鏡花水月 | ナノ

望まぬ邂逅

一:四月二日 土曜日

登場人物の二人と遭遇した翌朝。私は少しだけ部屋の荷物の整理をした。
真っ先にスマホ。ひとまず解約はせず、封印することにした。その為に昨日ガラケーを契約して来たのだ。店員の言っていた通りだと、スマホを使う地球人は少数派。普段使いすると変に悪目立ちする可能性がある。それだけは避けたい。スマホなしで生きられるか不安だが、連絡先どころか、連絡を取る相手も誰もいなくなったであろう今ならば然程問題ないだろう。そう思ってデスクの引き出しの奥へ仕舞い込んだ。いざとなれば、先程使用できる事を確認したパソコンもプリンターもある。道が不安なら事前に地図を印刷しておけば良いだけだ。今より少しだけアナログ人間になれば良い。

夢が現実か、まだ正直言ってよくわからない。そんな譫言のようなことをずっと頭の中で反芻しているのに、眠くもなるしお腹も空く。自分は、結構逞しい人間なのではないだろうか。
冷蔵庫からゼリーを取り出して食べると空腹感は満たされる。朝の顔を洗う水の冷たさも、歯磨き粉の清涼感も、ホットコーヒーの温かさも、喉を通るゼリーの感触も全てリアル……と言うより、現実そのものだった。
本当はもう"私のいた世界ではない"この場所は夢ではなく、紛れもない現実なんだと理解している。でも「そんなこと普通ありえない」と常識を唱える私がずっと頭の中で騒いでいて、ここが夢だと言わしめる何かがないかを常に探している気がする。

取り急ぎ必要であろう部屋の整理を一通り終え、二人がけのソファーに座る。目の前に置いてあるローテーブルに飲みかけのコーヒーを置き、入れ替わりにリモコンを手に取ってスイッチを押した。テレビを付けたところで、知らないタレントや意味のわからないニュース番組が流れてくるだけ。目線を逸らして窓の外を見ると、自分の家の中のはずなのに知らない風景。私の記憶の中と一致するのは空が青いと言う事だけ。

そもそも、何故こんなところにいるのか。どうやって、こんなところへ来たのか。それがわからなかった。考えられるとすれば、レンタカーで田舎へ行ったこと。
しかし、トリガーが何かがわからない。田舎へ行ったことなのか、レンタカーを使ったことなのか。それとも流れ星を見たことなのか、エイプリルフールだったからなのか。……同じ状況を試したとしても帰れる保証なんてないし、何も起こらなかった時に自分の精神状態をまともに保てる自信がない。何より自分で星を流すことなんて出来ないし、エイプリルフールという条件も揃えるには一年後になってしまう。
それにまだ、交通事故で死んだ可能性もゼロではないと思っている。そんなこと再現したら帰るどころの話ではない。そもそも、帰ることなんてできるのか?それすらわからないのだ。

昨日家へ帰ってからずっとこんな思考が頭の中で無限ループしていた。しかし考えれば考えるほど、自分にどうこうできる問題ではない気がする。

(もう、悩んでも無駄なんじゃない?)

そう思い無理やり思考を停止した。……うじうじと考えている場合ではないのだ。なんとか慣れなければいけない、この状況に溶け込まなければいけない。

しばらくはここで生活しないといけないだろう。街へ出るのもあまり気乗りしないのだが、情報収集もしないといけない。それにずっと一人で家にいると、気が触れそうだった。ワンピースを着てもそこまで街で浮かないことは昨日でわかったので、クローゼットから適当に引っ掴んだものを着た。他の身支度も整え、黒いショートブーツを履いて外へ出た。

……マンションを出て横断歩道を渡ると、繁華街の入り口はすぐそこ。少し歩くと商業施設やビルなど背の高い建物は減り、スーパーや飲食店が立ち並ぶ。

(……ここで買い物すれば良いのか)

そういうことを確認しながら歩いていると、"茶房"と書かれた暖簾を出す木造建築の店先で、引き戸にビラを貼っている人がいた。貼り終わるとその戸を開けて入っていく男性。興味本位で扉に近づいてみると、どうやら求人票のようだった。

【急募】
朝から働ける方
シフト要相談

なんともざっくりした求人。でも、働くのもいいかもしれない。別に一生働かなくても生きていけるほどの財産を持っているわけでもないし。こんな意味不明な状況下に置かれていたらいつ何があるかわからないので、収入源の確保は必要だと思う。免許証も銀行口座も住むところも問題なく持っている自分は、おそらくバイトするのも問題ない。それに、このまま誰とも関わらずに一人でいたらきっと本当に頭がおかしくなる。

(働いていたら、少しは気が紛れるかな)

志望理由としては落とされかねない不純な動機で、私は店の扉に手をかけた。

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