ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 18 弟の気持ち U (回想終)

それから何週間か経ち、出発の日が間近に迫ってきていた。
休日には、兄のシグリットはたくさん俺達と遊んでくれた。
まるで、これから頻繁に会えない分の埋め合わせをしてくれるかのように。

自分で心構えは出来ているつもりだった。
けれどその日が近づくにつれ、俺はどんどん兄に甘えるようになっていった。

夜になると、時折枕を持って兄の部屋を訪れ、一緒に寝てもいいか尋ねるようになった。
俺は小さな頃から、クレッドのように自己主張することはあまりなかった。
今と同じで積極性もなく、ぼんやりした性格だったのだ。

けれどこの頃は寂しさのあまり、昔の弟と完全に同じ状況になっていた。
兄は文句を言わずに、優しく俺を受け入れてくれた。二人の時間を、俺はただ大事に過ごしていた。



そんな日々が続き、とうとう兄が出発する日の前日がやってきた。
俺は鬱々とした気持ちになりながら、その夜、最後だと思ってまた部屋を抜け出した。

こんな事をしてるなんて、家族はたぶん知らないだろう。
そう思っていたら、後ろから声をかけられた。

「お兄ちゃん。ボクも一緒に寝ていい?」

俺の服を抱えたクレッドが、廊下でぽつんと立っていた。
胸がずきりとする。
クレッドとはいつも一緒に過ごしていたが、夜になると兄のことを優先して、以前のように弟にかまっていなかったのだ。

「ご、ごめんね。クレッド。僕、シグ兄ちゃんのとこで寝たいんだ。明日家からいなくなっちゃうから……」

申し訳ない気持ちで告げると、弟は眉を下げて悲しげな顔になった。
両親が改めて、俺達兄弟にシグリットが寮生活を始めると話したのだが、小さいクレッドはまだ完全に理解してないようだった。

また駄々をこねるかも……そう思ってなだめるように頭を撫でると、弟はじっと俺を見上げた。

「わかった。おやすみ、お兄ちゃん」

顔は寂しそうなままだったが、落ち着いた声でそう言って、くるっと背中を向けた。
とぼとぼと歩いていく弟を見届けながら、慌てて「おやすみ、クレッド」と声をかける。

素直な態度に驚いた。
もしかしたら、ここのとこ元気のない俺を見て、何か感じ取っていたのかもしれない。
そう考えると、胸が苦しくなった。



「シグ兄ちゃん。一緒に眠ってもいい?」

扉をコンコン叩いてから返事を待っていると、中から兄が出てきてにっこりと笑った。

「うん、いいよ。おいで、一緒に寝よう」

いつもの我儘を許してもらい、開けられた布団の中に潜り込む。
しかし兄は思い立ったように、急にベッドから起き上がった。

どこへ行っちゃうんだろう?
不安な気持ちで見ていると、兄は本棚の奥から何冊かの本を取り出した。

「はい。これ、セラウェにあげるよ。俺が十歳ぐらいの頃かな、親父に買ってもらった本なんだ。セラウェももうちょっと大きくなったら、読めると思う」

自分が普段読んでいる絵本より分厚く、一瞬剣術に関する本だと思った。
けれど表紙を見ると、俺の好きな空想世界の絵が描かれていて、物語なのだと分かった。

「わぁ、すごい。ほんとに僕にくれるの? 嬉しい!」

思わぬプレゼントに、俺ははしゃぎながらベッドの上に座った。
パラパラと中身をめくっていると、確かにまだ学校で習っていない難しい言葉が並んでいる。

ちゃんと読めるようになるまで、勉強しなきゃ。
わくわくした気持ちで兄を見ると、すでに柔らかい笑みが向けられていた。

「気に入った? セラウェ」
「うん! ありがとう、シグ兄ちゃん、大好き!」

隣に座ったシグリットに、いつものように抱きつく。
けれど嬉しさに爆発した心が、途端に明日のことを思い出し、どんどん縮こまっていった。

その体勢のまま静かになった俺を心配したのか、兄はぎゅっと腕の中に包み込んできた。

「……可愛い。俺も大好きだよ、セラウェ。ずっとな」

いつもより落ち着いた声色だったけれど、心がこもった言葉をかけられる。
同じ思いを貰えて、嬉しくて、胸が苦しくなった。

寝る前に笑顔でおやすみと言ってくれる兄が大好きだった。
大きな背中にぴったりとくっついて寝れることも、幸せだった。




次の日の朝。
とうとう兄シグリットが、生まれ育った場所を離れ、遠い地へと出発する日がやってきた。

家族が皆揃い、屋敷の門近くで待っている馬車の前で、お別れの時を迎える。

「気をつけてね、シグリット。皆で応援してるから、頑張ってらっしゃい。お兄ちゃんも同じ学校の先輩だから、何かあったら頼るのよ」
「うん、分かった。心配しないで、お母さん」
「シグリット、気合入れて頑張れよ。相談したい事があったら、俺のとこに来い。アルベールにも気を抜くなと言っとけよ」
「はいはい、分かったよ。ちゃんと稽古も欠かさないから」

