陰る心

その日、雪男は塾の後で突然任務に駆り出され、寮へ帰宅したのは十二時を過ぎてからだった。

台所のテーブルには姉が作った夕食が置かれており、電子レンジで温めて雪男は遅めの食事をとった。
昼は学校。夕方は塾の講師。夜は祓魔師の仕事。学生を考慮して祓魔師の仕事は一般の祓魔師と比べると少ないものの、万年人手不足な為に駆り出されることは珍しくない。食後、脱衣場へ向かえば寝間着等は既に用意されている。
戦闘で汚れた制服を洗濯機に放り込み、ゆっくりと湯船につかる。そして風呂から出て廊下を歩きながら、彼は大きく欠伸を漏らした。疲労した躯は、睡眠を欲している。

ようやく部屋に入ると、雪男は夕方ぶりに姉と対面した。といっても既に一時を過ぎており弟が帰宅したことに気づくことなく眠っている。
雪男は荷物を自分の机の上に置いて踵を返し、姉の寝顔を覗き込む。

いつもの姉さんだ。

そう雪男は当たり前に思い、ふっと笑みを浮かべる。
寝台の上には図書館で借りたのであろう、料理の本が散乱していた。所々に付箋が貼られており、その中には弟の好物の魚メニューも入っている。
料理に関しては熱心に取り組む一面を、もう少し勉強に役立てて欲しいものだ、と思うも新作が食卓に並ぶのを密かに楽しみに待つことにした。

不意に足下に当たる異物に気づき見下ろすと、アイロンと畳まれた衣服が目に入った。皺一つなくきっちりと畳まれていて、それは全て雪男が日頃から着る制服のワイシャツと祓魔師の制服だった。
寝る前にアイロンがけをしたのだろうか。業者と変わらない姉の手際の良さと今までの配慮に、雪男は感謝を抱いた。

青焔魔の落胤故に、監視として旧男子寮を借りて生活している二人。
生活全て業者任せの新しい寮に住む生徒とは違い、食事も洗濯も掃除も全て自分達でやらなければならない。
しかし、姉は学生生活と仕事を両立させている雪男に気遣って、家事まで手伝わせたら倒れてしまうと自ら率先してやっている。
そんな姉に申し訳ないな・・・と思うも雪男は素直に甘えているのだ。姉に甘えるのは弟の特権なのだから。

「姉さん・・ただいま。今日も美味しかったよ。いつもありがとう」

双子の姉、燐の頬にそっと手を添えて。彼は幸せそうに微笑んだ。





陰る心





首席で優等生である奥村雪男に双子の姉がいる事は、意外と知られていない。
二人の昼食は別であるし、特進科と普通科と教室は離れており授業以外に外で会うことも稀である。
容姿も理由の一つだ。苗字は同じでも、二卵性双生児である為に似ていない。燐は黒髪に青い瞳。雪男は濃い茶髪に翠色の瞳。顔立ちも勿論、小柄な姉に対して、弟は同世代の中でも身長が高く性格も正反対。

雪男はもしクラスメイトに姉弟かと訊ねられたら問題なく頷くだろうが、燐は祓魔塾の仲間達としか他の生徒とろくに会話もしないので、同じクラスの友達すらいない。なので、雪男が自ら双子だと名乗らない限り二人が実の姉弟だと気づく者はいないのだ。

雪男は授業中、窓を何気なく眺めていると庭に歩く女子生徒に目がいった。
見間違える訳がない。姉だ。
だが、今は授業中のはず。中学のときとは違いまともに授業を受けていると聞いていたが、まさかサボりか。
雪男はため息をつくが姉のふらついた様子を見てすぐに思考を転換させた。

(あ・・そうか)

今日はあの日、なのか。
女性特有の月経。男の自分とは一生無縁なもの。姉曰く「怠くなるし、痛いし、面倒臭い」らしい。小学生の頃は風邪もひかない元気印の燐が月経の貧血で倒れた事もあり、雪男にとってある意味でのトラウマとして記憶に残っている。
姉のふらついた様子だと、具合が悪そうだ。保健室へ向かっているのだろう。
雪男は眉を寄せて、今すぐにでも支えてあげたいと思った。

