お兄ちゃんシリーズ | ナノ


▼ 似ている存在

学校からの帰り道、僕はいつものように定期券を使い、バスに乗った。
その日の乗客はまばらで、定位置の前のほうの座席にすぐ座る。

家まであと二駅、というところでバスがゆっくり停まった。運転手さんの「えー、すみませんが通行止めになっているので、ここから折り返します」という急なアナウンスに、僕はびっくり仰天する。

ええっ、そんなことってあるの?

そう思ったけれど、バスが走る道は車道が広い田舎道で、工事もわりと頻繁だ。
道は知っているし歩ける距離だから、僕はしかたなく降りることにした。

ブウゥゥン、と走り去るバスを見て、方向を変えようとした時。ジャケットを羽織った大人の男の人が少し離れたところに立っていた。
ワイルドな髭で、長めの金髪を後ろになでつけた、格好いい雰囲気のおじさんだ。

「ええと、ツイてないね、こんなところで降ろされちゃって」
「……はいっ、そうですね」

話しかけられて少し緊張しながらも、じろじろ見てしまった。
ポケットに両手をつっこんで苦笑する男の人に、どこか見覚えがあったのだ。

この人、なんとなく、似ている気がするーー。

「家、この近くなの? 人通り少ないけど大丈夫?」
「えっ? はい、大丈夫……だと思います」

聞かれた意味がよく分からなかったけど、道はまだ明るいしと、何回かうなずいた。
もしかして僕の背が低いから、年齢より子供に見えてるのかなって思ったりした。

歩き出すと、間隔を空けて、隣の男の人も歩き始める。リュックの紐を握りながら、ちらっと様子をうかがってみた。
背が高くて体つきがたくましい、まるでお兄ちゃんみたいな人だ。

「あのう、あなたもこの近くに住んでるんですか?」
「いや、違うよ。俺は、その……」

口ごもって速度が遅くなる男の人が気になって、僕も一緒に立ち止まった。
その人は金髪をくしゃくしゃかいて、視線をあちこちに向けた。そういう仕草が、やっぱり僕には心当たりがある。

「あのね、覚えてないと思うけど……これで、分かるかな?」

緑がすぐそばの歩道に、さあっと風が吹き抜ける。男の人が財布から一枚の写真を取り出して、僕は釘付けになった。

その写真には、四人が写っていた。母と僕ぐらいの年頃の兄と、まだ幼い僕。そして顔しか知らない父。
まったく同じものを、僕はお家で見たことがあったのだ。

「これって……」

どこかで会ったことがある気がしていたら、申し訳なさそうな顔をするこの男の人、少し年をとった父の顔だった。

うそ。お父さん、なの?

言葉がすぐに出なくて僕は固まってしまった。
想像で初めて会えたときのことをシミュレーションしたことがある。でもまさか、一人のときに叶うとは思わなかったのだ。

「……あっ、ごめんな。びっくりしたよな。こんないきなりで……怯えさせるつもりは、ほんとに、なかったんだけど……」
「う、ううん。大丈夫だよ。僕のほうこそ……ええっと、初めまして、ルカです」

すごく他人みたいな挨拶になってしまった。
でもどうしていいか分からなかった。僕は正直、ほとんど父の記憶がなかったから。

父は初めてくすっと口元を緩めた。

「うん、ルカ、だな。元気だったか?」
「僕は元気だよ。あの、お父さんは……あ! 頭の病気、治ったのっ?」
「え? 頭?」

気になる話題を振った途端、二人でまばたきをし合い、立ち止まる。

「あっ、あー……もう平気、だから。心配しなくて大丈夫」

なんだか悲しげに笑う様子が不思議だったけど、体が良くなったんだと知り、僕はかなり安心した。
二人で歩いていくと、やがて家の近くに着く。

「もう着いちゃったね。あの、一緒に来てくれてありがとう」
「……いや、俺もルカと話せてよかったよ。ありがとな」

父はしゃがんで、僕の頭をそっと撫でた。その手の大きさがなんだか懐かしくて、やっぱり兄に似ていると思った。

「ねえねえ、入らないの? まだ帰ってないと思うけど、お母さんとお兄ちゃんにも、会うでしょう?」

尋ねると、父はなぜか少しつらそうに顔を振って、僕を見た。

「それは、駄目なんだ。たぶん嫌だと思うから」
「えっ?」
「ルカ。俺と会ったこと秘密に出来る?」
「どうして?」
「ごめん」

あまりに元気がなさそうに見えたから、僕は「分かったよ」と父に約束した。
手を振ってバイバイした大きな背中まで、兄に重なって見えてしまい、なんとなく切ない気分になったのだった。




