鏡花水月 | ナノ

アンニュイな女

一:四月二十四日 日曜日


「おばちゃん、今月変な客とか来てやせんか?」

俺に出来上がった定食を持って来てくれたおばちゃんにそう尋ねた。

屯所にいる他の連中に比べて一際若い自分が、朝でもがっつり食べたいという時に訪れている馴染みの店がある。本当は朝10時から営業開始で甘味も出してる茶房なのだが、実は朝7時から定食のみ営業している。店はよくある木造建築で店内奥には厨房、そのすぐ前にカウンター席が6席、その手前に4人がけのテーブルが3つ。10時までは店先の看板も暖簾も出ていないので、営業してることを知らないと店に入ろうとは思わない。

俺がこの店を見つけたのも偶然だった。珍しく真面目にやった夜通しの張り込みを交代して屯所への帰路に着く途中、暖簾のかかっていないその店へ人が入るのを見かけた。ドアが閉まる前に後ろから店の中を覗き込むと、男性客が複数人座っている定食屋のようだった。愛想の良いおばちゃんに声を掛けられるとカウンターに座りるよう促され、気づいた時には目の前に提供された定食を食っていた。『初めてのお客さんだなぁ』なんて店主に声を掛けられたので、全員の顔を覚えているのかもしれない、と思った。自分もまさか営業してるなんて思わなかったので"知る人ぞ知る店"というやつなんだろう。

その後も何度か店を訪れた際に聞いた話だと、俺の事は初めから知っていたらしい。『うちの店は壊さないでおくれよ』なんて笑い飛ばしながら言う二人の人柄に惹かれて、来店時は可能な限りピーク時間からずらして通うようになった。そして、店主のおっちゃんと女将のおばちゃんとくだらない雑談を交わす。安くて美味くて量も多い。あまり人に教えたくないと言うことなのだろうか、俺以外の客も一人で来てる奴しか見た事がない。

「変な客?どんなだい?」
「店員にキモい絡みしたり、キモい視線送ってたり」
「それってナマエちゃんにかい?ないない!いたら追い出してるよ!」

空中をパシンっと叩くような仕草をして、カラカラと笑うおばちゃん。

「なんだい、心配かい?あの子のこと」

ナマエちゃんとこの店で会うのは……確か、4回目。それは全て今月の話で、俺が今月店に来た回数と比例する。数回あった非番と、一度だけ制服で来た時のことだ。俺が店に来る時間には大体他の客がおらず、どうやら新しく雇ったバイトである彼女の賄いの時間に充てることになったらしい。他の客と同じ空間にいるのと変わりゃしないので『別にかまわない』と言って、何度か一緒に肩を並べて飯を食ったことがある。

「ふふふっ、総悟くんがナマエちゃんと仲良くなってくれたなら安心だねぇ」
「仲良いですかねぃ?」

喜怒哀楽の表情に落差がなく、基本的にテンションが低くて落ち着き払った女。とはいえ、愛想が悪いわけでも陰気なわけでもない。ゆっくり控えめな仕草で、ガサツとは無縁。声を荒げるところを聞いた事はないし、少し気怠げで脱力感を感じさせる話し方には自分と似通ったものを感じる。しかし決して面倒臭そうだったり、だらしないものではない。いつも全力投球で天真爛漫なタイプの女と違って、この雰囲気にはこちらも力を抜いて良いような気がしてくる。

彼女自身のことは殆ど何も知らない。まだ数回しか会っていないことも理由ではあるのだが、彼女自身があまり多くを語らず必要最低限以外に口を開かないから。それと同時に、こちらに不躾にものを尋ねてくる事もない。良い意味でも悪い意味でも、一定の距離感から先を縮めようという気が無いのだ。だからこそ俺の邪魔をする事なく、非番の朝の光景にスッと馴染んだ。

しかし、仲が良いかと言われると些か疑問がある。俺にとって彼女は店の一景色に過ぎず、特別好意があるわけでも嫌悪感を抱いているわけでもない。

「確かに……お二人とも肩の力が抜けたような、似通った雰囲気を感じますね」
「だろう?」

たまにここで会う小綺麗でイケてるオッサン、俺の中では通称イケオジ。さっき食い終わって食後のお茶を飲んでいるところ。俺の一つ飛ばした横に座っている彼がそう言った。それに賛同するおばちゃんの目尻の笑い皺が濃くなる。俺ァ基本だるそうに話してるだの何だの思われることは多いが……あぁ、まぁ確かに彼女もそんな感じか。いや、俺よりはもうちっとカチッとしてると思うけど。

「そういえば最近よく来てくれてるねぇ総悟くん。……ナマエちゃん目当てかい?」

いつものハツラツとした声ではなく、手を口の横に添えてヒソヒソと言ってくるおばちゃん。でも顔は相変わらずにこやかで楽しそうにしている。朝からこの顔を見ると、こちらもつられて何となく陽気な気分になるのだ……まぁ内容は別として。ただの世間話として振ってるだけだろう、と特に気にすることなく受け流す。

