▼ 26 二人の間で
俺は他人と同じ空間で寝ることに、慣れていない。
ましてや今日会ったばかりの、年下の騎士と同じテントなんて。
「セラウェさん。手前と奥、どっちのベッドがいいですか?」
「……えっと、入り口に近い方でいいか。夜中トイレいくかもしんないから」
適当に言ってみたが、なんとなく奥のほうは逃げ場がなくなるような気がして避けた。
ジャレッドは「はい」と微笑んで突然Tシャツをたくしあげ、着替えだした。
筋肉質な裸体はやはり弟に似ている。
俺は平静を装い、自分も荷物から新しい服を出して素早く着替え、ベッドにある薄いブランケットに潜り込んだ。
「外出るときは教えてくださいね。危ないですから、俺も行きます」
「……ん? 何言ってんだ、俺は男だぞ。一人で平気だよ」
「でも、なんかセラウェさんって危なっかしそうというか」
なんだと。
この男知り合って間もないのに失礼じゃないか?
ぶすっと黙ると、騎士は焦った様子で首を横に振った。
「すみません、そういう意味じゃなくて。ただ心配なだけで」
異様な慌てぶりを訝しむが、からかわれてる訳じゃないみたいだ。
心配される言われはないけれど、とりあえず体を起こして座り直した。
ジャレッドはホッとしたように小さく息を吐き、俺の目を真っ直ぐ見てきた。
「あの、あなたと話してみたかったっていうのは本当なんです。実は前からセラウェさんの話を、よく聞いてて」
「……え。聞いたって何の話を? 誰から?」
思いもよらない事を話し始める騎士の目をじっと見返す。
まさかこいつの隊長、ユトナが何か言ったのか。さっきは優しい顔で忠告してきたくせに。
「それはちょっと秘密なんですけど。……聖地保護遠征の時、セラウェさん敵に狙われて、連れ去られたでしょう。あの男、ナザレスから凄い執着受けてたんですよね」
俺は言葉を失った。
まさかこんな若い騎士から突然、ナザレスの話題をぶっこまれるとは。
教会と騎士団の上の奴らしか知らないと思ってたけど、こいつ何者なんだ。
「それに、その後聖地を荒らしてた男もセラウェさんのこと誘拐したって聞いて。二回も狙われるなんて、どれだけ魅力的な人なのかなって、俺すごく興味が湧いたんですよ」
ジャレッドは話すうちに興奮した様相で、俺に熱い眼差しを向けてきた。
二人目の男というのが師匠のことだということは分かるが、ちょっと待ってくれ。
「あ、あのさ。連れ去られたのはどっちかというと俺の失態だからな。魅力とか関係ねえから。あんま恥ずかしいこと掘り返さないでくれる?」
出来れば思い出したくない、穴があったら入りたい事実だ。
見知らぬ騎士に興味を持たれてたなんて、知る由もないし。
「ごめんなさい、不快にさせるつもりじゃなかったんです。あの、だからちょっと気になってたというか、初めてセラウェさんと話せたので嬉しかっただけで」
慌てて取り繕う姿は、昼間よりも幼く見えた。
なぜ俺と話せて嬉しいのか理解に苦しむが、体つきは立派とはいえ、やっぱりまだ唯の若者なのだと若干肩の力が抜ける。
「いや別に不快とかじゃないから気にするな。恥ずかしいだけだ。なんだお前、じゃあ俺と友達になりたかったの? それならそうとーー」
こいつがクレッドの前で変なことを言ったから、ドキマギしたじゃないか。
「……友達? いや、もうちょっと上のほうがいいな」
控えめな声で告げられた言葉に、ぴしっと動きが奪われる。
騎士は少し頬を染めて、うっとりした顔で俺のことを見つめていた。
上のほうってなんだ。
思わず震えながら尋ねそうになるが、踏み止まる。
ここで反応しても、良いことはないだろう。
でもそこはかとなく感じる雰囲気ーーこいつはヤバイ。
固まる俺の前で騎士が突然立ち上がったので身構えた。
恐れを見透かされたのか、苦笑された。
「そろそろ寝ましょうか。明日早いって隊長が言ってたので。明かり消しますね」
おやすみなさい、と優しく言われる。
俺は内心大混乱のまま挨拶を返し、背中を丸めて寝るよう努めた。
暑さで寝苦しいその夜、俺は夢を見た。
クレッドの部屋で、二人でぴたりとくっつき座っている。
喧嘩してるんじゃなかったっけ、おかしく思いながら隣で体温を感じるのが嬉しい。
二人で会話していて、弟は笑顔で俺に話しかけてくる。
内容はなぜか聞こえないけれど、心臓がとくとくと高鳴り、幸せを感じているのが分かる。
髪の毛を撫でられ、そこに優しく口づけを落とされる。
喜びに震える体を優しく抱きすくめられ、ずっと腕の中にいたいと願う。
抱きしめ返すと、まるで現実のように体が熱くなった。
「……レッド……うぅ……ん……」
ふとした瞬間にそっと離され、俺はまだそのままでいて欲しいとしがみつく。
その時、鼻をかすめた肌から、弟と違う匂いを感じた。
「ーーちょっと、大丈夫ですか、セラウェさん」
ゆっくり瞼を開くと、広い肩が目に入ってきた。
俺は男の首に腕を回して、抱きついていた。
「う、わっ! 何やってんだッ」
パニック状態で飛び退ると、びっくりした顔の騎士が照れたように目を伏せた。
「あの、セラウェさんが抱きついてきたんですけど。……なんか寝言言いながらうなされてたんで、どうしたのかと思って」
「……えっ。マジで……すまん」
自分の馬鹿さ加減を呪いながら、一気に寝汗が冷えてくる。
どうしよう。つうか俺はまた良からぬことを口走ったんじゃ。
「ちょっと俺、用足してくるわ。ごめんな起こして」
その場から逃げるように起き上がり、出口へ向かおうとした。
「待って、セラウェさん……!」
すると騎士に突然腕を掴まれた。
力強い大きな手からじわっと熱が伝わり、驚いた俺は動きを止めた。
「ちょ、あんま、触んないで……っ」
動揺して振りほどくと、騎士は慌てて謝り、俺から離れた。
俺は一体何をやってるんだ。
いちいち狼狽えて、過剰反応して。
「あの。俺も一緒に行きましょうか」
「いや、平気だって。恥ずかしいからついてくんな。お前はここにいろ」
「……はい。でも迷子にならないでくださいね」
「な、なるわけないだろっ」
なんなの?
