ケチャップ味のお星さま(上) | ナノ


 雪解けの光の意味を持つ名をつけられた新しい都市、オルニオン。仮設の住宅や建設途中の建物が目立つその地は、常に希望に満ちて活気にあふれていたが、その日は更に賑わいを見せていた。喜びを隠せない人々が祝いの言葉を交わしあい、酒がなみなみと注がれた杯を酌み交わす。そして、頭上に広がるどこまでも青い空を肴に、さらに杯を重ねている。
 凛々の明星というわずか数人で組織された年若いギルドが、世界を喰らい尽くそうとしていた未曾有の脅威『星喰み』を撃退した翌日。滅亡の危機と、それを回避するためのリスクを伴う方法をすべて理解していたこの地の住民は、明日への不安を抱えながらも世界が守られたことを喜び合っていた。
 それは凛々の明星や彼らに同行したメンバーも例外ではない。宿屋や民家の厨房を借りた彼らは、旅の間で培った料理の腕を振るいあい、ささやかなパーティを行うための準備を和やかに進めていた。
 作る料理に合わせていくつかに分かれたチームのうちのひとつ、ご飯ものを主に担当する宿屋の厨房。食欲を誘ういくつもの香りが混ざり合って充満する中、鮮やかな紫の羽織と無造作に括られた蓬髪が特徴的な男性が、薪を燃料とした簡易コンロの上でフライパンをリズミカルにゆすっていた。少し前までは金髪の青年が野菜の刻みを手伝ってくれていのだが、味付けに入る寸前でタイミングよく呼び出しがかかって席を外してしまったため、彼独りだけだ。金髪の青年が戻ってくる前に料理を仕上げてしまおうと急ぎながらも手際よく作業を進める彼であったが、次第に近づいてくる足音に気付き、手を止めぬまま視線を扉へと向けた。
「レイヴン!」
 勢い良く開いた扉から顔を出したのは、紫の羽織の男性――レイヴンの旅の仲間である少年、カロルだ。急いで来たのか息を弾ませるカロルに、レイヴンは青みがかった翡翠の瞳を丸くさせて尋ねた。
「おや、少年。そっちはもう終わったの?」
 カロルは同じく旅の仲間である少女たち――リタやエステルとともにから揚げポテトの下ごしらえをしていたはずだ。ちなみに、から揚げポテトは熱さもまた美味しさの一つなので、食事が始まる少し前にジュディスが揚げることになっている。今はその揚げ作業の最中なのだろう。
「うん、ばっちりだよ! レイヴンも楽しみにしててね」
 カロルは満面の笑みを浮かべて、握りこぶしから親指を突き出した。
「そりゃ期待し甲斐がありそうね。楽しみにしとくよ」
 レイヴンは常に浮かべている道化めいた笑みに柔らかさを混ぜて頷く。カロルはそれを見て照れたように頬を掻き、料理の邪魔にならない距離までそろりと近づいた。どこか落ち着かない様子で、レイヴンが握るフライパンの中身を背伸びしながら覗き込もうとする。
「ねえ、こっちはどうなの……?」
「そう急かしなさんなって、ほれ」
 微笑ましい仕草に目を細め、レイヴンは用意しておいた大きな皿の中へフライパンの中身を手際よく移し替えた。背の低い少年に見えるように下げられたそれを覗き込んだカロルは、大きな瞳をきらきらと輝かせる。
「わあ!」
「ひとつ完成っと。――どうよ?」
 皿の上に載っていたのは、こんがりと焼き上げられた黄色い卵に包まれたケチャップライス――オムライスだ。
「うん、さすがレイヴン! すごく美味しそうだよ!」
 美味しそうに作り上げられた好物の姿に興奮を隠せないカロル。全身を使って嬉しさを伝えようとする少年の姿を見つめるレイヴンの瞳が、一瞬だけ穏やかに凪ぐ。しかし、それはすぐにわざとらしくおどけた色にとって変わった。オムライスが乗った皿を作業台に置き、ボウルに割った卵の中身を落としながら、芝居がかった仕草で体をくねらせる。
「そんなに褒められると俺様、照れちまうわー」
「あれ、ケチャップはつけないの?」
 しかし、オムライスを観察することに夢中になっているカロルにはレイヴンの声も仕草も届いていなかったようだ。好物にすっかり目を奪われてしまっている。
「さらっと俺様をスルーしてくれちゃったわね、少年」
 レイヴンはいじけたように唇をとがらせ、がっくりと肩を落とした。
「別につけないわけじゃあないわよ。まだつけてないだけ。全部に卵巻いてからゆっくりやろうと思ってね」
「……ねえ、ボクがやってもいい?」
 躊躇うように間を開けて、おずおずとカロルが尋ねる。レイヴンはフライパンに流しいれた溶き卵の様子を確かめつつ、微かな驚きに目を瞬かせてカロルを見やった。
「んん? ……ああ、少年こういうの好きだったっけ。いいわよー」
 器用にフライパンを操ってケチャップライスを卵で巻く作業を続けながら、にんまりと唇の端を釣り上げる。
「こういうのは気持ちが籠っていればいるほど、おいしく感じられるだろうしね。青年じゃあないけど、隠し味は少年の愛情――ってね」
「恥ずかしくなるようなこと言わないでよ!」
 カロルは瞬時に顔を真っ赤にさせて頬を膨らませる。年頃の少年らしい反応に、レイヴンは顔をにやつかせたまま肩をすくめた。
「へいへい。んじゃ、よろしく」
「うん、任せて!」
 カロルは重要な仕事の依頼をされたかのように、妙に張り切った様子で大きく頷いた。大きなハシバミ色の瞳に、夜空の星々じみた明るい煌めきが宿っている。早速ケチャップを取りに行こうと踵を返した小さな背中を、レイヴンは眩しそうに見送った。


