▼ 104 吸血王の城
「あ、この場所見張らしも素晴らしいな。兄貴、お願いしていい?」
「はいはい。……じゃいくぞー。えいっ」
濃灰色の要塞に囲まれた古城の渡り廊下で、俺たちは二人仲良く顔を寄せ合い、写真を撮っていた。
しかしさっきからクレッドは、時折ある不満を爆発させている。
「ああ。なんで俺の聖力じゃ撮れないんだ? こんなの全然役に立たないじゃないか。……くそっ、自分に魔力がないことをこれほど呪ったことはないぞ!」
おいおい教会から授かりし偉大な御力に、なんたる不敬な言いぐさだ。
まったく大袈裟な奴だなぁ。
悔しそうに奥歯を噛むクレッドに、俺は慰めの声をかけた。
「別にいいだろ、俺が全部撮ってやるから。元気出せよ」
「……ありがとう兄貴。でも俺……こっそり兄貴の寝顔とかも撮りたかったな…」
「はっ? お前そういう不純な動機でーーいやいいな、それ。今度お前の撮っちゃおうかなぁ」
「な、なんで俺の? 駄目だぞそんなの、恥ずかしいから!」
顔を真っ赤にした弟が異様に慌てている。
観光地で何を男二人はしゃいでるのかと思うが、兄弟間の写真フィーバーはまだまだ治まらないらしい。
迷路のように入り組んだ広い城の内部は、ひんやりと涼しく、その時代の情緒を感じさせる不思議な魅力に満ちていた。
暗いマントの観光客で賑わいを見せる中、弟とはぐれないようにくっつき、二時間ほどかけて回る。
入り口で手にした冊子によると、この城に眠るかの吸血王ガレクシスは、晩年になり異人種の娘と恋に落ち、その後臣下の聞く耳を持たず、人が変わったように圧政を繰り返したという。
結果的に反抗した領主らとの決闘の際、強大な力によって封印されたという過去がある、少々いわくつきの土地らしい。
まぁどこの世界でも、男が恋に狂わされるという話はよくある事なのだと実感する。
城内では吸血族の同胞などをもてなした大広間や、貴人の部屋などを観覧した。どこもかしこも、美術館なみに貴重な絵画や骨董品などが飾られている。
途中クレッドと一緒に、天の庭に特設されたカフェや土産物屋にも寄り、俺は吸血城見学を満喫していた。
「あ、この階段の上、とうとう例の13階だぞ。何があんだろ〜」
「おい兄貴、危ないからあんまり走んないでーー」
弟の声を後ろに感じながら、俺はつい逸る気持ちに押され、一段抜かしで駆け上がった。
飛び出た先は階下と同じ、古びた石畳の廊下だ。しかしなぜか外の様子が分かる窓がなく、石壁に覆われている。
人の気配も途端に少なくなり、妙にざわつきを覚えた。
それでも好奇心から歩みを進めると、全身真っ黒な制服姿の男を発見した。
……警備の人か?
鞘に入った剣を携え、大きな金色の両扉の近くで佇んでいる。
ここに絶対何かあるはずだと、俺はそろそろと近づいた。
「あのーちょっとすみません。この怪しげな扉って、一般人入れませんよねえ?」
馴れ馴れしい問いかけに振り向いた男の顔を見て、一瞬息を飲む。
今日会った写真屋の店主と同様に透けるような肌をした、かなりの美貌の持ち主だ。
白に近い金髪をなびかせたその男は、軟派的な笑みをにこりと浮かべた。
「確かに一般人は入れないが。……君、人間か? 美味しそうな匂いだ」
「はい…?」
なんだ、明らかに普通の会話の始まりじゃない。
俺は思わず警戒心を全身に放つ。
「ふふ。そう怯えた目をしないで。俺はこの街の自衛団のものなんだが、今日はここで警備をしているんだ」
「……あっ、なるほどー。それはどうもお疲れさまです」
やべえ。俺の危機感がものすごいスピードで目覚め始める。
なんかこの人、雰囲気があの美形の騎士に似てる。もしや異世界の片割れか?