なぜ今日会ったばかりの奴にドジ認定されてんだよ。
動揺を隠しながら外に出て、浜辺へと向かった。
波音だけがさざめいて、すごく静かだ。
真っ暗な空は星の煌めきに満たされている。
いつもなら見とれるほどの景色も、心に響いてこなかった。
「……ああ。もう嫌だ。疲れた」
自分に対して呟いた。
なんであんなことしたんだろう。他の奴に触ったなんてこと、クレッドには絶対に言えない。
俺は昔から弟が離れて恋しくなると、変な行動を取ってしまうような気がする。
ため息を吐きながら浜辺を歩いていると、後ろから気配を感じた。
不審に思い足を止めると、ザッと砂を踏む音と共に気配も立ち止まった。
あいつ、しつこくないか。
そんなとこも弟に似てんのか。
「なんだよ、来るなって言っただろッ」
腹立ち混じりに言い放ち、勢いよく振り向いたが、眼前に現れた男を見て唖然とする。
今日ずっと目で追っていた、すらっとした長身の騎士。
蒼目をカッと見開き、まだ怒った顔をしていた。
クレッドだ。
「どういう事だ、何かされたのか?」
語気を強め迫ってきて、両腕をがっしりと掴まれた。
半日は見れなかったその愛しい顔を前に、俺はふざけるなと言ってやりたかった。
「バカヤロー! なんなんだお前、ずっと無視しやがって! 俺が悪いのは分かってるけど、そんなに怒ることないだろ、俺はお前がいないと駄目だって、知ってるだろ!」
胸ぐらを掴んで半泣きで喚き散らすと、大きな腕にすっぽりと包まれた。
そのまま無言で数秒抱かれるが、興奮が収まらず、ぐっとシャツを握りしめた。
なんで何も言わないんだ、この野郎。
苛立ちが募り顔を上げると、いきなり唇をきつく塞がれた。
「ん、んんぅ」
まだ怒りを俺にぶつけるかのような、荒々しいキスをしてくる。
求めていたものを与えられ、完全に身を委ねそうになるが、ここが外で浜辺だということを思い出す。
両手で胸を押し返すと、細かく息づくクレッドと目があった。
「悪かった、俺も同じだよ。兄貴がいないと……どうしようもない。でも知ってるだろ、俺は子供なんだよ。誰にも奪われたくないんだ」
そう言って何度も口づけてくる弟のせいで、息継ぎをすることもままならない。
「……んっ、ふ、ぁ……っま、まって、クレッド」
腰を強く抱かれ体が落ちそうになる。
やっぱり気持ちいい。安心する。
くっつけられた胸板から、互いの心臓が音を鳴らすのが分かるのに、広い安堵に包まれる。
「あの男に何かされたのか、……何を言われた?」
けれどやっぱり弟の詰問が始まった。
俺は強引な口づけの合間に、必死に何もないと訴える。
してしまったのは俺の方だ。
間違いとはいえ罪悪感で潰されそうになるが、言えるわけがない。
クレッドはまるで納得してない様子で、俺の口を塞ぎ激しく責め続けた。
「んっ、ここじゃ駄目だ、から」
余裕のない顔つきを見上げて告げると、弟がぎゅっと眉根を寄せた。
「でも俺は、兄貴をあいつのとこには、やらないぞ」
子供のような言い分を隠そうともせず、興奮した様子で俺を抱きしめたまま、本当にしばらく離してもらえなかった。
嬉しさと緊張が入り混じる中、やがて分厚い胸から解放されたかと思うと、クレッドは俺の手を握りしめた。
「……いつも俺と一緒にいて。離れないで」
まるで初めて俺に告白した時のような、切なさの混じったあどけない顔立ちで告げてきて、頬にそっとキスをする。
その姿に見とれたまま何も言えない俺の手を引っ張り、クレッドは浜辺から離れた場所へと歩き出した。
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