三分間(上) | ナノ


 三分だ。と、その人は言った。その間耐えきれるか、自分を打ち負かすことができれば君の勝ちだと。

 キャナリ隊の副官に命じられてから数か月。力量をはかるためと称して、ダミュロンは騎士団を統括する団長直々に剣を手渡された。訓練用らしいそれは、刃の鋭い部分が潰されていて斬ることができないようになっている。騎士団長が携えている剣も、ダミュロンが今手にしている物と全く同じであった。
 握り心地を確かめつつ、ダミュロンはちらりと後方を見やる。騎士団長の夢を叶えるための一歩目ともいえる、平民と貴族が混ざり合って編成された異例の小隊。その小隊長を務める長い髪の女性騎士が、毅然とした眼差しでダミュロンを見つめ返していた。信頼と応援。視線に込められた想いを受け取り、ダミュロンは手に走る微かな震えを押し殺して剣を構えた。
 かつて御前試合に優勝して騎士団長の座を射止めた英傑。騎士たちを魅了し纏めあげる力と、明瞭な頭脳、卓越した戦いの技術。すべてを兼ね備えた存在を相手に、自分に何ができるのだろうか。三分間ももつはずがない。
 騎士団長の手が、青い砂を湛えた砂時計に伸びる。ダミュロンは覚悟を決めた。自分が負ける未来など確定しているようなものだ。それでも、今の自分の力量をアレクセイに示すまで。
 くるり。砂時計が回転する。細やかな砂がガラスの底へ衝突するかすかな音がした。
 砂時計から離れたアレクセイの手が、そのまま剣の柄へ向かう。騎士団長が剣を構えたことを確認した瞬間、鞘から放たれた刃は獲物に食らいつこうとする獣のごとく、ダミュロンへ猛然と襲い掛かっていた。彼はアレクセイの気迫に戦慄しながら、鮮やかな銀の軌跡を己の剣でかろうじて遮る。
「――ぐっ」
「……ほう」
 感嘆と苦悶の声が同時に零れ落ち、続く剣戟の音にかき消された。
 流れる水のように、淀みなく続く斬撃。それをダミュロンは受けとめ、受け流す。それだけしかできない――否、それだけしか選択できないほどにアレクセイの一撃は重く、鋭かった。おまけに、剣を奔らせて生まれた風までもが、刃と一体化して相手を害なそうと牙を剥く。頭の中で間合いの修正をしつつ、ダミュロンは襲い来る刃を防ぎ続けた。
 やはり、重い。ダミュロンは内心で舌打ちをする。受けるたびに腕に痺れが走るほどだ。防戦一方では、体力も腕ももちそうにない。
 三分。それはあまりにも遠い。だが、このまま甘んじて受け続けるつもりはなかった。己が今この場にいるのは何のためだ。キャナリ小隊を代表して自らの実力を騎士団長に示すため。隊で得た彼の力はこの程度ではないはずだ。
 ダミュロンは歯を食いしばると、襲い来た刃を受け止めるのではなく弾いた。今までの比ではない痺れが腕から肩へと流れる。彼はそれを無視し、剣を弾いたことにより生み出されたわずかな隙に、強い力を込めて剣を薙いだ。
 ――攻守が、逆転する。
 ダミュロンの斬撃は、だがあっさりと打ち払われた。それを予期していた彼は、残念に思うこともなく剣を翻して次の攻撃へ移る。
 アレクセイの強みが一撃の重さとその範囲だとしたら、ダミュロンの長所は素早さからくる手数の多さと身軽さだ。攻撃に転じられまいと、ダミュロンは剣を操り続けた。しなやかに、軽やかに、まるで舞うように。
「なかなか、だな」
 鮮やかな連撃を受け続けていたアレクセイの目が細められる。その口調や動作からは余裕の色が濃く表れていた。
「それは、光栄な、ことで」
 攻め続けて息を切らせながら、ダミュロンがおどけた調子で応じる。勿論、アレクセイと違って余裕など欠片もない。こうして言葉を口にしている最中も全身全霊の力で剣を振るい続けている。言葉を紡ぎだすことさえもが、難しい。それでも、ダミュロンは笑んだ。笑みとは到底言い切れそうにないほどの、引きつったものではあったが。
 それを見た騎士団長の唇が綺麗に吊り上り、不敵な笑みを刻む。
「では、これはどうだ?」
 ぞっとするほどの威圧感。それとともに振るわれた剣は、今までよりも強い風を孕んでいた。まるで魔法を使ったかのように、生まれ出でるは鎌鼬じみた風の刃。
「――風牙」
 まずい。ダミュロンは身軽さを生かし、寸でのところで跳躍してそれを躱す。風で形作られた刃がダミュロンの鎧を浅く抉りながら通り過ぎていった。意外なことに、騎士団長がそれを追撃する様子はない。
 何故だ。考える間もなく、アレクセイの高らかな一声によって、その答えはすぐに明かされた。
「凍牙衝裂破!」
 地面に叩き付けられた剣が、青く輝く。それを始点として、槍のように尖った氷塊が地面を割り裂いてせり上がり出した。それはダミュロンめがけて一直線に生み出されて大地を奔る。技から技へ流れるような連携に、ダミュロンは翻弄されるしかなかった。避けようとするが、先ほどの回避で体制を若干崩してしまったせいで上手く回避行動がとれない。足元から勢いよく現れた氷の槍に、為す術なく吹き飛ばされた。
 衝撃に耐えながらダミュロンは空中で身をひねり、足元がおぼつかないながらも着地した。それに安堵する間を、騎士団長は与えてくれない。砕け散った氷の欠片たちの中に、鮮烈な赤い影が映り込む。ダミュロンは受けた衝撃で震える手を酷使し、剣を構えなおした。彼の目の前で、赤い影が騎士団長の姿へと変貌する。ダミュロンが防御行動をとると同時に、アレクセイの剣が振り下ろされた。
 再び断続的に鋼の打ち合う激しい音が響く。その勇ましさとは裏腹に、ダミュロンが振るう剣は明らかに精彩を欠きつつあった。このままでは駄目だ、もう十合と保つまい。
 三分間耐え切るという選択肢は、彼の中から消滅していた。決定的な一撃を与え、騎士団長を地に伏せさせることでしか勝利は得られないだろう。だが、キャナリ隊の使う武器の特性上、接近戦で長時間戦う術をダミュロンはまだ会得していなかった。決定打となるような技がないのだ。
 何か突破口となりそうな技は――。
 その時、ダミュロンの脳裏にこの状況を打開できそうな術が閃く。しかしそれは、ただの思い付き。すぐにやってできるようなものではないだろう。だが、できなければこのまま負ける。
 ダミュロンは、たんと後方にステップを踏んだ。アレクセイの剣が空を切る。避けられはしたが、この距離ではダミュロンの剣はアレクセイを捕らえることはできない。そう、今のままならば。
「――っ、吹き飛べ!」
 微小な魔力を練りつつ、ダミュロンは力強く剣を振るう。剣の軌跡通りに生み出された風の刃が、アレクセイへと襲い掛かった。先ほど受けた技を即興で真似ただけなので、それほどの威力が出なかったのだろう。アレクセイは風に圧されるように後方へ一歩後退するが、それだけだった。だが、それでいい。わずかながらも、隙ができたのだから!
 ダミュロンは、鋭く息を吸い込みつつ軽い仕草で地を蹴り、己の全体重を乗せて剣を振りかぶった。上背のない彼の一撃は、軽い。だが、斬撃に体重を乗せればその分重くなり威力は増すだろう。彼は渾身の力を込めて、剣を振り下ろした。

