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優の心臓は早鐘のように鳴っていた。保健室へと向かいながら、もう一度、ポケットに鍵が入っていることを確認する。

昨晩はまんじりともできずに夜を明かした。今朝、友人に体調を心配されたがそれにまともに受け答えする余裕はなく、すべて上の空で余計に心配をされ不振がられたことだろう。

ドアの前に立ち、ノックをしようとして一瞬躊躇する。途端に冷静な自分が首をもたげた。俺は何をやってるんだ。一体なにがしたんだ。あんな何考えてるか分からない奴の言うとおりにして、どうするつもりなんだ。

―――やっぱり帰ろうか、そう思い直した、その時だった。

「何を突っ立っているんですか」
「うわ! 笠井、先生…!」

目の前の引き戸が乱雑に開き、笠井が姿を現す。どうやら擦りガラス越しに人影が見えていたようだった。

相変わらずの不機嫌顔が、眼鏡の奥から優を見くだしている。その顔をみて優は昨日の笠井の笑みを思い出した。冷たくて、だけれどその奥に、触れたものをどろどろと溶かしてしまいそうな熱を抱えている、そんな笑い顔。

一瞬、その熱がもう一度瞳の奥で揺らいだような気がした。優の一度は冷めた心が、燃え上がるよりも先にドロドロと溶けていく

思わずふらりと保健室に踏み込んだ優の手がぐい、と引かれた。そのまま優を保健室に引き込むと、「カウンセリング中」の札を廊下側のドアにかけ、内側から鍵をかけてしまう。

それでも、表情は変えないまま、笠井は優の耳元に顔を寄せて囁く。

「鍵は、持ってきましたか」
「………は、い」

身体をこわばらせながら優が答える。笠井の意図がわからない。これから何をされるのか、わからない。

それでも、もう後戻りができないところまで来てしまったことはわかった。

「それでは、始めましょうか」

だしぬけに言うと、優を促して入口に一番近いところに据えてあるベッドに座らせ、自身も身体一つ分ほどの間隔を開けて座る。

昨日、優がカーテンの向こうに押し込められ、身体を無理矢理沈まされたベッドだった。座ってから思わず身構えたが、今日は仕切りとなるカーテンもすべて開けられていて、昨日のような閉塞感や恐怖感は感じられない。

笠井もベッドに座ったまま間隔を詰めてくる様子はないようだった。

一体全体、目の前の保険医が何を考えているのか見当もつかず、優は恐る恐る話しかける。

「あの、なに…するんですか」
「なにって、決まっているでしょう? カウンセリングですよ」

あまりにもまともな返答に、優は思わず面喰らってしまった。その様子を察知したのか、笠井は怪訝な顔を優に向ける。

「どうしたんですか、驚いたような顔をして。私は、君に問題行動が見られ、それが情緒面の不安定さからくるものと考えたため、今後学校生活を送る上で支障をきたす前に問題を解決しようと君を保健室に呼んだだけですよ?」

まるで、マニュアルでも読んでいるかのような口ぶりで、滔々と優を諭していく。考えてみれば、当然の話だった。学校に、貞操帯、を付けて登校するような生徒――しかもそれが生徒会長ともなれば、“問題行動”と言われても仕方のないことだ。そして、そんな生徒にカウンセリングをするのも。

そもそも笠井は「カウンセリング中」の札をドアに掛けたのだ。鍵をかけられて、一人で逃げられないと勝手に考えていた自分を思い出し、顔に血が昇るのを感じる。

赤くなった顔を笠井に見られないようにうつむきながら、いやそれでも、と優は考え直す。だったら、昨日のあれはなんだったんだ。俺をベットに押し付けて、あんなにギラギラした目で、あんな顔で俺を見下ろしていたあの笠井は?

一人心中で混乱する優にはお構いなしで、笠井は勝手に質問を開始する。

「それで?どうしてそんなものを?」
「は?…え、あの、」

いきなりストレートな質問をされて気の抜けた声が出る。だけど笠井はあくまで保険医以上でも以下でもない顔で優の回答を待ち続けている。

「あの……、そういうの、好きだから…です」

間抜けと思われても仕方のないような返事にも笠井は表情ひとつ替えない。これならいっそのこと笑い飛ばしてくれたほうがましだ、と優は思う。

「そういうの、っていうのは具体的に?」
「は、……え!? そ、れは、」

いよいよ答えられなくなって、沈黙が流れる。授業中に指名されて答えられなかったことが一度もない優が、今始めてその気まずさを味わっていた。1分、2分と時間が過ぎていく。

「つまり、他人にばれないように、こっそりと貞操帯をつけることが好きだと」
「………ッ」

つまりはそういうことだった。一気に顔が熱くなるのを感じて、笠井の顔をまともに見ることができない。

「―――成瀬、優」
「………ッ、は、い」

急に名前を呼ばれて、優の身体がビクリとなる。

「品行方正、成績優秀、人当たりも良く、生徒や先生からの信頼も厚い」
「…せん、せい――?」

突然にほめ言葉を羅列していく笠井。だけどそれは、まるで何かを読み上げているかのような無機質さしか感じられない。

「去年は生徒会長に立候補して、次点の生徒に大差をつけて圧勝」
「サッカー部に所属し、副キャプテンまで務める」
「もっとも、この副キャプテンという肩書きはこの高校の校則により、生徒会長と部活動の長を兼任することができないためですね。本当なら、キャプテンになれる実力も人柄も備えている」
「おまけに君は、客観的に見ても顔立ちがかなり整っている方だ。――自覚はあるんだろう?」

あるんだろう?と訊かれてもやはり言葉を返せない。優は目の前の人間の口から淡々と自分のプロフィールが話されるのを信じられない思いで見つめる。

「勘違いしないように。別にしらべあげなくったって、勝手に耳に入ってくるんです。君みたいな、優秀な、生徒については、ね」

笠井目当てで、ここには女子生徒がが毎日のように入り浸っては他愛もない話をしているのだろう。その中には当然、この学校で目立つ存在の優の話もあがるはずだった。

笠井がフン、と鼻を鳴らす。

「すごいですね。まるで、小説に出てくる主人公のようだ」

明らかに褒めてない。

「そう、なんていうでしょうかこういうの。偽者?――――いや、作り物?」

もはやそれは褒め言葉でもなんでもない。普通の人間なら怒り出すような言い草だった。だけど悪意のある笑みを顔に張り付かせた笠井に対して、優は言い返す言葉を持たない。

何かがおかしい、と思ったときにはもう手遅れだった。優はまんまと罠にかかって、すでに笠井の手中にいた。自分の鼓動が聞こえてくるようだった。

「そんな成瀬君は――他の生徒と楽しくお喋りをするとき、難しい問題を当てられてもスラスラと答えるとき、サッカーの試合で活躍するとき、生徒会長として壇上で話をするとき、」

うつむく優を覗き込むように笠井の顔が近づく。

「制服の下には、貞操帯を付けていた」

何も答えられない―――何も、なにも。

「真っ当に考えれば、こうですよね。成瀬優は自他共に認める優秀な生徒。だけど彼はそのプレッシャーに耐えられず、そのストレスがこういった形で歪に表出してしまったと」
「そういうことなら、私は保険医として君にアドバイスをし、健全な精神状態を維持できるよう、少しでもストレスを軽減してあげられるよう尽力しますが……」
「それで、いいですか?」

やっぱり、何も答えられなかった。「それでいいです」と、言えない自分が喉を詰まらせる。
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