▼ 94 媚薬の行方
「媚薬って……なんだ、あいつに、キイラにやられたのか……!?」
「違う、落ち着けクレッド。参謀のヘーゲルだ、さっき薬をよこしてきて……ちょびっとだけ砕いて、飲んだ」
俺の両腕を掴んで問いただす弟に、正直に告げる。
すると奴は言葉を失い、衝撃と怒りに身を震わせた。
「ちょびっとって……まさか自分で飲んだのか? その薬はどこだ!!」
顔面蒼白のクレッドが立ち上がり、完全に我を失っている。
熱に浮かされ、じんじんする俺が書斎机の引き出しを指し示すと、奴は乱暴にその中を探り、薬を包んだ布を見つけ出した。
「……なんでこんなもの飲んだんだ、馬鹿じゃないのか兄貴! 毒物だったらどうする気だッ!」
驚くべき事に、怒鳴りながら迫ってくる弟の蒼い瞳は潤んでいた。
えっ……どうしよう、想像よりもこいつを動揺させてしまっている。
途端に自分の愚かさを痛感し、俺はふらつく足で奴のもとに近づいた。
「ごめん、ほんと馬鹿だ俺。あいつも目の前で同じもんを飲んだから、つい中身を調べたくなって……任務に関わることかもって、思って」
それ以上に己の探求心が勝ったのだが、チキンな俺は口をつぐんだ。
弁解しながらクレッドの腕に掴まり、はぁはぁ言って見上げる。
見つめ合う弟はつらそうに眉を寄せた後、俺のことを力強く抱きしめた。
柔らかい金髪が頬にさわり、敏感に震えてしまう。
「駄目だよ、兄貴……いつも危ないことばっかりして……お願いだから、一人でそんなこと、しないでくれ……」
「分かった、もうしないから…」
「……本当に? 約束できる?」
「う、うん。するよ」
今俺は、媚薬に侵されている。
だからこんな風に、愛する弟の腕に抱かれているだけで正直、頭の中が口には出来ない妄想に満たされていく。
すると、まだ混乱を隠せないクレッドの瞳が、急に殺意を秘めたごとく、険しいものとなった。
「参謀の、男だな……俺の兄貴に……許せん」
ぎりりと奥歯を噛み締め、凄い形相で呟いた弟は、俺を体から離した。そのまま踵を返し、扉を目指そうとする。
「へ? ちょ、おい、クレッド。どこ行くんだ」
「あいつを尋問する。兄貴はここで待っていろ」
剣に手を添え、冷たい声音で命じられるが、俺はとっさに奴の背中に抱きついた。
ビクッと停止した弟を捕まえたまま、離す気はないことを教える。
「待てよ、一人にすんな……行かないで」
藁にもすがる思いで告げる。
薬のせいだろうが、いつもの比じゃなく、心細さとクレッドへの執着が治まらない。
弟が俺の腕をぎゅっと上から握った。
「でも、兄貴……こんな危険な真似を……」
「……大丈夫だ、クレッド。少ししたら、良くなるから。……それに、あいつだって同じものを飲んだはずーー」
考えても意味不明だが、確かにそうだ。俺に勧める為、単に体を張ったのか、なんなのか。
あんな量を服用して、今どうなっちゃってるんだと恐ろしい想像をやめようとする。
「だが、同じものとは言いきれないぞ。……兄貴、これは罠だ。団長つきの従騎士を利用し、誘惑させ、俺を陥れようとしているんだろう」
振り向いたクレッドが苦い声で吐き出す。
俺もすでに自分のおかしな状況から、確信はしていたが。
「ああ、たぶんな…。その場を押さえるつもりなのかもしれない。弱味を握るとか、くだらない目的だろうが。……でも、ヴェスキアはそんな風に見えなかったけど…」
あの巨体の団長は、むしろ変な風に俺たちを見守ってる系の顔つきに見えたのだ。
弟はさらに眉間に皺をよせた。
「参謀が独断でやった可能性もあるが、あの団長の指示ならば、奴はとんだ大嘘つきだ」
クレッドの苛立ちが止まらず、俺は胸のざわつきを抑えようとする。
どちらにせよ、まさか媚薬だとは思わなかったが、まんまと思惑に乗るわけにはいかない。だって任務中だし。
「とにかく、朝一で奴らを尋問する。逆に考えれば、目的が分かった以上、朝までは猶予があるということだ。……それに、もちろん兄貴のことが心配だ。……悪かった、頭に血が上って……一人にはしないよ。俺がそばにいるから」
切々と告げられるうちに、弟の殺気がだんだん静まっていくのを感じた。
「ううん、ありがとう。ごめん俺のせいで」
