― 堕天使は人間に恋をする ―
〜 [. Man of destiny 〜
白き満月が 天に昇り輝く 静寂な夜。
幾度と逢瀬を重ねた、山々に囲まれた谷底。
そこへ降り立つのは、背に黒き大翼を生やした 堕天使。
その堕天使は、嘗て 神の後継者と謳われる程の力を持つ天使だったが、
何の力も持ち合わせていない、極々 普通の人間である少女に 心を打たれ、
罪を犯し続けた 今宵、美しき蒼の天使を捨て、少女の為だけに 一生を捧げようと堕天使に成り果てた。
今更ながら、思う。
あの晩 下界へ降り、少女に指一本 触れる様な行為をしなければ、この様な 運命は招かなかったのかと。
この能力が無ければ こんなにも心を奪われる事は 無かったのだろうか、と。
思考を巡らせながら、約束の地へ辿り着いた 堕天使 … 孫悟空は、
一生 添い遂げようと、心に決めた 少女 … チチの神秘な池を見詰める後姿を視界に捉え、ゆっくりと歩み寄る。
一歩 一歩、近付く度、聞こえて来るのは、チチの奏でる歌声。
曲は、いつだか 鼻歌で聴かせた、天使界に置いて、誰もが知る 癒しの歌。
以前、鼻歌を聴かせた時、”天使の歌声は そんな綺麗なの? ”と問われた事がある。
勿論、天使の声は 元々癒し効果があり、歌声は 綺麗なのだろうが、
彼女の歌声は、天使にも劣らない程、奏でるメロディ 一つ一つが丁寧で、いつまでも聞いていたくなる様な 歌声だ。
「 チチ。」
堕天使となった事で 天使特有の癒し効果のある声は失ったものの、
声帯自体は変わらぬ声で、愛しい存在である チチの名を優しく呼び掛ける。
呼び掛けた事により、柔らかな歌声は止み、ゆっくりと此方へ振り向くチチ。
月明かりに照らされる 束ねられていても分かる程の艶やかな長い黒髪。
はっきりとした、二重の大きな黒眼。
透き通るような白い肌に際立つ、桜色の頬。
真っ直ぐ向けられる強い視線に、思わず ゴクリッ、と 固唾を呑み込む悟空は 息を潜める。
「 … 悟空さ。」
無垢な強い眼差しは、
直ぐに柔らかな優しい笑顔に変わり、
悟空の動悸は、高く激しく 波打つのを感じた。
嗚呼、神様。
きっと、後悔はしない。
何もかも捨て、
彼女を 選んだ事を。
何もなくなったけれど、
彼女に これからの人生を捧げる事を。
それが 神を裏切る行為に値するとしても、
それが 神のお怒りに触れる行為であったとしても、
隣に 彼女さえ 居てくれれば、
この先 何があっても、どんな試練を与えられたとしても、
そこに 後悔の念が押し寄せる事は 無いだろう。
優しい笑顔を浮かべるチチ同様に、悟空は 微笑み返し、すっ、と 手を差し伸べる。
「 チチ、迎えに来た。」
僅かな微笑を洩らしながらも、
差し伸べた手と声は、いつになく真剣な面持ち。
「 もう、待ちくたびれただよ。」
桜色に色付く頬を 紅色に染め上げるチチは、
差し伸べられた悟空の手を 遠慮気味に冷えた震える手で取る。
運命の人であり、結ばれるべき人の手が 触れた時 ―― 。
初めて、彼女に触れた時は、激しい動悸と後悔が 押し寄せた。
何故、容易く 触れてしまったのだろうかと。
何故、こんな能力を持って、生まれてしまったのかと。
最初に 触れたのは、確か ―― 。
水中内で 気を失い、酸素を拭き零している 彼女に 酸素を与えようと 口付けた時だ。
神の能力によって、見えてしまった。
瞼の裏を焼き付ける、儚い記憶。
彼女の前世を生き抜いた記憶。
そして、今まで 見る事の出来なかった 自分自身の前世の記憶。
戦闘に明け暮れる 身勝手な自分の帰宅を待ち、
無事に帰宅すれば、怒られはしたものの、最後には笑って 御飯を作ってくれた 彼女。
それなのに、最悪な結末を迎えた、己の死。
『 なぁ、もしさ。』
『 何だべ? 』
『 もし 生まれ変われたら、今度は オラが迎えに行く。』
『 何 … 云ってるだよ。』
『 次こそは、おめぇを幸せにしてやるからさ。』
そう ―― 。
戦闘に明け暮れた 挙句の果てに、
不治の病に身体を蝕まれ、世を去った。
( 嘘だろ …。人間が 前世の嫁 … ? )
酷く衝撃を受け、愕然とする中、
水中内で 目を開けた瞬間 ―― 。
追い討ちを掛けるかの様に 広がる 無数に張り巡らされた糸。
( これは … 。)
はっ、と 我に返り、視線を映すのは 手首。
今まで 運命の糸は あったものの、繋がる先が見えないものだった。
きっと、他者には使えても、自分には使えない … と云う能力の欠点なのだろう。
しかし、今は … 彼女の手首に しっかりと絡まった糸。
