▼ 51 懐かしい一時
最初に仕掛けたのは師匠だった。一歩身を退き構えを取ると、大剣を正面に掲げ無詠唱で刀身に火炎を纏わせる。
燃え上がる魔法剣をクレッドに向け、黄金色の眉をぴくりと上げた。
「お前、妙な力持ってんな。俺の弟子からも同じ気配がすんだが、気のせいか?」
「貴様に教える気はない」
「ほう、じゃあ力ずくであいつに聞いてみるか」
無言のクレッドが自らの聖力をより広範囲に放った。守護力が白い光粒となり発散され、ドームのように俺達を包む込む。
「はッ! 御大層に守ろうとしたって無駄なんだがなあ? 若造」
師匠が言うと同時に振り下ろした大剣から爆炎が吹き上がる。
地面に広がる横一直線の炎が突如、俺達と師匠の間にそびえ立つ防護壁によって遮られた。
「私の事も忘れるな、メルエアデ」
「おいエブラル、邪魔しか出来ねえのかてめえは、興ざめさせんじゃねえ!」
叫びながら大剣で壁をぶち壊し始める師匠だったが、そこへ飛び出したのがクレッドだった。
凄まじい跳躍力を見せ光を纏った長剣を師匠の頭上へと迷わず突き立てる。その攻撃を真っ向から受けた魔法剣の炎が瞬時に消え去った。
「チッ、うぜえな。無効化か? ……じゃあコレで相手してやるよ」
師匠が手を下にかざし、地表に複数の魔法陣を生成し始めた。そこから次々と灰色の屍食鬼が湧き出てくる。
「ーー禁術か、貴様本当に妖術使いなのだな」
一見厳しく見えた戦況に反してクレッドが落ち着いた声で告げる。
物理攻撃では再生を繰り返す死肉を断ち切ることは出来ない。だが即座に聖力をまとった剣を振るうクレッドの斬撃が奴らを焼き切るかのごとく消滅させていく。
そろそろ俺も何かやらないとやばいーー弟の周りにわらわらと絶え間なく群がる屍食鬼に向かって、俺はここぞとばかりに自らも聖力による攻撃魔法を撃ち始めた。
だが師匠は涼しい顔で並列詠唱を行い広範囲に防御魔法を張って妨害してくる。
エブラルは中距離からの冷気魔法を師匠に向かって放つが、奴の防御を完全に崩せない。
「ははは! どうしたお前らそんなもんか! エブラル、教会なんかで油売ってっから体がなまるんだよ。俺みたいに戦闘漬けの日々を送ってみたらどうだ?」
「黙れ。散々聖地を荒らし回り騎士を傷つけ、お前は自己中心的な性格を直すべきだ」
本当にその通りだと激しく呪術師に同意する。我が師匠ながら恥ずかしい。
「くそッ、なんで三人同時に相手出来んだあのジジイ!」
堪えきれず悪態をつくとその場の地表が揺れだした。いつの間にか俺とロイザを囲むように円形に土が盛り上がる。信じらんねえ、俺達を殺す気か?
ああ、つうか今までの師匠の魔法全部見たことある。だって散々一緒に戦闘してきたからな。でも何故だろう、手の内が分かっているのに敵う気がしない。
「ロイザ、風魔法を使え! 土を吹き飛ばせ!」
自らも命じた事と同じ魔法詠唱を行い、突風を巻き起こすと服が土まみれになった。
何故かさっきから静かにしている使役獣を見やると、白虎は地面に体を伏せていた。えっなんか様子がおかしい。抵抗が効かないような体勢で唸り声を上げている。
「おいどうしたロイザ、戦闘中だぞ!」
「……セラウェ、あの男、俺の行動を封じている……」
は? 嘘でしょ?
