ある日、森の中で(下) | ナノ

「レイヴン!」
 聞き馴染みのあるそれに、カロルは顔を輝かせた。助かったという安堵となかなか出会えない人物に会えたという喜びが混ざり合って、自然と声が弾む。それを聞いた『誰か』は苦笑したようだった。かすかに笑う気配とともに、声だけがどこからか放られる。
「はぁい、おっさんですよ」
 しかし、それだけだ。おどけたようなとぼけたような独特の笑みを浮かべた愛嬌のある髭面、そして鮮やかな紫の羽織は、辺りを見回しても見つけることはできなかった。途端に不安になって、カロルは眉根を寄せながら姿の見えない知人に向かって声をかける。
「レイヴン?」
「んー、にゃによ」
「いるん、だよね」
 疑問形で恐る恐る聞けば、不安を吹き飛ばすように明るい調子で声が返った。
「ここにいるわよー。ちょいと仲間と仕事中でね。見えなくなると心配されるからさ、離れらんないのよ」
「そうなんだ。レイヴンがギルドの人たちといるって珍しいね。天を射る矢にも依頼がいったの?」
「まあ、そんなとこ」
 見えはしないけれど、カロルには肩を竦めて頷いているレイヴンが容易に想像できた。
 天を射る矢の幹部であるレイヴンが、ダングレストの外へいることは珍しいことではない。だが、単独行動が多い彼が仲間を伴っていることはとても稀だった。戦闘の技術を活かし、いくつものギルドをまとめて指揮をしているのだろうか。
「青年たちとはぐれたんでしょ。周りのことは気にしなくていいから、休んで休んで。青年達は仲間に探してもらうからさ」
「……ありがとう」
 放り投げられた魔物除けのござを受け取り、カロルは素直に礼を言う。そして、レイヴンの気配が濃く感じ取れる場所にある大樹に背を預けて座り込んだ。途端に背後から大勢の人間がざわめく声と金属がこすれあう音がする。レイヴンの仲間らしい人たちがレイヴンに頼られたことを喜んでいるのだと理解したカロルは、慕われているんだなと自分のことのように嬉しく思った。胸がほわりと暖かかくなる一方で、小さな嫉妬心が心の端を焦がす。ほんのわずかに燻る炎を宥めていると、周りの仲間たちを黙らせたらしいレイヴンが、思い出したようにカロルへ話しかけてきた。
「そういえば、少年たちいろいろ頑張っているそうじゃない。噂はよく聞いてるわよ」
「まあ、皆がいるからね。ボクなんてまだまだだけどさ」
 一人ができることなんてたかが知れている。仲間がいるから、カロルは凛々の明星で首領をやっていけるのだ。支えあい、助け合いながら。
「レイヴンはどうなの。元気でやってる?」
「んー、なになに少年ったらおっさんに興味津々?」
 わざとらしく声に起伏をつけて面白がっている様子のレイヴンに、カロルは頬を膨らませた。彼は自分のことを聞かれると、そうやってわざとおどけてはぐらかすのだ。
「茶化さないでよ! 真剣に聞いているんだから」
「……そうね、まあ元気でやってるよ」
 苦笑した後、彼にしては落ち着いた声音でそう言う。けれどもカロルは、レイヴンの言葉を素直に信じる気にはなれなかった。レイヴンをオルニオンへ運んだ際に、二人分の仕事を抱え込んで疲れを隠しきれない様子の彼と行動を共にしている。あれからしばらくが経ち、帝国やギルドも少しは落ち着いてきたようだが、それでもレイヴンの負担は相当の物だろう。
「無理とか無茶とかしてない?」
「少年は心配性ねえ。適度に休憩入れてるから大丈夫だって。この前も酒場の御嬢さん方とだなあ……」
 その時のことを思い出しているのか、声を蕩かせて語りだすレイヴン。カロルはため息をついて苦笑し、そんな彼をいつものように軽くあしらった。
「はいはい。……話してくれるならさ、最近レイヴンが何してたか聞きたいな」
「おっさんの武勇伝を聞きたいって? やっぱり少年はおっさんに興味津々なのね」
 またもにやいている様子のレイヴンに、カロルは唇を尖らせて言い返した。
「だから、違うってば!」
「ふふーん、そういうことにしておいてあげるわよ。じゃあ、仕事で移動中に会った怪奇手長足長人間の話でも……」
 レイヴンは、ギルドの仕事で世界中を飛び回っている際に見つけた不思議な魔物の話を始めた。閉ざされた島や水のない湖、特定の時間に現れる手足の長い不思議な魔物と対峙した際のことを、レイヴンは面白おかしく語る。カロルはその話に引き込まれ、自分もレイヴンと共に旅をしている気持ちになりながらそれを聞いた。
「そいつらジェントルマンっていうらしいんだけどさ、どの辺が紳士的なのよっていう感じよね」
「……礼儀正しいところはレイヴンより紳士的かも?」
 きちんと『あいさつ』できるところは礼儀正しいと言えなくもない。彼らのそれはただのあいさつではなく、攻撃としての面が強いのだが。
「ひどいっ! カロル君それはひどすぎるって! あいつらより下なんて言われたらおっさん、男として自信なくすわ……」
 本気で落ち込み始めている様子のレイヴン。カロルは慌てて口を開いた。
