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ヴンッと鈍い音を立てて視界が開ける。坑道のようなそこに数多の人間が忙しなく行き来しているアジア支部だ。
新藤がどこにいるのか皆目検討がつかないため、先ずは支部長室に立ち寄った。きっと忙しいだろうと思い、あまり期待していなかったのだが。第一の目的の人物はそこで書類と向き合っていた。

「あぁ、神田じゃないか。新藤の様子を見に来たのか?」

入室した俺に気付いたバクは手にしていた書類を決裁し終え、控えていたウォンに渡す。無言で肯定した俺に口元を緩めるといくつかのファイルを小脇に抱えて部屋を出るよう促す。どうやら丁度全ての書類を片付けたらしい。やはり誰かとは大違いだ。

「もう検査は終わってデータの集計中だ。うとうとしていたから向こうの部屋で寝かせたよ」

案内される部屋への道は人通りが少なく、極秘扱いの者にとっては都合のよさそうだ。
新藤の発作は極秘事項。それは本人が望んだことでもあるが、教団側も隠しておきたいことなのだ。イノセンスへの畏怖を、希望を保持する為に。

イノセンスさえ無ければ。そう何度思ったか。
彼女を苦しめ、俺をこの世界に繋ぐ呪いの鎖。彼女と俺と、そして“あの人”とを繋ぐ証。イノセンスが無ければ彼女とは出会えなかった。“あの人”と出会わなかった。俺は、生まれてこなかった。

体内を抉るような錯覚を覚える。しかし「そういえば、」と話しかけてきたバクの声に引き戻された。

「新藤は干渉しようとしたか?」
「無理矢理止めた」

(どうやったかは絶対に言わない。絶対。)

バクは首を傾げたが、それ以上何も訊いてはこなかった。

「新藤は次に君と会ったら、きっとイノセンスで干渉するだろう。彼女を…、一人にしないでくれ」

新藤がまだ意識不明の状態だったときに何度も反芻した忠告。
イノセンスの楔でバクが直接的な表現が出来なかった分、意味を理解するのに苦労した。実際あのときまで分からなかったのだから。
もし、俺があのとき記憶を操作されてしまったら、彼女を忘れてしまったら、彼女は独りで生きるつもりだったのだろうか。独りで、死んでいくつもりだったのだろうか。

(絶対、させるものか)

独りで歩かせはしない。まして、死なせるなんて。
優柔不断な俺を彼女はそれでもいい、と受け止めてくれた。笑ってくれた。
その心に、不器用な俺なりに応えたい。お互い戦死してもおかしくない環境だし、いつ壊れるか分からないこの体だから、口に出しては言えなかったけれど。あのときに誓いを一つ、立てた。
イノセンスという毒に犯された最期ではない、“最期”まで、側にいることを。

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