ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 103 写真屋さん

二日目の朝、魔界を周遊するサン・レフィアス号は、最初の寄港地である「ルラ・パルセ」に着岸した。

ここは別名"光の街"とも呼ばれ、普段どんよりした曇り空か紫がかった空、あるいは真っ暗闇しか存在しない魔界において、特殊結界内の擬似的な日光が楽しめるという、ちょっと変わった観光地らしい。

船から持ってきたガイドブックをふんふん読みながら、俺は弟とともに街歩きをしていた。

周囲の人々を横目で追うと、男女とも皆眉目秀麗な長身で、青白い肌に黒色のマントを羽織った者が多い。 

やはり人間ということはバレているようで、時折不思議な視線を感じることもあるが、加護の力が効いているのか、船内から出た瞬間に魔族に襲われるといったこともなく、少しほっとした。

「なるほどねぇ。魔族の人もなんだかんだ言って、たまには日光浴したいとか思っちゃってんだなぁ。そりゃ年中闇に包まれてりゃそういう人がいてもおかしくないよな。急に親近感わいてきたわ」
「そうだな。ここは魔界の中でも穴場的な場所なんだけど、治安はむしろ悪くないんだって。都会的だし、ちゃんと自衛団もいるみたいだ」

黒色の馬車が行き交う道の前で、信号を待っている途中。
下調べをしてきてくれたクレッドが、真面目な顔で説明している。

それにしてはこいつ、外套に長剣を携えた、しっかり軽装備をまとってるんだが。
俺も弟の言うがまま、一応魔導師らしく淡色のローブを羽織ってるし。

念には念をということなんだろうが、なんかデートというより、任務を思い出すな…。

「なぁ兄貴。観光の前に、その……あのお店行ってもいいか?」
「へ? ……ああ、もしかして写真屋さんか?」
「うん。だって旅行中も、いっぱい兄貴の写真撮りたいから」

照れくさそうに言う弟を見て、俺は即座にノックダウンされてしまう。

いや、やっぱデートだこれは。
そうだ一見人間界と変わらぬ街並みに見えるけど、ここは魔界で、今俺たちはハネムーン中なのだ。

「お、俺だってお前の撮りたいけど……つうかちゃんと場所覚えてんのかよ?」
「もちろん。ちゃんと聞いたし、もう準備万端だよ。じゃあ行こっか、兄貴」

にこりと手を繋がれ、意気揚々とした面持ちの弟に連れられる。
こいつ、わくわくしすぎだろ。
子供みたいだなぁと思いつつ、俺も足取りがやけに軽くなっていた。

 

・・・


魔術的な光が降り注いでいるとはいえ、魔界の街並みは黒か灰色の建物がメインで、物々しく重厚な雰囲気に満ちている。
大通り沿いに歩き角を曲がると、くすんだ煉瓦造りの小さな建物を発見した。

看板にはおしゃれな字体で「写真屋・エルダン」と書かれており、入り口の木扉のそばには、番犬のつもりなのか見たこともない黒色の角獣が寝そべっていた。

若干ビビりながら入った店内は薄暗く、一面黒張りの壁に、大小様々な額縁入りの写真が飾られている。

カウンターそばに黒ローブをまとった男を発見した。俺たちに気づくなり、長い銀髪をさらっと揺らして振り返る。
しかし、その青白い肌に、氷のような表情の麗しい顔立ちを見て、俺の腰ががくん、と落ちる。

やべ……写真屋の店員ですらこれほど美形なのか。どうなってんだ魔族の血って……などと思いながら挙動不審に陥る。

男は怪しく口元を上げ、冷笑を浮かべた。

「珍しいな、人間とは……こんなところで何をしているのだ?」
「……えっ。いや、普通に買い物ですけど。ななな何かまずいですかね」
「ーー失礼。実は今、二人で旅行中なんですが、写真の現像をお願いしたくて来たんです」

隣にいたクレッドが冷静な声音を発し、俺の肩を抱いた。
背丈の変わらないローブ姿の男の瞳が、瞬時に弟に注がれ、値踏みするように眺められる。

「なるほど、人間が二人きりで……どなたの奴隷だろうか? 自由に出歩き、五体満足な様子を見ると、高位魔族の僕に違いないーー」

独り言のように囁かれる文言には、嘲笑は含まれていない。
だがその異質さに、俺たちはすぐに顔を見合わせた。

奴隷に、僕だと。
豪華客船のVIPルームでは意識しないで済んだ現実が、襲いかかってくる。

殺気を抑えつつも、ゆっくり長剣に意識を向けるクレッドの手を、俺はさりげなく握った。
すると見つめ合った弟の蒼目から、だんだんと険しさが薄れていく。

「奴隷ではない。魔族の友人から加護を得たことは事実だが、我々は今、ハネムーン中なんだ。八日間の日程で魔界クルーズをしている」

お、おいおい。こいつまたその禁断のワードを使いやがった。
聞くたびに気恥ずかしい俺の身にもなってくれよ。

「……ああ。あの船の乗客なのか。それは失礼した。身元は確かのようだ」

男は一瞬色素の薄い瞳を細めたが、一転して態度を軟化させたかに見えた。
つうか男同士で新婚旅行をしているという事実について、この世界の人は誰一人突っ込んでこないんだが。おかしいだろ。

