鏡花水月 | ナノ

プロローグ

一:三月三十一日 深夜

一年ほど前に両親が死んだ。
当時の私は10代の学生の身分であったが、一人でも特に問題なく日常生活を続けることが出来ていた。私には祖父母や親戚はいないと聞かされており、両親以外に親族と呼べる人間がいなかった。両親が亡くなったところで頼る当てなどなかったし、あったとしても私は迷いなく一人を選んだだろう。周囲はそんな私を“しっかりしている”、“自立している”なんて言う。しかしその反面、“可愛げのない子供”とも陰で言われているのを知っていた。別にそんな振る舞いをしているつもりはないが、周囲にはそう映っていたらしい。

両親、といっても普段から家にいることは少なかった。両親の仕事について聞くと「公安警察のような仕事で、家族にも秘密にしなければならない」とたった一度だけそう教えられた私は、以降その質問を遠回しに禁じられた。小学校で出された『親の職業について』という課題作文では『世界を股にかける商社マン』という設定で書かされた。親にあるまじき行為だと思う。しかしその設定の通り実際に親はほとんど留守で、幼い頃から家で一人になる時間が多かった。その時間は私を一人でも生活できるように育てていった。

夏休みなどの長期休みに合わせて、両親は家に帰って来ていた。その時に決まって連れて行かれたのは、車で数時間のところにある別邸。舗装されていない道に畑、山、川など典型的な田舎。近所というには遠すぎる場所に数軒の家があり、その住人達と顔見知りになるくらいにはそこへ通っていた。都会と違って人工的な灯りが無い上に空気がとても澄んでいるそこは、夜は綺麗に星が見える。私はその田舎が好きだった。星が綺麗だから、というわけでは無く唯一子供らしく過ごすことができる時間だと思ったから。他の家庭が過ごすであろう“田舎の夏休み”。私の過ごしたものも同じようなものだったと思う。
しかし中学に上がり私の学業が以前より忙しくなることを皮切りに、親が帰ってくる回数は劇的に減り田舎へ行くこともなくなった。育児放棄だと親を恨むことも、嫌いだと思ったことは一度もない。私だって好き好んで一人で家にいるわけではなく、周りの同級生が身の回りのことを親にやってもらっている事に羨望感だってあった。しかし、私に生活するために必要な術を教えてくれたのは紛れもなく自分の両親。そのおかげで私は家に一人でも大丈夫だと思ったし、私が自由に使っている金は全て親が稼いでくれているのだから、親としての責務は十分に果たしているだろう。
初めは周囲から“凄いね”、“偉いね”、なんて言われていたが、中学、高校と段々年齢を重ねる内にそれは変化していった。大して関わったことも無いのに"雰囲気が他の女子とは違う"、“大人っぽいね”なんて言って近づいてくる異性。その目は恋慕でも尊敬でもなく、ただただ色欲のみを含んだものだと気付き嫌気がさす。「こいつらは一体何を言ってるんだろう」と心底鬱陶しく、他人事のように聞き流していた。

そんな日常の中、突然両親が死んだ。仕事中の事故だという。その時に公安警察だと言っていたのが初めて真実味を帯びるように、事故の詳細を聞くことはおろか亡骸を見ることも、遺骨を手元に返してもらうことも叶わなかった。周りには葬儀は家族のみで執り行ったということにした。
身寄りのない自分が施設などに引き取られるということは無かったし、そんな事するつもりは毛頭無かった。特に今までの生活と変わりないのだから。唯一変わったといえば金銭面。親の持ち物が全て自分のものになった。詳細は知らされないまま、親の職場の人たちが全て手続きを行ったらしい。私名義の銀行口座には到底高校生が手にするとは思えない桁の金額が入った。そして持ち家だった都内の一軒家、どうやらローンではなく一括払いで購入したものだったというそれも私名義に変わった。そんなに稼ぎの良い仕事だったのだろうか、と思うと同時に“家族に死の真相を告げられないような事故死”にあう危険な仕事だったのだろうと理解した。

3月下旬。私はその一軒家を売り払い、新宿という一頭地の単身用マンションを購入して移り住んだ。さすがに一人で住むには広すぎたあの一軒家は立地条件のお陰かなかなかの値段で売れ、マンションを購入しても少し余るくらい。私の口座残高はまた増えた。

