▼ 108 服は着たけど
「なんだ今の……どこから声がしたんだ?」
祭りの露店通りで、茶色の獣耳をつけた背の高い男が、ひねられた腕をさすりながら呟いた。
隣にいた小さい男の子の半獣人も、心配そうに「お兄ちゃん、どうしたの?」と服に掴まっている。
まずい。
軽い気持ちで仮装したばかりに、もう異種族と一悶着起こしてしまった。
「え、ええっとぉ。今のは僕の魔法の一種が飛び出てしまいまして……守護霊、っていうんですかね。そういう感じの存在です。……な? クレッド」
魔導師の俺は、こうしてとっさに適当な言い訳を並べる癖がついているのだ。
手探りで透明な弟を探すものの、一度手から離れてしまった奴が、もはやどこに立っているのか分からない。
しかしクレッドは、あくまで冷静に俺のことを見ているようだった。
「兄貴。そこは守護者にしてくれないか。俺幽霊じゃないし。姿が見えなくなってるだけだからな」
おい話合わせろよ。面倒くさいだろうが。
俺はとっとと二人のデートに戻りたいんだよ。
三角耳をわしゃわしゃ掻いていると、大柄な半獣人のほうが興味深そうに、俺に顔を近づけてきた。
「魔法? すごいな、お前そんなもの使えるのか。どこ出身だ? 人間の匂いが強めだが…」
「本当だ! 僕にも見せて、ねえねえ」
二人の兄弟らしき半獣人たちが、茶色の尻尾を振ってせがんでくる。
やべえ余計なこと言わなきゃよかった。
さらに厄介な事態を危惧した俺は、仕方がなく本当のことを話すことにした。
「ーーというわけで、俺たちはただの人間の旅行者なんですよ。あっちの通りにある『仮装屋アルマ』ってとこで大変な目に合いましてね。行かないほうがいいっすよ。……ついでにちょっと聞きたいんすけど、服屋知りません? 俺の弟に、格好いい服着させたいんです。俗にいうコスプレってやつですね」
ぺらぺら喋る間、彼らはきょとんとしながらも、きちんと最後まで聞いてくれた。
どうやら外見だけでも、同種族には親切らしい。
「へえ、そんなことがあるもんなんだな。さすが都会だ。魔術のレベルが違うよ、全然見分けつかねえし」
「お兄ちゃん、僕もそのお店行きたい。透明になりたいよ〜」
「駄目だよ。今ツアー中だから。……あっ、そうだ。俺達と一緒に来たらどうだ? この後、ナイトショッピングの時間が入ってるんだ。服屋もあったと思うぞ」
その姿ならバレないだろうしと、男のほうが予期せぬ話を持ちかけてきた。
いやいや、そんなツアーに紛れ込むなんて、明らかに違法行為じゃないのか。魔界の刑務所には入りたくねえぞ。
答えあぐねていると、ザッと衣服のこすれる音がした。
「なあ。君のお兄ちゃんは良い奴か?」
クレッドの声が、やや下のほうから届く。
「え? 幽霊さん、僕に言ってるの? うん、すっごく優しくて良いお兄ちゃんだよ。僕大好きなの」
男の子がにこりと目を細めると、隣の男が若干照れくさそうに、ぽんと彼の頭を触った。
なんだかこの光景、小さいときの誰かに重なってくるな。
「そうか。……じゃあ世話になろう。よろしく頼む、同行させてくれ」
今度は頭上から、納得した弟の声が響いた。
いつもは慎重な弟が、やけにすんなり申し出たことに、びっくりする。
「おい、いいのかよクレッド?」
「ああ。このまま兄貴一人に見えるほうが、俺は心配だからな。……それにもうちょっと、一緒にお祭り楽しみたいだろ?」
優しい声で尋ねる弟が、隣で笑みを見せているのが想像できた。
俺はまた大きな手に手を握られて、照れた気持ちで「うん、したい」と頷くのだった。
・・・
俺たちはその後、ライトアップされた中央広場に向かい、団体客のツアーに紛れ込んだ。
すぐにつまみ出されないかとヒヤヒヤしたが、驚いたことに、色々な毛並みをもつ半獣人族はゆうに三、四十人を越える大所帯だった。
二人の影に隠れていれば、誰も小さな猫耳獣人の俺を気に留める者はいない。
ガイドの女性に引き連れられて着いた場所は、大人っぽいブティックや奇抜な雑貨屋が混在した、穴場のショッピング街だった。