「そんなんじゃありやせんよ。最近は休みが安定してるだけでさァ」
「確かにしばらく顔見ないなんて時もあるねぇ」

おばちゃんもサッパリした性格の人で、特にしつこくそのネタを引っ張る様子もなく会話はすんなり別の流れに乗った。
仕事柄、討ち入りやら何やらあれば休みもなくなる。その時の情勢によって忙しさも変わるため、一ヶ月以上空くこともあった。そしてまた、来られない状況に見舞われそうになっている。

「まぁでも、またしばらく来れなくなりそうでして」
「あら、忙しくなるのかい?」
「件の事件、管轄はウチじゃあ無えんですがねぃ。連休前だし見回り強化するみてぇで」

ちょうど後ろで新聞を広げた客とナマエちゃん達が話しているのが、その件の婦女暴行事件のことだ。今回初めて起きた事件かのように言われているが、実はそうじゃない。これで四件目なのだ。
これまで三件の被害者が幕臣の娘。全てここ二週間で起きたことだ。こうも短期間に立て続けに狙われたため、二件目の時点で犯人は攘夷派の連中だと思っていたらしい。
しかし、それは違った。四人目の被害者が幕臣の娘では無かったのだ。それどころか親戚ですらない、団子屋で働く町娘。そうなるとただの無差別犯の可能性が出てくる。幕府関係者の繋がりが無いか関係を洗ってるところらしいが、そんなチンタラしている間にまた事件が起きかねない。
焦った上の連中が、市民への注意喚起の意味でメディアに報道させた。とは言っても、被害者が特定されないように最低限の情報のみしか出せない。しかも、前三件は緘口令が敷かれているのだ。娘がそんな目にあったなんて良家の面子は丸潰れ、嫁の貰い手がつかなくなっては困る。そう言って、各家の当主が万が一にでも情報が漏れないようにと手を回した。そのせいで連続事件として報じることができなかった。 

いずれも夜の犯行、被害者の誰も犯人の顔を見ていなかったという。目撃者もおらず情報が少ないこともあって未だに犯人の目星は検討もつかない状態。そもそも攘夷浪士の犯行と決めつけていたのが見当違いだった事にようやく気付いて、一から洗い直し。
担当管轄がノロマでドン臭えだけだろう、という土方さんの意見に俺も賛同だった。捜査不十分のせいで犯人を野放しにして、連続婦女暴行が四件も起きてしまったのだ。しかも全員刃物で斬られるという悪質なもの。まぁ流血沙汰ではなくかすり傷程度の軽傷なのだが、それでも嫁入り前の女が怪我をしている事に変わりはない。その事実がバレる前に数に頼って早期解決しようと、急遽俺たちまで駆り出される事になった。
何とも間抜けで迷惑なこの話を聞いたのはつい今朝の話。表向きは連休に向けた春の見廻り強化という名目になるらしい。

「沖田さん方が動いてくださるのであれば安心ですね」

イケオジがそう言った。俺達が動いただけで本当に解決するならありがたい。なんてったって見回り強化の地域は江戸全域、事件発生場所はバラバラで共通点がないのだ。いかんせん範囲が広すぎるし、次にいつどこで起きるかの目星すらつかない。
そのせいで方が付くまで休みがないかもしれないし、今日だって私服で来ちゃあいるが夜から勤務だ。事件解決までは暫く夜勤なので、おそらく店には来れないだろう。早く解決してほしいところなのだが犯人像も全くわからない今、解決の目処は立っていない。

「ま、あんま期待しねぇで下せぇよ」
「はっは、ご謙遜を。でも本当に心配ですね、特に彼女」

軽く振り向いたイケオジの視線の先には、先程新聞を読んでいた客を追うようにレジへ向かうナマエちゃん。彼女の背中を見ながら、小声でそう言った。



…………俺が彼女と会ったのはこの店が初めてではない。彼女がまだここで働き始める前の、エイプリルフールの非番の日。陰気臭え女に群がるナンパを追い払った。日中の陽気な日差しに照らされて咲き誇る満開の桜の中で、その淡い色の光景の中に一際浮いている真っ黒いワンピースを着た暗そうな女。それがナマエちゃんだった。

その約一週間後の四月九日、この店でその彼女と再会した。ちなみにしっかり日付まで覚えてるの非番だったからだ。店の扉を開けるとカウンター席で飯を食っていた。初めは気付かなかった、服装が違いすぎて。その日は確か鶯色の色無地、少女とは言えない彼女の大人びた顔によく馴染む着物だった。俺と違って暗い色の髪は低い位置で団子状に纏めており、髪や肌の具合から見たところ妙齢の女。目力がないわけではないが、どことなく伏せたような目元。覇気のない目元と相まって、どこか憂鬱そうで物憂げな表情。この顔に見覚えがあったのだ。