明日で両親の1周忌。最近運転免許を取ったばかりの私は、夜の暗い道をレンタカーで走り田舎の別邸へ来ていた。別邸と言っても私が知らない間に売却していたようで、今は別の人間の持ち物らしい。少し離れたところに車を停め、降りることなく運転席からその建物を見やった。暗くてよく見えないが荒い造りの木造一階建てのはず。夜も更けてあと1時間程度で日付も変わる。そもそも人が住んでいるのか分からないが、部屋の明かりはついていなかった。
脳裏に数年前の両親との夏休みを思い浮かべるが、ところどころ靄がかかり記憶が薄れかかって来ていると気付く。唯一の思い出とも言っていいはずなのに、それほど執着していないらしい自分に自嘲じみたように乾いた笑いが溢れる。大して長居することなく、私は山頂へ向かって車を走らせた。

誰も足を踏み入れたことのないような山では無く、車の通れる山道がある。そこを道成に行くとものの数分で山頂に着き停車し、今度は車を降りた。山頂にドンと聳え立つ一本杉。その根元に腰を下ろし上を見上げると燦然と輝く星々。やはり、ここはよく星が見える。暫く見つめていると、一本筋を残すように光が流れる。

「流れ星……」

誰もいない夜の山で出た独り言は、思いの外大きく聞こえた。
一つだけかと思いきや、また一つ、今度は二つ、と次第に流れる数が増えていく。流星群なんてニュースで言ってたかな?と思いながらただ横に星が流れていくのを目に写す。三回唱えて願い事、なんて考えていなかったし叶うはずない迷信だなんてわかりきっている。そんな冷めた思考で見続けていると流星群の勢いが収まり、流れる星は無くなった。
そろそろ帰ろう。そう思い車に戻ると時刻は0時を回ったところだった。車を降りて1時間弱、星を見ていたらしい。

『……目的地への案内を開始します』

機械的な女性の声が鳴る。車を降りる前に目的地である自宅マンションへ設定していたカーナビを起動し、車を発進させた。
しばらく田舎道を走ると舗装された道路に出るが、あたりは真っ暗。来る時は多少見えていた建物の灯りも消え失せ、周囲の景色は全くと言って良い程に分からない。ぽつぽつと立っている街灯、時折ある信号、走る車のライトが車道を照らしているだけだった。田舎の国道沿いあるあるで暗闇から急に動物が飛び出してこないかとヒヤヒヤしていたが、遠くの方にビル街が見えてきてだんだん周囲は明るくなってくる。そうなるともう都内は近い。
先程からずっと単調な道で「この先真っ直ぐ」なんてやる気のない案内をしていたカーナビがポンッ、と明るい音を立ててこう言った。

『大江戸に入りました』
「ん?」

今なんて言った?
聞いたことのない単語が聞こえた気がして、何と言ってるのか理解が追いつかなかった。

『次の信号を左折して下さい』

田舎道の時より饒舌になったナビ通りにしばらく車を走らせ、信号を左折した。地方の免許合宿で免許を取った私が都内を走るのはレンタカーを借りた今日が初めてで、街並みはあまり記憶していなかった。信号に従い車道を車が行き交う街並みは、街灯や営業中の店舗が立ち並びとても明るい。もう日を跨いで数時間経つというのに、まだ歩道に人影が見える。あまり余所見のできない初心者ドライバーの私の目の端に一瞬捉えた人が着物の女性だったが、クラブのママさん?新宿近くだからこんなもんだろう、と気に留めず車を走らせる。

『次の信号を右折して下さい』

それに従い見えてきた信号はあと十数メートルというところで黄色になった。徐行すると赤信号に変わり前の車に続くことはできず、自分が一番先頭で停車した。停車したことで周りを見る余裕ができたことと、目の前に車がないことで視界が広くなったこともあり今まで見えていなかったものがよく見える。

「なにアレ……」

目の前の道路よりもかなり先にあるはずなのに、とても大きく見える鉄の建物。明らかに周囲より高く、てっぺんが見えない塔のようなものがあった。
あんな建物あったっけ?そう思うが、後ろからプッと、短く鳴らされたクラクションで我に帰り、信号を見やると青に変わっていた。慌てて運転に神経を集中し、先程のナビ通り右折する。

『約100m先を左方向。間もなく目的地です』
「え?」

この車は明日も使う予定があり一泊2日でレンタルしている。今日はマンション近隣の目の前にあるコインパーキングに停めるつもりだった。まだ数えるほどしか帰って来た事が無いとはいえ、近隣の建物の風景くらい覚えている。しかしたった今「まもなく目的地」と言われた現在地は、全く見覚えのない場所だった。
車道を通る機会がなかったからだろうか、と思いひとまずナビ通りに車を走らせる。

『目的地に到着しました。音声案内を終了します』
「………」

到着した建物は紛れもなく私の住むマンションだった。しかし、その周りの街並みは私の見覚えのあるものではない。中にはガラス張りのビルの頭頂部に不似合いな瓦屋根が乗っている建物もある。ナビの地図上に知らない建物名が表記されているのもおかしい。一昔前のカーナビで、更新されていないとか…?