「写真の現像であったな。いいだろう、して差し上げよう」

こっちが客なのに上から目線なのが気になったが、俺はこそこそと鞄から魔法石の欠片を取り出した。
しかし店主に受け渡した瞬間、奴が大きく目を見張った。

「その紋章は……まさか……!」
「はっ?」

男にがしっと手首を掴まれ、まじまじと手のひらの加護の印を見られた。
長い指で双翼をなぞられ身震いしたところに、クレッドの怒声が降ってくる。

「おい貴様、なに勝手に俺の兄貴の手に触ってるんだ!」
「……なんということだ、いや……貴殿の手のひらにも同じものが……あるな」

打って変わって動揺した店主が、弟の紋章も同様に凝視している。
その光景を見た俺は、沸々と腹の底にたぎるものを感じ始めた。

「はっはっは! そうだ恐れいったか! 俺たちはなぁ、かの有名なアルメアの血族と深い繋がりがあるダチなんだよ! おら頭が高いぞっっ」

バン!と印を見せつけ、最初からこうすりゃよかったんだ、と人間のプライドも何もなく高らかに言い放った。

「……ふむ。アルメア殿という方は正直存じ上げないが、その黒翼の紋章と署名は紛れもなく、ヴェルガロン公爵家のものだ。これまでの無礼をお許し願いたい」

なんと店主は胸に軽く手を添え、頭を垂れてきた。
同時にクレッドの短いため息が吐かれる。

「ずいぶん下手に出るんだな。それほどまでに紋章の効力があるとは」
「……魔族は地上にいる人間の比ではなく、厳格な階級制に従属しているのだ。安心するといい。それさえあれば貴殿らは魔界においても、怖いものなしだろう」

初めてにやりと笑った男に若干の怖気が走る。
だがなんとか俺たちは、こうして写真屋の店主に依頼をすることが出来たのだった。

ああ怖かった。
ちょっとした用事でもこの緊張感……もういちいちビビらせんじゃねえよ。



しばらくして、俺と弟は無事に現像された写真を手にした。
だがクレッドの様子は、明らかにおかしくなっていた。

「う、うわ……兄貴かわいすぎ……実物もかわいいが、写真でもこんなに……こんな素晴らしいものがあったのか。……俺やばい、たくさん撮りまくっちゃうかも。旅でも、家に帰ってからも」

恍惚とした表情でなんかぶつぶつ言っている。
やばい。もしやこいつの新しい趣味が見つかったんじゃ…。

恐れながら俺もじっくり写真を眺めてみる。
自分を客観視すると、どうしても欠点ばかりが目に映るが、それ以上に隣にいる弟の姿に、魅入ってしまった。

「はあ……お前やっぱかっけーな。見てみろよこの笑顔、マジ最高だぞ。……なぁこの写真俺がもらってもいい?」
「……えっ。も、もちろんいいよ。じゃあこれとこれ、俺にくれる?」

気がつくと俺たちは、互いに気に入ったものを選び合っていた。
もう恥も外聞もないと開き直る中、クレッドが男に向き直った。

「よし、じゃあ早速買おう兄貴。ーー店主。実はもうひとつ頼みがあるんだ。この店で最も高品質な写真装置なる、魔法石を購入したいんだが」

弟の要望に男はとくに驚く様子もなく、涼しげな顔つきで頷いた。

「いいだろう。ちょうど先日、最高画質と発色が備わった逸品を仕入れたところでな。値段はそれなりにするが構わないか?」
「無論だ。持ってきてくれ」

カウンター上の商品を前に、二人があーだこーだ専門的なことを述べながら、話を進めている。
普段買い物や品物に、大きな関心を示さない弟の珍しい姿に、俺も内心驚いていた。

「あのーすみません。そういやこれ、人間界に帰ってからも使えるんすか?」
「ああ。それは問題ない。見たところ貴殿らは豊富な魔力を内包しているようだ。こちらの呪文を唱えれば、撮ることは出来る。ただし、現像は今回と同じく、魔界でしか出来ないが」

店主の言葉に唖然となる。
考えてみれば当たり前なのだが、それは盲点だった。

「え? どうすんだよ、じゃ無理じゃねえか」
「大丈夫だ兄貴。アルメアに頼めばいい」
「はぁ? やだよそんなの、恥ずかしい写真見られちゃうだろ!」
「……ちょ、兄貴、そんな恥ずかしいの撮るつもりなのか…?」
「ちげーよ! 何勘違いしてんだお前! 普通のでも十分はずいだろっ」

こいつは一体なにを考えているんだ?

俺をなだめながら、結局クレッドは魔法石の購入を決めた。
緑の四角い魔法石が高級そうな箱に包まれ、店主から渡される。セットとなる現像用の欠片も、サービスということで多めにもらった。

「ではまたのお越しを。ヴェルガロン公爵家の方々にもよろしくお伝え頂きたい」
「あーはい。色々どうも、お世話になりました〜。知り合いにこの店勧めときますんで」

調子よくとっとと店を出ようとすると、黒ローブの男に呼び止められた。

「そういえば、貴殿らはハネムーン中といったな。これからの予定は決まっているのか?」
「……え? なんだっけ、クレッド。確か今日は……近くの古城に行くんだよな」
「ああ。かの有名な吸血王が眠るところらしいが」
「マジで!? すげー! そういうの俺大好き、早く行こうぜ!」

一気にテンションが上がった俺は弟を急かす。
しかし店主の透き通った瞳が、不気味な笑みを形作り、キラリと光を放った。

「吸血城か。それはいい。この街へ来たなら、ぜひ訪れるべき場だ。……貴殿らにひとつ良いことを教えて差し上げよう。13階へ行くといい。きっと二人の旅に、特別なスパイスをもたらしてくれるだろう」

俺と弟は、店主から思わぬ情報を受け取り、再び顔を見合わせた。

そこに刺激的な何かが存在するのだろうか?
明らかに怪しさ満点だが、魔導師の悪い癖なのか、少し気になる。

とりあえず礼を言った俺は、弟にしっかり手を繋がれ、ようやく店を後にした。



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