ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 105 花嫁になった兄?

なぜこんなことに。
念願の弟との甘い旅行だったはずなのに、また俺は魔界に来てまで、厄介事に巻き込まれちゃってるのか?

「あ、あの。完全に人違いですよ。しっかりしてください。つうかあなたやっぱり吸血鬼? ほら、俺人間ですから」
「私はこの地を統べる吸血族の王、ガレクシスだ。その手の紋章のみならず、そなたのコシのある黒髪に、丸くあどけない瞳ーーかつて私が認めた花嫁のものと同じだ……長き眠りから目覚める時、我が花嫁の芳しき香りによって解き放たれるのだと、信じて疑わなかったーー」

長い黒髪の美形が、何やら恍惚と語り始めている。

あ、これやばい人だと、俺はすぐに身を引こうとした。
だがさすが王の貫禄だからか何なのか、強力な力によって身動きひとつ取れない。

この男、魔力のパワーが桁違いだ。その力を漆黒に輝く宝石に例えるならば、俺なんか石ころ程度のもんしかないと思い知る。

「いやよく見てくださいよ、俺男ですから! 花嫁なんかじゃないすから!」
「男だから何なのだ。我はそんな小さいことは気にせん。重要なのは血の強さ、心の繋がりであろう?」

このおっさん長く寝過ぎたせいかもしれんが頭おかしいだろう。
俺はアルメアの血族とは何の関係もないし、むしろ呪いを受けたことのある被害者なんだが。

「マジで、やめろ…! 確かに紋章は一時的に譲り受けたものだが、俺はただの旅行者なんだよ、今大事な……ハネムーン中なんだってッ」
「ふふふ……過ぎ去ったことは全て忘れるといい。この空間に一度入り込めば、抜け出すことは出来ない。そなたはもう、私のものになるしかないのだ」

鬼畜な笑みを浮かべるヴァンパイアが、俺を闇のマントに抱いて立ち上がる。
次の瞬間、旋風のごとき黒い風に包まれた。

ぐらつく目をゆっくりと開けると、そこはさきほど通りかかった寝室だった。
窓の外は暗く、嵐が吹き荒れている。
城の風景は同じなのに、まるで切り離されたように、時間だけが変化してしまったみたいだ。

黒薔薇が散る寝台の上で、男が俺に覆い被さる。
これは一体、なんの悪夢なんだ?
楽しいはずの旅行が、一転して笑えない事態に陥り、俺は完全に涙目だった。

「おお、泣くな、愛しい人よ。これからは私がそばにいる、だから安心してーー」
「……ざけんなっ、俺には大事な弟がいるんだ、お前なんか全然知らねえし勘弁しろ! 早くここから出せ、耄碌じじい!!」

俺の訴えを無視して、吸血鬼の冷たい手が首筋に触れる。
長い爪がつつ、と肌の上をなぞっていく。

「嫌だ! 助けて、クレッド……!」
「……ふふ、あの騎士か? 今ごろ狂ったようにそなたを探していることだろうな…」

暴れる体を押さえつけられ、それでも俺は必死に声をあげた。
すると耳元に、かすかな声が届いた。
薄暗がりの部屋で姿は見えないが、弟が遠くから俺のことを呼ぶような、音が聞こえたのだ。

もしかして、同じ場所にいるのかもしれない。
幻影にまとわれ、近づけないだけなのでは。

「クレッド! ここだ、俺はここにいる!」

血を思わせる吸血王の赤い瞳が、俺をまっすぐに捕らえた。
口を大きく開け、恐ろしい牙をさらけ出す。
恐怖に身が縮む思いをしながらも、こんな俺だって、魔導師としての場数を踏んでるのだと、心を奮い立たせた。

覚悟を決めて、全身から聖力を呼び起こす。
邪気をまとう吸血鬼には天敵となる力のはずだ。

アルメアは微力だと言ったが、一瞬でもいい、この男を怯ませられれば。

「おりゃーー!!」

上に乗る男の体めがけて発散させたその時、それに呼応するように、僅差で更にまばゆい白の閃光が、壁の外から溢れだした。
見えない防壁を壊すように、めりめりと突きやぶってくる。

すぐに感じた。
俺の力と同様のオーラを放つ、弟の聖力だ。

希望に目を瞬かせると、光の中から弟の姿が現れた。

「兄貴……!!」

長剣を構えた手を下ろし、俺に走り寄ってくる。

「ぐ……っあぁ……貴様……ッ」

吸血王の力が途端に半減したかのように、俺の脇で体をうなだれた。
その隙をついて急いで起き上がり、寝台から飛び降りて弟の胸をめがけて走る。

「わぁぁあっクレッド!」
「兄貴、無事か! 怪我はしてないか…!?」

抱き締められてすぐ、体を離され全身を調べられた。
震えていた体が徐々に温度を取り戻していく。

「ぎりぎり大丈夫だ、よかった、お前が見つけてくれて……。聖力使ったのか…? 駄目って言われてたのに、すまん……」
「何言ってるんだ兄貴、今使わなかったらいつ使うんだ。死ぬほど心配したんだぞ、ああ、もう……!」

