ケチャップ味のお星さま(下) | ナノ

 零れた呟きに混ざりこんだのは、呆れとほんの少しの寂しさ。丸みの残る頬を彩るのは、堪えきれなくなった可笑しさが溢れ出した笑み。昨日まではこんなやり取りをしていても、どこかピンと張りつめた緊張感が常に漂っていた。だが、それは嘘のようにきれいさっぱりと消え失せている。
 それもそのはずだ。空に巣食っていた災厄が消えた今、終末の危機に焦り戦く必要などない。例え魔物に襲われるという危険が身近になり、生活するうえで非常に便利だったものが使えなくなってしまったとしても、常に明日が続いていくことを信じられるのだから。
「よし、ボクもやるぞ!」
 カロルは弾んだ声で気合を入れると、ケチャップの入った容器を握りなおした。あれほど浮かばなかった描きたいものが、今ははっきりと思い浮かべることができる。蓋を閉ざしてトントンと軽く刺激を与えて中身を上手く絞り口へ集め、こんがりと黄色に焼き上がったオムライスの上へ迷いなく線を引いていく。
「よっ、……と」
 容器を押す強さを変えながら太い線と細い線を使い分け、頭の中のイメージを細部まで再現する。しばらくして満足そうな吐息とともにオムライスの上へ現れたのは、デフォルメの効いた丸みを帯びたデザインで描きあげられたユーリの顔であった。卵の上にケチャップで描かれた彼は、目を細めてにっこりと満面の笑みを浮かべている。カロル自身、ユーリのそんな顔を見たことは数えるほどしかない。不敵な笑みや悪戯っぽい笑みなどは数えきれないほど見てきたが、屈託のない鮮やかな笑みは戦艦でレイヴンと再会した時のものくらいしか思い出せなかった。
 一つ目から上手くいったことに喜びながらも、カロルはすぐに二つ目へと取り掛かった。早く終わらせないとせっかくのオムライスが冷め切ってしまう。旅の中で見つけた飛び切りの笑顔を記憶の中から写し取りながら、カロルは手早くかつ丁寧に絵を完成させていった。
「あ」
 ラピード、エステル、リタ、ジュディス、パティ、フレンと順調に描いていたが、そこでカロルの手が止まった。レイヴンが作っていたオムライスがあと一つだけになっていたからだ。自分のものとレイヴンのもの、どちらの顔を描こうかと考えていたカロルだったが、ふと思い浮かんだアイディアにぱっと顔を輝かせ、小走りでテーブルから離れた。
 目指すは、作りかけの食材が置かれた作業台だ。背丈が足りなかったので椅子を引っ張ってきてその上に乗り、コンロに火を熾してフライパンを乗せて温める。バターを溶かして卵を流し入れ、薄く焼いたそれでケチャップライスを包めばオムライスの完成だ。カロル自身料理は得意な方であるし、好物は何度でも食べたい方なので、オムライスを作った経験はたくさんある。
「でもやっぱり、レイヴンが作ったのには敵わないな……」
 ため息をつきながら皿に乗せた自分のオムライスと、レイヴンのオムライスとを見比べてみる。同じ食材を使ったはずなのに、焼き加減にむらがあるカロルのオムライスとは違ってレイヴンのオムライスは均等に熱が加えられており形も美しい。きっと食べてもふわりとして美味しいに違いない。
 レイヴン用にと作った自作のオムライスを慎重に机へと運ぶと、早速ケチャップで彩りを加える作業を開始する。眼を閉じれば瞼の裏側に、旅の間見てきたいくつもの表情が現われては消えていった。そのどれもが感情表現豊かで明るい物なのに、彼のもう一つの姿を知った今、それを見た目通りのものと素直に信じられることができなかった。今でもたまに感情を排した騎士の顔が、大げさに笑うレイヴンの顔と重なって見えることがある。ただの杞憂だと思いたいが、容易に忘れ去ることができないほど、あの朽ち果てた神殿で赤い刃とともに向けられた視線は鋭く、冷やかだった。
