくしてくれるし、私のこと、少しは思ってくれてるんだと……思って」

途端に意気消沈し、可憐な小顔を歪ませるメイアを前に、ずきりと胸が痛んだ。
俺はこの人を傷つけたいわけじゃない。
けれど、俺にも譲れないものがある。

「メイアさん、クレッドと昔からの付き合いなんですか」
「……ええ。彼が入団した時ですから、七年ほど前ですか。父が当時、時折騎士の方々を家に招いてたんです。年が近かったので、話をするようになって。とはいっても、ほとんど私からお誘いすることが多かったんですが」

自分から尋ねたのに、話を聞き始めると心臓がぎゅうとつねられる感覚がした。
本当は過去のことなんて、別に知りたくない。思いを巡らせても、仕方がないからだ。

けれど俺たちの距離が近づいたのは、疎遠でギスギスしていた頃からすれば、ごく最近のことに過ぎないのだと思い知った。

「私、不思議だと思って。クレッド君、今まで家族の話とかほとんどしなかったのに、以前会ったときもこの間も、会ってみると、なにかとお兄さんの話ばかりなんです。おかしいと思いませんか?」

どう反応すればいいのか分からなかった。
喜ぶべきなのか。やっぱり弟は、俺が信じていたように、この女性に対して気はないのだと。

「確かにおかしいかもしれませんね。ちょっと。まあ俺たちも喧嘩じゃないですけど、最近仲直りしたというか。そういった経緯がありましてね…」
「仲直り? 洗脳の間違いじゃないんですか?」
「……は?」

今なんっつった、この女。洗脳だと?
おい、俺たちが苦しめられた魔女の呪いの話を一から十まで今すぐぶちまけてやろうか。

マジで大変だったんだぞッ。

「だって変でしょう。そんなの普段冷静で、時折見せる冷たさが痺れるほど格好いいクレッド君のイメージにそぐわないと思います。私は前の彼に戻ってほしいんです」
「イメージって……どんな奴でもあいつはあいつですよ。弟のブラコンが受け入れられないんなら、あなたの気持ちもその程度ってことじゃないんですかね?」

売り言葉に買い言葉でまくし立てると、メイアはさらに俺に文句を募らせ迫ってきた。
やれ不自然なほど兄弟仲が良すぎるだの、俺から距離を取ってくれだの、あげくの果てには結婚した時にこんな状態じゃ困るとか抜かしてきたので、俺もしだいに限界が超えそうになっていった。


そんな時、口論していた俺たち二人に、後ろから男の声がかけられる。

「こんなところにいたんですか、メイアさん。探しましたよ。俺の兄と一緒にいるって聞いたので」

振り向くと、いつの間にか制服姿の金髪の騎士がすぐそばに立っていた。
今この瞬間には会いたくなかった弟が、突然目の前に現れ、俺は言葉を失う。

女性に対するこいつの声は、いつも優しい。けれど今は表情がどこか、凍りついて見えた。



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