鏡花水月 | ナノ

プロローグ

二:エイプリルフール 午前

朝8時。目が覚めても本棚の一部は空っぽのままだった。

今日は親の一周忌に合わせて墓参りへ行くつもりだ。レンタカーで、道中で仏花を買い向かう予定にしている。大して量のない一人分の洗濯物を全て畳んで仕舞い、身の回りの用意を済ませてパーキングへ向かった。精算する前にカーナビの設定をしようと車へ乗り込み、そこまで遠くないはずの霊園の名前を検索する。

『検索結果はありません』
「ん?」

打ち間違いか、と思いもう一度打ち直すが同じアナウンスが流れる。仕方ないので住所で打ち込もうと、昨日から全然見ていなかったスマホをカバンから取り出す。

「え、うそ。なにこれ、初期設定に戻ってる……」

充電するのも忘れて昨日そのまま寝てしまったスマホ。一日ぶりに見たそれは、何故か初期設定に戻っており自分で入れたアプリが一つもない。それどころか着信やメール履歴、アドレス帳やネットの検索履歴すらも全て消えていた。
なんかバグった?でもネットは繋がってるみたいだし……と、ひとまず霊園の名前を検索する。なのに、出てこない。間違ってなどいないはずなのに、検索画面は私を疑うように「〇〇霊園ではありませんか?」と表示している。

何か、おかしい。

一度部屋に戻って書類を確認しよう。そう、霊園関係の書類を。だんだんと顕著になっていく“おかしい”と思う違和感に震える手を抑えるようにぎゅっと鍵を握りしめて、私はマンションの部屋へ急いで戻った。寝室へ入ると本棚の前に膝をつき、ファイルの一つを取り出す。

私は今まで一度も親に連れられ墓参りへ行くという経験がなかった。親族はいないという言葉通り、参る墓が無かったのだと思う。両親の霊園の手続きをしたのは全て親の職場の人たち。一度も会ったことのないその人達とはずっと書面でのやり取りのみで、この霊園の書類も送られてきた。私が死後に親と初めて会う事ができたのはこの書類が送られて来た後、つまり49日経って遺骨が墓に入ってからなのだ。
血も涙もない人たち、と思った。しかし、親の死に関して一度も涙を流していない私もまた、血も涙もない冷たい人間なのだろうか。亡骸を見ることもなく再会した時には墓石だなんて、死が実感できていないのかもしれない。どちらにしても取り乱さずにいるなんて正気の沙汰ではないと思う。

書類を受け取った過程を思い出しながら、ファイルから中身を取り出す。

「………え、なに、これ、」

記載されている霊園の名前も住所も変わっている。それだけではなく、そこに記載されている私の住所も違う。そこには一軒家に住んでいた頃の住所があるはずなのだが、それとは明らかに違う。
胸のあたりをぐちゃぐちゃ掻き乱されるような気味の悪さを感じて、住所が記載されている他の書類も引っ張り出してきた。住所変更をした携帯電話会社や銀行関係の書類、免許証、あとマンションの契約書類。全て前の住所が違う。それだけではなく、新しく変更したはずの今の住所も違う。合っているのは“新宿”の部分くらいだ。
その全く見覚えのない“今の住所”をスマホで検索すると位置情報で今いるマンションが表示される。見覚えのない“前の住所”は、どうやら山奥の田舎らしい場所が出てくる。さらに本棚から売却したはずの一軒家の書類を探すが見当たらない。代わりにあったのは、“前の住所”の売却記録。

……私はもう一度パーキングの車へ戻り、カーナビの目的地履歴を見た。昨晩行った田舎の住所、それが“前の住所”と一致した。思わずひゅっ、と息を呑んだ。

「何で……?」

子供なら疑問に思った事を近くにいる大人、つまり親に聞きたがるだろう。テレビを見て少し疑問に思った事、読物の片隅に出てきた知らない単語、知らない食べ物、花、生き物、人。ほんの些細な事でも、「何で?」と聞けば答えてくれる大人がすぐ近くにいたのであれば、私だって本当は聞きたかった。

「何でなの……?」

しかし、それが叶わなかった私は疑問を誰にも聞かずに一人で解決しようとしてきた。今までも「何かおかしい」と思っても一人で冷静に状況を整理して、順応しようとしてきたつもりだ。そんな達観している様子が、周囲の大人に可愛げが無いと言わしめる所以だったのだろう。

(わからない……)

私だって本当は誰かに縋り付いて「何故?」と問いただしたい。意味がわからないと子供のように泣き喚いて、誰かに話を聞いてほしい。しかし“誰か”なんて、誰もいない。そんなことできるはずもない。

(……順応、してしまおう)

そうすれば、きっと楽になる。そう自分を納得させようとした。先程からあまり肺に届いていない酸素を送り込むために、一度深く深呼吸をする。

部屋の書類で確認した霊園をスマホで検索すると、少し遠いが徒歩でも行けそうな距離だった。それを確認した私は、もう一度カーナビの目的地履歴を押して“大江戸レンタカー”を選択した。



***



「ありゃっとっしたー!」

勢いだけでイマイチ言ってるかよくわからない店員の挨拶を背に受けながら大江戸レンタカーを後にした。

そこからまずは銀行へ向かう。先ほど家で確認した書類と同じ名前の銀行を探して入ると、鞄から通帳を取り出し記帳した。それを若干知ってる銀行と違う名前の、大江戸銀行、四井銀行、大江戸三角UFO銀行の三箇所で行う。どの銀行でも問題もなく機械から吐き出された通帳には特に金額の変化はなく、ついでにお金もニ万円ずつ引き出したが問題なかった。

