鏡花水月 | ナノ

月影が水を穿つ

二:5月6日 深夜


「説明しろよ。何なんだよ、『あとで説明するから今はとにかく追いかけろ』…って」

俺はお妙に、“すまいる”まで迎えに行け、と言われた。しかし、店に辿り着くことはなかった。何故なら、向かう途中に会ったコイツに声を掛けられたせいだ。

『遅えよ万事屋ぁああ!電話もメールも、ナマエさんと連絡つかないってお妙さんが!とにかく早く追いかけて!』

と急にこのゴリラに早口で捲し立てられ、今現在に至るのだ。

「さっきも言っただろ?お妙さんから俺に電話があったって」
「あぁ、珍しいこともあるもんだよな」
「だよねー!嬉しくなっちゃった!…じゃなくて!お前に伝言頼まれたって言ったろ。なのにお前が来るの遅いからさぁー!」
「仕方ねえだろ?急に来い、なんて言うから。準備に手間取ったんだよ」

新八は看病で家にいるから、俺の居場所はあいつから聞いたんだろう。わざわざ、かまっ娘倶楽部に電話を掛けて来たお妙。
面倒なので女装のまま万事屋まで帰宅しようと思っていたのに『ナマエをすまいるまで迎えに行って欲しい』なんて言われたものだから。さすがにパー子のまま行くのはどうかと思ってわざわざ店で化粧を落として女装解除してきたのだ。

「つーかさ、それならお前があの子を送ってやれば良かったじゃねえか。わざわざ俺を待つ必要なんてなかっただろ」
「……お妙さんに伝言を頼まれたって言っただろ。お前とナマエさんが行き違いにならねえように。それに俺、今日は私服だけど一応仕事中なんだよ」
「仕事ってのはあれか?……あいつのケツ追いかけんのが仕事だとでも言うのかよ」

仁王立ちで腕組みをして、神妙な顔をしている近藤。刹那の沈黙が痛い空気の中、一切目を逸らさずに言った。

「そうだな」

それはきっと、お妙に対してのストーカー行為のようなものではない。

「言い方は悪いが、山を張らせてもらったんだ」
「山?」
「……婦女暴行事件。あったの知ってるか?」
「あー、なんか新聞載ってたやつだろ?」
「この事件に関しては戒厳令が敷かれてるんだが、本当は一件だけじゃなくて連続で何件も起きてる。ある程度犯人の目星をつけてたはずが、急に無差別犯の線が高まっちまったんだ。それで、人手がいるってんで真選組も駆り出されることになった」

先程、かまっ娘倶楽部でヅラに聞いた通りの話だ。

「ざっくりとした共通点が、大人っぽい美人ってことくらいしかなくて。そこで最初、俺はお妙さんに山を張って彼女の身辺を警備することにした」
「それいつも通りじゃね?」
「この大型連休中、私服だけど一応毎日仕事だったわけで、さすがに毎日店に顔出すわけにもいかねぇ。だから店の前で張り込みしてたんだよ。そしたら、……ビビッと来たんだ」
「何が?尿意?便意?」
「違う!警察の勘的なやつ!……一年くらい前かなぁ?金木犀の香水が流行ったの、覚えてるか?」
「あー、なんかお妙と神楽が騒いでたような……」

確か宇宙全体で流行してたとかいうやつ。お妙は『偽物掴まされた!』ってブチ切れてて、神楽は『買ってよ銀ちゃん!』と強請って来たので『宇宙産のやつなんだからパピーに頼め』と言って珍しく買ってもらえたらしい。しかし現物を嗅いで『炊き立てのご飯の方が良い匂いアル』とか言ってた。色気より食い気すぎる。炊飯器の横に落ちて忘れられたカピカピのご飯粒でも塗りたくってろ。

「そう……その偽物、掴ませちまったの俺でさぁ」

肩をガックリ落としてボソボソと呟く近藤。

「あー、あれお前があげたの?」
「そうなんだよ。騙されたんだ……俺以外にも結構被害者がいるみてぇでな。それに他にも色々やってたらしく、偽物売ってた会社の主犯は逮捕されたんだ。あいつの顔だけは忘れねぇ!そう心に刻んだ」

影を落としていた近藤の背後がメラメラと燃える炎に変わり、ぐっと握り拳を天に突き上げる仕草をする。

「へぇー、全然知らねぇわ。そんな事あったっけ?」
「知らねえのも当然だ。奴は金を積んで報道を規制したんだからな」
「そんなに儲かってたのかその会社」
「奴は、有名な商家の次男。実家は長男が継ぐが、そんな話が世間に広まったら困ると言って金を積んだんだろう。その後は勘当されたみてえだが」
「ふーん。で、それが何の関係があんの」

