人狼の住処に居着いてから、三日目の朝だった。
あの日の紅炎とのやりとりは愛輪の口から詳しくは語られなかったが、人狼のその英知を持ってする占いの一種を行っていたのだという。

紅炎が旧城を去ったあと、真っ青な顔をして俺の腕のなかに倒れこんだ愛輪は、薔薇色のほっぺたも、さくらんぼの唇の美しさも何処かへと消え、そのまま死んだように眠りについた。


***

「あら、早いのね」

「一日中寝てたやつが言うセリフじゃねえだろ」

ぱっちりと目を覚ました愛輪は、幾分か顔色も良くなっていた。
心配で帰ろうにも帰れない状況だったが、彼女が起き上がった姿をみれば一言二言皮肉ても投げてやろうかと思っていた考えは、いつの間にか消えていた。

「…ありがとうね」

「別に」

「喉が渇いたわ。お水を持って来てくれるかしら」

「あー わかったよ」


何時間も座ったままだった身体を急に動かしたせいか、骨からぼきぼきと悲鳴が鳴った。
その音を可笑しそうに笑う愛輪の頭を軽く叩いて水を取りに階段をおりて行くのだった。

「ちょっと、叩くだなんて野蛮よジュダル」

「うるせぇ」

「言葉遣い、なおしたほうがよさそうね」


そんな彼女は、まだ自分の寝床から離れようとしなかった。それが、まだ身体が気怠いせいであると俺が気づくのは、もっとずっとあとの話。

「お水ありがとうね。ところで、こうえんさまは?」

「紅炎ならとっくに帰ったぜ。覚えてねぇのかよ」

「なんだか記憶があいまいなの。そこの本、とってくれる?」

指差した先には、茶色い薄汚れた表紙。金色のはげかけた文字が一層古めかしさを際立たせる日記だった。
いつだったか、愛輪が極端にそれに触れることを嫌がっていた、母親の日記。

「触っていいのか?」

「今回だけ。それが無いと安心して寝れないのよ」

抱き枕の代わりと言ったところか。愛輪は受け取った本に両のほっそりとした白い腕で抱え込んで、キスを落とすように顔に近づけた。
ほのかに色が戻り始めた桃色のほっぺたは、未だ彼女の美しさの半分も取り戻せてはいないが、それでもはっきりと断言できるほどに愛らしさがにじみ出ていた。

「その日記、何が書いてあるんだ?」



ぽつりと、一つの疑問を口に出す。愛輪は意表をつかれたかのように目を見開いた。
そして、そっと秘密を打ち明けるように声を潜めて、いたずらっ子が嘘を付く時に浮かべる嫌らしい目つきで言い放つ。

「未来のすべてがしるされてるのよ」


湿った空気に染み渡った人狼の不気味なほどに低い声は、そのまましばらくの間鼓膜の表面にねっとりとこびりついて、何度も何度も頭の中で鳴り響いた。