▼ 30 胸が苦しい
騎士と宿に泊まったその夜は、あまり眠れなかった。
時折目を覚まし、床上で毛布にくるまるジャレッドを見つめ、動きに変化がないことに安堵して目を閉じる。
やがて朝になると、騎士は俺より早く起床し、何事もなかったかのように食事の準備をした。
穏やかな笑みを向け、その態度には昨夜俺に迫ってきた強引さは消え失せていた。
すでに俺の心はすり減り、疲れていた。
この男の言っていたことを考えるのは止めよう。
任務地へ向かい、ひとたびクレッドの顔を見れば、大丈夫だ。
必死にそう自分に言い聞かせた。
宿を出発し、馬で険しい山道を抜けて数時間。
昼過ぎに、ようやく目的の大聖堂へとたどり着いた。
壮麗な尖塔アーチが目を引く教会の建造物は、歴史を思わす落ち着いた色合いが厳かな雰囲気を醸しだす。
装束姿の聖職者たちが次々と足を踏み入れ、いっそう厳粛な空間を作り上げている。
「セラウェさん、まだ怒ってるんですか?」
装飾に見入っていた俺に、突然騎士の砕けた質問が投げられる。
鎧の騎士を、この場にふさわしくない目つきでぎろりと睨んだ。
「……怒らせるようなことしたって自覚、あるのかよ」
「はい。悪かったなって反省してます。けど、この後もっと怒らせてしまうかもしれません」
「あ?」
ジャレッドはまたもや不穏な言葉を吐き、俺を聖堂内へと案内した。
勝手知ったる動作で、敷き詰められた赤い絨毯の上を歩いていく。
天井はとてつもなく高く、色彩豊かな宗教画が描かれている。
遠征で訪れた神殿よりも規模は小さいが、同じ宗派のため共通の様式美が見受けられた。
祭壇の前に並ぶ長椅子には、ちらほらと関係者や参列者の姿が見られる。
今日はこの土地の司祭らの任命式典が行われるというが、徐々に準備が整えられているようだ。
「やあ二人とも、無事に到着したんだね。道中何も起こらなかったかい?」
大きな絵画の前に佇む白装束の男が、声をかけてきた。
会釈をして向かう騎士の後をついていきながら、心の中で舌打ちをする。
「イヴァン。なんなんだ、こんなとこに呼び出して。俺をまた騙し討ちしやがったな。さっさと任務の詳細言えよ」
およそ上司の司祭に向かって言う台詞ではないが、自分の中で疲労と苛つきが頂点に達していた。
その時、イヴァンの背後に同じく聖職者の服装をした、体格のよい男が立っていることに気がついた。
男は俺を見て、急に大きな声で笑いだした。
「はは、君が噂のセラウェ・ハイデルか。報告の通り、面白そうな男だ」
急に話しだした男は、俺より一回り以上年上に見えた。後ろに結わえた金色の髪と青い目が、誰かを思い出させるようで胸をざわつかせる。
「あの、どなたですか。報告ってなんの話ーー」
「セラウェ君。彼が君に紹介したいと思ってた人物だよ。エドワルドって言ってね、僕の上司」
突然割り込んできたイヴァンが笑顔でのたまう。
なるほど。つまりこの男は、俺の上司の上司なのか。
失礼な態度取っちゃったじゃねえか。
「あ、すみません。まさかこんなとこでお会いするとは。魔導師のハイデルと申します。よろしく」
事務的に挨拶すると、微笑みとともに握手を求められたので応じた。ぐっと握られ痛い。
「この地の教会を統括する、司教のエドワルド・ヘイズだ。一日かけて会いに来てくれた事に感謝しよう。私の息子が迷惑かけなかっただろうか?」
「へ? 息子?」
俺は間抜けな声を出した。
精悍な顔をこくりと頷かせるエドワルドの視線の先には、ずっと静かに様子を見ていた護衛の騎士がいた。
一気に情報が押し寄せ、何も反応出来ない。
しかし騎士は仮面を脱ぎ去った後、がしゃりと鎧の音を立て会釈した。
「ジャレッド。お前の憧れの人と少しは近づけたのか」
「いえ、興奮しすぎて引かれたかもしれません」
「それはお前の悪い癖だ。せっかくイヴァンに引き合わせてもらったのだから、機会は大事に使え」
司教と騎士が普通に会話をしている。
内容は考えたくもないが、俺のことを言っているのか。
この二人は本当に親子なのか?