その日の夜、家の中では母も兄もいつも通りで、僕も表面的には普通だったけど、すでにもやもやが生まれていた。

ソファで携帯を見る兄の近くにぴったりとくっつき、考え事をする。
すると兄の茶色い瞳が、僕のことをじっと見た。

「どうしたー? ルカ。今日なんか静かじゃね?」
「そ、そんなことないよ。……あ、お兄ちゃん。そういえば帰りのバス、通行止めになっちゃってなかった?」

僕は父のことは伏せて帰り道のことについて尋ねた。

「そうだったのか。俺のときは普通だったから、早い時間だけ閉まってたのかもな。つうかルカ、歩いたの? 平気かよ、心配なんだけど」
「ううん、全然大丈夫。人も車もいっぱいいるし」
「ええ、本当か。最近委員の用あって、俺少し遅いんだよな。一緒に帰りたいんだけどさ」

真剣に考え始めてしまった兄に、必死に心配をかけないようにする。
どういうわけか、僕は父のことを頑張って隠していた。
そう言われたからというのもあるけど、父の言葉が引っ掛かってたからだ。

でも、お兄ちゃんに隠し事なんて、したことないな……。

考えていたら寂しくなり、大きな体に抱きつく。
今は母がお風呂に入ってるから、甘えても大丈夫だ。

「ねえねえ、お兄ちゃん。ほっぺにちゅうして」

兄は動きをとめて、目を見開かせた。
うっすら赤く染まった顔が、近寄ってくる。お願い通り頬にキスをもらって、僕は抱き締められた。

「どうしたのルカ、すっげえ可愛い」
「だって、してもらいたくなっちゃったんだもん」
「いいよ。……口にもしていい?」
「うん」

お兄ちゃん、黙っててごめんね。
思いながら僕は、しばらく兄の唇に捕まえられていた。





何日かして、僕はまたバスの中で父と出会った。
偶然じゃないっていうのは薄々気がついていたけど、会いたいって思ってもらえるのは嬉しくて、隣の座席に座ってお喋りしたりもした。

兄よりもっともっと年の離れた男の人だ。
一緒に暮らした記憶がないから、まだお父さんってどんな感じなのかは分からないでいたけれど。

父は自分のことも話してくれた。遠くの町に住んでいて、普段は会社勤めをしているらしい。でも今は長めの休暇が取れたから、僕の顔を見に来てくれたのだという。

工事の通行止めは兄が言っていた通り、僕がちょうど帰る時間帯で、しかもまだ二週間ぐらいは続くらしかった。
二つ前の駅で降りようとした時、いつもの運転手さんに話しかけられた。

「最近お兄さんと一緒じゃないんだね」

大きなハンドルに手をかけ、制服をきた男の人がちらっと隣の父を見た。
僕は思わず、「はい、僕のお父さんと一緒なんです!」と元気に答えてしまった。

父と同様、運転手さんも僕たちを交互に見て驚いていたものの、やがて納得してくれたみたいだった。

二人で無事にバスを降り、また父は家まで送ってくれた。
不思議な時間だ。なんとなく、母と兄にうしろめたい気分はなくせなかったけれど。

「ねえ、お父さん」
「んっ? なんだ?」

隣に話しかけると、父は嬉しそうに身を屈めた。僕が呼びかけると、こうやって喜ぶ顔をすることも知った。

「僕とお兄ちゃんってあんまり似てないなって思ってたけど、お父さんとお兄ちゃんはよく似てるね」
「……そうか? でも、確かにルカはお母さん似かもな。ダッジは、俺に似てるとか、嫌がりそうだけどな」

そう言って明るい金髪をかきあげる癖とか、凛々しい横顔とか、やっぱり似ている。
でも僕はまたその言葉に引っかかった。

「どうして嫌なのかな? ……お父さん、なにか悪いことしたの?」

恐る恐る尋ねてみると、父の歩みが止まる。その表情は明らかに曇り始めて、僕は心の中でこっそり慌てた。

「うん……悪いことしたんだ。二人のこと、いや……三人のこと傷つけた。ごめんな、ルカ……」

自分の手を握りしめて後悔するような眼差しに、僕は急にいてもたってもいられなくなる。

「で、でも、いつも僕にバースデーカードくれたとき、お兄ちゃん笑顔で「お父さんから」って渡してくれたし、そんなに怒ってないかもしれないよ」

悲しそうな父の顔を見るのがつらくなって、つい早口で喋ってしまった。

父は目を見張らせて顔を上げた。言葉を失ってしまったみたいだ。
そして膝をついて僕のことを抱き締めた。
なぜか「ごめん」と繰り返し、その声はだんだん小さくなっていった。

