俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼ 63 初めての感情 -クレッド視点 回想2-

俺達兄弟と母の三人の間で「魔法」という秘密を共有し始めて以来、兄貴は俺の前でも魔術への関心を隠さなくなった。

俺が九才になり、兄貴が十二歳の頃。相変わらず剣術の稽古は毎日二人で行っていたが、俺は兄のやる気が段々と下降していく様子を肌で感じていた。
具体的に言えば集中力が散漫になり、ぼうっと何か他の事を考えることが多くなった。

この日も兄貴は自分の部屋のベッドの上で寝そべりながら、分厚い魔術書を開き、夢中で読みふけっている。
俺はその隣にぴったりとくっつき、読書の邪魔をしようとしていた。

「ねえお兄ちゃん。カナンが言ってたんだけど、もうすぐ学校に騎士団の人達が来て武芸を見せてくれるんだって。僕楽しみなんだ、だって近くで本物の立ち合いが見れるんだよ。すごくない?」
「……うん……すごい……」
「どんな騎士達なのかな。やっぱりお父さんとか、上のお兄さん達みたいに格好良くて、強いのかなあ」
「……そうだな……分かんないけど……」

本に視線を落としたまま、気のない返事をする兄にムッとした俺は、背中の上にどさっと自分の体を乗せた。

「うああッ、痛いな、何するんだよクレッドっ」
「だって全然僕の話聞いてないでしょう? お兄ちゃんのバカ!」

兄貴は騎士の話に全く興味を示さなかった。昔からそうだったが、この頃はそれが顕著になっていた。
背中に跨ったまま揺さぶっていると、兄貴はようやく本を閉じて、体を起こそうとした。でも俺は力の限り押し付けて、それを阻む。

「分かったから降りろよっ、横暴だぞお前っ」
「魔法と僕、どっちが大事なの? どっちが好き?」

俺は何の疑いもなくその言葉を突き付けていた。すると兄貴は俺をそっと退かして、自分も起き上がった。
心なしか真面目な顔を向けられ、腹立たしかった気持ちがすうっと治まる感覚がした。

「お前のほうが大事に決まってるだろ、クレッド」
「本当に? じゃあ僕のこと好き?」

構ってもらえないことが悔しくて、強引にその言葉を引き出そうとした。何故か無性に自分を安心させたかったのだ。
兄貴は一瞬目を丸くしたが、すぐに優しい笑みを浮かべて、こくっと頷いた。

「好きだよ。当たり前だろ」

幼い頃何度も言ってもらった言葉だ。その度に心の中がじんわりと温まって、幸せな気持ちになったのを思い出す。

「僕もお兄ちゃんのこと好き。……じゃあ今日はもう本読むの止めて、僕とお話して」

目当ての言葉を貰ってすぐに、ちゃっかり要求までするとは、我ながら末恐ろしい弟だったと思う。
けれど兄貴は俺を邪険にすることなく、苦笑いを浮かべた後で頭にそっと手を置いた。

「分かった分かった。もうこんな時間になっちゃったしな。……あ、そうだ。お前にまだ言ってなかったんだけど」
「なあに?」
「今日の夜、キシュア達と一緒に流星見に行くんだ。クレッド、お前も来るだろ?」

途端にわくわくした表情になった兄を見て、自分も胸が高鳴った。
返事は決まっている。どこに行くにも、絶対に一緒がいい。当時の俺は常にそんな考えをしていた。

「うん! どこで見るの? 遠い場所?」
「違うよ、うちの敷地内だよ。物置小屋の屋上から、たくさん星が見れるんだ」

兄貴の目にはすでに星が映し出されたかのように、きらきらと輝きを放っていた。
星や空が好きなことは知っていた。時折、バルコニーから一人で夜空を眺めていることも。
その横顔が綺麗で、隣で見とれていることが多かった。
今も思うことだが、俺とは違う繊細な感性を持つところに、不思議と惹かれてしまっていた。


その夜、家の中がしんと静まった頃。俺達はこっそり部屋を抜け出し、観測場所へと向かった。
ランプを手に庭園の端を通り抜け、手を繋いで歩いていると、すごくドキドキした。
今考えれば、親の目を盗んで夜外出するなど、確実に悪い子供達だ。いつもならば「怒られるから止めよう」と口出ししていたはずだが、その日は兄貴と一緒に非日常的なことをするのが嬉しくて黙っていた。

小屋について屋上に向かうと、すでにキシュアとカナンが待っていた。
この兄弟は俺達の幼馴染で、幼少時からよく一緒に過ごす仲だった。

「おっ、セラウェ。誰にも見つかってないか?」
「うん、大丈夫。皆寝てるみたい」

キシュアはシヴァリエ家の芸術家の息子で、兄貴の二つ年上の親友でもある。面倒見がよく頼りがいのある男で、背が高く大人びた雰囲気は兄貴に並んで俺の憧れでもあった。
腰に巻き付いている弟は、俺と同い年の親友カナンだ。こいつは当時、俺以上に自分の兄にべったりな人間だった。