嘘だろ……
色々なことが頭を駆け巡り、茫然自失の俺の肩を、ぽんと叩いた男がいた。
「黙っていて悪かったね、セラウェ君。君の話を友人の息子にしていたら、思いの外興味を持ったらしくてね。ちゃんと友達になれたかな?」
なれたかな、じゃねえよこのクソ野郎ーー
ぷるぷると体が震え、信じがたい罵詈雑言で脳内が埋め尽くされる。
司祭のせいで今俺はこんな窮地に立たされているのか。ふざけるな。
だからこの騎士は団長の権力を物ともせず、歯向かってきたのか?
しかし、さすがに静粛な大聖堂の中で怒りをぶちまけるわけにはいかない。
ここは、弟の職場なのだ。
弟と同等の力を持つ司祭の上司ということは、クレッドの上司でもある可能性が高い。
考え込んでいると、騎士が近づいてきた。
「セラウェさん、ごめんなさい。俺が司教と血縁ということは、イヴァン以外知らないんです。先入観を与えるのも嫌だと思って……」
「ああそうかよ。クレッドも知らなかったのか?」
「……それは、団長のことなんで、もう調べてるんじゃないんですか」
俺に申し訳なさそうな顔をしていたこの男も、弟の名を出すと途端に冷えた目つきになる。
どっと疲れが増した。
あいつは今、どこにいるんだろう。
辺りを見やると、司祭の笑みが俺に向けられていることに気がついた。
「そういえば、セラウェ君。君の弟ももうすぐ到着すると思うよ。そうだろう、エドワルド」
「ああ。ハイデルには彼女の護衛を任せているからな。直にここへ来るはずだ」
彼女、と司教が口にした時、ざわりと心が波立った。
弟は誰かの護衛をしているのか。
「実は私の娘なんだ。ジャレッドの姉でもある。私と同じく白魔術を研究していて、今回の式典に用いられる儀式にも参加してもらっている。二人はハイデルの騎士団入団後から面識があるんだが、聞いたことないだろうか」
そんな話、聞いたことない。
俺が尋ねてもいないのに、司教はその後、自分の娘とクレッドが数年間親交があるかのように話し続けた。
エドワルドは入団当時の、若い頃の弟をよく知っているようだった。
自分の知らない弟の話を、今に至る経緯まで、褒め言葉を混じえながら上機嫌に語られる。
喜ばしいことなんだろうが、俺の意識は別のとこで引き止められていた。
「そうなんですか。あの、俺はそろそろ失礼します。後学のため式典には出席しますけど」
「いや、ちょっと待ってくれ、セラウェ君。私はまだ君に頼みたいことがーー」
これ以上この場にいてもしょうがない。
踵を返そうとすると、さらに逃げ出したくなるような出来事が起こった。
聖堂内が一瞬だけざわめき立つ。
人々の視線は玄関口へと集中していた。
そこには馬車から降りてきた、白いドレス姿の女性の姿があった。艶がかった長い黒髪と白い肌。
目鼻すじが通った、知的な顔立ちをしている。
華美な装飾はないのに、華やかさに溢れた年頃の娘ーーその隣には、女性にそっと手を添えエスコートする騎士の姿があった。
いつもと違う濃紺の制服に身を包み、長剣を携えた金髪の騎士、クレッドはすぐにこちらに気がついたように見えた。
一瞬目を見開くが、しなやかな動作で警護に戻る。
そんなことを考えたってしょうがないのに、二人の完成された姿を見て、胸がきりきりと痛みだす。
「ああ、時間通りだね。メイアはいつ見ても美しいな。魔術師に留めておくのはもったいないほどだ」
「妙な言い方をするな、イヴァン。私の娘だぞ」
司教はぼうっとする俺の前に進み出て、じっと顔を覗き込んできた。
「君はどう思う、セラウェ君」
「……どうって、何がですか。大変綺麗な娘さんですね」
「それは嬉しいが。ハイデルとのことだ。実はね、私は二人が一緒になってくれればいいと思っているんだ」
「……は?」
思わず聞き返す。
目元がぴくつき、頭の芯から熱が込み上げる。
「娘も彼のことが気に入ってるようなんだが、彼はガードが堅いだろう。我々には本心がまったく分からない。出来れば君に協力してほしいんだ」
俺に何を協力しろっていうんだ。
もう止めてくれ。聞きたくない。
「ハイデルには、決まった人がいるのだろうか」
男は自問するように問いかけてきた。
ああ、あんたの目の前にいるよ。
なぜ即答出来ない?
