3.

「うちの会社に地下なんかあったのか…」

向かった先は地下だ。エレベーターのフロア案内には各階に色々な部署名がひしめいているが、俺が向かう「基礎研究所」は、B1Fに唯一ポツンと表記されていた。

初めて足を踏み入れるそこは、カビと湿気のせいだろうか、なんとも言い難い臭いと雰囲気がただよっていた。
ワンフロア全体を与えられているだけあって、スペースは申し分ないが、用途の不明な馬鹿でかい機械たちと書類の山で、足の踏み場もない。日光が入らないせいもあってより圧迫感を感じる。

そして、なにより無気味なのが、これだけの機械に関わらずあまりにも静まり返っていることだった。「研究所」と言うくらいなのだから、あちこち怪しげな機械が怪しげな実験をしているのだろうと勝手に想像していた俺は、いささか怖じ気づく。

しかし、自分がここに来た目的を思い出す。
そう、研究開発費がありえないほどに膨れ上がっていた。実に前年の10倍。なぜ誰も止められなかったのか。それは誰も気にしていなかったからだ。

多分ここにいるやつもあの社長なら気づかないと踏んだのだろう。だが「猿でもわかる経営の基本」を読んだ社長はもはや経営の基本を学んだ猿だ。ただの猿ではない。
とにかく、思った以上に単純な原因で助かった。さっさと裏をとって責任者に文字通り責任を取らせてこの件は終わりにしたい。

「すみませーん!」
「はい」

正直、この人気のないフロアから返事が返ってくるとは想像しておらず、出し抜けに背後から聞こえた声に「うわあ!」と悲鳴があがる。

「───一ノ瀬主任、ですか」
「そうですけど」

振り返ってみると、背ばかりひょろひょろと高い男が、白衣のポケットに両手を突っ込み、やたらと長い前髪の奥から眠そうな目で俺を見返してきた。
一ノ瀬主任──社内の組織図で確認する限り、基礎研究所に唯一在籍する、"研究員"名義の男だ。
やっぱり白衣なんだ、と思いつつも、一ノ瀬主任のボサボサ頭を見上げるような形で決算書をつきつけた。

「この研究開発費、知らないとは言わせませんよ」
「出し抜けになんですか。……この書類、なんでこんなシワシワなんですか? あと君、誰?」

俺は、先ほど頑張ってセロテープでつなぎ合わせた書類を一旦引き下げ、1つ咳払いをした。

「失礼いたしました。人事部の阿知谷と申します。今期の決算書を作成するにあたり少し確認させていただきたく伺いました。───今お時間よろしいですか?」
「それはまあ、わざわざご足労いただきまして」

お互いに慇懃無礼で一切中身のない会話を交わす。
ぼんやりしているように見えるが、なんとなく話題を逸らそうとしているようにしか思えない。食えない奴だ。

「この研究開発費ですが──」
「まあ立ち話もなんですし、どうぞ」

再び本題に入ろうとした俺に間髪入れず椅子を勧めてくるあたり、ますます怪しい。
まあ、ここに来てじたばたしたところで逃げられる訳もないのだ。
勝利を確信した俺は余裕を見せつけるように、言われるがまま着席した。
ついでに足も組んでみる。

「正直にお話いただけますか、一ノ瀬主任」
「そうですね、申し訳ございません」

いやいや。
たった今まであんなにしらばっくれていた奴にあまりにもあっさりと非を認められ、俺は足を組んだ体勢で3秒ほど固まった。

「予算オーバーは重々承知しておりますが、ダメ元で稟議を上げるたびに面白いように通るので思わず作りすぎてしまいました。」
「……作りすぎた?」
「はい、つまり───試作品です」

なるほど。基礎研にはこの男しか所属してない。ということは実質丹下社長がこいつの直属の上司ということになるのだろう。
あのバカ社長のことだ、ろくに内容も確認せずに予算を承認しまくったに違いない。
まあいい、原因が自分だと分かれば多少は怒りも収まるだろう。とっとと明細を入手して社長に突き付けてしまおう。

「よくわかりました。とりあえず、今年度の研究費の内訳が知りたいのですが、詳細がわかる資料はありますか?」
「そうですね───例えば、それとか」
「それ?」

一ノ瀬主任が指さした先には俺がいる。正確には椅子に座る俺だ。もとい、俺が座る椅子。
相変わらず長い前髪に隠れて表情はわからない。しかし、その暗がりに潜む両の目が気味悪く光ったような気がした。

「 それ、ってこの椅子のこと───」
『被験者を確認、起動します』

突然耳元に無機質な音声が響いたかと思うと、手のひらに生暖かい感触。

「うわ!うわうわうわうわうわーーーーー!!!」

ひじ掛けだと思っていたものがまるで「ほどける」ように形を変えていく。信じがたいが、それまでプラスチックと同じ固さだったものがどろどろとした無数のミミズの集合体へと変容し、気づけば俺の両手は絡めとられていたのだった。