大人しく聞いてはいたが、今のところ全く話の流れが見えない。その詐欺会社の商家次男坊が一体何だと言うのか。

「なんか見覚えのある顔のやつが店に入ってったと思ったら、そいつだったんだよ」
「…逮捕されてたんじゃなかったのか?」
「それも、金積んでたんだろうな。罰金刑で免れたってわけだ」
「これだから金持ちは嫌だねぇ」

パパの金で娑婆に出て来たのか、もしくは贋作で巻き上げた金なのか。どちらにしてもいけ好かない。

「で、気になってその日は店に俺も客として入ったんだ。運良く、近くの席に座れてな。そこでまた、ビビッと来たんだよ」
「警察の勘?」
「いや、……これはストーカーの勘だな」
「そこは警察の勘であれよ」

なんだよストーカーの勘って。もう完全に認めてんだろ自分がストーカーって。

「連休中、お妙さんは自分専用のヘルプとしてナマエさんに短期バイトをお願いしたそうだ。だからずっと同じ席で接客していた。いざ、あの男の接客になった時、」

目を伏せ、ふぅと一呼吸。パチっとゆっくり開いた瞳は、やはりストーカーというには少し違う。

「ナマエさんを見る時の目が気になった」
「眼?」
「あぁ。見た目や言葉遣いこそ小綺麗に取り繕っちゃあいるが、眼の奥に潜んだドブみてえな汚さは隠しきれちゃあいなかった」
「……」
「その日から数日後、お妙さんは元気だったはずなのに急に空咳をし始めた。そこからあれよあれよと悪化して熱が出て。ナマエさんは一人で出勤することになった」
「……まさか、一服盛ったってのか?」
「とある惑星に、疑似風邪のような症状を引き起こす薬草があるらしい。空咳から始まり数日後に発熱。熱は一日で引き、咳もぴたりと治る。……じきにお妙さんも、何事もなかったかのように症状が引くはずだ」

たしかに新八から『結構しんどそうにしてる』と聞いていたにも拘らず、さっきの電話では喉が枯れている様子もなく流暢に話していた。もう既に体調は回復しているのかもしれない。

「ただ、毒と薬は紙一重。もともと合法の薬にも使用されている植物の上、体内に溶け込んで仕まえば検出も難しい。この件については立件は出来んだろう」

何も出来ない罪悪感からなのか、眉尻を下げて微笑む表情は少し気まずさが滲み出る。

「今回確実に言えるのは、前回から一度も顔を見せなかったあいつが、今日店に来たってことだ」
「それはつまり、」
「ナマエさんが一人になったタイミングだ」

一人とは、接客を一人でということなのか。それとも別の意味なのか。

「なぁ、それって」
「……毎日、帰る二人の後をつけていたが怪しい人物は見当たらなかった。しかし尾行と目的とせずに、ただ“二人が一緒に帰っている”という事実だけを確認する輩はいたのかもしれん」

人混みに紛れてしまえば、さすがにその視線には気付けないということだろう。たまたま通りすがる女二人をチラ見する事なんて、誰にでもあり得る話だ。そんなありふれた視線を選別するには限度がある。

「だが、おそらくお妙さんがいる間に事は起きないと思った。だから昨日は店に行かなかった。それに、昨日がナマエさんのバイト最終日のはずだったからな」
「でも違ったと」
「あぁ。お妙さんの様子を見に行ったら寝込んでて。彼女が熱を出したから、人手不足もあってナマエさん自らバイトの延長を申し出たそうだ」

言いそうだわ。ワーカーホリックだもんアイツ。暇があるより働いてる方が良いとか何。寂しがりなの?

「お妙さんにも頼まれたし、客として店に行った。そしたらあの男が現れたってわけだ。今日も横の席でな。タイマンで接客してたけど……やっぱ黒だよアイツ」

眉間に皺を寄せて俺から目を逸らし、何もない空間を睨みつける。

「……それはつまり、そいつが婦女暴行犯で、次の狙いがナマエちゃんってことか?」
「いや、少し違うんだ。……この数日間、奴について調べていた」

昨日はその件もあって忙しくてな、と言う近藤。意外と真面目に仕事してんだな、と思う一方さっさと結論を言えという苛立ちが勝ち奥歯をギリッと噛み締める。

「最近、新しく会社を立ち上げたらしい。そして奴に『映像作品を買わないか』と話を持ちかけられたという証言がいくつか上がっている」

あぁ、何だかようやく話が見えて来たような気がする。

「元より、今日は跡をつけるつもりだったんだ。俺は店にもいたし、顔が割れてる可能性もある。今後の捜査に支障が出ることを考えると、堂々と彼女の隣を歩いてやることは出来んかった」