「うーん、俺眠い、兄ちゃん……」
「ん? もうちょっと我慢しろ。ほら、クレッドが来たぞ。ちゃんと起きて」
「キシュア。カナン寝ちゃってるの?」
「ああ。こいつ普段ならもうベッドに入ってる時間だからな」

キシュアに促され、カナンが眠そうな目を擦りながら俺を見る。その日も学校で会ったばかりだが、昼間の快活さは消えて大人しくなっていた。
俺達は二人で下に座り、夜空を見上げだした。

「クレッド。星楽しみだねえ」
「うん。僕ここに来るの初めてなんだ。カナンも初めて?」
「そうだよ。兄ちゃんとセラウェお兄ちゃんは何度か来てるみたいだけど。こんなとこで何してるのかなあ」

初めて知った事実に驚いた。屋上の隅で話し始める二人に目をやると、楽しそうに会話をしている。
この二人はすごく仲が良く、距離が近い。俺の物心がつく前からそんな感じだった。
キシュアの前では兄貴が時々幼く見えた。やっぱり年上だということが関係しているのだろうか。

「あ、見て、キシュア! 今一個星が流れた」
「どこどこ? お前、目いいな。俺全然見えねえ」
「あそこだよ、ほら。もっとこっち来てみて」

兄貴が隣に並んだキシュアの腕を引っ張り、二人で顔を近づけて星空を眺めている。さっき本を読んでいた兄貴を邪魔した時のように、何故か割って入っていけない空気を感じた。
けれど俺の思惑をよそに、二人の間にカナンが突撃した。

「俺も見る〜! 兄ちゃんおんぶして!」
「うおっ、おい、押すなよカナン!」
「早く、おんぶ、して!」

仕方なく我儘な弟の言うことを聞くキシュアを、俺の兄貴も笑ってみていた。

「カナン、そんなに強く掴まったらキシュアの首取れちゃうぞ」
「ええっやだ〜! 怖いよ〜」
「変なこと言うなセラウェ、ああッ、おい暴れるなよ!」

三人の様子をぽつんと眺めていると、兄貴が俺の存在に気付いたのか、手招きしてきた。

「何してんだよ、クレッド。お前も早くこっち来い」
「う、うんっ」

笑顔を向けられ、俺は慌てて駆け寄って行く。
近くで嬉しそうに兄におんぶされているカナンが少し羨ましくなって、俺も兄貴の服にしがみついた。

「どうした? お前、寒いのか」
「……ちょっと寒い」
「本当に? バカ、早く言えよ。ほら、一緒に中に入って」

兄貴が着ていたコートの中に入れてもらう。体だけじゃなくて、途端に心も温かくなってくる。
何気ない兄の行動や言葉で、それまでの心細さがすぐに消えてなくなってしまう事が、子供ながらに不思議だった。

「あ、すげえ! クレッド、今の尾が長かったぞ!」
「うん、僕も見た! 凄い綺麗だったね!」
「えっどこ? あーもうお前のせいで見れなかっただろ、カナンっ」
「あはは、俺はちゃんと見たよ〜兄ちゃん!」

四人で星空を通り抜ける流星を眺めていた。星は綺麗だけれど、一瞬のうちに消えていく。うっとりと見つめている兄とは対象的に、俺は何故か寂しく感じた。

情緒的な時間を過ごしていた俺達の前で、しばらくしてある事件が起こった。

「ーーガウガウガゥッ」

物置小屋の周辺から犬の吠え声のような音が響いてきた。グルル、と唸り声も耳に届き、俺達は一斉に屋上の柵から下に目を向ける。

すると一匹の大きな野犬が、その場でぐるぐると動き回っていた。口に何か小さなものを咥えているように見えた。

「な、なんだ。あの犬何してるんだ?」

取り乱したのは兄貴だった。一瞬のうちに切羽詰まった顔になり、大きな混乱に陥っていた。

「あれ野犬だな、何か……襲ってるみたいだ」
「えっ、嘘だろ?」

注意深く見つめるキシュアに対し、兄貴は激しい動揺を見せ、すぐにその場を離れようとした。
繋いだ手を離され唖然としていると、頭上から大きな声が降ってきた。

「おいセラウェ! どこ行くんだよ、危ないぞ!」
「だって襲われてるんだろ、助けないと……っ」
「駄目だ、よせって!」
「でもここからだと、届かないんだよ、俺の力じゃ」

