▼ 1 出会い
僕が起きたとき、そこは真っ暗な穴蔵だった。
ひとりぼっちでお腹が空いて、ぐーぐーうるさい。怖かったけれど、巣から離れて細長い道を這った。すると行き止まりで、木の皿の上に食べ物が置いてあった。
僕は夢中でそれを平らげて、また寝床に戻った。
そんな日々が続き、ふと考えた。
この木の実や野菜、果物はどうして毎日新しくなるのだろう。急いで半分を食べ終わり、残りは口にくわえて駆け足で持ち帰っていたが、気になった僕は死角から空っぽの皿を見ていた。
でも、何も変わらなかった。
次の日、行き止まりだと思っていた壁をよく観察して、それが藁で出来た仕切りだということが分かった。両足で掻き出すと、冷たい空気が流れ込む。
怖くなった僕はまた巣に駆け戻って引きこもった。
外に何かがある。違う寝床があるのかもしれない。
僕以外の、何か似たものが存在してるのかも。
好奇心が怖さや恐ろしさに勝ち、僕はその日寝ないで待った。
そして耳を澄ませて、わずかな物音を感じ取った。
起き上がり長い道を走る。敷き詰めてあったはずの藁の壁がなくなり出くわしたものに、叫び声を上げた。
「わああああっ!!」
それは大きな手だった。ゴツゴツして浅黒い、男の人間の手。
切り傷がたくさんあって、僕の声を聞いたのか一瞬動きを止める。
噛みつこうかと思ったけど、その手が僕のご飯を持っていたから躊躇した。
ぐるるる…小さく唸って警戒しながら、後ずさる。
すると、穴から手が引っ込み、代わりにぱさりと落ちた黒髪の隙間から、鋭い眼光が睨んできた。
青い綺麗な瞳だった。僕は動けずに見惚れる。
なんと男は話しかけてきた。
「待て、逃げるんじゃない。敵じゃないぞ」
そう言って不自然に口元で笑みを作ろうとし、子供にやるように低い声を甲高くして「ご飯の時間だ」と美味しそうな皿を差し出してきた。
僕が様子を見ていると、男はまた藁で壁を作り直してどこかへ行ってしまった。
呆気に取られながら食料を持ち帰るが、その人の存在がずっと頭に残っていた。
次の日から、僕は食事のときにその男を見ることにした。
心なしか、前より豪華な餌になってきているような気もしたが、与えられるものは遠慮なく掻き込んだ。
「ふっ、お前だんだん俺に慣れてきたみたいだな」
帰り際にそう声をかけられることもあったけど、僕は人見知りだから何も答えず、ゆっくり後ずさって巣に駆けて行った。
ご飯のおかげか毎日さらに元気がたまっていくのを感じる。
あの人は、いつも何をしているんだろう。僕みたいに食べて寝るだけなのかな。
これが仕事なのかな。僕みたいな動物が、他にもいるんだろうか。
気になってきて、次の機会に勇気を出して話しかけようと考えた。
餌をもらって半分食べてるときに、背を屈めた男がじっと見ているのが分かる。
意識した僕は食べるのをやめて出口に近づいた。すると彼は目をやや見開き身構える。
「……どうしたんだ? 出てくるのか」
ゆっくり近づくと、外の光が眩しくて目が眩んだ。
辺りを見回したらそこはたくさんの枯れた植物がある広い世界だった。
「ここ……なあに? あなたの巣?」
礼儀正しく四足をついて座り見上げると、男は立てていた膝を下ろしあぐらをかいた。鋭いはずの瞳が少しだけ柔らかくなる。
「いいや。ここは森だ。俺はもう少し離れたところの家に住んでいる」
そう話す男は硬そうな皮の服を着ていて、側には鋼色に光る尖った道具をいくつか置いていた。僕の視線に気付きそっと背に隠される。
立ち上がる寸前に名前を聞いた。僕にもあるはずだけど、分からないから名乗れなかった。
「俺はクローデという。お前は……カエサゴだ」
「……それが僕の名前?」
「いや、種族名のことだ。名前は俺も……」
言葉に詰まった男をじっと見つめる。僕は自分が耳と茶色の尻尾のある動物だということは知っていたけど、カエサゴというのは初めて聞いた。
同時に彼のように、響きのいい名前が欲しくなった。
「じゃあ、明日までに考えておいてね。クローデ」
「え? ああ……そうだな。分かったよ」
図々しい僕のお願いに少し驚いたようだったが、了承してくれた。
僕はその日餌をくれるだけだった人といきなり距離が縮まったことが、嬉しかった。
単調な毎日に楽しみが加わり、翌日が来るのが待ち遠しかった。
しかし、次の日、なぜかクローデは僕の前に現れなかった。
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