白虎の弱々しい言葉に愕然とする。これは禁止魔法じゃない。師匠固有の力を使っているのだと気付く。
あの男、マジで化物じゃねえかーー
「おい、妙な真似するなよロイザ、お前の最初の主はこの俺だからな。こいつで上書きしようが、俺が刻んだ古代契約魔法は消えねえんだよ」
どういうわけか、突然背後から師匠の声がした。
まずい、短距離転移を使ったのか? こいつもう超人の域だろ。
体がすくんで動かない。強烈な殺気を感じる。しかし硬直した俺の目には身を翻した弟の姿が映った。
全身から光光と燃える白い炎を放ち、凄い勢いでこちらへ向かってくる。
「クレッドーー」
言いかけた口をがしっと鎧の手で塞がれる。体を背後から固定され、信じ難いことに自分の師匠から身体拘束を受けたことを悟る。
「んんんーッ!!」
すると今度は師匠による防護壁が発現された。クレッドが剣を振り払い即座に打ち破ろうとする。
「貴様! 今すぐにその手を離せッ!」
「ハッ俺の所有物を手にして何が悪い、泥棒野郎」
「……はあ。何を考えている、メルエアデ」
「エブラル、俺と同門のくせにまだ分かんねえのか? 俺の目的はお前らとやり合うことじゃねえんだよ」
呪術師の冷えた問いかけに、ドスの聞いた師匠の嘲りが響いた。
なんかすごく嫌な予感がする。
「おい聖騎士、よく聞け! ……こいつがどうなってもいいのか?」
「何をするつもりだ、貴様」
「くくく……このバカ弟子がそんなに大事か。まあ、俺を見逃せば話を聞いてやってもいいが」
おいおい、最低じゃないかこの男。普通弟子を人質に取って交渉のタネにするか。
「ふざけるな、話を聞くのはこちらだ。その汚らわしい手を退けろ。お前を見逃すこともしない」
「頭の堅え野郎だな、てめえ。じゃあこれでどうだ?」
師匠は俺の口から手をそっと横に滑らせた。そして顎をぐっと掴むと、何を思ったのか急に俺の頬に自分の口を押し付けてきたのである。
数秒唇をくっつけられた俺は卒倒しそうになる。
「あああ゛ッ何すんだ変態野郎!!」
「なんだ恥ずかしがんなよ、セラウェ。ほっぺにちゅーするぐらい良いだろ? 初めてじゃあるまいし」
「それはあんたが酔っ払った時の話だろッ!」
お、弟の前で何してくれてんだこのクソジジイは。ほら見ろ、鎧姿の弟が完全に固まってんじゃねえか。
というより構えてた剣を力なく降ろしてどこか戦意喪失したかのようにも見える。
「き、貴様……俺の前で……何を……した……?」
「なんか文句あるか若造。もっと凄いのを見せてやろうか」
「ふざけんなクソ野郎! 離せッ!」
「駄目だ、バカ弟子。お前は俺と一緒に帰るんだ。そこの使役獣も一緒にな」
……は? 帰るってどこに?
急激な混乱が襲う最中、突然目の前の弟が視界から消え去った。
いや、違う。一瞬で移り変わる景色に、正確には消えたのは俺達なのだと悟る。
はは、懐かしい。師匠による瞬間転移魔法だこれ。
※※※
「セラウェ。起きろ」
聞こえてきたのは使役獣の声だった。ゆっくりまぶたを開けると、すぐ目の前に大きな白虎の顔があった。
「うわッ何だお前っ」
俺は固い床の上に寝ていた。体を起こし、すぐに自分の居場所に気が付く。
黒い革張りのソファに、天井が高い木造りの大きな居間。懐かしくも見慣れた光景に頭が混乱する。
「ロイザ、なんで俺達ここにいるんだ」
「覚えてないのか? 奴の転移魔法で連れて来られただろう」
白虎の無垢な灰色の瞳にじっと見られる。おい、冗談だろ?
言葉を失っていると、ドタドタと足音が響き、いきなりバタン!と扉が開かれた。
クソ野郎、そう思って険しい顔を作って振り向く。
「師匠! どういうことーー」
その光景を見て唖然とする。正面には何故か、全裸のまま濡れた髪をタオルで拭いている師匠がいた。
男なら誰しも羨むであろう日に焼けた完璧な肉体美に強烈な敗北感を味わう。と同時に相変わらずでけえ……などと低俗な感想が浮かぶ自分を殴りたい。
「ななななんで真っ裸で出てくんだ馬鹿じゃねえのかッ」
「あ? 自分の家でどんな格好しようが俺の勝手だろうが」
弟もそうだが俺の周りの男には羞恥心というものが欠片もないらしい。俺は何故か耐えられずそっぽを向いた。しかし師匠はそこから動こうとしない。
「何だその反応、お前どうしたんだ。見慣れてんだろ、俺の裸なんか」
