僕の椅子になって
僕の椅子には、なぜか最初から男の人が座っている。学校の椅子には学者の優しいお兄さん、屋敷にある古い食卓前には狩人の格好をしたおじいさん。部屋にある学習机の前には、いつも触ってくる変態な男の人。
彼らは幽霊ではないけれど、人間でもなくて、他の人には見えない。だから僕はしかたなく、いつも皆の膝の上に座っている。
「んぁっ、もう、僕降りたいのっ、降ろしてってばぁっ」
「動くなって。二時間もつまんねー宿題に付き合ってやったんだ。俺にも少しぐらい楽しませろよ、アンゼ」
そう言って僕の服の下に手を入れ、胸を揉みほぐしてくるのは、褐色の大男シーガだ。彼は騎士団長の父が盗賊を討ったときに押収した、異国風の木彫りの椅子である。父は僕が小さい頃から椅子の話ばかりするから椅子好きだと思っていて、資料室で眠っていたものを僕に与えてくれたのだ。
……でも、それがこんな悪戯ばかりするような大人だったなんて、思いもしなかった。
「や、やぁ、おちんちんやめて、シーガっ」
「んー? 好きなくせになにがやめてだ。お前この間やっと俺の手で精通できたんじゃねえか。ビクビクいっちまって可愛かったなぁ。あれもう一回やろうぜ?」
「やらないもん! …ん、んぅ、だめ、おしっこ出ちゃうっ」
「でねえよ。出してもいいけど」
楽しそうに笑いながら、彼は露になった僕のものを大きな手で巧みにしごいてくる。半ズボンは下着と一緒に足元まで下ろされ、服のボタンも全部外されて乳首だってぐりぐりいじられる。猫にやるみたいに喉を撫でられ口を開かされ、後ろに向けられて彼の舌まで入ってくる。
日毎に激しくなる愛撫と快感に耐えきれなくなった僕は、唇を解放された瞬間に大きな声を出した。
「……ん、んぁっ、助けて、バドック、早く来て!」
何度も名前を呼ぶ間も興奮した後ろの男の動きはやまず、「おい何他の野郎呼んでんだ、そういうプレイしたいのか?」なんて意味の分からないからかいが飛んできた。しかししばらくして部屋の扉がばたん!と開かれる。入ってきたのは全身鎧姿で仮面をつけた、護衛の騎士だった。
「どうされましたか、アンゼ様」
「早く助けて、見たら分かるでしょう、僕襲われてるの!」
足をえっちなポーズに開かされて身動き出来なくなっている僕の前まで、バドックはやって来た。その時とんでもないことが起きる。突然シーガに耳を舐められて「ちょうどいい、今イッちまえ」と囁かれた。
耳の中に舌がねじ入れられ感じすぎてしまった僕は「んやぁぁあっ」と変な声を出す。同時に握られたおちんちんの先からぴゅっぴゅっと白いものが出た。それをなんと、バドックの鎧の太股あたりにかけてしまった。
「…………ッ!」
いつも冷静でほとんど感情を表すことのない騎士が、一瞬のけぞる。僕と自らの鎧を交互に見下ろし、二人とも固まるが、そこに愉快そうな声が割り入る。
「はは! すっげえ出たな、えらいぞアンゼ。見ろよこいつ、思考が停止してんぞ」
けらけら笑われて僕は恥ずかしさのあまり目がじわっと潤んだ。こんな姿を見せただけでなく彼の大事な鎧を汚してしまった。
「ごめんなさい。バドック…」
僕は目をこすりながら謝る。やっと屈強な両腕から解放され、机の引き出しから布を出して、綺麗に拭いた。じっとしてくれていた騎士はやがて、ベッドにかけられたシーツを外し僕の体を隠すようにそっと被せた。
「……泣かないでください。大丈夫ですよ、アンゼ様」
頭上から優しい声がかけられて頭をあげたけれど。
「ですが、このような卑猥な行為を続けることは、どうかお止めください。旦那様も悲しまれます」
「ち、違うんだよっ、シーガがやってるの、いつも座ってるとき僕のおちんちん触ってきて…!」
懸命に説明するけれど、仮面で表情は見えないし、きっと呆れて冷たい顔をしてるに違いない。バドックを呼ぶのはこれで二回目だ。僕はたぶん嘘つきの子供だと思われている。
悲しみの中でシーガを振り返るとニヤニヤ頬杖をついてたのでまた腹が立った。そんな僕を見かねたのか、バドックが片膝をつき僕を見上げる。
「貴方をたぶらかしたその男というのは、どういう人物なのですか?」
「えっ。えっとね。すごーく変態なの。体がとっても大きくて髪が黒くて、顔に怖い傷があって、力強くてーー」
身ぶり手振りで伝えると、彼は黙って考え込んだようだった。
「そうですか。いかなる者にせよ、貴方を脅かす存在を放っておくことは出来ません。私が真っ二つに壊しましょうか」
