▼ 107 不思議なカップル
「おい。なぜ俺はこんな姿になったんだ? 説明しろ貴様」
「怖いよ〜。さっきはあんなに優しかったのに。お兄さん詐欺師? もう下ろしてよ、ボクのせいじゃないもんっ」
「なんだと、詐欺師はお前だろう! 早く元に戻せッ」
茶毛の塊のような獣族が、短い手足と垂れ耳をパタつかせ、宙に浮いている。
俺は店内のソファに座り、頭を抱えてそれを横目で見ていた。
ありえない。
クレッドが、マジで透明になってしまった。
俺が無理やり仮装なんてさせなければーー。
自身も猫耳に獣の手足という寒い姿になってしまったが、そのこと以上に大きなショックが襲う。
「明日まで解けないってば。我慢してよ。だいたい、お兄さんたちの変な力のせいでしょう? ボクは本気でおまじないしたのに、二人とも中途半端な姿になっちゃったんだ」
え。俺も中途半端ってどういうことだ。
まさか本当はしっかりした動物になるはずだったのか? どうみてもそっちになりたかったんだが。
いやそんな俺の密かな願望はどうでもいい。大事なのは弟だ。
「なぁアルマくん。つまりクレッドは、何か別のものになる予定だったのか?」
獣族の変幻師がぽとりと床に落ちる。
座ったままぼさぼさの頭を直し、俺に向き直った。
「分かんない。小さいお兄さんのお願いは聞こえたけど、大きいお兄さんのほうは、本当はよく見えなかったんだ。だから流れのままにかけちゃった」
にこっと笑顔で無反省の顔を向けられる。
……まぁ、魔術師なんてこんなもんだと俺はため息を吐く。
「てことはお前、クレッド。透明人間になりたかったわけじゃないんだな、よかった…」
「は? 当たり前だろう、兄貴。なんで俺がそんな変態的な願望をーー」
適当に宙を見て話しかけていると、ぐいっと肩を向き直された。
「俺はこっちだよ、兄貴。……ああ。認識されないのは、堪えるな。これは…」
頭上から悲しげな声が響いた。俺は慌てて謝り、取り繕った。
「でもさ、じゃあ何になりたかったんだ? いくら加護の力のせいだっていっても、さすがに透明って…」
「別に何にもなりたくないよ、俺は」
「へ?」
確固とした答えに唖然とする。
「本当だ。俺は他になりたいものなんかない。兄貴の弟であればそれでいい」
す、すげえ。
なんて強靭な精神力なんだ。その自信に満ちた声が、芯の強さを物語っている。
「そっかぁ〜。すごいなぁお兄さんてば。こんなお客様初めて見たよ。願望がないから消えちゃったってことなのかな?」
「あのなぁ、それなら元の姿のままでいいだろうが!」
「だからそれは二人の強い力のせいだもん。反動でこうなっちゃったんでしょう」
奴の言葉にはっとなる。
もしかしてこの異常事態は、アルメアの加護だけじゃなく、やっぱり聖力も関係あるのか?
呪いのときもそうだったが、教会の聖なる力は、魔力に対していつも大きな作用をもたらすのだ。
「もういいや。しょうがねえ。一日の我慢だよな、クレッド」
「……うん。そうだな。……ごめん兄貴。俺、馬鹿だな、こんなことになって」
しょんぼりした声が届き、俺は思わず奴の肩を叩いて励まそうとしたが、するっと宙を空振った。
「い、いや。俺のせいでもあるし。気にすんなよ。つーか旅ってそういうもんだよ、ハプニングだらけっていうか。さすがに俺も透明人間は初めて見たけどさ。まぁお前全然見えねーけど」
言いながら目の前の空間を手触りで探る。
弟が羽織っている外套らしきものに触れ、ほっとした。
「兄貴、手繋ごう。明日までずっと」
「え? ずっと?」
「ああ。俺はここにいるっていう証な」
丸い猫の手を握られる。
かなり感覚は異なるものの、温もりが伝わり、とっさに全身が目覚める感覚がした。
平気なふりしてるが、声だけはやはり寂しい。
クレッドの手を感じて、心が少し安定したのだった。
・・・
店を後にした時、辺りはすっかり真っ暗になっていた。
空気がぼんやり霧がかった魔界の夜だ。
ランタンが並び、いっそう祭りの雰囲気を漂わせる夜店通りを歩く。
手を繋いでいるとはいえ、隣に誰もいないのは心細い。
普段いかに視覚に頼っているのかが分かる。
「兄貴、大丈夫?」
「う、うん。お前は…?」
「俺は……兄貴が心配だ」
「え? なんでだよーー」
その言葉に気を取られるが、あるものが目に入った俺は、思わず自分の足をぐっと踏みとどまらせた。
見世物小屋の出し物だろうか。三角テントの奥に、楕円形の大きな鏡が置いてある。
初めてそこに映された、ローブ姿の猫耳獣人の自分を見て、顎が外れそうになる。
「な、なんだこりゃー!! ださっ、はずっ、やべえ俺っ!!」
肉球つきの手足もまだ慣れないが、ピンと立った黒耳とローブから覗く長い尻尾が、お前ふざけてんのかと自己ツッコミをしたくなるぐらい、恥ずかしすぎる。
ああ、こんなとこ誰かに見られたら生きていけない。
ある意味最大のアトラクションだが。
「クレッド。お前よくこんな俺の姿、許容できたな」
「えっ。なんで? めちゃくちゃ可愛いよ兄貴。ほんとに。どこの角度から見ても最高だ、うん」
「……本気なのかお前。どんな趣味してんだ。つーかあんま見んなよっ…」
くるっと隣に向き直っても、クレッドがいない。
もちろん鏡にも俺ひとりだ。
なんだこの気持ち。
情けない俺は、急激に寂しさが増していった。
「兄貴……?」
弟の声が頭上から聞こえる。手を繋いでいるが、十分じゃない。
俺はまた弟の服を探り、外套を見つけ出して、ぎゅっと抱きついた。
傍目から見たら一人で何をしてるんだ状態だが、我慢出来なかった。
「……かわいい事してるな、兄貴」
「いいだろ別に」
「うん。いいよ、もちろん」
腹に抱きついた俺の頭が、そっと撫でられた。
ああ、くそ。
明日まで解けないってマジか?