それに心配なのは他にもある。
実に生々しい話だが血は悪魔を呼び出す。しかも魔神の血という最高血統種。
月経は子を宿す為のもの・・つまり燐が悪魔として覚醒してから、月のモノが訪れる度に悪魔達が学園へ引き寄せられているのだ。しかも体調不良も重なり理事長の結界がなければ、姉はとっくに餌食となっているだろう。
薬学の講師である雪男はそんな姉の為に貧血防止のサプリメントと香りを抑える薬草で調合した薬を作り姉に渡したが、あの様子では飲んでいないようだ。それか・・。

(もしかして・・薬がもうないのか。予備もないって事はまた作らないと)

だとしたら、余計に姉の身を案じてしまう。
放っておく訳にはいかず、雪男は時計と姉を交互に見ながら酷く落ち着きのない様子で授業を受ける。

(姉さん、大丈夫かな。僕がすぐにでも行って・・・でも授業がまだ。いや、倒れそうだから行くべきだ)

しかし、ある男の登場によって雪男の行動は遮られることになる。

ゆらゆらと危なっかしい動きで歩く燐の前に、手を差し伸べる一人の男。
いつものピエロのようなスーツを着た学園の理事長ヨハン・ファウスト。またをメフィスト・フェレス。
メフィストは燐の腰に腕を回して横抱きにし、保健室へ連れて行った。雪男にとっては実にありがたいことだが、心は穏やかなものではない。

メフィスト自身が悪魔なのだ。
意味もなく理事長である男が学園をふらつく訳にもいかないので、日頃は犬の姿で散歩していると姉から聞いたことがある。
だが姉の匂いに惹かれて、わざわざやってきたのではないかと疑ってしまう。
恩人に対して失礼だと自覚はあるが、油断ならない相手だ。授業が終わったらすぐに保健室へ向かおう。雪男はそう思った。




保健室に入ると、保健医は不在だった。
となるとどの寝台で姉が寝ているのかがわからない。病人用の寝台は四つ。
二つは白いカーテンで閉められており、どちらかが姉が使っているもの。見分けは簡単で上履きを見ればわかる。
一番手前のカーテンを引くと、燐がちょうど起き上がっていた。

「・・・雪男。どうしてここに?」

「体調はどう?教室から、保健室に向かう姉さんが見えて」

「そっか。わざわざ来てくれてありがとな」

にこっと八重歯を見せて笑って見せる燐だが、顔色が少し悪い。
やはり、服用していないようだ。雪男は寝台の横にある椅子に腰かけた。

「・・・ん?」

「どうした?」

「いや、別に。姉さん、薬もうない?」

「あ、あぁ・・実はあったんだけど昨日どこかに落として・・雪男、任務に行っちゃったから言うに言えなくてさ。ごめんな」

燐は頬をかき、言いづらそうに答えた。
メールでも知らせることはできるのにあえてそうしなかったのは、多忙な弟を気遣ってのことだろう。
雪男は姉の思いに気づき、苦笑する。

「いいよ。帰ったら調合するから。祓魔塾はどうする?なるべく参加して欲しいけど」

「い、行くよ行く。あれで欠席なんて恥ずかしいだろっ」

と、燐は恥ずかしそうに声を荒げる。それはそうだ。
ただ、常に元気な燐が授業中に唸ったり顔色を悪そうにしていると、仲の良い京都三人組でさえ「あぁ、あの日なんや・・」と周囲にもろバレである。
休憩時間もあと僅かとなり、雪男は立ち上がる。