すまなかったな、と気まずそうな笑みを浮かべる。

「まぁ、結果論でしかないが今日は何も起きなかったみたいで良かったよ。他に誰もつけてる様子もなかったしな」

確かに、大通りもそうだがこの脇道に入ってからも、近藤以外の気配はしなかった。しかし、問題はそこではない。

「なぁ。それって、他の連中もナマエちゃんが狙われてるかもって知ってんのか?」
「いや、完全に俺の独断で動いてる。なんせ確証は何もないから……あ、」

プルルルル、プルルルル。夜の闇に吸われるかのように、控えめな電話の音が鳴った。

「すまん、」

一言断ってそのまま電話に出る近藤。

「トシか……あぁ」

車道に面しているとはいえ、走る車はまばら。何を話しているかまではわからないにしろ、細々と電話口の声が漏れてくる。それは確かにあのイケすかないニコチンのしゃがれた声だった。

(……もし、)

犯人が逮捕されたとしたら。彼女は事情徴収を受けることになるのだろうか。それはあまり良い気はしない。
能天気に『誰にも跡をつけられていない』なんて言っていたくらいだ。おそらくあの様子だと、本人は何も気付いていないだろう。もし何かしら気付いているのなら、少しくらいサインを出して欲しいものだ。

そんな彼女に、「実はあなたは婦女暴行の上にその様子をビデオに取られそうになってたんですよ」なんて言うのか。むしろそれが一番精神的ダメージを負うのではないか。実害はまだ起きていないにしろ、いわゆる“セカンドレイプ”というものになりかねない。

隠れて犯人を捕まえたとしても、警察に身柄を取られてしまえばそれが現実になりかねない。それを防ぐには、犯人の息の根を止めるくらいしか方法が思いつかない。

(本当、勘弁しろよ……)

どうやら彼女は、この連休中。少し目を離した隙に厄介ごとに巻き込まれていたらしい。脳裏に浮かぶおばちゃんとオヤジの顔に思わず頭を抱えたくなる。

「……!!そうか、わかった。今から向かう」

話が済んだらしい近藤は、通話を切った携帯電話を懐にしまった。

「万事屋」

まっすぐこちらを見てくる近藤。

「奴を任意で引っ張ろうとしたら、犯行を認めたらしい」
「……」

その犯行の中に、“犯行予定”だったものも入っているのだろうか。何かしら揉み消す手段がないか、思考を巡らせようにも情報が少なすぎる。もう少し近藤からの言葉を引き出したくて、続きを待つかのように相手と目を合わせる。

「心配しなくても、お前が思っているようなことにはならねぇさ」

ふっ、と薄く笑いながら腕を前で組んだ。

「今回の事件と、お妙さんの店は一切の無関係。そういうことで処理される」
「…………」
「この件はとっつぁん……警察庁長官が持つらしい。何でもあの店騒がしたくねえから、あそこでは一切何もなかったってことにするんだと」
「職権濫用も良いとこだな」
「何せ、将軍様御用達の店だからな。……まぁ、ほぼとっつぁんの私欲だとは思うが。もし事情聴取なんてことになったら、キャバ嬢の子達怖くてやめちゃうかもしれねえだろ?」
「……ゴリラ、」
「怖いだろ、そんな事あったなんて知ったら」

先程こいつが言った『お前が思っているようなこと』というのは、きっちり的を得ているらしい。

「実害はない。そもそも実行さえされていないのだから、未遂ですらない。立証しようにも証拠もない。……俺はただ、よく出入りしてる店でたまたま見慣れない客がいて、それが元犯罪者だったから調べてみようと思っただけだ。そしたらたまたま当たりを引いた。それだけの話なんだよ」

こいつも大概な職権濫用だ。そうは思いながらも、ナマエちゃんの存在は完全に有耶無耶にされるらしい流れに安堵する。

「あ、」

何かを思い出すかのように声を漏らすと、「そういえば」と後頭部を掻く。

「独断で動いたとは言ったが、トシはこの件の全貌を知ってる」

まぁ、電話の主がアイツだったのだからそれはそうだろうとは思っていたが。

「知ってるのはトシと、とっつぁんだけだ。そもそもただの勘だから山が外れる可能性もあるし、初めから店は迷惑かけねえようにって少数で動いてた。まぁ万事屋ともお妙さんとも知り合いだし、今後会うことになるかもしれねえんだが……少なくともトシは問題ねぇだろ」

