― 堕天使は人間に恋をする ―
〜 Z. Fallen angel tears 〜











 自主特訓を終えた後、シャワーを浴び、自室へ戻ろうと
 ガラス張りの真っ直ぐ続く 長い廊下を歩いているのは、ベジータ。

 首に掛けているタオルで 流れ出る水滴を拭い、それは いつもと変わらない日常 … の筈だった。


 微かに見覚えのある人物に出会わなければ ―― 。



 「 おい、待て。」



 駆け足で横切った者を呼び止めれば、
 ピタッ、と 背後で立ち止まったのを察知する。



 「 なんだよ、ベジータ。」



 ベジータは息を潜め、
 ゆっくりと 立ち止まった人物の方へ 振り返る。


 声帯は、いつもと変わっていない様子。
 山吹色の胴着に執着し 身に纏っているのも変わっていない様子。

 しかし、他は … ?



 「 … カカロット、なのか? 」

 「 あぁ、そうだ。」



 何が起きたと云うのか。

 此方に振り向いた彼に 向き合う形となり、ベジータは食い入る様に目を瞠る。


 淡い蒼の瞳が 漆黒の光を射さぬ色となり
 淡い蒼の髪も 同様 … 否、それ以上の闇色だ。
 色白の透き通る様な肌も失い、生身の平均的な人間の黄色系の肌色。
 この分だと大翼までもが 漆黒に染まっている事だろう。

 目の前に立つ男は、嘗ての孫悟空ではない。
 好敵手として見てきた 天使の姿をしたカカロットはもう居ない。



 食い入る様に頭の天辺から足先まで 悟空を見詰めるベジータ。

 悟空の乱れた呼吸は徐々に落ち着き始め、同時に鋭利な目付きに変わる。
 そんな反抗的な目付きに気付いたベジータは 苛立ちを覚え、一つ舌打ちをした。



 「 チッ、貴様も落ちたな。」

 「 なんだよ、そんな事云う為に呼び止めたんか? 」

 「 … いや、噂を確かめにな。」

 「 噂? 」



 顎に手を当て、小首を傾げる悟空は、
 もう一度 ”噂って何だよ ”と 真剣な声で云った。

 問いに対し、ベジータは 強い視線を注ぎながら、深い呼吸を一つする。
 


 「 … 貴様、人間などに恋をしたらしいな。」

 「 あぁ、まぁな。」



 その問いに答える悟空の眉間には皺が寄るものの、
 はっきりとした口調で頷き、迷いが無い様に思える回答だった。


 噂 … と云う噂ではないのだが、この話は ブルマに聞いた。

 訓練室にブルマが訪ねて来て、
 ”孫君が 人間の女の子に恋してる ”と静かに涙しながら 云った。
 泣き出したブルマにも驚いたが、ブルマの発言の方に思考回路が回り、驚き 動揺してしまった。

 それは、無理もない。

 ベジータが 以前、悟空を目撃した時は、
 天使にも成り切れていない端くれの女に告白されている所だ。
 しかも、告白に対し、嘘を吐けない悟空は ”恋愛に興味ねぇから ”と云っていた。



 「 何故だ。」



 未だに 不思議だ。

 恋愛に興味がない、と云っていた者が、
 何故 今、恋愛に拘り、掟破りの対象となる 人間を選ぶのか。



 「 好きだからだ。」

 「 違う、そんな事を聞いているのではない。」

 「 … じゃあ、何だよ。」

 「 何故、貴様は 人間を選んだ? 」



 彼は、特別な才能と能力の持ち主だ。

 生まれつきの格闘センスは勿論の事、
 自分自身には使えないらしいが、治癒能力、反対に殺人能力。
 もっとも、その所為で餓鬼の頃は 疎外されたらしいが、今では 神の後継者と称えられる程の能力。