どうすんだよこれ。こいつの姿が見えないなんて、俺心細くて死ねる。
道端で周囲の喧騒に囲まれながらも、しばらくそうしていると、クレッドがふと口を開いた。
「兄貴、気づいてないか? 少し背が小さくなってる」
「え、うそだろ。……俺の?」
「ああ。術のせいで、体つきも変わってるみたいだ」
確かめるように背中や腰に触れられ、わずかに身震いした。
そう言われてもあまり実感はない。
「そっか……お前が隣にいないから分かんなかった」
ぽつりと呟くと、回された腕の力がぐっと強まった。
「俺はここにいるよ。いつでも兄貴のそばにいる。大丈夫だよ」
耳元でクレッドの声が響き、少し切なく感じながら、大きな体を抱きしめ返した。
しかし弟がふと小さな息を漏らす。
「でもやっぱり心配だな。このままじゃ、余計に…」
言いながら、なんだか子供にやるように頭を撫でられて、温かい耳にくすぐったさを感じた。
もう一度鏡を見やった俺は、慣れない姿を前に、ローブのフードに手をかけた。
頭をすっぽり覆って、なんとかこの日を凌ごうと考えたのだ。
祭りはまだ開かれているし、もう少し二人の旅を楽しみたい。
「隠しちゃうのか、兄貴」
「うん。ダメかよ」
「いや。まぁちょっと残念だけど、そのほうがいいか」
奴の言葉を若干訝しみつつ、気を取り直して歩き出す。
しかしローブにくるまりながら、俺は一瞬、あることが頭を過った。
ぴたりと足を止めると、クレッドに「どうした?」と尋ねられた。
そうだ。
服だ。
弟は変幻師の術のせいで、長剣などの装備も含め、まるごと透明になってしまった。
だがこうして肉体に触れられるということは、うまく衣服を着せれば、少なくともその姿が認識できるだろう。
「なぁ。俺いいこと考えた! そうしよう!」
「え? 何の話だ、兄貴」
こうしちゃいられない。
さっそく服屋さんを見つけなければ。
俺はクレッドの手を引っ張るように意気揚々と駆け出した。
斜め後ろから「まっ、いきなり走り出すなって、兄貴!」といういつもの焦り声が聞こえたが、俺は学習しないのだ。
馬鹿なのだ。
そうこうしているうちに、また問題を起こしてしまうのも、もはや愚かな俺の宿命ともいえる。
「んぶっ!」
夜店通りで、大きな壁にぶつかった。衝撃でフードがふわっと脱げる。
涙目で鼻をこすりながら見上げると、それは壁ではなく、人間だった。
その姿を見て動きが止まる。
正確には人間ではなく、今の俺と同じ姿をした、半獣人のように見えた。
大柄な獣耳男と、隣には小さな男の子が手を繋いで立っている。
「走っちゃだめだろ、あぶねえな。あれ、お前うちらのツアーの奴じゃないか?」
「本当だぁ。お兄ちゃん、この子ハーフ獣人だよ」
「そうだな。じゃああの一家のとこかな? はぐれちゃったんだろ、連れてってやるよ」
一方的な会話に俺は瞬きを繰り返した。
なんだこれは。
よく分からんが、完全に異種族の仲間だと誤解されている。
「え? いや俺はツアー客じゃないです。人間ですから」
「ああ、ハーフだろ。お前こんなとこ一人で歩いてたら危険だぞ」
全然人の話を聞かない男が、こちらに腕を伸ばしてきた。
だがそれが、ぐいっと不自然に宙に曲げられた。
「……ぐっ、いててててッ!」
「おい。勝手にさらうな。その子は俺の連れだ」
目を見開く獣人に、怒りを滲ませたあいつの声が響いた。
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