「じゃあ、僕は一度寮に帰ってすぐに調合してくるから」

「え?でも特進科はもう一時間授業があるんだろ?」

燐は大きく欠伸する。普通科の授業は六時間。特進科は七時間。
彼女はチャイムが鳴れば帰宅できるが、雪男はまだ授業が残っている。

「早退するよ。具合の悪い姉さんを送っていくって。先生達は知ってる訳だし」

「悪いって。授業遅れるし。おれは一人で帰れ・・」

「僕は姉さんと違って勉強は得意だから」

雪男はにっこりと毒を吐くと、燐はむっとする。厭味かよ〜と頬を膨らませる姉にクスクスと笑って背を向ける。だが、まだ戻らない。問いたい事がもう一つ

「ところで姉さん・・・理事長は?」

「・・メフィストならすぐに帰ったぞ」

ここは学園なので理事長と呼ぶべきだが、雪男は注意せず姉を一瞥し、カーテンを開く。あの男が去った事に密かに安堵しつつ、決して表に出さず口許に笑みを作る。

「・・・そう。じゃあ姉さんのクラスにも寄って鞄をとって来るから、ちょっと待ってて」

雪男は早足で保健室を出て行った。
燐は扉が閉まる音を確認してから、ちらりと隣の寝台に視線を向ける。
白いカーテンの壁の先に、人影がむくりと起き上がる。

「ってな訳で。おれ帰るな・・ありがと」

「相変わらずとても“姉想い”ですねぇ・・奥村先生は」

くっくと喉を鳴らす男は、お決まりのかけ声と共に消えていった。





今日も疲れた。
雪男はずっしりと重い教材を抱えながら、寮へ向かっていた。
燐は彼が速攻作った薬のお陰で症状も改善され、祓魔塾の講義も何とか受けていた。この調子なら明日は心配ないだろう。
急な任務もなく寮へ帰れば姉が美味しい料理を作って待っている。今夜はゆっくりと過ごそう。
今日のような事があってはならないのだ。そして薬の効果を更に強める研究をしなければならない。
姉を、忌々しい悪魔達から守る為に。雪男は今でも空に蠢き、結界に侵入しようともがいている悪魔達を睨みつける。
撃ち殺してやろうか、と芽生える殺意。だが雪男はすぅ・・と感情を沈ませる。
抑えろ。仕事は終えた。安らかな時間をすごそう。それに、もう既にここは旧男子寮の前なのだから。
雪男は大きく息を吸って、心を落ち着かせた。そのときだ。

「今晩輪。今日もお疲れ様ですね奥村先生」

暗闇の奥から現れた白い悪魔。雪男は心の中で舌打ちをした。

「フェレス卿・・」

雪男はついていない、と思いつつ夕方の姉の件でお礼を言った。

「学校では姉を保健室に運んで下さってありがとうございました」

「いえいえ。私は紳士として当然のことをしたまで。奥村くんも大変ですねぇ・・いつか子を宿す為とはいえ、あそこまで体調を崩すとは。今宵も悪魔達が結界に集まっていますよ。彼女を求めて」

メフィストは空を見上げる。
見えない結界の外には、ありえない悪魔の数が学園に集まっている。
皆、姫君と崇めるように求め、中には絶叫をあげながら結界に体をぶつけ自滅する者もいる。まさに狂気の光景だ。

「いやはや、さすが魔神の血統。私ですら油断なりません」

くんくんと匂いを感じ取る仕草に、妖しげに香りを楽しむ恍惚な表情。悪魔だけにしかわからない領域。不愉快さに雪男は顔を顰めた。この男の一言一言が、実に癪に触る。

「もう彼女は大丈夫ですか?」

「はい・・薬を飲ませたので症状は和らぎました。今後の為に、もっと効果の強い薬を作ろうと思います。そうすれば悪魔の数も多少は減るかと・・」

「だといいですがね。日に日に奥村くんの力は増す一方。いくら薬学の天才とも言われる貴方でも抑えるのは難しくなるでしょう・・・まぁ、私がいる限り彼女には誰一人とも指一本触れさせはしませんのでご安心ください」

