▼ 27 逢瀬の代償
二人の足音だけをわずかに響かせ、薄暗い浜辺を歩いていくと、クレッドは大きな岩山の影に俺を誘い込んだ。
緊張で胸が張りつめるけれど、もう少し二人でいたかったのは、俺も同じだった。
「兄貴、ここに座って」
岩場を背にして座ったクレッドが、俺に両手を伸ばして招く。
引き寄せられるように間に腰を下ろし、横抱きにされる。
背を腕で抱えられ、前のめりになって口づけされた。
「んぅっ」
大きな胸板にしがみつくが、力が抜けてきて体勢が頼りなくなり、肩に腕を回す。
ゆっくり、でも確実に口の中を味わうようなキスをしてくる。
「ふっ、あっ、……ん、ンンッ」
離れるのを惜しむように舌を絡ませ、ふと目を開けると、視界の隅に満点の星空が映り、吸い込まれそうになる。
外で、しかも海辺でこんな風に触れ合うなんて、信じられないことだ。
非日常的な行為に頭がぼうっとしてくる。
切なく重ねていた口づけが途切れると、魔法が解けたみたいに吐息が漏れた。
「クレッド」
頬に手を伸ばし、顔を包むようにして撫でる。
弟は微かに眉を寄せて俺の手を取り、手のひらにちゅっと唇を触れさせた。
ちゅくちゅく舐められ全身が痺れていく。
「あぁぁ……」
目を閉じて慣れない手への愛撫に耐えていると、急に胴をぎゅっと抱き締められた。
互いの耳と耳が重なり、せわしない息づかいが聞こえ、興奮した弟の熱が伝わる。
金色の髪に触れ、落ち着かせるように優しく指で梳く。
しかし逆効果だったのか、クレッドは俺の首に吸い付いてきた。
うなじに手を這わせて、首筋をじっくり舐めとるように愛撫してくる。
「んあぁ……まって、クレッド、や……め、」
互いの熱が高ぶっているのに気づいてるはずなのに、弟は執拗に続ける。
顔を上げて、じっと目を覗き込んできた。
「やめない。俺がどれだけ兄貴のこと好きか、分かってる?」
拗ねたような言い方をされ、びっくりして言葉に詰まり、反応が遅れる。
「わ、分かった、からっ」
「分かってないよ。もっと、もっと好きなんだ」
甘い言葉なのに責める口調なのが弟らしい。
されるがままになってると、服の下に手が滑り込んできた。
「んっ、く、やぁぁ」
それはまずいと身をよじるが、片手でガッシリ腰を掴まれ、自由を奪われる。
這わされた手のひらに、微弱な力で胸をもまれて震える。
今度は半ズボンに伸びてきた。太ももを確かめるように掴みながら、指先が付け根に向かってくる。
ちょっと、何をする気だ?
ただ温もりを感じたいという俺の意に反して、クレッドは何かに急き立てられている様子だった。
「なに、だめだ、って」
腕を押さえて強く制止しても、聞き入れられない。
服と下着の間に手を潜らせ、上からなぞってくる。
刺激に耐えられず肩に掴まった。
「やめ……もう、戻らないと…っ」
本当は戻りたくない。一緒にいたい。
本心とは別のことを必死に訴えるけれど、弟は不満を募らせた強い眼差しで俺を見た。
「……どこに? 兄貴が戻るのは、いつも俺のとこだろう?」
「そう、だけど、でも、こんな、外で、あぁぁっ」
抵抗を諌められるかのように、上からさらに強く擦られる。
何を考えてるんだ、こいつは今理性を失ってる。
全然感情を抑えきれてないみたいに。
「俺は……兄貴は俺のものだって、全員に言ってやりたい」
蒼い目がぎらつき、激しい劣情を見せる。
何かを言おうとしても、すかさず唇を奪われる。
「だって、こんなに愛してるんだ」
歯がゆさに耐えきれないかのように、弟が声を絞り出す。
同じ思いを抱えているのに、不安にさせている自分が腹立たしくなった。
「あ、あぁ、俺も、だよ」
「……本当に?」
「んっ、んぁ、ほんと、だって、何回も言って、」
不安になった時は何度でも確かめていいと、前に弟に言ったことを思い出す。
何度でも教えるつもりで口にした。
けれど弟は安心するどころか、さらに力を強め、キスを深く執拗なものに変えていった。
「っはぁ、あ、あぁ、……クレッド!」
どんどん気持ちよくなって、次第に何もかもどうでもよくなってくる。
弟に抱かれれば簡単に渇きが満たされる。
いつの間にか愛しい気持ちでいっぱいになる。
端から見たら滑稽に見えるかもしれないが、俺達は二人とも同じなんだ。
「クレッド、好きだ、好きぃ……っ」
熱いキスを交わし、身体中が火照りながら、疼きながら、長い夢の続きにいるみたいだった。
けれど。
弟が一瞬動きを止める。