バドックはさらりと言って腰を上げる。そのまま長剣に手をかけて抜く素振りをした。大柄なシーガもさすがに破壊されたくないのか、「何しやがるッ」と背を反らした。
「ううん。父様からもらったものだし、根は悪い椅子じゃないと思うんだ。彼も…」
あんなことをされた僕だけど、ばらばらになってしまったら胸は痛む。だからといって、勉強はしなきゃいけないし。相性がぴったり合う椅子というのは、他にも中々見つからないのだ。
「アンゼ様。お困りのようでしたら、私から旦那様に貴方が新しい椅子をご所望だということを、伝えておきましょう」
「……本当?」
「はい」
僕があんなことをしてしまったのに、バドックは実は優しい人なんだということを知った。口数は少ないし、顔も見たことないけれど。
お礼を言った僕は、その言葉に甘えることにした。
後日、僕は父様に屋敷の広間に呼ばれた。騎士団長である多忙な父は、普段は食事以外あまり会うことが出来ないけれど、今回僕のためになんと椅子を用意してくれたのだという。
この家は代々伝わる騎士の家系で、年の離れた兄達は騎士学校で寮生活を送っている。末っ子で寂しい思いをさせているという思いからか、僕は父に深く愛されていた。
「おお、アンゼよ。こちらに来い。今日はお前に、選りすぐりの頑丈な椅子たちを揃えたぞ。小さいながらも日頃剣の稽古を頑張っているお前のためだ。好きなものを選びなさい」
「ありがとう、父様…!」
僕と同じブロンドヘアをもつ、恰幅のよい制服姿の父が腕に抱き締めてくれる。しかし、辺りを見回した僕は首を傾げた。青いカーテンの束に囲まれた厳粛な広間には、どこにも椅子は置いておらず、三人の屈強な男の人が直立不動になっているだけだ。
「ーーさあ、ではお前たち、椅子になってみせろ」
「はっ」
命令に対し低い声で頷き、彼らはその場に両手足をつき、四つん這いになった。僕は思わず目を疑う。見たところ制服は別々だが、騎士の人みたいだ。
「父様……? みんな、なにしてるの? 僕、もうお馬さんごっこする年齢じゃないよ」
「ん? それはそうだが、お前は椅子を欲していたのだろう。座り心地を確かめてよいのだぞ。この者達は皆武勇はもちろん、私が認めた実に腕の立つ騎士達だから、安心しなさい。ほら、アンゼ」
にこやかに勧められて、僕は戸惑ってしまった。確かに昔から、父には椅子の秘密のことを話していた。けれど、なにか間違った伝わり方をしてる気がする。椅子に男の人が見えるようになったのは母が亡くなった頃で、心優しい父はそれを否定することもなく、色々考えてくれたのだとは思うけれど…。
僕は念のため、扉付近に佇んでいた護衛の騎士バドックに駆け寄った。身を屈めてくれた彼の仮面のそばで耳打ちをする。
「ねえバドック、僕どうすればいいの? こんなのおかしいよね?」
「……私も少し混乱をーー。いえ、ぜひ一度お試しになってみてください。アンゼ様。お悩みが解決するかもしれません」
彼は父が一番の主人なのだから、当然の言葉ではある。僕は仕方なく、彼らのもとへ歩んだ。
「あのね。僕、膝の上に座りたいんだけど。いいですか?」
おずおずとお願いしてみると、騎士の面々がざわついた。父もたいそう驚いていたが、渋い表情で受け入れてくれた。結局彼らには椅子の上に座ってもらい、僕はその上に乗り感触を確かめてみることにした。
「ふむ。お前達、身体的におかしな挙動が見られたら、即刻叩き切る。分かったな。俺の息子だ。丁重に扱え」
「はっ」
父とバドックが見守る中、椅子の試乗が始まった。一人目の人は、僕の兄の年ぐらいの、一番若い騎士だった。茶髪で筋肉質なお兄さんといった風貌で、膝に抱っこしてもらうと恥ずかしそうにしていた。
「うーん。温かいけど、ちょっと太ももが太いかも」
正直に告げるとお兄さんは残念さと安心が混ざった表情をしていた。二番目の騎士は、かなり厳つい顔つきの大柄な騎士だった。怒っているみたいな顔がちょっと怖いけど、抱きかかえ方は一番ソフトだった。
「わあ、気持ちいいー。クマさんみたい」
僕が膝の上ではしゃぐと少し照れた様子だった。そして三人目。年がぐんと上がるけど父よりは一回り若いかなっていうおじさんだ。腕の中は一番しっくりきて、なんだか父様に抱っこされてるみたいで眠くなった。
「ふあぁ。どうしよう。勉強で眠くなったらダメだしなぁ」
最後のおじさんは父の個人的な知り合いなのだろうか、「すみません」と目配せしていた。聞くと昔いた騎士団の部下なのだという。