というかさっきまで近くにいた弟の姿がない。
はぐれてしまったのだろうか。
辺りを横目で確認し、あれ、こんなに薄暗かったか?と不安が襲い来る。
「ええとすみません。やっぱいいっす。忘れてくださーー」
「ちょっと待ってくれ。よかったら俺に一杯くれないかな」
後ろを向き歩き出したはずなのに、瞬きをする合間に男が目の前にいた。
不穏な言葉にも混乱する。
「へ? なに言ってんだあんた」
「君、吸血ヴァージンだろう? 久々なんだ、若い男の血は……」
そう言って俺の手を取り、そのまま甲に口付けようとした。
同時に形の良い口元から、長い牙が光った。
「ぎゃーっ!!」
素早く手を振りほどき、一目散に走り出したら、どんっと大きな胸板にぶつかった。
すかさず伸びてきた腕に抱き留められる。
「兄貴、急にどこに消えたのかと思ったぞ。どうした、大丈夫ーー」
「クレッド!!」
ちょっと離れていただけなのに、安堵の思いが吹き出し、夢中で抱きついた。
その時、後ろから笑い混じりのため息が聞こえた。
「なんだ。一人じゃなかったのか。残念だ」
俺を胸に抱いたまま、弟の険しい視線が、制服姿の男に当てられる。
「私の連れに何か?」
「……いいや。ちょっとからかっただけさ。……そうだ。君のお相手はこの部屋に興味があるようだよ。よかったら、二人で見学してみては?」
いや、絶対に怪しい。
この優雅な薄ら笑いには、なんらかの裏があると俺の経験則が告げている。探りを入れなければ。
「あのー、つかぬことをお伺いしますが、その白い肌にさっきの牙……あなた吸血鬼ですよね。やっぱ吸血城だから、そういう人多いんですか?」
「ん? 俺だけじゃないよ。この街の八割は吸血族だ。俺達には猛毒ともいえる光を楽しめる土地だから、観光客も移住者も多くいるんだよ。……ほら、自分で言うのもなんだが、美しく長身の者が目立つだろう?」
ぶるっと寒気がした。
おい全然気がつかなかったぞ。まじでこの紋章がなけりゃ、俺たち今ごろ血を吸われてたかもしれん。
驚いた様子のクレッドが、見つめてくる蒼い瞳を動揺に揺らめかせていた。
「大丈夫か? 兄貴。……すまない、俺もその事実は知らなかった。アルメアのやつ、なぜ言わなかったんだ…?」
「ーーふふ、安心してくれ。君らの加護を注意深く感じとれば、本気で手を出そうなんて奴はいないと思うよ」
そう言われても、人間をからかうのはやはり面白い、などと笑みを浮かべる魔族にどうにも反抗心が芽生える。
だがここまで来たからには、びびって逃げるわけにもいかない。
この秘密の間に何があるのか、無性に知りたくなってきた。
「なぁクレッド。あの扉の中、ちょっとだけ見てみてもいい? 駄目?」
「……でも、これ罠じゃないのか? 危ない空間だったらどうする、兄貴」
「加護もあるし大丈夫だよ、やばかったらすぐ出るから」
見たところおかしな結界もないし、何より俺の勘が妙に疼き出している。
子供のようにせがむと、こいつも旅行中とあって普段より俺に甘いのか、慎重に頭を頷けてくれた。
◆
自衛団の男に促され、金枠の分厚い扉を潜り抜ける。
緊張したが、入り口付近は他の城内の部屋と同じく、美術品が並ぶ壮麗な造りで、とくに異変はない。
「俺のそばを離れないで。兄貴」
「ん、分かった」
弟にしっかりと手を繋がれ、用心しながら進んだ先は、一段と豪華な住居空間だった。
濃青と黒を基調とした壁紙に、オレンジ色の蝋燭がまばらに灯り、室内がいっそう幻想的に映る。
まるで当時のままに思える整然とした居間や客間の他にも、持ち主の書斎室などがあった。
やけに薄暗く感じたが、窓から見える小庭も手入れが行き届いている。
「なんだぁ。なんかただの偉い人の部屋じゃん。期待して損したわ〜」
「うん。とくに邪悪な気配も感じないな……何も問題ないのか…?」
若干拍子抜けした俺は、軽い気分で寝室に入った。
赤いカーテンが下りた部屋の真ん中に、黒い薔薇が散らばる大きな寝台がある。
その真上の壁には、年代物の絵画が飾られていた。
長い黒髪の紳士の肖像だ。赤い瞳が印象的で、絵なのに今にも動き出しそうな現実味が漂っている。
寝台の裏にもうひとつの扉を見つけ、おもむろに開けてみた。
なんとそこには、巨大な棺桶があった。いわゆる吸血鬼の寝床だ。
「おいクレッド! すげーぞこれ、本物みたい! こんなに間近で見ちゃっていいのかなぁっ」
お宝発見とばかりに興奮状態ではしゃぐと、弟が「兄貴、あんまり近寄るな」と言って駆け寄ってきた。
だがその時。
棺桶の近くに下ろしていた俺の手に、ひんやりと冷気のようなものがかかった。
不思議に思い眺めると、頭にずきっと痛みが走る。
『……ああ、ようやく私のもとに……帰って来てくれたのか……我が花嫁よ』
耳の奥で、変な声が聞こえた。
「クレッド? いまお前なんか言った?」
「…ん? 何が?」
弟と視線を交わし、首を捻る。
しかしその瞬間、棺桶が妙な物音を立てて揺れ始めた。
とっさに異変を察知し、飛び退いた俺の体を、険しい表情のクレッドがすぐに抱き寄せようとする。
だが、間に合わなかった。
二人の間を裂くように、バチバチと魔力がほとばしる防壁のようなものが現れ、辺りが一面真っ暗闇に陥った。
え?
なにこれ?
冗談だろ、ここお化け屋敷だったのかーー
「クレッド! どこっ? おい見えねえよ!」
「兄貴! どこにいる!? 俺はここだ!」
近くから声がするが、弟の姿はない。
背筋に冷たい気配が襲った。そして、背後から体を何かに抱かれた。
「ん……っ! や、やめ、離せッ」
「ああ、私の愛しい花嫁……やっと手に入れたぞ、もう二度と離すまいーー」
肩にぱさりと艶やかな黒髪が触れ、全身が氷のように冷えていく。
ゆっくりと顔を向けると、なぜか俺の頬を、愛しげになぞる男がいた。
それは肖像画の紳士と同じ容貌をしていた。
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