「ごめん。言い過ぎ、だったかな……?」
「だっしょー! こーんなにダンディでナイスガイなんだから。あいつらよりよっぽどジェントルメーンよね」
「やっぱり今のなし」
 先ほどのしんみりした様子はどこへやら調子に乗って鼻息荒く捲し立てるレイヴンに、カロルは半眼になって冷たく言い渡した。
「えー! 何がいけないっていうのよー」
 賑やかな文句の声に、カロルは苦笑した。
 繰り返し躱される軽い声。そして、いつも通りのやり取り。それを楽しく思うと同時に、気をつかわせていることを申し訳なく思う。
 彼は明らかに何かを隠している。それもおそらくカロルのために。
 遠くで聞こえる金属がこすれる音や、いつまでたっても顔を見せようとしないレイヴン。そして、必要以上に明るくおどけた声と態度。
 それらから導き出される違和感の正体は、考えられる限りたった一つだけだ。それを携えて、カロルは彼にそうっと話しかけた。
「じゃあ次はさ、騎士団での話も聞かせてよ。今も任務の途中なんでしょ」
「……まいったな。気付いていたのね」
「ギルドではあんまり甲冑つけている人いないからね。姿を見せてくれないのも、おかしいなと思って」
 見せないのではなく、見せられないのではと思った。そう考えれば不思議だった点もすんなりと納得できる。金属がこすれあう音は、甲冑を着込んだ人間が動くときに奏でる音。何人もの人間を伴っていたことも、隊長として部下たちを率いていたから。姿を見せなかったのは騎士としての姿をカロルへ見せたくなかったからだったのだ、と。
 目を閉れば、瞼の裏側にオルニオンで見た夕焼けが再生される。紫の羽織を橙に染めて、己の部下たる小隊長と語り合っていたあの凛とした横顔を。
「悪かったわね。嫌なこと思い出させたでしょ」
 無意識のうちに手を伸ばしたあの時のことをレイヴンもまだ覚えていて、だからこそ彼は頑なにレイヴンのままで通そうとしたのだろう。カロルがまだシュヴァーンを怖がっているのだと思って。カロルは見えないとわかっていながら、首を横に振った。
「ううん、そんなことない。……でもね、今でもまだ怖いんだ」
 感情を豊かに表していた碧の眼から一切の色が消え、くるくるとよく動いていた表情が暗い静けさを湛えたまま動かなくなる。あの時確かに、彼の中のレイヴンは消えていた。剣を向けられたことよりも、裏切られていたことよりも、彼が彼ではなくなることが怖くて恐ろしかった。彼が彼自身を殺そうとしていることが、例えようもなく悲しかった。
「レイヴンが消えてしまわないか、突然いなくなったりしないかっていつも思うんだ。その度に怖くなる」
 一息。絞り出すように声を紡ぐ。
「シュヴァーンが、レイヴンを消しちゃうんじゃないかって」
 だから引き留めようと手を伸ばした。レイヴンがレイヴンでいられるように、と。あの時の自分の行動を思い返しながら、カロルは苦く微笑んで目を伏せた。あの時より少しだけ成長した今なら、違う答えを導き出すことができる。
「でも、違うよね。シュヴァーンだってレイヴンだし、レイヴンはシュヴァーンでもある。難しいけど、最近なんとなくわかった気がするんだ」
 彼らは二つに分かたれているようで、同じ一人の人間なのだから。表面に出る色が異なるだけで、芯は変わらない。
「……せっかく会えたんだから、顔くらい見せてよね」
 まだ、朽ち果てた神殿のことを思い出してしまうけれど。あの時感じたどうしようもないほどの悲しみは消えないけれど。でも、きちんと向かい合って笑いあいたいと思うのだ。それは、レイヴンとしての彼でも、シュヴァーンとしての彼であっても、変わりはしない。
「俺が怖いのだろう?」
 シュヴァーンを思わせる低い声音が、からかうように、試すように問いかける。お互い敵意がないことを示ながらしゆっくりと歩み寄る野性の獣になったようで、カロルは小さく笑った。
「まだ、ね。でも、嫌いなわけじゃないんだ」
 逆だ。だからこそ、別離が怖い。いなくなってしまうことがつらい。
「……そうか」
 苦笑を含んだため息とともに、木の後ろに腰を下す気配がする。臆病なのは自分だけではなかったようだ。カロルはそうっと後ろを見た。朱色の肩当とオレンジ色の隊服、薄い金色がかった甲冑。素直に格好いいと思える騎士隊長の姿がほんの少しだけ見える。
 木越しに背中合わせになって座る形となったカロルは、後ろへ手を伸ばしひんやりとした鎧に覆われた手にそっと己の指先を寄り添わせた。彼がそこにいることに安堵すれば、自然と瞼が下りてくる。
 次第にぼんやりとしていく意識の中で、固い掌が壊れ物に触れるようなひどく優しい仕草で手を包み込んだ。それをしっかりと握り返しながら、カロルは恥ずかしくて言えなかったことを呟いた。寝言に聞こえますように、と願いながら。
 嫌いなわけがない。レイヴンも、……シュヴァーンも、

「――大好きだよ」


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