どうして体が小刻みに震えているんだ。
「俺は、協力なんて出来ませんよ。弟が決めることでしょう、本人達の知らないとこで、そんなーー」
本人達って誰のことだ。
もう嫌だ。自分の女々しさも何かもかも、段々気持ちが悪くなってくる。
見兼ねた様子の騎士が、俺達の間に入ってきた。
「親父、セラウェさんに迫ったってしょうがないだろ? 疲れも溜まってるだろうし、そのへんにしとけよ」
「そうか、そうだな。すまなかった、セラウェ君。だが心に留めておいてくれると助かる。また今度ゆっくり話をしよう」
言葉尻を柔らかくしてはいるが、真剣な様子からひしと威圧感を感じた。
苦笑するイヴァンが司教をなだめ、俺はやっとその場から解放された。
結局、夕方から行われた式典には出席しなかった。
転移魔法で逃亡しようにも、聖域である大聖堂の周辺は特殊結界が張られており、明日にならないと帰路につけない。
あれだけ弟に会えるかもと楽しみにしていたのに、胸の中は苦しみで満たされていた。
未だ護衛ぶるジャレッドに連れられ、別の宿屋へと向かう。
今度は聖堂からほど近い、清潔感の溢れるきちんとした部屋を充てがわれた。
「お前、全部知ってたんだろ。今日のこと。俺を面白がってたのか、楽しいかよ」
「すみません。セラウェさんを連れて行くことは、前から決まってました」
扉付近に立つ騎士を睨みつける。
弁明するためにもっと話したそうな騎士を無視して、俺は奴を部屋から出した。
もう何も考えたくない。一人になりたい。
食欲もなく夕食も取らず、ベッドの上に体を伏せて、布団に潜り込んだ。
この一連の出来事が全部夢だったらいいのに。
虚しく考えながら、目を閉じた。
ギイっと扉が耳障りな音を立てる。
夢うつつの俺は、体をすぐに動かすことが出来なかった。
危機感をもつべきなのに。
だるくて仕方がない。
ベッドがぎしりと軋む。
薄っすら目を開けると、金髪の男が俺を見下ろしていた。
暗く淀んだ蒼い目が、じっと俺を捕らえて離さない。
頬に手を伸ばそうとすると、がしっと掴まれ、上から強く握られた。
「なんで兄貴がこんなとこにいるんだ?」
また怒った顔で問いかけてくる。
それはこっちの台詞だ。
俺の気持ちをこいつは分かっているのだろうか。
「クレッド。今何時?」
「もう夜だよ。遅くなってごめん。さあ、起きて。ここを出るぞ」
返事を聞く前に俺を抱きかかえ、そのまま部屋を出ようとするので慌てて止めた。
「あいつと来たのか。イヴァンに全部聞いたぞ。あの野郎、もう俺の我慢も限界だ」
どっちに向かって言ってるのか分からないが、ぎりっと奥歯を噛んでいる。
促され着替える俺を見つめていた弟は、いきなり近くに寄ってきて、その腕にがっしりと包み込んだ。
「クレッド。俺の頭、めちゃくちゃなんだ」
「……どうして?」
抱きしめていた体をゆっくりと離し、心配げな表情で顔を覗き込まれる。
「お前が好きでたまらないからだよ。……なあ、抱いて。俺のこと、今すぐ抱いてほしい」
こんなはずじゃなかったのに、苦しさに圧迫されて、気がつくと弟に縋っていた。
目を見張らせた弟は、すぐに背をきつく抱いてきて、深い口づけで俺の息を奪った。
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