俺たちはその中でも、あえて現地の魔族で賑わってそうなお化け屋敷風の服屋に入った。
平服以外にも鎧や装備服、ローブなどが豊富で、色合いは黒かモノトーンが多く、金や銀の装飾がいかにも闇の住人っぽい。
あんまりクレッドの趣味ではなさそうだな、そう思いつつ、俺は店内で奴の服をコーディネートしていた。
「うーん。この漆黒ローブと仮面がいいかな。あと手袋も。透明なとこ全部隠さないと、見た人びっくりしちゃうし。……でもこれじゃあお前、闇の枢機卿みたいになってるぞ」
「え、なんだそれ。……ていうか、やっぱ重ね着してると暑いな。……まぁ仕方ないか、脱ぐわけにいかないし。あと剣も必要だな。丸腰に見えるよりマシだろう」
クレッドが立て掛けてある長剣のコレクションから一本選び出し、腰に装着した。
試着室の鏡を前に、その凛々しくもダークな全身ローブ姿が、すごく様になっている。
「おおすげえ、暗黒騎士だ騎士! なあなあ、お前顔見えなくても格好良いってさすがだな。後で写真とっていい?」
「えっ。いいけど……俺も兄貴の撮りたいよ。っていうか兄貴の猫姿たくさん撮って」
「はぁ? やだよ恥ずかしいだろ! つーかなんだ猫姿って。まあ数枚ならいいけど…っ」
「いや足りない。チャンスだから、もっとたくさん撮ってくれ。お願い兄貴」
やけに鬼気迫るクレッドの声に戦きつつ、その場は適当にしのいだ。
満足のいく成果を手に会計をし、店の外に出たとき。
あの二人の兄弟が、買い物袋をたくさん下げて立っていた。
「おー終わったのか……って、うわ! でかいなあんた、本当にいたんだ」
「わあぁ、仮面が怖いよう、お兄ちゃん」
クレッドの容貌が男の子を怯えさせてしまったらしい。
俺たちは彼らにお礼を言った。
「ありがとう二人とも。こんな見ず知らずの俺たちに。このご恩は一生忘れません。んじゃ、バイバイーー」
「ちょっと待てよ。なぁ、あんた達カップルなんだろ?」
突然獣耳の男から放たれた指摘に、俺は固まる。
なぜバレた……何も言ってないはずなのに。
変幻の術のせいで、ペアの指輪も一時的に消えちゃってるし。
姿が変わり気が大きくなったか、店内ではしゃぎすぎたとこ見られたのか?と即座に反省する。
「いやっべつに、まぁそのぉ否定はしませんけどねぇーー」
「そうだ。俺と兄貴は恋人同士というかそれ以上の関係で、今ハネムーンをしているんだ」
隣で暗黒のローブ姿の男に、先に自信満々に述べられた。
恥ずかしさに俯いた俺の予想に反して、半獣人の男はぱっと表情を明るくした。
「おお、やっぱそうか。小さい方のーーお前、名前何て言うんだ?」
「セラウェですけど小さいって言うなこの野郎。お前も名乗れや」
「なんだよツンツンして。ほんとに猫みたいな奴だな……俺はニーク。こっちのチビは末っ子のユンっていうんだ」
爽やかに自己紹介した男の隣から、少年にも「よろしくね」と挨拶された。
俺たちも礼儀として名乗り、ニークという奴の話をとりあえず聞いてみた。
「だからさ、さっきは分からなかったんだけど、段々お前から獣人族特有のフェロモンが出てきて……あ、そっちの大きいほうに向けてな。この香りもしかして、って思ったんだ」
「……はっ? なに言ってんだ。俺は人間だぞ。誰がそんないかがわしい匂いをプンプンさせてーー」
「本当か、兄貴。俺の知らない間に、そんなことしてたのか……」
話を途切れさせたクレッドの表情は分からない。
だがその声質は明らかに、劣情を滲ませるように低く色めいていた。
この獣男、余計なこと言いやがって。
ていうかそんなもんまで再現出来るとは、あの仮装屋はどんだけ腕が良いんだ。
「いやしてねえから。勘違いすんなよっ」
「照れることないだろ、自然に出ちゃってるんだから、しょうがないって」
「出てねえし! 自分じゃ分かんねえぞ!」
二人の揉み合いを見て、獣耳兄弟が面白そうに笑んでいる。
恥ずかしくなりピタリと止めると、兄のニークが口を開いた。
「残念だが、香りは俺たちの種族にしか分からないんだ」