「違うよ、俺の責任だ。……つらいだろう? 横になったほうがいい」
優しく背を抱かれ、ベッドに座るよう促される。
弟は俺に目を配りながら、荷物をあさり、着替えを取り出した。
ぼうっとした俺は、青い制服を脱ぎ、あらわになった筋肉質な背中に見とれる。
引き締まった腰と、下着からのぞく鍛えられた太ももに、長い手足。
ああ……格好いい。こいつを見てると、ゾクゾクする……。
って俺は、すぐ卑猥な方向に走り出しそうになってーーだめだ、考えないようにしないと。
「お、俺、先に寝る。明かり消しといて、クレッド」
「え?」
不自然に布団をくるみ、背中を向けてさっさと就寝しようとした。
今の自分はまずい。色々悟られたくない。
一瞬室内がしん、となる。
部屋の隅に一度消えた弟が帰ってきて、暗がりの中、窓からの少ない明かりだけが灯っていた。
ベッドが短く軋んだ。
しかし、なぜか少し離れたもう片方のではなく、俺のいるところだ。
びっくりして寝返りを打つと、そばに腰を下ろした弟に、見下ろされていた。
「何してんだお前……」
「それはこっちの台詞だ。同じ部屋なのに、俺が兄貴と別々に寝ると思うか?」
不満げな声が落ちてくる。
さっきまでの団長モードは終わったらしい。こっちのほうが、なぜか俺はドキドキしてしまう。
「でも……俺、いまお前とくっついちゃ駄目だから…」
「誰が決めたんだそんなこと。俺はくっつくぞ」
開き直りながら強引に布団に入ってくる。
いつもより狭いベッドだから、余計に近くに感じて、まずい。
しかもこいつ、平気で俺を抱き締めてくるし。
「おいっ、これ罠なんだぞ、今任務中なんだぞ、団長!」
「……え。そういうプレイがしたいのか? 俺は全然良いけど……でも困ったな、兄貴って呼びたい」
ちょっと、頭平気か俺の弟。ふざけてんのか?
こっちが必死に耐えてるというのに。
「馬鹿か、んなことしてる余裕ねえ! ていうかマジでちょっと離れろって、もうっ」
「兄貴、声落として。……この部屋の周りは空室で、人の気配もないけど、大声はよくない」
体を起こして、急に真面目に伝えられる。
確かに都合よく、騎士団内の中央からかなり遠い場所に、案内された気がする。
けれど、早く離れてほしい。
普段なら絶対思わない文句をもう一度言おうとすると、クレッドの指先がそろりと俺の唇に触れた。
「む……」
軽く口を押さえられ言葉を遮られるが、少し触られた箇所から、熱がじんわり伝わる。
「……しっ。静かに、兄貴」
弟の低い声が、やけに色っぽい。
だめだ。
不埒な想像ばかり、してしまう。
このまま口を少し開けて、舌をちょろっと出して、やらしく舐めとって……長い指をくわえたらーー
気持ちいいかも。
「んぅ……っ……ふ、……む」
気がつくと俺は、ふと考えたことを実行していた。
体が勝手に、とまらない。
俺のせいじゃない。
言い訳とともに弟を見上げると、奴は黙ったまま、少し息づかいを荒くして、その行為を見つめていた。
「兄貴……何してるの? なぁ……そんな、やらしいことしちゃ駄目だよ」
咎めているのに、興奮した面持ちで俺の好きにさせている。
でもこいつの言う通り、早くやめないと。
これは罠なんだ。
万が一こんなとこ誰かに見られたら、終わる。
「はぁ……はぁ……だって、止まんない。どうしよう、クレッド……」
情けなく呟いた俺は、クレッドの手をゆっくり、自分の服の上に滑らせた。
そうして腹の辺りにもっていき、裾の下に潜り込ませ、素肌へと導いていく。
弟の手のひらが直に熱を与えてきて、俺はさらに我慢できなくなってしまう。
「……俺を誘ってるのか? 兄貴」
ごくりと喉を鳴らし、奴が分かりきったことを聞いてくる。
「そうだよ……だめ? ちょっとでいいから触って、お願い……クレッド」
気怠い熱に支配された俺が頼むと、弟は一瞬困った顔をした。
でも俺はすでにスイッチが入ってしまったかのように、考え始めていた。
どうやってこの場で、あの手この手を使い、クレッドを自分のものにしようかとーー。
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