リンクに倉庫の入り口に移動するよう合図を出したアレンの前に彼女は止まることなく進み、その喉元に刃をあてがう。
しかし彼は身動きどころか瞬き一つしなかった。その反応に面白く無さそうな瞳が見上げる。


『退かないと君もバラしちゃうよ?』

「…シーには、出来ないよ…」

『何故そう思うの』


目の前の彼女から視線を持ち上げると、入り口に立つ片割れが問いかけていた。
彼女も、その手の刃も、デジャヴュのように彼の喉元で止まる。


「なんでその手を止めた」


ピクッと反応したその手にアレンは確信した。丁度駆けつけた神田とラビを視線で制する。


「君達は…、ブローカー以外は殺さない、殺せない」

『何を根拠に、』

「どうしてアビーを殺すのを目撃したミネルヴァさんを殺さなかった」

『…!』

「どうして僕には刃物ではなく素手だったんだ」

『それは、』

「リンクには、家族には、そのナイフの刃どころか切っ先すら向けていない。ターゲットは伯爵に魂を売った人間だけ。君達は教団からブローカーの抹殺だけを命じられた」

『うるさい…』

「ただ何も考えずに人を殺せと言われ続けてきただけなんじゃないのか」

『うるさい…!』

「君達は教団の命令を守るために、人を殺すことは楽しいと思い込もうとしているだけ。人は人を殺せるって知ってしまっただけ。本当は殺したくないんだろう?」

『黙れッ!』
『黙れッ!』


力を込めた双刃が乱れる。アレンは神の道化で弾き、間合いを取った。俯く二人のシーの肩が小さく震える。
刃が濁っていく。


『何を言っているの』

『意味が分からない』


自分達に言い聞かせるような声音が空気を震わす。唇を殆ど動かさずに口腔で紡ぐ言葉が溢れ出しそうなものに蓋をする。


『君やあの老婆を何故殺さなかったって?』

『そんなもの、気紛れに決まっているじゃない』

『楽しいんだ、殺すことは』

『あの死に浸る恐怖の瞳、歪んだ顔…』

『滑稽だよ?』

『あーあ、勿体無い。君達には一生分からないのだろうね』

『本当、一度きりの人生なのに、』

「心の底から、そう思っていますか?」


ざわつく波間に一滴を投じたのは、沈黙を守り続けていたリンクだった。


「本当に、ウォーカーやミネルヴァ夫人を殺さなかったのは気紛れだと?」

『ハワードは違うって思うの?』

『何を根拠に、』

「“たとえブローカーでも、人を殺すなんて嫌だ”」

『っ…』


続けて出てくるはずの言葉を、飲み込んでしまった。


「“楽しくない、人を殺して楽しいわけがない”。“死の恐怖に湛えられた瞳なんて、見たくない”」


『たとえブローカーでも、人殺しなんて嫌だよ…!』

『楽しくない…、楽しくないよッ!人を殺して楽しいわけないじゃないか!』

『もう、あの死の恐怖に湛えられた瞳なんて、見たくない!』



「君達があの教育を受け始めた頃に繰り返し口にしていた言葉だと、監督していた者が言っていました。今はどうです?」



ギリッと歯軋りをしたのは一瞬。
その時にはもう、黒いコートの端しか見えなかった。しかし振り返った先にはナイフを振りあげた双子と、その腕を掴むリンクの姿。

『放せハワードッ!』

『ソイツを殺せば、』

「それは私の意思に副いません」

『っ…』

「もう殺さなくていい。私は昔から、二人のことを認めていましたから」

『…ハワードがもしそうだったとしても、教団は、鴉は違う』

『殺さないと私達は、』


その先の言葉は続かなかった。ゆっくりと倉庫の扉が開いたからだ。
全員が身構えたのも杞憂に終わり、彼が灯りの下に姿を晒す。


「僕は構わないよ。殺されても」
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墮天の黒翼

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