そして突然俺のことを覆い隠すように抱きしめ、また口を塞いだ。
「んっ、ん……んぅ」
足音は聞こえなかった。
でも薄っすらと目を開けた肩越しに、人影が映った。
その騎士はクレッドと唇をふれ合わせていた俺を見ても、表情を変えなかった。
反対に目を見開いた俺は、心臓が止まるかのような思いをする。
「団長。こんな見えないとこでお兄さん襲ったりして、あんたも結構見境ないんですね」
俺を追ってきたらしい、年若き騎士ジャレッドが、冷めた目つきで言い放つ。
「……セラウェさんのそんなやらしい顔、俺に見せてもいいんですか?」
思考が回る間もなく、無音で崩れ落ちていく。
こんな時でも溢れる思いは真実なのに。
「ち、ちがう」
俺は震える声で呟いた。
弟は関係ない、俺のせいだ。
真っ先にその言葉が浮かんだ。
クレッドはまた憤怒の顔つきだった。
しかし騎士に振り向かずに、俺の頬にそっと、愛おしげに口づけした。
人前での常軌を逸した振る舞いに、俺はただ固まってしまう。
「……違わないだろ、兄貴。俺がこの見当違いの阿呆に教えてやる、俺達は愛し合ってるんだと」
なんの躊躇いもなく告げるクレッドが、狂気に落ちたように見えた。
「愛し合う? 兄弟で、ですか」
吐き捨てるように言い、俺をじろりと見る騎士。
そんな目で見られるようなことをしているのだと思い知る。
「食い物にしてるようにしか見えませんね。さっきだって、セラウェさん寝てるとき、苦しそうにあんたの名前呼んでましたよ」
なぜ、どうして余計なこと言うんだ?
襲いくる目眩を抑えようとして、次の言葉でまた揺さぶられた。
「すぐに俺に抱きついてきましたけど。ね、セラウェさん」
「……そ、それは、クレッドと間違えたんだっ」
恐る恐る弟を見ると、眉を下げて、俺を憐れむように抱き寄せてきた。
頭を撫でられ、気にするなと言わんばかりの仕草を受け、動揺する。
「そうだ。俺と間違えたんだろう? 兄貴はいつも可愛らしい行動をとるからな」
ぎゅっと抱きしめられる。
俺は何も反応できず、されるがままになっていた。
「だからお前は邪魔なんだ。分かったら消えろ」
「そんな言い方しなくても……俺が言いふらさないとでも思ってるんですか?」
途端にクレッドの眉が吊り上がる。逆鱗に触れたようだ。
「やってみろよ。どのみちお前の存在ごと消してやる」
「それはいくら団長でも不可能だと思いますけどね」
弟の宣告を全く取り合わず、騎士が不敵に笑う。
何が起こってるのか分からない。
俺達の関係がバレたなら、窮地に決まっている。
弱みを握られたようなものじゃないか。
「お前の勘違いだ、止めてくれ、ジャレッド。こいつは何も悪くない」
弁明して立ち上がろうとした体を、ぐいっと弟に引っ張られる。
弟は苦痛に歪んだ表情で、縋るように俺を見つめていた。
「兄貴、そんな事言わないでくれ。冗談でも、言ってほしくない」
「クレッド、いい加減にしろって……っ」
弟の様子がおかしい。
でも、認められるはずがないだろう?
この騎士は弟の部下のユトナじゃない。少なくとも、弟の言動をまるで意に介していない。
焦る俺の頭上から、騎士の穏やかな笑い声が響いた。
「俺だって、セラウェさんに嫌われるようなことは、したくありませんよ。でもそろそろ戻ってください。もうすぐ夜が明けちゃいます」
そっと微笑んで、含みなしにまっさらな表情で告げる。
この騎士は一体どういうつもりなんだ。
秘密にするから俺に言うことを聞けと、暗に命じているのか?
テントにいた時は子供のように顔を赤らめていたのに、豹変したような態度だ。
どうして弟と似ているなんて、思ってしまったのか。
「兄貴はオズのとこに戻るんだ。朝になったら、このくだらない合宿からは解放してあげるから」
クレッドは俺の髪をそっと撫でて、優しい顔で告げてきた。
でも俺には分かる。
ひりついた空気を放ち、騎士に向かっておびただしい殺気を向けている事実が。
「でも、お前は、どうするんだよ、クレッド」
「心配しないで、兄貴。この男には俺のものに手を出したらどうなるか、分からせてやる」
低い声で発せられた弟の威圧的な台詞にも、ジャレッドは全く恐れを抱く様子なく、笑みを浮かべたままだ。
俺はこうなった弟を止める力もないのに、この期に及んでどうすれば弟を守れるのか、そればかりを考えていた。
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