 すぐに、とは言わない。でもいつか、心の底から楽しんで笑えるようになればいいと思う。だから、描くのは思い出の中の彼ではなく、こうなってほしいという未来の彼だ。
「……よし、できた!」
 カロルは頬についたケチャップを拭うと、握りしめた拳を天へと振り上げて喜ぶ。会心の力作に嬉しさを隠せないでいると、どこからともなくくすりと微笑ましそうに笑う声が響いてきた。驚きの声を上げて振り向けば、背後に佇んでいた淡い桃色の髪と若草色の瞳をした少女と目があった。
「な、なんだ、エステルかー。もう、驚かせないでよ」
「ごめんなさい。邪魔をしては悪いかと思って」
 エステルは申し訳なさそうに眉尻を下げてカロルのすぐそばまで歩み寄ると、彼の肩越しに力作のオムライスを覗き込んだ。
「とても上手にできていますね」
「そうかな。レイヴン、喜んでくれるかな……?」
 カロルは照れて頬を描くが、それを若干曇らせて俯いた。心を込めて頑張って作ったとはいえ、これはレイヴンの好物ではない。気に入ってくれるだろうか。エステルは不安がる少年の肩を、勇気づけるようにそっと触れた。
「ええ、きっと」
 彼女はほかのオムライスが乗っている作業台に近づき、たくさんの皿の中から一つを手に取る。
「少なくともわたしは、とっても嬉しいです」
 ケチャップ製のものと本物と、二つの顔がカロルの前でふんわりと綻んだ。


「まったく、ひどい目にあったわ。――っと、カロル君?」
 愚痴りながら扉を開いて食堂へと入ったレイヴンは、そこにいるはずの少年がいないことに目を丸くさせた。辺りを注意深く見回すが、彼の小さな姿を見つけることはできない。
「他のところに手伝いに行ったのかね」
 推測を独りごちながら、レイヴンはキッチンへと足を進める。キッチンでは作業台いっぱいに並んだオムライスがほかほかと湯気を立ててレイヴンを迎えた。急いだとはいえそれなりの時間はたっているのに、料理が冷めた様子はない。炎を司る精霊へと生まれ変わった始祖の霊長の姿が脳裏に浮かび、いやまさかと己の考えに首を振った。
 そういえば確かまだ一つ焼いていないはずだ。思い出して作業台へと視線をやれば、ケチャップ色をした己の笑顔と目があった。思わず皿ごと手にとって、まじまじとそれを眺める。卵の焼き加減から自分が作ったものではない。一つ足りないことに気が付いたカロルが作ってくれたのだろう。
 改めてケチャップで描かれた顔を見据える。そこにあったのは芝居がかっていたり、おどけた様子もない、ただひたすらに明るい笑みを浮かべた自分。それに込められたカロルの願いを、レイヴンは静かに受け取った。
「おっさんに、できるかねえ」
 自然と指先は左胸の魔導器に向かう。律儀に鼓動を刻むそれを確かめるように撫でた後、レイヴンは同じ手でカロルが置いていったケチャップを掴む。そしてカロルが行ったようにケチャップを絞り口に集めてから、まっさらなオムライスの前でそっとふたを開けた。


 たくさんの料理が所狭しと置かれたテーブルたちを一目見たカロルは、生唾を飲み込んで瞳を輝かせた。皆が好きな物を中心に作られたそれらを、他のメンバーと一緒に回りながら、手に持った大皿に少しづつ乗せていく。から揚げポテトやハンバーグ、お寿司やおにぎり、サンドイッチなど、大きな皿は瞬く間にカロルの好物ばかりで満たされた。
 選んだものを空いている机に運び、早速夢中で頬張っていると、料理が山ほど乗った皿を両手に携えたユーリが隣の席に腰を下した。美味しそうに生クリームとバナナが包まれたクレープに齧りつき、カロルへ悪戯っぽく微笑みかける。