「見事」

 ダミュロンの剣はしかし、アレクセイに届く寸前で騎士団長の剣によって阻まれていた。斬撃の重みに顔をしかめていたアレクセイが、厳かに称賛の意を口にする。そして、剣を持っていない方の手に光り輝く刃を生み出す。ダミュロンがそれに圧倒的な脅威を感じて反射的に離れようとした瞬間に、光の剣が疾風のように彼へと襲い掛かっていた。
「舞い飛べ聖剣」
 吹き飛ぶダミュロンに、翻った刃が再び牙を剥く。咄嗟に構えた剣越しにそれ受けた彼は、枝分かれした奇妙な姿の剣を見た。
「閃覇嵐星塵!」
 天より舞い落ちる稲光めいた閃きが、大きな魔方陣を伴って大地を貫く。直撃は避けたものの、余波を喰らったダミュロンは激しい衝撃波に弄ばれながら、地面へと強かに叩き付けられた。
 倒れるまでの一連の出来事が、どこか他人事のように感じられる。ぼやけていく意識の中で、長い黒髪を靡かせる女性や仲間たちの存在が彼を奮い立たせた。もはや感覚さえない手をどうにか動かして剣を握り、力が入らず無様に笑う足を叱咤し立ち上がる。だが、彼にできたのはここまでだった。急速に意識が暗転していく。底なし沼に似た、深い眠りの中へ。
 砂時計に溜められていた最後の一粒が落ちる音をどこか遠くに聞きながら、彼は意識を手放した。



「大丈夫か」
 騎士団長の声に、ダミュロンは目を開いた。全身が痛みを訴え、どこがどう痛むのかすらわからない有様だが、浅い裂傷や打撲くらいで特別深い傷はないようだ。アレクセイの秘奥義であろう技を喰らったのにこの程度で済んだのなら、よほど手加減をされていたに違いない。だが、あの技を見せたということはダミュロンを認めてくれたということなのだろう。そう思えば、全身を苛む痛みもどこか誇らしく感じるのだから不思議だ。
「……っ、はい」
 ダミュロンは差し出された手を取りつつ、ふらつきながらも立ち上がった。彼を静かに見据える騎士団長が心苦しそうに口を開く。
「少々大人げなかったようだ」
「いえ、ありがとうございました」
 三分間も耐えることはできなかったし、遠慮なく痛めつけられたが、得たものは大きい。変形弓で戦う以上、後方支援だけではなく前線で戦うことにもなるだろう。この経験はきっと役立つはずだ。
 ぎこちない動きながらも騎士の礼をとると、アレクセイは彼にしては珍しく目元を和ませて穏やかな笑みを見せた。
「これからも精進したまえ」
「はい」
 剣技に長け、頭脳も明晰、誠実な人柄で部下や民への情も厚い。それを知っているから、キャナリ隊を初めとする『真の意味での騎士』を目指そうとしている騎士たちに慕われているのだ。真白く輝くような希望に満ちた夢を共に見て、共に叶えたいと。
 自分も、同じ夢を見てみたい。本当の騎士という言葉をアレクセイの赤い背中に重ねながら、ダミュロンは胸の内だけで呟いた。


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