「でも、コインパーキングはあるんだよなぁ……」

比較的新しくできたらしいそのコインパーキングは、まだ満車になっているところを見た事がない。目の前にあるそのパーキングはナビ上にも表記されており、普段同様に空きがあった。『最大料金〇〇円』という料金案内も同じ。しかし書かれているパーキングの名前は『大江戸パーキング』になっている。そんな名前だったろうか?
時刻は深夜の2時。目は眠いから閉じたいと訴えているのに、意味不明な状況に脳だけがギンギンに冴えている。
長距離運転で疲れたのだろう。私は一度考えることをやめ、パーキングの空きスペースに駐車するとマンションに入った。マンションのエントランスも、鍵を挿して開くオートロックも、エレベーターも階段も同じ。そして5階にある自分の部屋、そこの部屋に鍵を差し込むと、もちろんガチャリと開く。

1LDKのマンションの一室は、今日家を出て来た時と当たり前のように同じ光景。土間の傘立て。廊下のトイレ。その横の扉を開きっぱなしの洗面室へ入ると洗濯機と風呂への扉。手を洗い、今朝自分が掛けた手拭きタオルに手を伸ばす。風呂の扉をあけると、遅くなると分かっていたため風呂場で干していた洗濯物は全て乾いてるようだ。
洗濯物を回収して手に持ち洗面所を出てLDKへの扉を開くと、キッチンで洗って乾かしている食器。リビングのローテーブルの上に出しっぱなしの書類。その前のソファの上に置きっぱなしのカーディガン。
なんて事ない、紛れもなく自分の家だ。さっきは目が疲れていたのだろう、きっとそうだ。
確実に何か違和感を感じているのに、それを無理矢理振り払う。洗濯物をそのままソファーの上に置き、着替えるためにリビングに直接繋がっている寝室の引き戸を開ける。
ベッドはない。買い替えようと思って引越しを機に処分した。代わりに畳んである布団が一組、部屋の端に置いてある。ちなみにこれはもう一組ありリビングの収納に圧縮して入っている。この二組の布団は両親のもの。使用頻度が少なかったためか、まだまだ現役。寝室のクローゼットを開け、衣装箪笥の中から着替えを取り出す。

元々あまり家にいなかった両親の荷物は段ボール一つに収まるほどしかなかった。それは寝室のクローゼット上段の奥、手の届きにくいところへ置いてある。他にも使っていない自分の私物も置いている。それほど持ち物が多い人間ではなく、その上段を除いてはクローゼット内の収納スペースはかなり余裕がある。
それは他の場所も同じだった。だから物の位置が変わったり、無くなったりしたらすぐに気付く。着替えを手に持ったままクローゼットを閉め、部屋に入った時から視界に入っていた違和感に視線を向ける。
壁際に置いてある腰上ほどの高さの本棚。上には両親の写真と一輪挿し。学業で使っていたものは段ボール詰めにしてクローゼットにしまってあり、その本棚には主に書類や説明書などが入っている。あとは、唯一持っていた漫画本があるはずだった。自分で購入したものではなく親が買い揃えていたもので、私も一通り読んだことがある。それがあったはずの場所が、すっぽり抜けて空になっているのだ。

「何で……」

泥棒……、は無いはず。念のため、帰って来てから唯一まだ開けていなかったリビングの収納を開けると、もう一組の布団と見覚えのある細々としたものが入っているだけだった。窓もすべて閉まっているし割られた形跡もない。オートロックでセキュリティの厳しいはずのマンションだ。
ここで急に、家に帰るまでに見聞きした“大江戸”という単語が思い出されたのは、その無くなった漫画と関連のあるものだったからだろうか。何を馬鹿げたことを考えているんだ、やっぱり自分は疲れているのだろう、早く眠ってしまおう。
なぜか考えることが怖くなり、逃げるように風呂場に駆け込み手早くシャワーを済ませると洗濯物を畳むこともなくすぐに床に就いた。

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