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リナリーやラビから話は聞いていたが、本当に猫がティムキャンピーを食うところを目撃するとは思わなかった。
そいつは口からはみ出るティムの尻尾をはためかせながら、その巨体に似合わぬ速度で俺達の足元を走り抜けた。障害物はおろか、足跡すらない真っ白な雪の上を駆けていく。

「待って!月精、あの猫を止めてください!」
『…嫌だ』
「へ?」

背中を向けてはっきりと拒絶した新藤に一瞬理解が間に合わなかったらしく、阿呆面を晒して固まった。

「ウォーカー、早くしないと見失ってしまう!」
「え、あ、ヤバイッ!」

猫相手に制止の言葉を投げながら監査官と二人で道の先に走り去った。

「行ったぞ」
『…やっぱり無理』

隣にいるリーバーや司祭が向こうに気を取られていることを確認して背中に小さく声をかけた。気持ち俺の背に隠れるように白髪達に背を向けていた彼女はリーバー達に気付かれないように息を吐くと、二人から見えない角度で摘まむ俺の団服の袖を離す。彼女の方に視線をやれば恐る恐るといったような目で遠くの二人と一匹が踊るように奮闘する姿を見ていた。

『気付かれたかな…』
「そんな考える暇も無かったから平気だろ」
『そうか…。それなら良かった』

そう、意外なことに彼女は犬や猫が駄目なのだ。小さい頃に怖い思いをしたとかなんとかで、側に寄られるのも駄目らしい。AKUMAは全くもって平気なのに、こういうところで普通の女、少女のような一面を見せるのだから、まぁ…可愛くないわけが無い。
荷物を預かる仕草を見せれば素直に手渡してきた。無理やりムッとしているがかなり動揺しているらしい。
生憎気の利いた言葉はかけられないが、沈黙は与えてやれる。それだけで彼女には十分なはずだ。

「なに、その親密な空気…」

にゃー…。

「捕まえ慣れているって感じの早さだな」
「二人とも近くありません?僕の目がおかしいんですかね?」

暫くして右頬に引っかき傷を拵えて戻ってきたかと思えば、リーバーの感心ともとれる声にずれた返答と嫉妬を湛えた目でじっとりと俺を見てくるモヤシ。その腕にはまだ口からティムの尻尾を垂らしたままげんなりとする先程の猫。徐々に近付いてくるこいつを俺はどう処理すればよかったのだろうか。

『もう無理!駄目だ!頼むからそれ以上寄るな近付くな…っ!』
「え…、ちょっ…、月精!?僕何かしました!?」
『い、今している!いいから早く離れろ頼むから!』

息をのむ気配がしたと思った次の瞬間には後ろから羽交い絞めのようにされていた。もう少しで荷物を落とすところだったが、彼女はそれどころではないらしい。

「うあああああーッバ神田離れろ!」
「どう見たって俺に主導権はないだろ。押さえられているのは俺なんだからな」
「月精に何か吹き込んだでしょ!」

呆気にとられるリーバーと監査官、司祭を余所に少し裏返った声の『や、無理!無理無理無理無理ッ!』などの拒絶の言葉と共に後退を強いられるものだから俺はされるがまま。一歩近付いては一歩後退を繰り返すのを傍観していた監査官が溜息を吐く。

「ウォーカー、とりあえずその猫を放してきなさい」

もう悟ってしまったのだろう。監査官は暴れるモヤシの首を掴んで猫もろとも俺達から引き離すと、少し先の路地の前で猫の口からティムを取り出す作業にとりかからせた。
一方恐怖が遠ざかったことと知られてしまったことのショックからだろう。俺を羽交い絞めにしていた腕がずるりと落ちると同時にそのままぺたりと彼女は座り込んでしまった。

「え、えーと…?」
「見たまんまだ」

溜息混じりにそれ以上の追求を遮ってやり、両膝の上に拳を載せて俯いたまま動かない彼女に合わせて膝を折る。

「仕方ないだろ、いつまでも落ち込むな」
『た……ない』
「ん?」

真っ赤に染まった耳を視界に入れる。蚊の鳴くような声を聞き漏らさないよう耳を寄せれば、

『立てない…』
「…」

…俺を殺す気か。

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