 それに、彼の場合 それだけではない。
 最大限には活かせていない様だが、もう二つの能力を秘めている。


 だからこそ、人間に恋をした と云う理由だけで、
 容姿を捨て、身分を捨て、掟破りを犯し 追放されてまで、人間を選ぶ理由が分からない。



 僅かな沈黙の後、悟空は口を割る。



 「 オラ、幸せにするって約束したんだ。」



 揺らぐ事のない闘志を燃やす、無垢な瞳。
 光を射さない程の 漆黒の瞳にも関わらず、その瞳の奥は光で満ちていた。


 だからこそだったのかもしれない。

 無垢な瞳を向けられたベジータは怒りが頂点に達し、悟空の胸倉を力任せに掴み取る。



 「 貴様、そんな約束の為に 全て捨てたと云うのかっ!
   それが どれだけの罪か、分かっているのか?! 」

 「 … ベジータ、」

 「 カカロット、お前は天使だ、次期に神となれる力だってある。
   それなのに 俺達より劣る 汚れた人間などに 惑わされるな! 」

 「 だったら ―― 」



 悟空の声が あまりにも小さく、ベジータの耳には届かない。



 「 … なんだ、はっきり云え。」

 「 … だったら、オラだって 人間なんだよっ! 」



 怒りを露にした悟空は 声を張り上げ、
 ベジータに掴まれていた胸倉を力の限りで 振り払う。


 いつも 呑気で 何も考えていない風な彼だったが故に、
 今、こうして 怒り任せな悟空を見て、ベジータは少なからず 動揺を見せた。



 「 オラは おめぇ達とは 違ぇんだ。
   天使であっても、いずれは神様になんなきゃなんねーし、
   天使でも オラの半分は人間の血が流れてる。おめぇの云う 汚れた血がな。」



 冷静に告げた 悟空は グッと思い切り手を握り、
 何をするかと思えば、ダラッ、と 真っ赤な鮮血を流す。



 「 … っ、」



 天使には、血液自体が存在しない。

 だからこそ、彼の掌から流れる鮮血が 汚らわしく思う。


 臭覚を刺激する 鉄の香りに、
 ベジータは顔を反らし 鼻を抑える様に口元を手で覆う。



 「 オラはさ、おめぇ達が 羨ましかった … 」

 「 俺達? 」



 唐突に何を云っているのか 解らないベジータは 悟空に問い返す。

 悟空は顔を伏せながら、浅く微笑し、
 ポタポタと流れ落ちる鮮血に視線を落としながら 口を開く。



 「 ベジータとブルマだ。
   彼奴ん事、好きなんだろ? 」

 「 … 何を、云っている、」

 「 素直になれよ。
   おめぇ達は 天使なんだから 誰にも咎められたりしねぇんだ。」

 「 …… 貴様 …っ! 」

 「 その癖、意地張ってよ。
   ずりぃよ、本当 ずりぃ。」



 文句の一つでも云ってやろうか、と口を開き掛けた瞬間だった ―― 。


 悟空の顎まで伝う 透明な雫。
 顔を伏せる様に 視線を落としたままだったが、ベジータは 見逃さない。


 彼は、泣いたのだ。
 楽観的な思考しか持っていない呑気で幼稚な餓鬼だと思っていた彼が。

 ははっ、と笑いながら、声を押し殺して、ただ 泣いていた。


 ベジータは固唾を飲み込み、息を止める。


 彼は 全てを失いたかった訳ではないのだと 悟った。

 仲間を捨て、
 容姿を捨て、
 身分を捨て、

 ただ一人の女を手に入れる為に選んだのだ。


 だからこそ、いつまでも ずるずるとあやふやな関係を続ける ベジータとブルマを羨ましいと狡いと云ったのだ。



 「 カカロット。」

 「 … 何だ? 」

 「 約束しろ。」

 「 何を … ? 」

 「 必ず、幸せになれ。」



 既に涙を止めた悟空は 驚愕した様に ベジータを瞠った。
 しかし、発言したベジータ自身が、何を云っているのか、と 一番 驚いていた。


 ただ、彼に今、何を云っても無駄だと悟った。

 彼は彼なりに悩み、決断したのだと。
 邪魔をした所で 彼の決心は揺らがないだろうと。



 「 … 約束する。幸せになるよ。」

 「 そうか、」



 僅かな沈黙の後、
 悟空は いつもの呑気な笑顔を作って、そう 約束して見せた。

 約束に満足したベジータは 呆れた様に、溜息を吐いたが、決して 嫌な風ではない。


 悟空はベジータに背を向け、再び 下界へ続く道へ 視線を向ける。



 「 ベジータ、」

 「 なんだ。」

 「 ありがとな。
   後、おめぇ達も幸せにな。」



 振り返る事もない悟空だが、
 きっと、その顔には いつも通りの餓鬼臭い笑顔が浮かべられている事だろう。

 ベジータは 最大の皮肉を込めて、強く舌打ちを放つ。



 「 早く行け。馬鹿な堕天使が。」

 「 あぁ、じゃあな。」



 駆け足で 走り去っていく 悟空の背中。
 ベジータは 背中が見えなくなるまで、立ち止まった。








 最大の好敵手は、失われた。
 もう、彼に会う事は きっとないだろう。


 才能と能力だけは 群を抜いていたものの、
 成人しても 尚、子供だった彼は いつまでも成長しないものだとばかり思っていた。


 しかし、彼を変えたのは、きっと他の誰でもない。


 天使の心を奪った、人間の少女なのだろう。





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堕天使は人間に恋をする
〜 Z. Fallen angel tears 〜






2016.02.○○




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