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身体にかかる布団の重みを感じた。目を開けると、白い天井と、四方を囲むカーテンが視界に入る。まさか、病院――全身から血の気が引く。

ガバリ、と身体を起こすと、またあのぐらぐらした感覚に襲われた。

ベッドに手をついて、視界が明るくなるのを待っていると、優の身じろぎした音に気づいたのか、カーテンの向こうから人が近づいてくる気配がした。

特に断りも入れず無遠慮にカーテンが引かれ、その向こうから不機嫌な顔が覗く。眼鏡の奥から冷たい目が優を見下ろしていた。

「目が覚めましたね。名前と住所は言えますか」
「あ、え…あ、笠井先生、」

見知った保険医の顔を見て優は安堵する。どうやら病院に連れて行かれることは免れたようだ。同時に自分が壇上で気を失って保健室に運ばれたのだという予想もついた。

そこまでようやく思考が追いつき、やっとのことで目の前の人間の名前を呼んだ。県内でも珍しい、男の保険医。おまけに愛想の一つも見せたことがなく、仮病を使って授業をさぼろうという生徒にはそれを決して許さない。そのため、男子生徒からはすこぶる評判が悪いのだった。

笠井目当てに保健室に遊びに来る女子は多いものの、「正当な理由でない」としてとっとと追い返してしまうらしい。それでも男で保険医というステータスは強力のようで、なんとか笠井の看病にあずかろうと、あの手この手で保健室に来室する女子は絶えないと聞く。

態度も表情もぞんざい極まりないのだが、丁寧な口調だけはいつも変わらない。そこがいいのだ、という女子生徒の声も聞いたことがあるが、優はますます壁を作っている要因以外のなにものでもないと、思う。

と、そこまでをぼんやりする頭で考えて、ようやく質問されていたことに気づいた。再び口を開きかけたところで追い討ちがかかる。

「私の名前を呼べなどとは言っていません。あなたの名前と、住所です。これ以上おかしなことを言えば、意識の混濁が見られるとしてあなたを病院に連れて行かなければならなくなりますが?」
「あ、わ……な、成瀬優です。住所は――」

慌てて質問に答える。今の優にとって病院に連れて行かれることは何よりも避けたかった。“とある理由”から、病院にいけば、優にとって非常にやっかいな事態になる。その後の優の学生生活はまともに送れなくなることは目に見えていた。

「はい、正解です。気分はどうですか? 恐らく寝不足と、そこからくる貧血が原因だと思いますが」
「大丈夫…だと、思います」
「本当に? これで後で倒れてあなたが死にでもしたら、責任を問われるのは私なんですからね。心配なら、救急車を呼びますよ」

そしてベッドから離れ、本当に電話をかけるそぶりを見せる笠井を、優は慌てて止める。寝不足の原因には心当たりはあった。だから、優が倒れた理由も容易に想像がつく。でもその理由を暴かれるわけにはいかなかった。

「だ、大丈夫です! 救急車はいりません!」
「そうですか? ―――まあ、そうでしょうね」

笠井の意味ありげな言葉と表情に、背中に冷たいものを感じた。後ろ暗い事情を抱える優の本能が、これ以上長居しないほうがいいと告げている。

「はい。あの、じゃあ、僕、みんな心配してると思うので、これで――」
「もう下校時間は過ぎていますよ」

そそくさと立ち去ろうとしたところに投げかけられる、感情を感じさせない声。思わず振り返った優の、想像以上に近いところに笠井の顔があった。

「っ、笠井せんせ」
「今日は半日で終わりです。入学式ですからね。忘れたんですか? 生徒会長の、成瀬、優君?」

冷たい目が、優をのぞき込んでくる。まるで心の中まで見透かされているようで、優は自分の手のひらがじっとりと塗れてきたことに気づく。

もしかして、という予感が頭をよぎる。これ以上は本当にまずい、と挨拶もそこそこに今度こそ保健室を後にしようときびすを返す。

「まあ、待ってくださいよ、成瀬君。――貧血患者の応急処置の方法は知っていますか?」
「……いや、あの」

背を向けた優の肩に笠井の手がおかれただけだというのに、優はそこから動けなくなってしまった。再び投げかけられた脈絡のない質問。笠井の口調は相変わらず淡々としている。だけれどそれは明らかな悪意を含んだものだと気づく。

