【第三夜 誰もが死ぬために生まれたんだよ】







ごととんと馬車が揺れる。赤い月が照らす森の中の風景を息を飲んで眺めた。

馬車の荷台にお父様が紅覇さまのお国、煌帝国へと送った荷物と共に雑に詰め込まれたわたしは初めて目にする国の城壁の外に胸を踊らせた。

あの夜から一日経った。しかし昨日の夜はもはや記憶の遠い奥底に眠る過去の話となっていた。故郷を発ってから半日、そろそろ日付が変わっているかもしれない。
不気味によるの森に響く動物の声は、恐怖そのものだった。赤い月に照らされたでこぼこの道を一目散に走る蹄の音が、耳の中に広がる。

やがて、速度を緩めた馬車は月が雲に隠れるのと同じに停車した。光一つない森の中の湿った空気の中、帳の向こうに座る紅覇さまの影が小さな灯りに揺られる。

「おまえ、もう寝ちゃった?」

「いいえ、まだ。窓の外をずっと、眺めていたのです」

「こっちに来いよ。僕の話し相手になってくれるぅ?」

「もちろんです」

ゆっくりとわたしたちを隔てていた帳をすり抜けた。
同時に紅覇さまの眷属の方がたが入れ違いになるように荷台へと押し込まれた。


「よろしかったのですか?従者の方をあのような場所に」

「僕に口答えするわけぇ?」


キュッと細めた目。無言の殺気に萎縮した私はいいえと控えめに答える。赤い瞳に宿る有無を言わせない威圧感は、わたしの首を見えない両手でじりじりと締め付ける。


「よ〜し、イイコだねぇコーデリアは。窓の外には何か見えたの?」

「窓の外には、世界がたくさんありました。わたしは今まで国の外はおろか、城の外すらまともにみたことは無かったので…。」

「幽閉されたお姫様ってところだね」

「それも、生贄のためだけに、です」

つんと鼻の奥が痛くなる。
再び体を支配したあの恐怖。思い出すたびにしばらくは体から消えることはないその感覚は、今はもう生きる喜びを知るための痛み。


お姉様たちが手に入れる事ができなかった生きる喜びを、わたしは噛み締めていた。
魔物に殺されるためだけに産み落とされたわたし。王家の女はみんなそうだ。生きる喜びなど知らぬ間に消化されてしまう。


男児が生まれれば跡継ぎのため大切に育てられ分家の娘と婚約する。
女児が産まれれば国の窮地を救う生贄として他の男の目に止まらぬよう幽閉されて育てられる。




「殺されるためだけに生まれてくるって、どんな気分?」

喜々として聞いてくる紅覇さまにわたしは本心から答える。ああ、あの頃の記憶ははるか昔のような気もするけど、実際、数日前までわたしの命を握っていた運命なのだ。


「毎日が、地獄のようでした」

「へぇ!それでそれで?」

「私のせいでたくさんの方が死にました。言葉を交わした男性、ぶつかってしまった女官、城に忍び込んだ子供。みんな、私のせいでですよ?」

「ふ〜んそっかぁ。お前は人殺しだね。それもとても厄介で繊細な人殺しだ」

愛らしく首をかしげてそうでしょ?と言われれば、重くのしかかるその言葉に首を縦に振った。

人殺し。
心に深く沈むその言葉は私が今まで否定し続けていた言葉。下女は皆、コーデリア様は人殺しではございませんと。
お父様もわたしには関係ないと。

しかし、うわべだけを飾ったその言葉の裏側を、紅覇さまは隠すどころか表にだして口にした。その歪んだ、しかし美しい笑顔はわたしの心の中に潜む悪魔嬲り殺す。


「悩んでるね。その苦しんだ顔可愛い!
ああ、でもねコーデリアもう寝てもいいんだよ。今日疲れただろうから特別に僕と一緒に寝ることを認めてあげるから、ゆっくりお休み」

「ありがとうございます」

その言葉に深々と頭を下げた私をドンと突き飛ばして紅覇様は声を荒げた。

「違うだろ、礼を言う時は地面に這いつくばって言うもんなんだよ」

「…っ、申し訳、ございません」

地面に這いつくばるなど、奴隷と同じではないか! しかし、紅覇さまは冗談で言っているように見えずに冷え切った瞳で尻餅をついたわたしを見下ろす。
こんな屈辱を、受けるなんて。


紅覇さまの言葉に従って生まれて初めて床に額をこすりつけてお礼と述べると紅覇様は満足そうに頷いて「こっちにおいで」と手招き。
先ほどまでの射るような冷たい視線はきえて、かわりにポンポンと頭を撫でられた。なんだか魔法にかけられたみたいだった。


「さぁ、もう寝ていいよ。まだながぁいけれど、数回寝たら煌に着くからね」


本当によく表情のかわるお方だ。
起こったかと思えば、すぐに笑うし、きっとわたしにはまだ向けてもらえない表情もたくさんあるんだ。
子供のように無邪気で、無慈悲さを併せ持ったような紅覇さまは、何を思いわたしをそばにおいてくださっているのだろうか。


雲から顔をのぞかせた赤い月が再び森を照らし、わたしは紅覇さまの隣で深い夢の中へと落ちていた。