何があったんだろう?
子供の僕にも分かるほど、それは簡単には言えないようなことで、同じく母と兄にも聞けない雰囲気だと感じた。





しかし、事件はその三日後に起こる。
バスの中で僕はまた父と一緒にいた。なんだか待ち合わせみたいになってきて、秘密にしている心苦しさは変わらずあったけれど、今まで会えなかったお父さんと話せることは、ひそかに楽しみにも感じていた。

バスがまた二駅早く停車したときだ。
僕たちは二人で段差から降り立った。車が走り去ると、ベンチに一人の男の人が座ってるのが見えた。

この目に馴染んだ明るい金髪で、体格がよい高校生が足を開き手を組んだまま、こちらにじっと顔を向けた。

「お兄ちゃん!」

僕はしまった、という顔をした。まるで悪いことが見つかったかのように。
この前兄が浮気をしたんだとあんなに自分勝手に責めていたのに、今度は自分が何かひどいことをしてしまった気分だった。

しかし兄の険しい目つきは、僕じゃなくて最初から後ろの父に向けられていた。

「なにしてんだよ」

唸るように低い声を出し、立ち上がって進んでくる。僕の手をがしっと握り、父にすぐ背を向けて離れようとした。

「おい、ダッジ」
「ルカに近づくな!」

振り返りそう叫ぶ兄の横顔は、見たことがないほど激怒していた。
あんなに優しいお兄ちゃんが、ここまで怒るのって……どうしてなの?

「ま、待ってお兄ちゃん。どうしたの、なんでお父さんに怒ってるの」

腕を控えめに引っ張り、止めようとする。すると兄ははっとした顔つきで、足を止めた。
言い淀んだあとに、僕の前にしゃがみこむ。

「すまん、大丈夫だよ。別に怒ってないから」
「……嘘。顔がすっごい怖いよ。……僕、知りたいの」

ほっぺたに手を当てて、少しだけ撫でた。すると兄はみるみる眉を下げて、僕の手を上から握り返した。

様子を見ていた父が僕たちの近くまできて、見下ろす。
立ち上がった兄は僕の背を抱き、また鋭い目つきで父を威嚇している。

「ルカ、ダッジが怒るのも当然のことなんだよ。前にも言ったけど、全部俺が悪いんだ。……あのな、俺はいま一人だけど……ルカがまだ小さい頃、お母さんと上手くいかなくて、他に相手ができて、家を出ていったんだ。三人のこと置いて、出てったんだよ……」

父は初めて本当の理由を口にした。
病気のことをどこかで信じていたからか、そういうことだって全然気がつかなかった僕は、完全に度肝を抜かれる。

「そう、だったの?」
「ああ。ごめんな、ルカ、ダッジ……」

僕たち兄弟に頭を下げる、父のつむじを僕は黙って見つめた。
でも兄は、言葉がつっかえたままの僕とは違っていた。

「……やめろよ」
「でも、本当のことだろ。バースデーカードだって、本当は俺じゃなくて、お前が送ってくれてたんだろ、悪かった本当にーー」
「ふざけんな、相変わらずどこまでも自分勝手なんだな、てめえは! 人の気持ち考えたことあんのか!? いいからもう消えろよクソがッ」

父に掴みかかる勢いで叫ぶ兄を、僕は咄嗟に止めようとした。
こんなお兄ちゃんは、僕は知らなかった。見たことがなかった。

「お、お兄ちゃん。そんな言い方したら駄目だよ、お父さんに」
「……だって、ルカ、こいつは……ッ」
 
兄は悔しそうに僕の手を離すまいと握る。
僕は何も知らないでいた。二人によって、本当の事実から守られていたことも。
兄が僕のために、色々してくれていたことも。

だから僕は悲しまずに生活出来ていたんだって、ようやく分かったのだ。

父は瞳を伏せて、申し訳なさそうな顔をする。
兄はうなだれて、黙ったまま。

僕はそんな二人を見るのがつらかった。

「お父さん、あのね。僕、お父さんに会えて嬉しいよ。でも僕は、怒るとかそういう気持ちあんまりないんだ。だって、正直言うと、三人でも幸せに暮らせていたから。お母さんは僕たちのために毎日お仕事頑張ってくれているし、忙しいときも、お兄ちゃんがいつもいてくれて寂しくなかったの」