騎士学校の制服姿の兄に、両親が激励の言葉をかける。
俺は母の隣に寄り添い、その様子を静かに見ていた。

父に連れられたクレッドが、兄のそばに寄って行った。

「がんばってね、シグおいちゃん」
「うん、ありがとう、クレッド。頑張るよ。また会いにくるからな」

二人が微笑みを浮かべ抱き合っているのを見て、鼓動がドクドクと鳴り響くのを感じた。
本当に兄は行ってしまう。もう変えられないんだと思った。

「セラウェ。さあお前の兄の門出だぞ。ちゃんと挨拶しなさい」

同じく騎士団の制服に身を包んだ父が、騎士然として告げる。
すると母がすかさず服を引っ張った。

「もう、あなたったら。そんな堅苦しい言い方しないで。セラウェ、お兄ちゃんに行ってらっしゃいしようね」

俺はその言葉を聞いて、涙がこぼれそうになるのを堪え、兄のそばに立った。
ぎゅっと体にしがみつくと、強い抱擁を与えられた。

「セラウェ」
「行ってらっしゃい、シグ兄ちゃん」

見上げると、兄の淡い茶色の瞳が潤んでいた。
自分と同じように悲しいのだろうか。
それを見て我慢できず、俺の頬がみるみるうちに濡れてきた。

「……ううぅ、やっぱりいやだよ、寂しいよ、行かないで……」
「ごめんな、セラウェ。俺もすごく寂しい。お前と離れたくないよ」

兄の声が微かに震えたのを聞いて、さらに悲しみが溢れ出していく。
この先のことを考えて、涙が止まらなくなってしまった。

「また休みの日に帰ってくるから。その時はたくさん一緒に遊ぼう、な?」
「……ほんとに? いつ?」

子供の自分にも、長男のアルベールと同じく、これから兄とあまり会うことが出来なくなるのは分かっていた。
言葉に詰まる兄を見上げ、困らせたくはなかったが、自分の気持ちが抑えられなかった。

「二人共、そろそろ馬車の出発の時間だ」
「……ああ、分かってる。親父」
「まって、まだ行かないで、シグ兄ちゃん」

俺は腰にしがみつき、必死に離れないようにした。
家を出てしまうと知ってから、強い感情は外に出さないと考えていたのに、いざ別れがくるとどうしようもならなかった。

「セラウェ……」
「行かないで、やだ、いやだぁっ」

最後まで泣きながら縋ったが、時間は無情に過ぎていった。
俺をなだめながら、つらそうな表情で馬車に乗り込む兄を、呆然と見つめていた。

兄に悲しい顔をさせたままの、別れとなってしまった。
両親にも声をかけられたが、屋敷に戻った後も玄関の隅で一人、膝を抱えて座っていた。

「なんで……いやだ……寂しいよ」

虚しく呟き、また涙がこぼれ落ちる。
受け入れたと思っていたはずが、全然出来ていなかったのだ。

しばらく座っていると、クレッドがそばにやって来た。
今日は静かだった弟が、初めて俺に近づいてきた。

「お兄ちゃん、大丈夫……?」

いつもなら弟を安心させるために、笑顔で返事をするのだが、その時は首を横に振った。

「……ううん。大丈夫じゃない。僕、寂しい……シグ兄ちゃんもういないんだ」

言いながら、また涙がこぼれてきた。
弟の前で泣いたことはほとんど無かった。
クレッドは弱々しい俺の様子に動揺したのか、それ以上何も言わなかった。

やがて一人、階段を駆け上がっていった。
兄のことばかりで弟に構っていなかった俺は、子供ながらに、もうクレッドにも愛想を尽かされたかもしれないと感じていた。

すると階段を駆け下りてくる音がした。
目をやると、クレッドが焦った様子で、なぜか大量の服を両手に抱えていた。

「はい。お兄ちゃんにこれあげる。もう泣いちゃだめ」

差し出してきたのは、俺が弟にあげた服だった。
夜寂しいからと、自分の代わりに一枚一枚貸してあげたものだ。

「クレッド……?」

いつも大事にベッドに隠していたのに、弟は俺に全てくれようとしていた。
驚きのあまり言葉を失ってしまう。

クレッドは何を思ったのか、俺の体に無理やり服をかぶせてきた。
そしてすぐに体にがしっと抱きついてくる。

「これで大丈夫だよ、お兄ちゃん、さみしくないよ」

それは、俺が以前弟に言った言葉と同じだった。
こんなに小さな弟が、俺と同じ方法で、励まそうしてくれている。

「……あ、ありがとう……クレッド……」

弟の前でこれ以上泣くまいと思ったのに、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
しばらくそうしていたけれど、段々恥ずかしくなり、濡れた顔を服でごしごし拭いた。

クレッドはまだ俺の様子を窺うようにこっちを見ていた。

「もう大丈夫……?」
「……うん。大丈夫……だよ」

今度は俺が安心させるように、弟のことをしっかりと抱きしめた。

兄のシグリットが家を出て、ぽっかりと心に穴が開いてしまった。
どうしようもなく寂しい気持ちは、まだ続くだろう。

でも俺は弟であるのと同時に、クレッドの兄でもある。
生まれたときから、いつも近くで優しく見守ってくれた兄のように、自分も弟にとって、そんな大きな存在にならなければならない。

この時、そうなりたいと、強く思った。
七歳の自分にとって、それは確かに心に刻まれ、固く決心した思いだったのだ。



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