「知らないなら教えてあげますよ。血流を確保するんです。太い血管の通っている場所を、緩めてあげるんです。だからまずはシャツのボタンを外すんですよ。首には、太い血管が通っていますからね」
「先生、僕もう――」
「それと、もう一カ所、どこを緩めてあげればいいかわかりますか?」
「、わかり…ません」
「ここ、ですよ」

笠井の手が優のベルトにかかる。全身から汗が吹き出る。反射的にその手を払うと、お見通しとばかりに手首を掴まれてしまった。

「痛っ、離し…!」
「どうしたんですか、そんなに焦って」

予想外の笠井の行動に、パニックになりながらふりほどこうともがく。しかし普段の華奢で、気だるげな見た目からは想像のつかない強引さで手首が引き寄せられる。

笠井の顔が近づくと、わずかにタバコの臭いがした。からかうように優の耳元で囁かれる。

「いい機会ですからね、教えてあげてるんじゃないですか。それともなにか、ここを触られてマズいことでもあるんですか―――?」
「せん、せっ……!!」

言うやいなや、カーテンの向こう側に押し込められて、今まで優が寝ていたベッドに身体が押し付けられる。同時に、ズボン越しに優の股間部分を思い切り握りしめられた。

「―――これはなんですか?」
「やぁっ、ごめ…なさっ」

本来ならソコを握りつぶさんばかりに掴まれれば、気の遠くなるような痛みが襲ってくるはずだ。しかし、痛みどころか優の股間からはなんの刺激も伝わってこない。

代わりに、笠井の手には、ズボン越しに金属質の"何か"を握る感触があるはずだ。そう、それこそが、優の、決して暴かれたくなかった、“秘密”の部分。それを文字通り鷲掴みにされて、身体からサッと血の気が引く。思わず出たのは謝罪の言葉だった。

「"これ"は、何です?」

もう一度尋ねる笠井は、普段の雰囲気とは一変した獣のようなギラつきを隠そうともしない。耳にかかる声は掠れて、わずかに上擦っていた。

優が目を覚ましたその時すでに、彼の抱える"とある理由"は暴かれていた。そのことを知り、優の顔が羞恥で赤く染まっていく。同時に、突然豹変した目の前の男に恐怖を感じながら、ただただ首を横に振ることしかできない。

「答えないのなら、私は保険医として、"このこと"を先生方にお伝えしなければなりませんが? いいですね?」
「い、やぁ…!」
「じゃあ、教えてください、生徒会長の成瀬君。これは、なんですか?」

その瞬間、優は全てを諦めた。これまで誰にも明かしたことのない彼の"秘密"を目の前の男にさらけ出す。心を埋め尽くす絶望に、わずかに芽生えつつある感情には気づかないまま、優は口を開いた。
「貞操…帯、です」

優は、笠井の口の端がこれ以上の喜びはないとばかりにつり上がるのを目撃する。優が始めてみる、笠井の笑み。だけどそれは優の考える笑みとはかけ離れたものだった。こんなに威圧的で、嗜虐的で、そして―――ぞくぞくするような笑顔を、優は知らない。

「…鍵は?」

笠井は、どうして、でも、どうやって、でもなく、まるでそれを訊くのが当然かのように問いかける。予想していなかった質問に、優は貞操帯の鍵を意味していることに気づくまで時間がかかった。

「い、家…にあります」
「―――そうですか」

そこで突然優の身体が解放された。あっさりと拘束を解かれ、優はベッドに横たわったまま拍子抜けしたように笠井を見上げる。

「明日、放課後、鍵を持ってきてください」

穏やかなようでいて、有無を言わせない口調だった。

「え、あの、先生―――」
「もちろん、」

上体を起こした優に再び接近して、囁く。

「今日は鍵をはずしちゃダメですよ。明日まで、我慢。できますよね――?」

優は黙って頷くことしかできなかった。今日のところはこれで帰れるのだという安心感に、身体から力が抜けていく。だけれども、それとは別に、身体の奥わだかまる何かを優は感じていた。

それが、膨らみはじめた疼きと、期待だということに、気づかない振りをして、優は保健室を後にした。

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