▼ 101 二人の初めて
俺達が案内された船室は、最上階デッキにある海側の、華やかなスイートルームだった。
アンティーク調の家具はすべて純白で統一され、ふわふわのラグも気持ちいいし、間接照明の淡い光が安らぎの空間を演出している。
テーブル上の見たこともない、白く発光する薔薇の香りをくんくん嗅ぎながら、俺は半分陶酔気分になっていた。
「わぁ〜魔界なのにこんな天国みたいな部屋に泊まっちゃっていいのかなぁ。お前、やるなクレッド!」
「もちろん、兄貴が気に入りそうな優しい部屋にしたよ。ほら、こっちの部屋も見てみて」
手を引かれて向かった先は、隣接する寝室だった。
敷き詰められた赤絨毯の中央には、レースのカーテンに包まれた、キングサイズのベッドが据えられている。
何やらぼわっと熱くなるのを堪えて、「すごいすごい」と称賛した。
男二人で泊まるには些かロマンチックすぎにも感じたが、寄り添うクレッドの微笑みを見ていると、もうなんでも許されるだろうと、段々俺も覚悟が決まってくる。
「兄貴。外にも出てみないか? ここから眺めが一望出来るよ」
「お、バルコニー? 行く行く! ……すげっ、マジで綺麗だ、魔界の海……。鮮やかで透き通ってて……なんか、お前の目の色みたいじゃね?」
俺が奴の顔を覗きこんで告げると、その蒼い瞳がぐっと見開かれた。
「……えっ。そうか? 面白いこと言うな、兄貴って」
「はは。つーかなんでもお前に繋げちゃうのかも。癖みたいなもんで」
俺も浮かれすぎかな、とごまかして頭を掻くが、クレッドはさらに頬を赤らめて恥ずかしそうにしていた。
こいつ可愛い……とかそんなことを思いながら、広いバルコニーで限りなく続く青い海を眺め、俺はこれからの航海に思いを馳せていた。
ちょうど船の汽笛が鳴り響き、まるで二人の船出を祝福しているかのようだと、勝手に夢想してしまう。
「おおー、動き出した。俺たちほんとに出発するんだな、もう何があっても後戻り出来ねえぞっ」
「そうだな。……ちょっと不安? 兄貴」
「いや全然。二人だから大丈夫。お前がいるなら、俺はどんなとこでもついてくし」
大袈裟に、だがさりげなく決意を述べると、隣の弟が俺の肩をぎゅっと抱いてきた。
どきどきしながら、俺は地平線を見つめている。
しかしやがてクレッドの顔が近づいてきて、唇を優しく重ねられた。
「……俺も、兄貴が居るなら、どんな場所にだって行く。俺たちは、永遠に一緒だよ」
照れたみたいに、はにかんだ弟の表情が胸に突き刺さる。
この光景、なんて幸せなんだ。
もうすでに、忘れられない思い出の場面が作られようとしている。
初日から目が回ってしかたがない。
「俺も好き……!!」
「うわっ!」
会話になってないが、自分の気持ちを表明し、どさくさに紛れて奴の胸板にしがみついた。
クレッドは俺を当たり前に受け入れ、きつく腕の中に閉じ込めてくれたのだった。
・・・
しょっぱなからイチャついていた俺達だったが、その後、さっそく二人で船内を探索してみようということになった。
部屋を出て、廊下の突き当たりにある「艦内転移装置」なる小さな箱のような個室を見つけ、内部で黒い魔法石をかざす。
こうして船内を自由に行き来できるらしく、さすが魔界の技術は進んでるなぁと感心した。
サン・レフィアス号のパンフレットを手に、弟とともに艦内をうろつく。
情報によると、この船はまるでそれ自体がひとつの街の様に存在してるらしい。
吹き抜けのショッピング街や魔界の五ツ星レストラン、他にもプール&スパ、カジノ、ショーを行うステージなど、客を飽きさせない娯楽がつまっている。
船の中とは思えない、街並みが再現された遊歩道を歩いていると、ようやく他の乗船客である魔族に遭遇し始めた。
美女をはべらす成金ぽいオークや、ひときわ長身が目立つダークエルフの男達。
男女問わずカップルが多く、この船は大人向けのクルーズのように感じた。
そんな中、筋骨隆々の獣人の集団に目が釘付けになった。
異国の民族衣装らしきものに身を包んだ獣頭人身の者達が、五、六人で立ち話をしている。
「うわ、かっけー! やっぱ本場はちげえなぁ、人間界ではめったにお目にかかれねえぞっ」
ミーハーな俺は遠くから眺めつつ、完全に人目を忘れはしゃいでいた。
多種族に失礼なのは承知だが、魔術師とはそういう邪な目線を持つもんなのだと内心開き直る。
「兄貴、ああいうのがタイプなのか? ……へえ。知らなかった」
和やかだった空気が一転し、弟の鋭い視線に捕らえられる。なんか勘違いされそうだと焦った俺は、必死に頭を横に振った。
「えっ。いや違う違う。ただのファン心理だからこれ。おとぎ話に迷い込んだ凡人的なアレのねーー」
しかし何気なく窮地に陥ってる中、俺が遠巻きに眺めていた虎獣人の一人が、なんとこちらに近づいてきた。
硬派で凛々しい顔立ちが、神々しい毛並みをまとい、獣らしい筋肉質な歩き姿にぽーっと見とれてしまう。
一方で、やべえきゃーきゃー言ってたのがバレて取って食われると、すぐに我に返った。
たがその人物からは、意外な声をかけられた。
「あの、すみません。とって頂けますか」
「は? な、何をですか。ごめんなさい金なら今手元にあんまりなくてですね」
虎獣人が、はっはっはっ!と牙を見せて笑う。
「写真です。家族で旅行中なんですよ。よろしければ何枚か撮って頂きたいんですが。よかったら僕もお二人の撮りますから」
そう言って、見たこともない緑の四角い魔法石を渡される。
なんだこれは。こんな手のひらサイズの小さな石で、写真が撮れるのか?