くしゃりと顔を歪ませたクレッドに、俺が馬鹿だったと小さな声で何度も謝る。

「でも兄貴の力を感じたから、見つけられて良かった……本当に」

無事を確かめ合い、二人で抱き合っていたが、すぐに寝台の上の邪悪な気配に引き戻された。

「我が花嫁から離れろ、人間の騎士ふぜいめが……ッ」

地を這うがごとく恨みの積もった声音に、その場の空気が割れそうなほど凍りついた。
吸血鬼と騎士が、真っ向から睨み合う。

「……あ? 花嫁だと? 誰が、誰のだ、寝言は寝て言え貴様……!!」

クレッドがまれに見る形相で声を絞り出し、俺の体が痛いぐらいに腕の中に抱かれる。

「紋章が示している、その者が私の純潔の花嫁だということを。早くこちらに寄越せ……さすれば命だけは助けてやろう」

未だ寝台に半身を這いつくばらせた男が、にやりと不遜な笑みで黒髪を揺らす。
恐る恐る弟を見やると、血管を浮き上がらせているものの、その無表情さが逆に怖かった。

「……兄貴、こいつ殺ってもいいよな? 俺は昔からこの手の冗談だけは、我慢出来ないんだ」
「えっ。だめだよ、今俺たち……大事な旅行中だし……お前が怪我とかしたら、大変だろ?」

弟の本気度にビビった俺は、包み込む外套を掴み、控えめに告げた。
奴が金色の眉を少し下げて、じっと見つめてくる。

やがてクレッドは俺の頬に親指で触れ、そこに口づけした。
それだけではなく、切なげな表情で自らの口を、俺の唇に重ねてきた。

他人の、しかも吸血鬼の前でこいつ、なんてことをーー。

「おい、私の花嫁に接吻なぞするな!」
「黙れ。哀れな貴様に教えてやろう。この人はお前の花嫁ではなく、俺の愛する兄であり、伴侶なんだ。……つまり兄貴の純潔は、すでに俺が奪っている。残念だったな」

王は口をあんぐりと開けた。
あくまで冷静に放たれた弟の宣言が、なんかおかしい気もしたが、俺も横で「そーだ参ったかっ」と合いの手を入れた。

怒りの唸り声を上げる王に、クレッドの猛攻が止まらない。

「誰と勘違いしているのか知らんが、俺の大切な人に触れることは、人間であろうが王であろうが許さん。全員滅ぼしてやる」

まだ血がたぎってる弟は興奮覚めやらぬ様子で、俺の口をふたたび塞いだ。
熱いキスを与えられ、体の力が抜けてしまう。

「ふ、あ……ん、ぁあ」
「…………兄貴…」

俺のわがままでこうなってしまった事もあり、しばらくされるがままになっていた。

「そ、そんな……待ちわびた宝が…すでに聖騎士に汚されていたとは……。ああ……目覚めなければよかった……なんと残酷な仕打ちよ」

二人の口づけが効を奏したのか、吸血王の力が目に見える形で弱まっていく。
弟の聖力に満ちた寝室で、黒い風が影をひそめ、奥の部屋へと追いやられていくようだ。

「……なんだ? また棺桶に戻ったのか?」
「ああ。ショックで寝込んだんじゃないか。俺の知った事じゃないが」

ようやく奇怪な現象が終息したようだと、俺たちは向き合い、またひしと抱きあった。

あの写真屋の野郎、何が旅のスパイスだ。
まさかこうなる事を予測して、面白がって罠にはめたんじゃないか?

やっぱり魔族は信用できない。からかいのレベルがぶっ壊れてる。

「はぁ、とんでもない目にあったな。寿命が縮んじゃったかもしれん」
「……うん。兄貴と離ればなれになった時、もう本当に、俺おかしくなったぞ。死ぬかと思った…」

珍しくすがるような弱々しい声を出す弟に、胸がぎゅうっと締めつけられる。

「ごめん、クレッド。また俺のせいでやばいことになって…」

改めて謝ると、少し困った表情を浮かべた弟に髪を撫でられ、そっと口づけられた。

「兄貴のせいじゃないよ。俺が未熟だから、いつもこんなことになる。……きっと俺は試されてるんだろう。人生の試練ってやつだよ。……まぁ、高嶺の花である兄貴と添い遂げる為ならば、きついのは当然だ」

至極真面目な顔で変なことを言い出す弟を、ぎょっと見やる。

「お、おい。それは言い過ぎだろう。俺はそんなたいしたもんじゃないぞ。ただのそこら辺の兄貴だし」
「いや、それはない。世界で一番かわいい兄貴だ。だから大変なんだよ」

両頬を大きな手で挟まれて、憧憬の眼差しで見つめられる。
ちょっと何を言ってるのか分からないが、きっと弟もまだ興奮状態なのだろう。

再び強い意思を持って、弟の胸に抱かれた。
いつも迷惑かけて申し訳ないと思いつつ、こいつの変わらない気持ちが、やたらと嬉しく感じた。

「よし。もうこんなとこ出よう、兄貴。観光はすごく楽しかったが、この城はもう十分だろう?」
「うん。そうだな。ある意味、絶対出来ない経験したし。俺たちの愛もすげえ深まったわ。じゃ次行こう、次!」

冗談めかして告げると、笑顔を取り戻したクレッドに手を差し出される。
互いの手を取り合った俺たちは二人、こうしてめげることなく、旅の続きを楽しむことにしたのだ。



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