 ミルク色の湯気と食欲を誘う香りを纏うオムライスが、食堂のテーブルを半分以上占領し始めた頃。カロルはそのうちの一つの前で探し出してきたケチャップを両手で握りしめ、ひどく難しい顔をしていた。描きたいとは言ったものの、描きたいものをしっかりと決めていなかったのだ。顔をしかめさせてオムライスを睨みつける少年を横目に、レイヴンは鼻歌交じりに次々とケチャップライスをオムライスへと変身させていく。それを無意識の内に視界の中へ入れていたカロルは、エステルの好きな本に出てくる魔法使いのようだとぼんやり思った。
 無言なのに不思議と居心地の悪くない空気が流れる中、レイヴンの耳は遠くから駆けてくる一つの足音を聞きとっていた。それが近づき、足音の主が特定できるにつれて彼の顔つきが渋くなる。ため息とともに緑色の視線を扉へ向けるのと、その扉が派手な音を立てて開くのはほぼ同時であった。
「おい、おっさん――って、カロル先生もいたのか」
 艶のある長い漆黒の髪を靡かせて現れたのは、旅の仲間のリーダー格である長身の青年だ。年相応以上の落ち着きと、少年じみた勝気さが同居する魅了的な空気を纏わせた彼は、お目当ての人物のほかにもう一人いたことに気が付き、片手を軽くあげて挨拶をする。カロルは驚きながら彼の名を呼んだ。
「ユーリ!」
「何しに来たのよ、青年。なぁーんかおっさん、いやぁな予感がするわ」
 カロルはユーリの訪問を素直に喜ぶが、レイヴンは何故か浮かない顔をしている。ユーリは二人の正反対の反応を可笑しそうに見やった後、レイヴンへと真っ直ぐに視線を向けた。黒に近い紫水晶の瞳は、悪戯を企む少年のように煌めいている。
「ちょっと人手が欲しくってな。ちょっと手伝ってくれよ」
 茶目っ気たっぷりに片手をあげて拝むような仕草をするユーリ。レイヴンは電光石火の勢いで、その要請を却下した。
「イヤ! だって、青年の担当ってクレープでしょ」
「この道における第一人者の助力が欲しくってな。未熟者にクレープは荷が重すぎたみたいだ」
「いやいやいや、あれだけスイーツ作りまくっておいて未熟者はないでしょ! かなりの玄人よ! それに何、第一人者って。それはむしろ青年のほうでしょうが」
 さらっと言い切るユーリに、レイヴンが呆れ顔で言い返す。甘味類が苦手なレイヴンだが、活力回復のためと旅の間で数々のスイーツを食べさせられている。そのほとんどがユーリによって作られ、同じ手でいつの間にか新しいスイーツのレシピがいくつも生み出されていたことを、レイヴンは忘れていない。
 作らされまいと後ずさって拒否を示すレイヴンの肩を、にこやかに笑うユーリが軽やかな仕草で叩く。
「そんな謙遜すんなって。おっさんの腕には敵わない」
「イヤっ! 絶対にイヤだからね!」
 レイヴンはわがままを言ってごねる子供のように頬を膨らませてそっぽを向く。ユーリはやけにあっさり引き下がると、虚空を見上げながらわざとらしく棒読みで呟いた。
「そっ、か。ジュディも楽しみにしていたのになー、残念がるなー」
「うっ。青年、卑怯よ……」
 レイヴンが女性の、特にジュディスの期待を裏切るわけがない。ユーリの出した最高にして必殺の切り札に、レイヴンはぎくりと体を強張らせ、恨めしそうにユーリを睨む。じとりとしたそれに、しかしユーリが動じることはない。彼はレイヴンの返答を勝手に同意と受け取ると、とびっきり晴れやかに笑いながら、レイヴンの首根っこをひっつかんでさっさと扉の方へ歩き出した。ユーリはあっけにとられて固まるレイヴンをずるずる引きずりながら、会話に入れず呆然と佇んでいたカロルへひらひらと手を振る。
「そういうことでカロル、おっさん借りてくぜ。後は任せた」
「ちょ、青年! まだいいって言ってないってー!」
 往生際の悪い抗議の声は、閉じた扉に遮られる。それでも、ごねるレイヴンを軽くあしらうユーリの賑やかな声が扉の隙間から聞こえてきていたが徐々に遠ざかり、やがて聞こえなくなった。食堂が途端にしんと静まり返り、一人残ったカロルは冷ややかな静けさにふるりと身を震わせた。
「……行っちゃった」


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