二人は言い合いをしていたが、すぐにキシュアが兄貴の腕を掴み、強引に出口の扉から連れ戻した。

「クレッド、こいつ見てろ」

厳しい声で俺に兄貴を押し付けると、屋上にあった木片や石などを集め出し、手当り次第に下に投げ入れた。
俺は動こうとする兄貴を必死に抑え、心配そうな顔をしたカナンとその様子を見守っていた。

何かが野犬に当たったのか、「ギャンッ!」という鳴き声が聞こえ、途端に静かになった。
皆で柵の上から様子を見て、どうやら野犬が逃げ去ったことを確認する。
すると兄貴は俺の手を振りほどいて、真っ先に下に降りていった。

俺達が慌てて駆けつけた先で、兄貴が何かを手にしてうずくまっているのが分かった。
近寄ろうとすると、兄貴の肩が細かく震えているのが見えた。

「お前は来るな。クレッド」

小声だがはっきりと述べられ、俺はそれ以上近づくのを躊躇った。
けれど様子がおかしい兄貴を放っておけず、背中にそっと手を置いて、自分も隣に腰を下ろした。

兄貴の顔を見ると、静かに涙をこぼしていた。
ぽたぽたと透明な雫が、赤くなった頬を伝い、手の中の亡骸に落ちている。

「お、にいちゃん……?」

泣いている兄貴を初めて見た。声を押し殺して体を震わせ、視線を下に向けている。

「……なんで……もっと魔法が使えたら、助けられたのに……」

その一言が、俺の胸にグサリと突き刺さった。
俺にとって強く優しい存在だった兄貴の、弱さや脆さといったものを初めて目の当たりにしたのだ。
それと同時に、兄貴の魔術に対する真剣な思いを垣間見た瞬間でもあった。

兄貴は手の中のものをそっと地面に置いて、ゆっくりと立ち上がった。
俺が戸惑いながら服を掴むと、無言で背中に腕を回し抱きしめてきた。

「お兄ちゃん、大丈夫……?」

問いかけても返事はなかった。
まだ泣いているのかな。そう考えると、自分までどうしようもなく悲しくなってきて、ぎゅっと体を抱きしめ返した。

「セラウェ」

近くにキシュアが来ると、兄貴は俺を少し離して、涙を拭うような動作をした。

「皆で埋めてやろう。もう泣くな」

そっと語りかけ、兄貴の頭を撫でた。すると兄貴はキシュアに寄りかかり胸元に顔を埋め、突然声を上げて泣き始めた。
子供のように泣きじゃくる兄貴を、キシュアが驚きもせず、何も言わずにただ優しく抱きとめていた。

衝撃的な光景だった。
呆然とそれを見ている弟の自分には、到底真似出来なかった。包み込むようにして慰めることも、兄貴に頼られることも。
そんな二人を見て以来、俺の考えなのか思いなのか、何かが急激に変わり始めた気がした。


しかしその日の出来事はそれで終わりではなかった。
皆で埋葬を済ませた後、キシュアとカナンと別れ、俺達は家へと戻った。
兄貴は俺の手をしっかりと握っていたが、終始無言だった。俺は何も声をかけられず、ただ寄り添っていることしか出来なかった。

裏口に人影が見えた。そこに立っていたのは世話役のヴィレだった。
やばい、見つかったんだ。
鼓動が速まるのを感じながら、俺はちらりと兄貴を見た。すると同様にしまった、という顔をして見返された。

「坊っちゃん達、こんな夜更けにどこへ行ってらしたんですか。旦那様が心配なさってますよ」

俺達の捜索に出ようと思っていたのだろうか、ランプを手に焦った様子で困り顔を向けられた。しかし俺はその台詞を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になる感覚がした。
ヴィレは父が心配していると口にしたが、あの父はそんな可愛らしい表現に収まる男ではない。
それは当時の俺達にもすぐに分かることだった。

「ねえ、ヴィレ。お父さん怒ってるんでしょう?」
「ええっと……まあ、そうですね」
「どのぐらい? 怖い?」
「……はい。怖いかもしれません」

俺の質問にやや答えにくそうな雰囲気だった。予測的ではあるものの、父が激怒している事を告げられて身が萎縮する。すると兄貴が握っていた俺の手を少し引っ張った。

「お前は気にするな、クレッド。俺の責任だから」

精一杯安心させる顔を作ろうとしていたが、まだ少し目が腫れていた。さっきの事を思い出し、俺の胸は再び苦しくなっていた。
あんな風に悲しみの感情を表す兄を見たのは、初めてだった。まだその余韻を消すことが出来なかった。

兄貴は自分の責任だと言ったが、喜んでついていった自分にも勿論責任がある。たっぷりと怒られるのを覚悟した俺は、兄とともに父が待つ部屋へと入っていった。



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