雇われたのは俺と公園で出会った直後だというバイトの彼女を、初めは疑いに疑った。何故こんな短期間で二度も顔を合わせたのだ、しかもこの店で、と。俺を待ち伏せしてたのか、ハニートラップか、公園で会ったナンパ師たちも攘夷派でグルだったのか、など。
しかしそれら全ての仮説は、すぐに否定することができた。他にもいろいろ理由はあったが、そもそも俺が店に入った瞬間にいきなり噎せて咳き込むような女は間者失格だろう。まだうちの山崎の方がマシな仕事をする。それに全然向こうから絡んでくる気配がなかった。それどころか、公園で会ったことを話してこようともしない。困り顔で気不味そうにこっちを見てくる女の顔に、真選組としての俺への殺意や憎悪も見えなかった。何度も見たことがあるのだからわかる。これは俺に仲間や身内を殺された奴の態度ではない、と。

非番の朝にも関わらず、そんな脳内会議をさせられてどっと疲れた。疲れさせた張本人のくせに、俺と初対面のフリを決め込もうとしてる女に少しムカついた。だから『世間知らずのどっかの令嬢が家出でもして来たのかと思ってやした、あん時』なんて少し嫌味っぽいことを言ってみた。まぁ嫌味と言っても、そう思ってたのは事実なのだが。それに対して、全く動じることもなく淡々と返して来やがった。でも、ゆっくりと落ち着きのある口調はその大人っぽい見た目と合っていた。俺の質問に渋々返してる感はあったのだが、隠すわけでもないし店主夫妻には身元を明かしてる様子だった。単純に会ったばかりのやつがズケズケ聞いてくるなということだろう、と思った。まぁでもそれは俺だって同じだ。馴れ馴れしくすんな、と思うから。

その後も当たり障りのない質問をしてみるとやはり返答はする。だが俺に興味が全くないのか向こうからは一切質問してこないし、最低限しか口を開かない。でもその頃には困り顔も消え失せていて、公園での第一印象だった陰気臭くて暗いというイメージは無くなっていた。最初に噎せて咳き込んだ以外は大きなリアクションをする事はなく、余裕綽々たる面持ち。元々ベラベラと話すタイプではないのだろう、と思った。
それらの態度は“合格”だった。喧しくて馴れ馴れしい女なら店から追い出そうと思っていたから。店主夫妻にバレずに自主退職に追い込むなんて造作も無いことだ。猫撫で声で媚を売ってきたり、ズカズカと俺に踏み込んでこないなら今後も店に居させてやる。命拾いして良かったな。そういうつもりで名乗って帰った。

その次に店に来た時も、また彼女と席を並べて飯を食うことになった。前回も気まずそうにしていたのだが、やはり客の俺への遠慮らしかった。その時間帯に新たに客が来ない事は俺もよく知っている。だからこの時間に賄い食ってんだろう、と思った。
それに前回『かまわない』と言ったのは、別に店員であろうと客と同じ空間で食ってるのと大して変わりゃあしねぇからだ。これ以上は不毛なやり取りだと思ったので横の椅子を引いてやると、大人しく座った。

飯を食ってなけりゃあそれなりに会話を続ける意思はあるらしかった。前より多く紡がれる彼女の言葉は、棒読みとも取れる脱力感のある話し方だと思った。基本的にテンションが低いのだが、愛想が悪かったりこちらを不快にさせるものではない。むしろ良い感じに緩い空気感が心地良かった。わざとらしいオーバーリアクションなどは一切無く同じトーンで話す口調は物静かでしっとりしていて、他に誰も客がいない落ち着いた店内の雰囲気にとても合っていた。
食事中は、おっちゃんの『揚げたての内に食っちまいな』という言葉に従い、あまり会話をする事はなかった。もう彼女の口数が少ないのはわかっていたので、無理に会話を振って間を繋がないといけないというプレッシャーや気不味さはなかった。そのため、食い始める前に話していた浅漬けを頬張り『アスパラ美味えな』など定食の感想を少し挟む程度に留めた。やはりこちらから話を振らないとなかなか口を開かないらしく、自分から何かを語ることはない。しかしその分、こちらにズカズカと土足で踏み入ってくることもないと安堵した。それに、真選組は知ってたが俺個人は知らなかったという。ニュースや新聞にも載ることがあるのだが、全く気にしてメディアの情報を追ってない。やっぱりこれっぽっちも俺に興味のない人間だ。

わざわざ一人で客の少ない時間を狙って店に来ていたのに、邪魔をされたら腹が立つ。そう思ったのだがそんな俺の心配をよそに、彼女はこの光景に驚くほど簡単に馴染んだ。俺の邪魔をする事がないのであれば、今後も普通に一常連客として接してやる。そう思った。

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