燐は私が守りますから。
そう言っているのだと思い至って、雪男は憤りを覚えた。
悪魔の力に、当然人間が勝てる訳がない。姉はメフィストによって守られている。名誉騎士なのだ。彼の保護下にある以上、燐の身は保証される。たとえヴァチカン支部が祓魔師の軍勢を率いて彼女を殺そうとしてもメフィストが必ず守るだろう。
シュラの言っていた、遠大な計画の為に。

燐は重要な“駒”なのだから・・・。

ふざけるな。
雪男は必死にわき上がる怒りを抑えながら、温厚な仮面で覆い被した。

「・・・わかっています。でも、姉さんを守るのは僕の役目ですから。父ともそう約束しましたし、今日も教室で姉の姿を見たとき、本当はすぐにでも駆けつけたかった」

メフィストは笑った。
雪男の神経を逆撫でする、あざ笑うかのような声で。

「おっと失礼。まさか奥村先生に最初から見られていたとは」

「・・・は?」

メフィストは顔を手で覆い隠し、後悔するようなわざとらしい動きをする。

「実は私、ずっと奥村くんの傍にいたもので・・私としたことが、考えが浅はかでした。いくら教育者としても奥村くんと保健室で二人きりで過ごすのは、やはり問題がありましたね」

何を言っているんだ?
雪男の表情が引きつる様を味わうように見つめながらメフィストは続ける。

「私が運んだとき、保健医が留守だったので支部の医工騎士を呼ぼうとしたのですが彼女に断られまして。私は迷ったのですが、奥村くんがとても嫌がるのですよ。寝れば治ると一点張り。私は執務室へ戻ろうとしたのですが、奥村くんが傍に居て欲しいと言うので・・・以後、気をつけましょう」

寝台の横の椅子に腰を下ろしたとき、まだ温かった。
保健医だろうと勝手に思い込んでいたが、実はこの男が座っていたのだ。

愕然とする雪男とメフィストの双眸が交差する。
妖しく、そして淀んだ色のペリドットの瞳。あぁ、わざとだ。この男は、わざと自分の負の心を煽るように仕向けている。
メフィストはその通りだと言うように笑みを深くし、指を弾いてポーチを出現させる。

「奥村くんにこれを渡してくれます?」

それは雪男も見覚えのあるポーチだった。

「貴方が調合した薬が入っています。使い魔に探させておきました」

学園の内庭に落ちていたそうですよ☆とウインクし、受け取ると雪男は軽く頭を下げる。
メフィストは雪男を一瞥したあとで暗闇の奥へと消えていった。

寮の近くなのだから、燐に直接渡せば済むことだ。
なのに、わざわざ雪男に渡しに現れたことは。最初から雪男に会う為に待ち構えていたに違いない。
なんと胸くそ悪い。肌は異様に白いくせに腹黒い男だ。雪男は無意識にポーチを強く握る。

(姉さんはお前のものじゃない・・・)

いくら父の友人であり、後見人でも。上司でも。
雪男にとってメフィストは姉に群がる、忌々しい悪魔達と変わらなかった。



出迎えたのは、雪男が待ち望んだ姉の笑顔だ。

「おかえり!雪男っ今夜はな、お前の好きな魚だぞ!」

食卓に並ぶバランスの良い食事。メインは白身魚とキノコのホイル焼き。バターの匂いが香ばしい。
待ちに待った家族水入らずの時間。だが雪男の胸の中は姉への疑問が渦巻いている。

燐は言った。メフィストはすぐに帰った、と。
実際は違う。雪男が保健室へ訪れるまでいたのだ。それなのに彼女は嘘をついた。
聞きたい。どうしてあの悪魔を庇ったのか。
雪男はご機嫌にお茶碗にご飯を盛る燐に尋ねた。

