鏡花水月 | ナノ

月影が水を穿つ

一:5月6日 深夜

水商売店のバックヤードと聞いたら、どのような場所を想像するだろうか。派手なレンタル着物、きつい香水の匂い。顔面を粗を隠し塗り固めるための粉やら液体の数々。せっかくの天然ストレート髪すらグルングルンにうねらせるヘアアイロン。大量のたばこの吸い殻や、ムダ毛を処理する何かしらのもの。キャバクラにあってホストクラブに無いもの、またはその逆のものもあるかもしれないが、ざっと特徴を挙げればこんな感じだろう。しかし、ここには全てのものが揃っている。

「そういえば知ってる?最近あった婦女暴行事件。コワイわよね〜」

何てったってここは、キャバクラでもホストクラブでもどちらでもない。ハイブリットな“かまっ娘倶楽部”だからだ。

「狙われるとしたら精々その青髭くれぇだろ。目の前で充電器にブッ刺さってる電動シェーバーにでも狙われてろ、深剃りされてろ」
「やだぁ〜んもう、パー子ってばぁ!ブッ刺すだとか電動だとか深いだとか!やらしいんだから〜」
「ぶっ殺されてぇのかアゴ」
「せめて美はつけてぇ!」

世間は連休中の今日、俺はこの店のヘルプに駆り出されていた。他にも複数入っている仕事の内の一つだ。元々俺一人で来る予定の仕事で、この場に新八と神楽はいない。

「その話なら俺も聞き及んでいるぞ、銀時。一概に他人事とも言えん話だ」
「あ?」

勤務時間が終わった今、もう既に時計の針は天辺を回っている。瞼と唇に桃色を載せた自分の姿から視線を横にずらすと、同じくばっちりフルメイクに女性物の着物を纏ったヅラが話しかけて来る。

「どうやらその事件、被害者は一人と言われているが他にも数名いるらしい」
「あら、ニュースでは一人でしょ?」
「他の被害者が全て幕臣関係者、圧力が掛かったのだろう。犯人は攘夷派の者と断定して捜査を勧めていたようだ。そのおかげで俺の耳に入ったのだが……どうやら、四人目は幕臣と関係のない町娘らしい」
「あらやだ、無差別って事ぉ?!怖いわぁ〜!私も気をつけなきゃ!」

言い方は悪いが、一人の被害者であそこまでニュースやら新聞に載るのも変な話だと思っていた。それに、つい先日ゴリラと交わした会話の理由が分かった。

『何でそんな警察みてえなこと言ってんの?』
『いや、そもそも警察だから俺。……ちょっと訳ありでなぁ、今その手の件の情報については随時募集中なんだよ』

訳あり、とはこの事で、戒厳令のもと捜査しているのだろう。なんやかんやで、あいつもちゃんと警察の仕事を全うしているらしい。

「お前の周りは男にも屈しないような逞しい女子ばかりではあるが……気には掛けておけ」

ヅラのその言葉に、一瞬で“例外”が思い浮かんでしまった。まだ知り合って日の浅いその女の背後にはもれなく、目尻と口元に長年蓄積された人格者の象徴のような濃ゆい皺が特徴の、あの顔馴染みの二人が映る。

「ほんと、皆逞しくて何よりだわ」

ヅラ子から視線を外して再び鏡に映る自分に戻した。

「パー子」

俺も面倒だからこのまま帰ろう。そう思ったところで、入り口から顔を覗かせる西郷が俺を呼んだ。

「アンタに電話だよ」





『はぁ?迎えに行け?すまいるに?何で?は?そもそもナマエちゃん働いてるって何。情報過多なんですけど』
『細かい事情は時間がないんで省きます。銀さんナマエの家、知ってますよね?』
『あの最近出来た、でっけぇマンションだろ?』
『そう。だから出勤中ずっと私と一緒に帰ってたんですけど、というか出勤日はずっと私と被せてあったんですけど……今日はあの子、一人なんですよ』
『……別にガキじゃあるめえし大丈夫だろ』
『銀さん、私、あの子のこと詳しくは知らないんですけど……何て言ったら良いのかしら。何だか、急にどこかに消えてしまいそうな。そんな不安定なところがある気がして。何でかしら、今日が満月のせいかしら?』
『かぐや姫じゃあるめえし。それはあれだろ、男が追いたくなる女って、何かそういう感じだろ。お前も見習えば?』
『銀さんが追いかけてくれるってことですね?じゃあナマエの事、よろしくお願いしますね。あの子にはメール入れとくんで』
『え、あ、ちょっと?もしもーーし?』