慌てて使い方を聞くと、被写体を正面に捉え、かざした手の中に握り呪文を詠唱するのだと教えられた。
す、すごい。
人の技術によって作られた写真機そのものは存在するが、ものすごく高価で稀少なため、普通は手に入らない。
こんな魔術を使った装置なんて、人間界にはないのだ。
「はい皆さん寄ってくださいね、いきますよ〜。……えいっ」
隣に立つクレッドに見守られ、何枚か撮ると、嬉しそうな獣人達がわらわらと集まってきた。
巨体に取り囲まれひびってしまう。
それから約束通り、なんと俺たちも同じように船の記念碑近くで写真を撮ってもらえた。
笑顔で寄り添うクレッドに腰を抱かれて、獣人達に真剣な顔で見つめられて、どんな表情を作ればいいのか分からない。
嬉しいけどすっげえ恥ずかしくて、変な顔になってしまったかもしれない。
「は、恥ずかしい。あの人撮りすぎだろ。もう五枚目だぞ」
「いいんじゃないか、せっかく撮ってもらえるんだし。……なあ兄貴、ちょっとキスしてもいい?」
「……はっ?」
突然頬に唇が触れた。びっくりして目を見開いた瞬間を、たぶん撮られてしまった。
様子を見ていた彼らの歓声で気がつく。
こいつはバカか。やっぱ浮かれすぎだ。
っていうか俺たちは男同士なのに、そこは全く問題ないのか?
もう穴に入りたい。耐性がない俺はすでにふらついていた。
写真の現像はすぐには出来ないらしく、俺たちは獣人の男性から、装置のセットとなる魔法石の欠片をもらった。
なんだかよく分からないが、これを持って専門のお店に行けば、出来上がった写真が手に入るらしい。
俺と同じく、弟も感謝の面持ちで礼を述べている。
「ありがとうございます。初めての経験だったので、とても嬉しいです。……ちょっとお聞きしたいんですが、その魔法石は、魔界では一般的に手に入るものなんですか?」
「はい。多少値は張りますが、どなたでも購入出来ますよ。街の専門店に行ってみたらいかがですか。名前をお教えしましょうか」
それを聞いた弟は、さらに顔を輝かせた。
あっこいつ、ぜってー買おうとしてんな。すぐ分かるぞ。
俺たちは再び礼を言い、彼らと別れた。
「いい人達だったな。写真まで撮ってもらっちゃって」
「うん。兄貴、明日絶対あの魔法石買おうな。俺、いっぱい二人の写真撮りたい…!」
子供のような表情は、今回常に気合いが入ってる奴にしては、なんだか珍しい。
いかにも弟って感じがして、俺にはすごく可愛く映るが。
「はいはい。分かったよ。じゃあそうしよう」
「ん? なんか俺ほどテンション上がってないな、嬉しくない? 二人でとるの」
「いや嬉しいよ。でも俺たぶん変な顔してるし。写り悪いもん絶対」
「そんなわけない、かわいいに決まってる。俺の兄貴だぞ」
クレッドが胸を張って答える。
おいあんま期待しないでくれ。こんなの初めてだから、妙にどきどきするのだ。
まぁこいつが気に入ったんなら、俺も良かったなって思うけど。
こうして予期せぬ物質との出会いを果たした俺たちだったが、なんかこれ旅行で大活躍しそうだな…という恐れが、密かに自分の中で湧いてくるのだった。
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