こうして全員の座り心地を確かめた。一番良さそうなのは勇ましい感じの人だけれど、やっぱり迷いが生まれる。
「どうだ、アンゼ。どの男がよいのだ? 父も身を切る思いで承諾してやるぞ」
「えっと……ごめんなさい父様。やっぱりどれも僕のお尻にぴったりしないみたい…」
「……そうか。ああ、ではもう一人いるな。おい、バドック。お前もやってみろ」
「ーーえっ? 私がですか?」
「ああ。皆と同じように、鎧も脱げ。アンゼが怪我をしたら困るからな」
父の命令に護衛の騎士はあきらかに動揺していた。僕も心配になったけど、正直にいうと彼の素顔はとても気になっていた。彼はいつも、台詞も態度も鉄壁のガードにつつまれていたからだ。
「かしこまりました」
少し考えたのち、仮面を外し現れたのは、前髪をあげた濃いめの金髪に、りりしく整った顔立ちをしている青年だった。外した鎧の下には軽装備服を着ていて、普段の落ち着いた言動よりも遥かに若い、二十代ぐらいの若い騎士だ。
すっきりと出た片耳に青いピアスをしていて、なんだかお洒落にも見えた。
「わあ、そんな顔してるんだ、バドック。格好いいね」
「あ、ありがとうございます。……ではどうぞ。こちらに。アンゼ様」
彼は目をさっと逸らし、うつむきがちに椅子に腰をかけた。騎士の中でもすらっと背の高いバドックの膝の位置は思ったよりも高く、よじ登ろうとすると、腰をふわっと両手で持たれて彼の膝の上にそっと乗せられた。
「失礼しました」
そう後ろから囁き、軽く片腕をお腹に回される。その時僕は感じた。ちょうどよい太ももの大きさ、力の入れ方、優しくも安定感抜群な座り心地に。しかもなにより、元々身近に存在していた人だからか、まとう気配が安心できる。
「すごい、これこれ! 僕この椅子がいい! バドック、お願い、僕の椅子になってくれる?」
感動して振り向くと、彼は群青色の瞳を見開き、何も言わなくなってしまった。気はずかしそうに白い肌が染まっていき、僕は唖然とする。
「ねえ、大丈夫? 耳が真っ赤になってるよ」
「……だから嫌なんです。鎧を外すの……」
普段とは違う素の声色で呟き、気まずそうに僕と視線を合わせた。僕はどきどきしながら返事をまつ。周りからは「なんだよ」「どういうことだ」という小声が聞こえたような気がしたが、やがて父が咳払いをした。
「まあ、なんだ。じゃあお前に任せよう。バドック。信頼が置ける上に、すでに知った仲だ。何よりアンゼが気に入ったのならばそれが一番だろう」
「やったぁ!」
こうして僕はひょんなことから、ぴったり最適な椅子を手に入れた。
「本当に、私がここに座ってもよいのですか? アンゼ様」
「うんっ。僕気づいたんだ。絶対にうまくいくよ」
「……ああ? おいやめろ、お前、そこにケツ置くんじゃねえ!」
バドックが僕の椅子になってくれることになり、さっそく僕は勉強をするとき、自室の学習机の前で、木彫りの椅子に彼に先に座ってもらうことにした。すると、どうだろう。シーガはどこかに隠れてしまったかのように姿を消し、バドックだけが悠然とそこに腰を下ろしている。
そうだったのだ。僕は他の人が座る椅子に、「椅子の人」が一緒にいるのを見たことがない。これは僕だけに現れる存在だからだ。
なので僕が人間の上に座らせてもらえば、椅子の人もその間見えなくなる。あとでシーガに文句を言われたけれど、彼がえっちなことをしなくなるまで、お仕置きみたいなもので良い案だと思う。
「あの、大丈夫ですか。アンゼ様。こうしたほうがよいとか、ありましたら教えてください」
「ううん。とっても気持ちいいよ、バドックの膝の上。ありがとう。バドックも大丈夫? 重かったら教えてね」
休憩するから、と笑いかけると、また彼は頬を赤らめていた。僕の部屋で過ごすときは鎧も脱いでくれるようになり、柔らかい表情が見れて嬉しい。
「私は大丈夫です、鍛えていますから。たとえ何時間でも。……あ、いえ」
「ほんとう? よかったぁ、嬉しいな。……あっ、僕が万が一眠っちゃったら起こしてね」
「はい。ご安心を」
彼がにこりと微笑めば、さらに僕は嬉しくなる。
最初の考えとは違うことになっちゃったけれど、僕は優しい大人たちに囲まれて、幸せだなあと思った。なにより膝の上に座ることは、椅子に座るのと同じぐらい心地よいものなんだって、知ることができたから。
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