頸動脈を覆う皮一枚を隔てたところに刃をあてがったまま動きを止めた。ほんの僅かな力を込めるだけでまた紅い華が咲く。
たかが皮一枚だ。しかし出来なかった。
(こいつ…ッ!)
怒りに震える手が止まらない。
「伸」
間一髪で避けたそれは厚みのある毛布を軽々と突き破り、その鋭い先で数コンマ前に立っていた場所を貫いていた。
「危なかったさ、気付かれないで首を跳ねられるんじゃないかって。本当の意味で心臓が止まるかと思ったさ」
バサッと音を立てて毛布を放ると同時にベッドから飛び降りた男に胸焼けがする。
あの女は何処にいった。
「ギネヴィアならもう保護した。なかなか聞き分けのいいブローカーだったさ」
成る程、だから貴様が囮になれたわけか。
先を読まれたことに虫唾が走るが仕方ない。一度退こう。ブローカーの保護された場所などすぐに分かる。
奴が窓を背にしているため、安全で確実に逃げられる退路は出入り口の扉だけ。そう思ったのも束の間、背後の扉が派手な音を立てて破られた。
苛立ちで気付けなかった気配に心中で溜め息を漏らす。
堕ちたものだ。
「派手に壊し過ぎ」
「うるさい」
低く唸るような声音の男は微かな金属音を立てて抜刀した。
部屋に白いコートを着た者と共に入ってくると此方に切っ先を向けてきた。
しかしそれはすぐに逸れる。
『え…?』
矛先は白いコート、探索部隊の喉に向けられた。
『あ、あの、神田さん…?』
戸惑いと恐怖を映す表情に男は微動だにしない。探索部隊は赤髪の男に助けを求めたが、顔をしかめるだけで何も言わなかった。
緊迫した空気の中、廊下を走る音が伝わる。
壊れた入り口に姿を現した白髪の男。
『ウォーカーさん…!お二人が、』
助けを請おうとする口は言葉を出すことを止める。発動したイノセンスによる長い爪が喉元にあてがわれていた。男は泣きそうになるのを我慢するように唇を噛んでいた。
『ウォーカー…さん…?』
「ごめん…、シー」
いや、というように小さく首を振る。
「もう逃がさないよ、切り裂きジャック」
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墮天の黒翼