「フェレス卿と保健室で何話してたの?」

一瞬、燐は表情を曇らせたがすぐに返答する。

「う、うん。そりゃあ運んでもらったんだし。話しはしたぞ」

「・・・・僕が着く前まで?」

燐はどうしてそれを?と驚いたように雪男を見返した。
そしてすぐに視線を外し、持ったお茶碗をテーブルに置く。

「・・・・あ、でもおれ。ちょっと話した後寝てたし」

「寝た!?」

「あぁ。あいつの手が冷たくて気持ちよくて・・熱っぽかったから」

「どうして医工騎士に来てもらわなかったの?」

不服だが、メフィストの行動は正しかった。
医工騎士を呼べば燐の症状を抑える薬を調合してくれる。ただ、効能は雪男より劣る。それでも具合が悪いならばないよりはマシだ。
燐は並んでいる食事に視線を向ける。料理はまだ湯気が立っているがこのまま弟と話を続けると冷めてしまう。夕食にしようと席について笑って返した。

「だって、支部の人とはまだ上手く付き合えてねぇし、来てもらってもお前にいずれ知られると思うし・・雪男にこれ以上心配かけたくなかったんだ。それにおれが家まで我慢すればいいだろ」

「姉さん・・・」

勉学に励む自分を気遣ってか。
姉の優しさは素直に嬉しいと思うも、それは自己犠牲だ。
雪男はすいっと目を細めて姉を見下ろす。
燐はこれで終了な、と思ったのか手を合わせていただきますを始める。
しかし雪男が椅子に座ろうとしないので「まだあるのか?」と顔を上げた。

「フェレス卿のこと、どう思ってるの?」

「え?」

返ってきたのは、驚くほど低い弟の声だ。

「姉さん、前にお菓子を作ってたよね。あの人にあげる為に・・・いくら後見人でも、そこまで親しくする必要なんてないんだよ」

「・・・おれが誰にあげようと勝手だろ」

必要ない、と言われ流石の燐も弟の言葉にカチンときた。
さっきから何が気に入らないのだ。メフィストは自分を心配して保健室まで運び、側に居てくれた。恩人だというのに雪男は酷く気に入らない様子。
そりゃあ、最初は変人だと胡散臭い奴だと不審を抱き信用さえしていなかったが、燐にとって今ではメフィストという男は雪男とは異なる意味で信頼のできる相手だった。

しかし、雪男は能力に関してメフィストを認めているものの人としては好きではない。
理由は不明だが、燐でさえ初対面から猜疑心をもっていたのだし、メフィストと過ごすにつれ今のように慕う気持ちができたのだ。それに雪男はプライベートで過ごす燐とは違い事務的な事でしか彼と会話をしない。
これが二人の彼に対して異なる感情の明確な違いだ。そこで燐は訳を説明することにした。以前も似たようなことをしたが。

「・・・ほら、あいつっておれの正体知ってるだろ。だから気軽に話せるし悩みも聞いてくれるんだ。それに最近雪男忙しくてあまり話せなかったろ。寂しかったっていうか・・今日だって助けてくれた。仕事で忙しいのに、おれが寝付くまで側にいてくれたんだ。雪男が来るのを知らせてくれたのもあいつだったんだぞ」

「・・・・・」

燐にとってメフィストは異母とはいえ実の兄。
公然の秘密というが、雪男はメフィストの正体をどこまで知っているのだろうか。恐らく、悪魔だとはわかっている。
問題なのが真の正体が虚無界の八候王の一人だということ。
燐の兄なのだから雪男にとっても兄、そう考えたが違う。弟は不思議とただの人間で、姉は悪魔。力の繋がりでは雪男はメフィストに異母弟として見られてはいないのだ。だから二人は干渉しない。
雪男は疑念をぶつけ、メフィストは無関心。ここは明かさない方がいいだろう。

どう思ってるの?と聞かれてもメフィストに対する想いがなんなのか、燐にはまだわからない。
それは義父を慕う気持ちにも似ていて、弟を慈しむ感情にも似ている。そして甘えたくて縋りたくて、でもちょっぴり反抗的な変な想いもある。

(ほんと・・メフィストって、不思議な奴)