「よ、カロル大先生。旨いからって食べ過ぎんなよ?」
「ユーリこそ! ……また甘い物ばっかり食べてるね」
 ユーリが持ってきた二つの皿のうち一つはスイーツ専用で、クレープやショートケーキ、小さなパフェなどがそれぞれ数個ずつ乗せられている。カロルも甘いものは好きな方だが、一度にこんなたくさんは食べられない。
「まあな。さすがおっさんだ」
「まさかそれ、全部手伝ってもらったの?」
「下ごしらえはしっかりしておいたぜ」
「やっぱりそうなんだ……」
 あの短時間の内だからできることは限られているだろうが、味の決め手となりそうな部分にはしっかり関わってもらったのだろう。レイヴンの憔悴する顔が脳裏に浮かび、カロルは心の中でそっと慰めの言葉をかけておいた。
 ユーリはスイーツの皿を半分ほど平らげると、カロルとの会話を切り上げて席を立った。他のメンバーのところへ行くのだろう。
「また明日から忙しくなるんだ、しっかり食べておけよ」
「うん」
 そう、これからがむしろ本番なのだ。顔を引き締めてうなずけば、踵を返しかけていたユーリが料理の乗った方の皿を示しながら振り返った。
「おっと、忘れるところだった。――サンキュな、カロル」
「うん!」
 皿の中央に置かれていたのは、カロルとレイヴン合作のオムライスだ。喜んでもらえてよかったと胸を撫でおろしたカロルは、そろそろオムライスを取りに行ってもいい頃合いだろうかと、いつの間にかほとんど平らげてしまった己の皿を見下した。初めに取ってこなかったのは、好物は最後までとっておきたかったから。でも、こんなにご馳走があるのなら、まだ余裕のある内に食べておいた方がいいかもしれないと、カロルは逸る気持ちを抑えながらユーリを追いかけるように席を立った。
 そういえば、エステルに呼ばれたためにケチャップをつけないまま食堂を出てしまったがどうなっているのだろう。もしケチャップがかかっていなかったら、何を描こうか。つらつらと考えていると、もうオムライスの並ぶ机の前に辿り着いていた。半分以上減ったオムライスの中から、何も書かれていないものを探そうとするが見当たらない。あれ、と首を傾げてもう一度探せば描いた覚えのない模様のオムライスが一つ、机の端の方に置かれていた。
「まさかこれ、ボクのオムライス?」
 皿を自分の方へ引っ張り、じっと見つめる。レイヴン特製のオムライスの上には赤いケチャップで大きな星が描かれていた。なんで星なのだろう。もっと顔を近づければ、斜線で色が塗られている星の内側に、うっすらと何か描かれていることが分かった。
「あ、」
 カロルは思わず辺りを見回してレイヴンを探した。机を一つ挟んだ向こう側に、ジュディス特製のサバ味噌を彼女の目の前で頬張る彼の姿が見つかる。レイヴンはカロルの視線に気が付いたのかふと顔をあげると、オムライスを持つカロルを見て気まずそうに頬を掻く。そして、ふと口の端をあげてどこかぎこちなく、しかし柔らかく微笑んだ。
 それは一瞬のこと。カロルが彼に声をかけようとする前に、レイヴンはすぐに視線を背けてしまうと、女性の前特有のデレデレとした顔に戻った。
「……ふふ」
 なんとなく胸のあたりが暖かくて、どこかむず痒い。溢れ出した感情を笑み交じりの吐息にして吐き出すと、カロルは自分のオムライスを席に運んで匙を入れた。ケチャップでできた星はほんのり甘くてちょっぴり酸っぱい。星の下に隠れるように描かれた前髪を後ろへなでつけた少年が、カロルとおんなじ顔をして笑っていた。


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