兄の手を握り返して、率直な思いを伝えた。
父は目を潤ませながら「うん」と合間に頷いて、真剣に聞いてくれた。

「でも、お兄ちゃんはどうだったんだろう…。僕にはお兄ちゃんがいたけど、今の僕と同じぐらいの年だったお兄ちゃんが、お父さんがいなくて一人になっちゃったら、悲しかったと思うよ。だって僕も、今突然お兄ちゃんが出てっちゃったら、嫌だもん」

話しながら想像して、涙が滲んできてしまい、頑張ってこらえた。

「ルカぁ……」

兄は急に二人きりでいるときみたいな声を出して、表情も気が抜けたみたいな柔らかいものになって、僕のことを上からぎゅうっと抱きしめてきた。

「俺絶対ルカのそばにいるよ。一人になんかしないから」
「……うん、知ってるよお兄ちゃん」

僕たちはバス停の真ん前で、二人で抱き合う。
近くに立っていた父は目をこすっていた。

「ダッジ。お前、ルカのことちゃんと面倒みてくれてたんだな。偉いな。俺に言われたくないだろうけどさ……」
「俺は別に、いい兄貴でもなんでもねえよ。ルカが優しいだけだから」

ぶっきらぼうに言う兄だけど、僕の肩を抱く手は優しくて、暖かい。

「ルカ。ダッジのこと大好きなんだな」

頭を撫でられて少し照れくさくなる。でも僕は胸を張って「うんっ」と答えた。

父はそれからも少しずつ話をしてくれた。
僕は覚えてないけれど、母との離婚後、僕たちの新しい住所は知らされず、会うことも許されなかったらしい。けど母はまれに息子たちの写真をメールで送ってくれていたのだという。

独り暮らしをしている父が、成長した子供が気になって会いにきたと話すと、兄はまた「勝手だ」と憤慨していた。
でも僕は、自分でも意外なほど、あっさりとその話を受け入れることが出来ていた。

「どうすんのルカ、ほんとにこんな奴許すの?」
「うん。僕は大丈夫だよ。それにお父さんって、お兄ちゃんに似てるから、やっぱり家族なんだなって感じするんだ」
「はっ? どこが似てんの怒るよルカっ」
「えっとねー、顔とか髪の毛」

僕の意見はすぐに却下されてしまったけれど、様子を見ていた父は、少しずつ微笑みが戻ってきていた。

「ふん。優しい息子がいてよかったな。言っとくけど、また黙って勝手にルカに近づくなよ」
「分かったよ、これからはちゃんと、お母さんかお前を通すからさ」
「俺はいい。母ちゃんに頼めば」

素っ気ない兄はずっと僕と手をつないだまま。
でもさっきまでの荒ぶる狼みたいな雰囲気はどこかへ行ったみたいで、僕はほっとしたのだった。




父とはまた会う約束をして、僕は兄と二人で家への道のりを歩いた。

「お兄ちゃん、お父さんのこと黙っててごめんね」
「……ううん、いいよ。俺だって、お前に言わなかったことたくさんあるしさ」

心なしか、いつもよりまだ元気がなくてうつむいている。

どうしてバスで会ってるって分かったのか聞いたら、兄も帰り道バスの運転手さんに声をかけられ、僕が父と一緒なことを知ったらしい。
それで心配になり、わざわざ早めに帰ってきて待っててくれたのだという。

「ねえ、本当のことを知って僕が傷つくと思ったの?」
「……うん。そうだよ。でも俺は……ルカが思ってるような、大人じゃないし……いい兄ちゃんじゃないからさ」

兄の声は自信がなさげで、僕はとっさにその腕を掴んだ。

「どうして? お兄ちゃんは、僕の一番のお兄ちゃんだよ」
「……そうかな? ありがと、ルカ」

頭を大きな手のひらが触ってくる。やっぱり、僕はこの手が一番好き。

「でもな、俺すっげえガキだから。誰にも取られたくないだけなんだよ、お前のこと」

お兄ちゃんが目元を細めて、にかっと笑う。
肩を抱きよせて見下ろす笑顔は、僕にとってはドキドキするもので、ずっとずっと大人びて見えた。



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