「きもちわるいきもちわるいきもちわるい!!!なんなんですか!一ノ瀬主任!!これ!!!」
「なんだと言われると…触手椅子5号?」
「5号ってなに!?」

「触手」も「触手椅子」も脳が理解を拒否したらしく、唯一認識できた「5号」に突っ込む。
いやそんなことに突っ込んでいる場合ではない。

「いや…この部屋の椅子は僕のやつ以外は全部触手化済みでして」
「こんなの棚卸しで報告されてないぞ!!」
「すみません…」
「あと当たり前みたいに使ってるけど『触手化済み』ってなんだよ!」
「すみません…」
「いやすみませんじゃなくて!!」

まず俺の両手を完全に封じた触手たちは、次に両脚へと狙いを定めていた。なんとか逃げ出そうともがく両脚は、変幻自在の触手によって容易く絡め取られてしまう。
そしてあろう事か、左右に開かれてしまった。ほぼ倉庫のような場所とはいえ、社内でM字開脚デビューを決めてしまった俺は羞恥心で半乱狂になった。

「やめろやめろやめろ!!! 離せ!! 止めろ!! 一ノ瀬主任!!!!」
「すみません、」

さっきから口先だけで謝ってはいるものの、慌てたりこの不気味な半生物をなんとかしようとする素振りを一切見せないことに気づき俺はゾッとする。
すでにぬるぬるとした粘液は上半身のワイシャツに染みて、皮膚にまで到達し始めている。まもなく全身がこの得体の知れない液体にまみれることを思うと俺はさらにパニックに陥った。
一ノ瀬主任がゆらりと立ち上がる。すでにその口元が微かに笑っているのを隠そうともしていない。

「すみません、阿知谷さん。こんな機会滅多にないんです。いかんせん、人手不足で。」
「…なんの話ですか?」

様子が変わった一ノ瀬主任を前に、いよいよ恐怖が確信に変わる。今更遅いのはわかりつつ、無意識のうちに目の前の男を刺激しないよう努めて冷静に返事をしていた。頭の中で警報が鳴っている。

「生身の人間で実験しようと思うとお金がかかるんです。こうやってバレてしまっては今年度は予算下りないでしょうから、本当に助かります。───阿知谷さんに"わざわざご足労いただいて"。」
「───やめろやめろやめろやめろやめろ!!! そんなの許されるか!!! 絶対に嫌だ!!! 俺にこれ以上なにかしたら全部社長に報告する! 警察にも通報する!! 下ろせ下ろせったら!!!!」

上半身はすでに触手に呑み込まれてると言ってもいい状態だった。すでに皮膚の上を直接じゅるじゅると這い回るミミズのような悪魔達。喋るたびに粘液が口の中に入り込むが、もはやそんなことを気にしている余裕はなかった。
人としての尊厳が守られている間にありったけの声を振り絞って助けを求める。

「ん〜、いいですけど。多分社長は僕を庇うんじゃないですかね…」
「なっ……!?」

「なぜなら僕は今日有給をとっていることになってますから。社長は今日僕が出社していたというありとあらゆる証拠を抹消すると思いますけど」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!!」

社員の身の危険よりも労基署対応を最優先する我が社のブラック体質を恨んだが、俺はすでに口内を触手に犯され始めていた。
呪詛の声は空気を震わせることなく粘液とともに喉の奥へと触手に押し込められていく。

くちくちくちくちくちくちくちくち。

「───っ、ひ、ぁ…っ」

あたまがおかしくなりそうだった。上半身は裸に剥かれ、両手のひらから腕と胸までを無数のミミズ大の触手が這い回る感覚。
そしてミミズの頭に当たる先端部分は口のようにパクパクと開閉して、極小の歯でひっきりなしに皮膚をかいつまむような刺激を与えてくる。
そしてこの粘液は、この会社に勤めているなら誰だって察することができる、もちろん媚薬効果入りだろう。

「っあ、が、たす、───っ」

触手の浸食はとどまるところをしらない。一体どんな材質でできているのか、すでに元々座っていた椅子は触手の塊に姿を変え、俺が身じろぎをするごとに拘束を強めていく。M字開脚で固定されたまま、すでにスラックスも片足にひっかかった状態までずり下げられている。
さらに悪いことに、即効性の媚薬がすでに俺の神経を犯し始めていた。

「あ、や、…っだ、こん、な、っっ、」
「阿知谷さん、すごく弱々になっちゃってますね。もうちょっと抵抗する人かと思ったんですけど」

文字通り指一本動かすこともできず、媚薬による強制的な性欲の昂り。しかし触手からの責めは序の口のようで、まるでアイドリングのように寄せては返す刺激に翻弄され涙をにじませる俺をなぜか楽しそうに観察する一ノ瀬主任。

この椅子、いや、この研究所。いや、────この男、ヤバい。

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