「……そうなのか。俺も感じたかった、兄貴のフェロモン……。くそっ、こんなことなら、獣人になりたいって願えばよかったよ」
おい何本気で悔しそうにしてんだ。
さっきは「俺は俺でいい」とか格好つけてたくせに。
しかし隣でしょんぼりした弟を見てると、ちょっと可愛いじゃねーかよという、不思議な気持ちにもなってくる。
俺は「元気だせよ」と言いながら背伸びし、奴の頭を撫でようとした。
黒マスクにフードをかぶった弟がそれに気付き、背を屈めないと届かないとこが若干恨めしい。
「それで本題はここからなんだけどさ。セラウェにクレッド。お前たちがカップルなら、今からちょうどいいイベントがあるんだ。よかったら出てみないか?」
ニークは腕を組みながら、俺たちに再び予期せぬことを持ちかけてきた。
は? 今度は何言い出すんだこの男。
俺とクレッドは顔を見合わせるが、一瞬の沈黙が甲高い声によってやぶられた。
「カップルのイベント? なにそれお兄ちゃん」
「こいつらみたいな恋人同士が何人か出て、愛の強さを競うコンテストだよ。面白そうだろ?」
「すごいー楽しそう! 僕も出たい!」
「い、いやダメだってお前は。まだ小さいだろ。相手いないし」
「お兄ちゃんと出る〜。セラウと幽霊さんみたいに、兄弟だよ」
「それは……ちょっと特別だからな…」
目の前でごちゃごちゃ言い合ってるんだが。ていうかこのチビ、俺の名前間違えてるしな。
その前に、そんな恐ろしいイベントを紹介されて、普段から目立つことが嫌いで積極性皆無の俺は、身震いが止まらない。
「あのさ、んなもん出るわけねえだろ。いや教えてくれてありがたいけどね、俺たちそういうのではしゃぐ人種じゃないからね。このハネムーンもお忍び的なアレで来てるからさ…」
「二人の愛の強さを競い合う……? それいいな……よし。出ようか、兄貴」
ちょっとこいつ今の抵抗聞いてなかったのか。
人間界にいる時よりさらに、頭湧いちゃってないか。
「無理だよ! バカなのかお前、俺の性格考えろよ!」
「でも兄貴、せっかくのイベントだし。今日訪れたのも、何か運命的な感じがする」
きっと俺の弟は今、透明な蒼目をキラキラさせているのだろう。
でもその手には乗らないぞ。チキンの俺には絶対無理だ。
「そうだよ、とびっきりの思い出になると思うぞ。それに何より、優勝すれば豪華プレゼントがもらえるらしい。それがなんと、魔界の秘宝と、かの有名な赤狼族に伝わる秘伝の酒50本なんだ!」
ニークが茶色の獣耳をぴくぴくさせて、目を輝かせ、身を乗り出して言った。
ーー魔界の秘宝、だと?
奴のその一言により、俺の中でいつもの悲しい魔導師の性が疼きだす。
なんなんだそれは。知りたい。ここでしか手に入らないものなのか?
魔界の歴史的な祭り内のコンテストならば、その価値には期待できるかもしれない…。
「あー、お兄ちゃん、そのお酒が飲みたいんでしょう」
「……えっ。いや、まあ…そうだけど……ここの景品だけなんだよ、入手出来るの。チャンスだろ? でも俺恋人いないからさ。出れないし…」
おい。こそこそ喋ってるが全部俺の猫耳が聞いてるぞ。
どうやらこの獣耳男も、コンテストの景品が欲しいらしい。
結構打算的な野郎だな。俺もだが。
「なぁ兄貴、どうしても駄目か……?」
クレッドが俺の肩を抱き、自身の仮面を遠慮がちに近づけてくる。
少し考えるフリをした俺は、やがて不自然に咳払いをするのだった。
「しょ、しょうがねえな。お前がどうしてもハネムーンの思い出作りをしたいっていうなら、出てやらないこともないが……」
「ほんとか!? やった!」
突如喜びを露にした弟に、がばりと抱き締められた。
そんなに嬉しいのかと呆気に取られる。
「俺、絶対優勝するからな、兄貴のために!」
クレッドは高らかに宣言すると、その熱い決意に比例して、ぎゅうっと抱擁を強めてきた。
こんな風にされたら、俺も自分の目論見はおいといて、とりあえず弟のために頑張ろうかな…と思ってしまうのだった。
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