次に向かうのはケータイショップ。これも家で見た書類の店を探すとたどり着いたのは、“人間ではない見た目”の店員がいる店。

「お姉さん地球人でスマートフォン使ってるの珍しいね。全然流通してないのに。しかも最新モデルじゃん」

(あなたは“地球人”ではないんですね)

見た目とその言葉通り、と思った。私を珍しいと言う店員さん曰く、そもそもスマホは地球人向けに販促もしておらず知っている人自体まだ少ないのだとか。
自分がちゃんと携帯電話の契約をしていることを確認した後、その場でスマホとは別にガラケーも契約した。もちろん本人確認として免許証もきっちり見せて。本体代は先程銀行から引き出したお金で支払った。

ケータイショップを出て、今度は花屋を探しながら歩く。……唯一の肉親なのに葬儀すらさせてもらえなかった私が、親の一周忌に何をするのか。故人を偲ぶと言っても分かち合う人もいないため、結局一人で墓参りのみ、という結論に至った。気休め程度に喪服を意識し、私服でも着ている真っ黒なワンピースを着てきた。足下は運転する予定だったため、ヒールの低い黒のパンプス。和装の人が行き交う目抜き通りをこの格好で歩いているのは些か目立つのか、好奇の目を向けてくる人間もいる。しかし、スーツ姿のサラリーマンや、パーカーやTシャツ、スニーカーなどを身につける人間も一定数見かける。どうやら私の格好もそこまで悪目立ちするわけではないらしい。

道中で花屋を見つけると、そこで仏花を見繕ってもらう。店先で待つ間、ふと上の方を見やった。少し離れたところに見える高層ビル街は都内そのもの。しかし、今立っている場所は様々な店が軒を連ねているのに道が舗装されていない。たまに通りかかる“人”ではない形相の通行人、見上げた空を飛ぶ複数の船のようなもの。明らかに私が住んでいた東京ではない事は一目でわかる。

「お待たせしました」

出来上がった仏花を受け取りお金を払う。先程のケータイショップでもそうだったが、私の財布にあるお金は問題なく使用できる。

「ありがとうございました」

お釣りの出ないようピッタリ払ったお金を笑顔で受け取った店員のお姉さん。私は軽く会釈をして店を去った。

鞄の中に隠したままスマホで地図を開き、行き先を霊園に設定する。チラチラと鞄の中を覗きながら目的地へ向かう。……実は、先ほどからこうやって店を見つけていた。

スマホの地図を頼りにたどり着いた階段を登り、高台に着くと墓地が並んでいた。墓石の名前を見ながら歩き回ると、自分の名字を見つけた。

(……これだ)

石の側面に掘られている文字。それは紛れもなく両親の名前と享年だった。前回私が備えた仏花も枯れてそのままになっている。
それを確認すると、一度その場を離れる。

(…………とうとう墓まで見つけてしまった)

そう思いながら、水を汲んだバケツと柄杓を持って元の場所へ戻る。
墓の前にしゃがみ込みバケツを横に置く。周囲の枯葉やらを掃除して花筒から古い花を抜き、水を溢れさせるようにして注ぎ綺麗な水に入れ替える。そして持って来た仏花に差し替えた。墓石にも水をかけ、持って来たブラシで擦る。まだ比較的新しいその石は少し擦ると割と綺麗になる。一通り擦り終わると濯ぐようにまた水をかける。掃除を終えてから線香に火をつけて立てると、目を閉じて手を合わせた。

(お父さんお母さん…私はいったい、今どこにいるんでしょうか)

おそらく生きた人間に聞いても返ってこないであろう質問を、故人にする。なんとも滑稽な自分の姿を思い浮かべると、眉は下がっているのに何故か口角が上がる。
カッ、と力強く目を開き立ち上がると、墓に背を向けて元来た道へ歩き出す。先程登って来た階段の前に差し掛かると、そこからの風景を見やった。高台のためよく見える。さっき歩いて来た街や、さらに向こうに見える高い鉄の塔。昨日車から見た時はてっぺんは見えなかったが、ここからならばよく見える。

(本当に……よく見える)

気付かないふりをしていた。しかし、私を見下すように聳え立っているように感じる“ターミナル”が、それを許してくれなかった。

本棚からなくなった漫画本の中に出てくる街の象徴である“ターミナル”。それが今、私の視界に入っている。その現実が、先ほどの街での違和感全ての答えを出してしまう。

(……私の住んでいた世界ではない)

そんな、信じられないような仮説。それがもし本当ならば、お金も、住むところも、戸籍も何もない……、私は異質な人間だと思い知らされるような劣悪な状況の方が、まだ現実味があると思ってしまう。

取ったばかりの免許証も、自分が稼いだわけではないお金が入っている銀行口座も、移り住んだばかりのマンションも、部屋も、何事もなく使用できるスマホも。免許証の発行元も違うし、家の住所や、通帳の銀行名も変わっていた。スマホのデータは全て消え初期設定に戻った。しかし何事もなかったかのように、私の身の回りのものが全て存在している。

まるで元からここに自分が存在していたかのように、不自由がないのだ。それが気持ちが悪くてしょうがない。

(私は一体……何だ?)

そう思うと、今にも気が狂いそうだった。

(2022/04/18)

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