一方的にガチャンと切られた受話器の音に顔を顰めながら「あれ?なんか俺より仲良くなってない?」なんてことを思ったりもしたが、想定内だ。あわよくばそうなれば良いと思って紹介したようなものなのだから。そうやって人間関係の輪を繋いでいける女なのだから、もっと茶房以外の知り合いも増やしていった方が良い。
いつまでも他所者気分でキョロキョロしながら街歩いてるから、前みたいに変な奴に目ぇ付けられんだよ。もう江戸の住人なんだと、ちゃんとこの街に根張って前見て歩けよ。危なっかしいんだよ。

お妙に電話で押し付けられて仕方なく迎えに行ってみれば、一人で深夜の繁華街を歩くその華奢な背中はとても小さく見えた。左右を視線ちらり、ちらり。周囲の喧騒に目を向けながら歩くその様子は、不安を背負っているように見えてしまう。そのくせ足取りは迷うことなく、繁華街から横道一本逸れた道へ入っていったのだ。その様子に、俺は違和感を感じた。

そこは空き家が多い。住んでいても大体が夜職の人間で、夜明け頃まで人がなかなか通らない。だからありとあらゆる“いけない事”の穴場とされている。以前『通らない方が良い』と教えたはずだった。わざわざその道を選ぶ理由なんてないだろう。では理由があってその道を選んだのだろうか。だとしたら、その理由は一体何なのか。満月の薄明かりに照らされて一人歩く彼女の背中に追いついた俺は、後ろから声を掛けた。

もし大した理由もなくこの道に入っていたとしたら。もし“どうなっても良い”という自虐的な意図があるとすれば。
そんな“たられば”を考えて、少し彼女にイラついていた。まともな答えが返ってこなかったらどうしてやろうかと思っていた。しかし、俺はその返答に少し安心した。

『……不可抗力なんですが、結構お酒を飲んでしまって。大通りで一人で粗相をするのも嫌じゃないですか。ですからこの道に』
『んな吐くほど飲んだわけ?』
『自分のキャパを超えた量だったのは確かなので、念のためです』

往来で酔った女がゲロゲロやってたら声をかける奴は一定数いる。親切心1割、下心9割。そんな、マーライオン状態の女でも“構わない”という奴も存在するのがこの世の現実なのだ。彼女の言った通り『善人ぶった悪人ほどタチの悪いものはない』ということだ。



「じゃあな。すぐにケータイ充電してお妙に連絡しとけよ」
「はい、おやすみなさい」
「ん。おやすみ〜」

自動ドアを通り、エントランスから中の住居エリアに入っていく背中を見届けた。

(相変わらずでけぇマンションだなオイ)

繁華街を出てから目の前に現れる横断歩道。そこを渡ってすぐにマンションの入り口がある。渡らずそのまま左へまっすぐ行くと、新八とお妙の住居である道場に辿り着く。そのため建築中から看板やら広告やらを目にしており、おおよその価格帯も知っている。それは俺では手が出ない数字だ。

初めは、背後に金払いの良いパトロンがいるのではないかと思った。しかし、カモフラージュのためだとしても昼職としてあの茶房を選ぶとは考えにくい。そもそも店主に心配されるほどに連日働こうとするのがおかしい。仮に金に困っていて住居費を払うために必死に働かなければいけないのだとすれば、ますますおかしい。言っちゃあ悪いが、あの茶房では効率が悪すぎる。それならキャバ嬢にでも転職した方が良い。

(にしても、まさかお妙のところでバイトしてたとは。人手不足っつってたからなぁ……)

前に店に連れて行ったあの時。おそらく、お妙が厠へ様子を見に行ったタイミングだ。あいつがナマエちゃんの連休中の予定の空白を悟り、バイトの話を持ちかけたんだと思う。帰り際に『銀さん送り狼にならないで下さいよ?ナマエさん、何かあったらすぐ連絡して下さいね。私が捻り切り落としに行ってあげますから』とか言って何やら親密そうだと思ったら。今思えばあの時すでに連絡先交換していたのだろう。

(……そこまで仲良くなるとはねぇ)

わざわざ俺を迎えに行かせるほど気に掛けている。余程気に入ったということなのか。まぁ、お妙が電話で言っていた“不安定さ”には心当たりがある。瞳の奥を揺らしながら、まるで別の景色を見ているような。そんな消え入りそうな表情に見覚えがあるから。

(それに、)

『坂田さんが付いて来てくれてたってことは、他に変な人はいなかったってことですよね』

決してお気楽な天然女というわけでも、危機管理能力が低いと言うわけでもないと思う。でも、お前は気付けない。気付けないお前が悪いわけじゃない。そういう“普通”の女だから、ある程度は仕方がないことなのだ。

「……出てこいよ」

ずっと背後からつけられていたことに、気付かない。そんなお前を追いかけて、声を掛けていたのが俺では無かったとしたら。

「……ゴリラ」

物陰から出てきた私服姿の近藤。これが、このゴリラでは無かったとしたら。そう思うと、本当にゾッとする。

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