頼むから全裸で俺をじろじろと見ないでくれよ。確かに師匠の言うとおり見知った間柄なのだが、異常に気まずく感じる。
「怪しい野郎だな。いいからお前も風呂入って来いよ」
「……は? いいよ俺はっ」
「ふざけんじゃねえ。俺はこう見えて綺麗好きなんだよ。その汚え服でうろつくな」
誰のせいだよ、あんたの土魔法でこうなったんだろうが。ぎりっと奥歯を噛み平然としている男を睨みつける。
「おい、ロイザも一緒に入ってこい」
「俺は風呂など必要ない」
「うるせえ。元主の命令が聞けねえのか。またお仕置きすんぞ?」
琥珀色の目を光らせてさっきまでの拘束をチラつかせる師匠に、使役獣が渋々体を起こし風呂場へと向かった。
すげえ、言うこと聞かせたよこの男。なんだろう、俺には貫禄が足りないのかな。
ぼうっとしていると、鋭い目つきを向ける全裸の男に急かされ、俺も舌打ちをしながら白虎を追った。
浴室の扉の前に使役獣が座っているのを発見する。さすがに人化してなくてほっとしつつ、服を脱いで一緒に風呂場に入る。
「ロイザ、お前の体先に洗ってやるよ」
「俺は水は嫌いだ」
「知ってるよ。でもあの親父がうるせえだろ」
文句を言う白虎を無視してわしゃわしゃと泡をつけ体を洗い流す。
白い毛が水を吸い体が半分ほどの大きさになり笑いを堪えていると、凄い勢いで白虎が首を振り水気を飛ばされた。
「おい大人しくしろよッ」
「もういい。さっさと自分を洗え」
不機嫌そうにいう使役獣の濡れた体に触れる。
なんか懐かしいな、こういうの。昔この家で暮らしていた時も同じことがあった気がする。若かりし頃の自分に戻ったようだ。
……いやいやいや、この状況をよく考えろ。俺がまた連れ去られ、クレッドが発狂してるに違いない。
はあ、どうしよう。苦悩しつつ髪と体を洗い終わり、浴槽の前に座る使役獣を撫でながら、お湯の中で温まる。
「なあロイザ、あの遠征地からここまで、どのぐらいの距離だか分かるか?」
「知らん。だが数時間で着く距離ではないな」
まじかよ。じゃあ今日中に帰ることは無理なのか。しょぼくれていると、白虎の丸い灰目がじっと見てきた。
「帰りたいのか、セラウェ」
「当たり前だろ。……でもたぶん、クレッドが来てくれると思うんだよな」
「何故そう言い切れる。この家はかなり見つけづらい場所にあるぞ」
ふふ、そんな事は知っている。俺は弟に申し訳ないと思いつつ、期待してしまっていた。もうほんと俺最悪だけど。
「聞いて驚くなよ。あ、あと絶対師匠には言うなよ。実はな、あいつには俺の居場所が分かるんだよ」
自慢げに言い放つと、ガラッと背後からドアが開く音がした。硬直したまま振り向くと、今度はちゃんと服を着た師匠が立っていた。
「うわああッ勝手に開けんじゃねえ! 変態野郎!」
「……お前は女か? ぎゃあぎゃあわめくな。つうか風呂長えんだよ、早く上がれ。んで飯作れ。腹減ってんだ俺は」
不機嫌そうに見下ろし、言いたいことだけを言うと、乱暴にドアを閉めて出ていった。
あのさ、何あのいつでも自分本位な男は。風呂に入れだの飯作れだの。俺は奴隷じゃないんだが?
そう思っているのに、風呂を出て無造作に置かれたあの男のでかい服を着込み、台所で飯をせっせと作り始めている俺は、昔あった奴隷根性が今でも深く染み付いているのかもしれない。
適当に野菜スープを作りそこに豆とソーセージをぶち込む。小麦粉と卵で作った短い麺を別の鍋で茹で上げ、全部同じ深皿に盛り付ける。
「ほら出来たぞ師匠!」
ドンっと無造作にソファの前のテーブルに置くと、腰を下ろしていた師匠が俺の料理を興味深そうに見つめた。
「あーこれこれ、俺の好きなやつ。お前よく分かってんな」
満足そうに口に運び、みるみるうちに平らげていく。俺なんでこのおっさんの好物作ってんだろう。
とりあえず食事中だからと色々な文句を堪え、じと目で見る。
「お前も食えよ、セラウェ。腹減ってんじゃねえか?」
「食うよ当たり前だろ。俺が作ったんだ」
そう言って台所に戻り自分の分をよそう。だが下から白虎が何かを言いたげに見つめてきた。
「セラウェ、俺も腹が減った。もう何日も満足に食べてないんだが」
「……えっまじで? オズから貰ってないのか?」
「貰ったが全然足りない」
首を横に振って悲しげに言う使役獣が途端に可哀想になり、申し訳無さも相まって俺は奴に抱きついた。
その場にしゃがみ、毛を撫でながらぎゅっと抱きしめる。