ハッキリとは言わないが、ナマエちゃんのことだ。というか、その言い方ではとっつぁんとやらは問題あるのか。

「それにな、何人かは知ってる人間がいたほうがいい」

何故かまた、急に神妙な顔をする。

「今後真選組は、この事件の管轄から完全に外れる。世間には解決したって事にして」
「……やっぱり実行犯は別か」
「おおかた、足が付かねえようにその都度金で雇った人間だろうとは思っちゃあいるが、まだ完全に安心できるかっていうと……そうわけじゃねえだろうな」

その辺のゴロつきとか住所不定無職とか。もしくは日雇いの忍者とか。自分の手を汚さない手段はいくらでもある。もしくはトカゲの尻尾切りのような末端の組織がいて、司令官を失ったことにより勝手に事を起こさないとも言い切れない。

「管轄から外れることで今後は情報が入りにくくなる。だから、彼女のことを気にかける人間は多いに越したことはない。かと言って事情が事情だからな、無闇に増やすこともできん」

こちらを見る視線は、その人間の中に俺が含まれていることを示している。

「四六時中見てろってか?別にそんな深い仲でもねえし、そんなん無理だろ。それストーカーだろ完全に。たぶん、あいつ昼の本職に戻るから大丈夫じゃね?」

さすがに真っ昼間の往来でそんな事件は起きないだろう。あの店で働いているということは本来は朝型の生活をしているはずなのだ。ならば滅多に真夜中に出歩くなんてことはない。休みよりも出勤してる日数の方が遥かに多いから、何かあれば真っ先に店主夫妻が気付く。あの夫婦は顔が広いから、その気になれば常連客ネットワークで広範囲に捜索をかけることができるんじゃないだろうか。
もし気に掛けてやるとすれば店が休みの日くらいだ。オヤジにも言われた通り、街で見かけたら声掛けてやれば良いと思う。

「最初は、分かりづらい子なのかと思ったんだ」
「……?」
「笑顔に勝る化粧はないっていうけどよぉ、常に笑顔で一切感情も読めないってなると、それは無表情と一緒だろ?辛くても笑顔を絶やさないような強い女性は、尊敬するし魅力的ではある。だが、やっぱりちょっと不安になるわけよ」

近藤は片方の手のひらに視線を落とし、それをギュッとキツく握りしめた。

「男ってのは鈍感だから。肝心な時に気付いてやれないんじゃないかって」

そして伏し気味の目で、その握り拳をじっと見つめる。

「やっぱり少しくらい本心が漏れるような、そういう人間味のある方が良いんだよ」

拳の力を緩めてやんわり広げると同時に、その表情も柔和になる。

「お妙さんもあんなに上品な笑顔のまま、俺に照れ隠しで鉄拳ぶつけて来ちゃうようなところが人間味があるっていうか。可愛いよな!」
「いや、それは本心が行動に出てるだけだと思う」
「……ちゃんと、サインの出せる子みたいで安心したんだよ」
「……意味わかんねぇんだけど」

俺の居合わせない場で、そういう会話が成されたのだろう。
何となく、オヤジと似たようなことを言っていると思った。確かオヤジも笑顔云々言っていた。

(みんなして似たようなこと言いやがって)

お妙も含めておそらく皆、共通した意識が芽生えている。それは俺にもあるが、俺の場合は完全に店主夫妻による刷り込みだ。あれだけ心配だ心配だ、と言われたらこっちまで心配だ、が感染してしまった。

店でしつこいくらいに『ナマエちゃんナマエちゃん』と名前を呼んでいるのは決して気のせいではない。あれはわざとだ。
俺たち常連客も彼女の名前を呼ぶ度、その背後に厨房から覗く店主夫妻の顔が思い浮かぶのだ。そして何か彼女に邪な感情を抱こうものなら、その店主夫妻が包丁を研ぎ始める……ような気がする。

「とにかく。俺ら男は、そういう小さいサインを見逃さずに、女の笑顔を守ってやらねえとな。万事屋」
「……へいへい」

そういえばさっきのナマエちゃん、タバコの匂いに混じって金木犀の匂いがしていたなぁ、と。
茶房では決して香ることのない彼女の匂いに湧き立ってくるものは、強制的に刷り込まれた“庇護欲”によって奥底へ押しやられた。

(2023.4.6)

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