燐は頬杖をつく。あまり頭は良い方ではないと自覚しているが、彼への特別な思慕は実によくわからない。

「だから、そんなに心配するなよ。おれは大丈夫。もうお前に心配かけるようなこともしない。ほら、飯が冷めちまうから早く座れよ」

雪男はまだ納得していない様子だが、燐のいうとおりこのままでは冷めてしまう。
今日は久しぶりにゆっくりと時間を過ごせるのだ。このままでは美味しい食事が食べれず尋問のごとく気まずい空気が続くだろう。
雪男は苛立つ思考を凍結することにした。あとは食後に聞けばいい。その前に、コートと荷物を部屋に運ばなければならない。「次からは気をつけてよ」、と雪男は部屋へ戻ろうとするとほっと息をついた燐が笑いながらこぼした。

「んー。だって、アレがくるのって。大体だからいつくるのがわかんねぇんだよ」

すると、雪男は立ち止まり提案する。

「・・・それなら姉さん、これからは月経の周期は僕に教えてくれる?今後、今日みたいなことがないように僕が記録しておくから。姉さんが薬をなくさないように僕が予備を持つことにするよ」

真面目な顔でとんでもない事を言い出した弟に、燐は唖然とする。

「えぇ!?恥ずかしいぞソレ!いくら姉弟でも実の弟に言うなんて・・」

「いいから。今夜だって悪魔が姉さんを狙ってるんだよ。念のために必要だろ」

「だからメフィストの結界がある限り大丈夫だって」

それは雪男が燐に教えてくれたもの。
しかし、雪男の氷のように冷め切った貌に燐は硬直した。

「あの人は悪魔だ。油断ならない」

燐は知っている。優秀な祓魔師である弟が竜騎士として活躍するとき。
いつもなら恰好良いと誇れる自慢の弟の姿。燐にとって同胞を殺す行為・・悪魔を射る目。

「―――っ!!」

雪男にとって、きっとメフィストですら敵意の対象なのだろう。
大切に思われているのはわかる。でも。

(おれも悪魔なんだぞ・・・雪男)

だから、こんな体質になってしまった。
雄を誘う芳醇な香りを放つ厭らしい悪魔の躯。
弟が姉の身を案ずる余り、彼の感情は違う方向へ向かっているのかもしれない。
メフィストと雪男。兄と弟。同じ正十字騎士団に所属する祓魔師なのに。
雪男が部屋へ行き、一人燐は冷め始めた食事を見つめる。空腹だというのに、食欲がわかない。
弟の本心を知ってしまったから。

(どうして仲良くできないんだよ・・二人はおれにとって兄弟なのに)




雪男はコートを脱いで寝台の上へ投げ捨てる。
我ながら、ずいぶんと冷静でいられたものだ。姉のあの悪魔に対する思いを話される度に腸が煮えくりかえる。
そして、最愛の姉がとても哀れに思った。
なぜなら彼女は悪魔の真意に気づいていないのだ。メフィストは燐を駒にしか思っていない。彼が彼女に愛想をむけて可愛がるのは己の野望の為。すべて偽りに過ぎない。

雪男はあの悪魔が渡したポーチを燐の机の上に置いておく。
食卓で渡せば、きっと喜ぶだろうとあえて返さなかった。心の狭いことをしていると自覚するも姉があの男の為に笑うのがどうしても許せなかった。
憎い。メフィストが憎くて堪らない。姉の思いを利用し、踏みにじっている。
だが雪男は激しく嫉妬する。赤の他人のくせに燐に信頼される彼が羨ましいのだ。同族だから?力があるから?雪男にはない強大な力が、メフィストにはある。

人間の体では決して届かない領域。

(・・・力が欲しい。全てから姉さんを守る力が。そうすれば、姉さんは僕だけを見てくれるのに)



姉の思いを知らず、徐々に歪みゆく愛情がゆっくりと己を蝕んでいく。
それが禁断的な恋だと気づかずに、雪男は姉の待つ食卓へ踵を返した。







END


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