「悪かった、ロイザ。俺を許してくれ……」
感傷に浸っていると、上から大きな影を感じた。嫌な予感がして見上げると、にたっといやらしい笑みを向ける師匠が立っていた。
「おいロイザ、久しぶりに俺が魔力を与えてやろうか?」
「はあ? 何言ってんだ。こいつは俺の使役獣だぞ」
いくら元主とはいえ、妙な対抗意識が芽生え即座に反論する。すると白虎が再び俺に視線を合わせてきた。
「セラウェ、お前にも所有欲というものがあるんだな」
「はっ? 何小難しい言葉使ってんだよ。……だってお前の主は俺だろ。ほら早くやるぞ」
「それはそうだが……今日はグラディオールの魔力を喰らってみるか」
白虎が師匠の名を出してはっきりと口にした。何故かその瞬間、がーんというショックな音が俺の脳内に響いた。
恨めしげに師匠を見ると、ふんと鼻を鳴らし勝ち誇ったような顔をしていた。
「なんでだよロイザッ酷いぞお前!」
「たまには珍味を食してみたいだけだ」
「おいふざけんなてめえ、誰が珍味だ。俺の魔力はそこのバカ弟子と違って最高級品だぞ。光栄な事と思え」
どこまで横柄なジジイなんだこの男は。苛々しながらソファへと移動する一人と一匹を見やる。
だが実際に興味は湧いて出た。溢れんばかりの魔力を保有する師匠の魔力供給の流れを、間近で捉えられる機会でもあるからだ。
「おい、お前人型になれ」
「何故だ。このままでいいだろう」
「うるせえ俺の趣味だ。ただの獣より視覚的に楽しめるだろうが」
……は? 今なんて言ったこの男。もう思考からして俺とは違う。
でもそうか、きっと師匠はいつでも己の征服欲を満たしたいのだろう、と無理やり自分を納得させる。
「じゃあ始めるか。大人しくしてろよ、ロイザ」
「分かった」
偉そうにソファに座り大股を開き、その間に人型へと変化したロイザが跪く。なんかさらに怪しい絵面になってきた。
珍しく真面目な表情を浮かべた師匠がおもむろに使役獣の額に手をかざすと、その褐色の体がびくっと仰け反った。
「……ぐっ……」
俺の時と様子が違う。頭をうつむかせ、内面に湧き上がる衝撃に耐えるかのように体がわずかに動いている。
「……グ、ァ……っ」
苦しそうな使役獣の声を聞き焦った俺は身を乗り出す。
師匠の手がロイザの額から離された瞬間、使役獣の体が力なく前のめりに倒れそうになった。
「おい、ロイザ……!?」
慌てて奴の肩を掴み、自分のほうに引き寄せようとする。そんな俺達を師匠が愉しそうな目で見ていた。
「ちょっと、こいつに何したんだよ師匠!」
「餌やっただけだろうが。まあ、いつもより多めに与えたがな」
「何言って……ロイザ、しっかりしろ!」
目を閉じて眉を寄せている使役獣が本気で心配になり、体を揺さぶる。
駄目だ。この師匠の前では白虎も本調子が出せないのだ。しかし自分の使役獣で遊ばれるようなことをされ、沸々と怒りが湧いてきた。
「おい、大丈夫か? ロイザ」
「……セラウェ、俺はお前の味のほうが、いい」
急に目を開けて儚げに告げる使役獣の言葉に、一瞬どきりとする。
「……そ、そうか? 照れるなあ、そんな風に言われると」
「ああ? てめえもう一遍言ってみろ。俺の魔力にケチつける気か」
「グラディオール。お前の味は……禍々しい」
「ハハッ、そりゃ褒め言葉だ。ありがとよ」
豪胆な男の笑い声が響く。なんだこの会話、俺達三人で何やってんだろう。
もうどっと疲れてきた。そう思っている俺に、師匠の無情な言葉が投げかけられた。
「おいセラウェ、今日は朝まで飲み明かすぞ。お前に聞きたいことがたくさんあるんだよ。……あの野郎のこととかな」
急に振られた話題にぎくりとする。やっぱしつこいんだよな、この男。忘れてるようで忘れてないし。
「は? あんたに関係ねえって言っただろ。つうか聞きたいのはこっちだ! なんで聖地を荒らし回るようなことしたんだよ!」
「まあ落ち着けよ。まだ時間はたっぷりあるんだからよ、俺のことは追々話してやるって」
師匠が余裕の面で含んだ言い方をする。
……ふふ、この男は何も知らないが、きっと俺の弟が迎えに来てくれる。さらなる修羅場がちょっと怖い気もしたが、面倒な師匠を一人で相手するよりもマシかもしれない。
密かな期待を胸に俺は師匠の誘いを渋々受けたのである。
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