例えるならば、蜘蛛の巣の様に 張り巡らされた 濃い糸だ。
( そっか。
運命の奴に出逢えば、能力が活かせたのか。)
刹那、目を細め 意識のない彼女を瞠った。
孫悟飯に教わった 神の掟が 脳裏を過る。
人間に恋をした天使は、堕天使降格 追放は 免れない。
( 殺してしまおうか。)
恋をしない内に、
まだ 始まってない内に、
今まで 誰一人として使った事のない 内に秘めた 殺人能力。
しかし、それは、使う事が出来なかった。
殺意さえあれば、
苦痛を味わわせる事もなく 殺せてしまうのに。
きっと 出逢った瞬間から、
既に 天使としての歯車が狂い始めていたから。
出逢った瞬間から、彼女に惹かれ始めている事に気付いていたから。
初めて 己の能力を恨み、呪った。
チチの震える指先が 手先に触れた時、
悟空は 自分の思うがままに、手を引いて チチを抱き締める。
殺さなくて 良かった、と。
こんなにも 愛おしく思える人に出逢えてよかった、と。
「 チチ、待たせて すまね。
でも 約束通り、迎えに来ただろ? 」
「 うん。」
チチの存在を 愛おしげに抱き締めていると、遠慮気味に背へ回されるチチの腕。
僅かな沈黙の後、
悟空とチチは 抱き締め合いながら、視線を絡ませる。
先に口を開いたのは、チチの方だった。
「 それにしても、随分 変わっただな? 」
「 … 気に入らねぇか? 」
「 ううん、前の悟空さには 悪いけんど、おら ―― 。」
―― 黒髪の悟空さの方が好きかもしんねぇ。
まるで 独り言の様に 小さく呟かれた言葉。
小声を聞き取った悟空は、激しく 打ち震える様な 何かによって 胸を熱くさせた。
天界において、もっとも醜いとされる堕天使を、
一番愛する人に ”その姿の方が好き ”と 云われたのだ。
きっと、これ以上の歓喜も幸福も 存在しないのではないか、と 思った。
本当に、これ以上の望みなんて 無いかもしれない。
込み上げる愛おしさから、
腕に抱くチチの存在を きつく抱き締めては、”チチ ”と囁く様に 名を呼ぶ。
「 オラが 必ず幸せにしてやる。」
「 … んだ。」
前世で 交わした約束を。
現世で 交わした約束を。
今、果たす時が来た。
「 だから、オラに着いて来てくれっか? 」
「 当たり前だべ。」
涙ぐむチチに 内心 焦るものの、
その表情には 嬉々とした笑顔が溢れていて、
釣られる様に、悟空の表情からも緊張の糸が解け、笑顔が零れ落ちた。
「 … 悟空さこそ、」
「 ん? 」
「 おらの心、奪ったんだから、」
「 あぁ。」
「 心だけじゃなくて、」
「 ん。」
「 おらの全部、奪って。攫ってけれ? 」
上目遣いの潤んだ瞳で、そう云われた 刹那 ―― 。
自分の中で、何かが崩れ 弾け飛んだ。
彼女を欲する、自分の思いのままに、
初めて交わした人工呼吸の時とは 別物の口付けを、彼女の紅い唇に落とす。
「 … ん、」
甘い吐息を漏らす彼女に、欲は増すばかり。
例えるならば、甘美な果実だ。
頬張る様に 無我夢中で奪って、食べ尽くすかの様に 何度も口付ける。
理性も崩壊寸前の所で、
彼女に胸板を押されている事に気付き、名残り惜しくも 唇を離す。
視線の先には、頬を真っ赤に染め上げ 潤み切った瞳を持つ、彼女。
何故だか、くすぐったくて 温かくて、
二人して 頬を染め合いながら クスッ、と 笑い合った。
「 行こう、チチ。」
「 んだ。」
抱き合っていた身体を離し、
直ぐ 密着するかの様に、悟空は 両腕にチチを抱える。
「 しっかり、掴まってろよ? 」
「 悟空さが一緒だから、大丈夫だべ。」
安心しているかの様な 柔らかい笑顔を作るチチは、
悟空の首に回した腕で ぎゅっと抱き締め、預ける様に頭を寄せる。
チチの行動に 僅かな照れ臭さを感じたものの、しっかりと腕に抱えながら 意識を集中させるのは背。
生やすは、黒き 漆黒に染まった大翼。
羽ばたくのは、広い 広い 世界。
この先の行方は、二人にしか 知られない。
ここから 新たな冒険が始まるのか、
はたまた 平凡な日常の幸福を過ごすのか、
未来ばかりは、神の力と云えど、未知な事ばかり。
ただ、一つ 分かるのは ―― 。
堕天使は人間に恋をした。
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堕天使は人間に恋をする
〜 [. Man of destiny 〜
2016.02.○○
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