森のなかに不気味なカラスの呻きが響き渡った。切り取られた四角い窓から入り込む朝霧が、ゆっくりと旧城のなかの空気を侵食し出した。

うっすらとまぶたを持ち上げれば、そんな朝の冷たい空気と共に飛び込んで来た景色は無機質な冷たい石で作られた壁。
続いて、上質とは言えない寝台の粗末さが頭の中の情報を書き換える。


「おはようジュダル」

「愛輪?」

「おぼえてないの?わたしのところに遊びに来てくれたわ。昨日はなしね」

ゆっくりと唄うように言葉を紡ぐ。
白く透き通った愛輪の雪のような肌。ぷっくりと膨れた、まだ子供のような頬を包むように付いた頬杖。


「ここでなにしてんだよ」

「あなたをみてた」

「いつから?」

喉の奥をゴロゴロと鳴らして、考え込んだ人狼はにっかりとさくらんぼ色したつやつやの唇から言葉を絞り出した。覗いた犬歯が、昨夜の肉を引きちぎる彼女の姿と重なる。

「月が眠る前から、かしら」

「あー、そ。お前暇なんだな」

「失礼しちゃう」


そう言っておもむろに立ち上がった愛輪は、長い髪の毛をふんわりと湿った空気のなかに踊らせて、胸をそらした。
まるで、夜が開けた今から寝床に付くかのようなけだるい仕草が、彼女の強く細められた瞳とは対照的に脳裏に焼きつく。


「ああ、そうだ。ジュダル、そろそろこうえんさまがいらっしゃるだろうから」

「紅炎が?なんで」

「さあ? 匂いが近づいてる。だからあなた、隠れてなさい。おゆるしがないのならわたしにあっちゃだめなのよ」

「じゃあここにいる」

「………みつからないでね」


不安げに寄せられた形のいい眉毛。愛輪は部屋から去る最後の瞬間にそっとつぶやいた言葉は、耳のおくから離れないでいた。


***

「こうえんさま、いらっしゃい」

「愛輪、久しいな」

そこには、みたこともない笑顔をたたえた紅炎がいた。愛輪に釘を刺されていたのにも関わらず、二人の逢瀬の内容が気になって仕方がなかったのだ。

旧城に隣接した石塔から地下を通って、そこからずっと進んだ薄暗い石の廊下。
まだ俺の入ったことのない扉を小さな手で押し開いたその先に、じっとりとカビ臭い匂いの立ち込めた不思議な部屋があった。

二人のあとをそっとつけて、遠目にその姿をみるも、暗がりでよくわからない。
聞こえてくる愛輪の、少し上ずった声と優しげな紅炎とのやり取りが、親子かもしくは兄妹のような暖かな空間を作り出していた。


「ねえこうえんさま。今日はなにがあるの」

「気になったことがひとつあってな。煌帝国の支配下にある国が、怪しい動きをしているようなんだ。できるか?」

「あなたのためならね」

しっとりと響いたその会話を最後に、閉ざされた石の扉の向こう側に飲み込まれた二人は、日の沈むまでそこから出ては来なかった。