― 堕天使は人間に恋をする ―
〜 X. Time has come 〜
僅かに満月に満たない 小望月。
散りばめられた 宝石の様な 星々。
美しい夜空を映し出している 神秘的な池を、
見詰めるチチの瞳は 同じ様に煌めき、
漆黒のサラサラな髪は 風に揺られ靡き、
色白のきめ細やかな肌は 僅かに桃色に色付き。
「 チチ 、」
彼女の存在に魅了され、
静かな声では合ったが 不覚にも彼女を呼んでしまった。
( 綺麗だ。)
いつからだっただろうか、
偉大なる神が何光年も掛け 創造したこの景色よりも、
人間である 彼女の方が 断然美しい、と感じてしまう様になった。
しかし、綺麗だ、と云う想いは 声に成らずして、喉奥で押し殺す。
「 何だべ、悟空さ? 」
「 んー、やっぱ、何でもねぇ。」
チチの視線を浴びながら、
はぐらかす様に、そう云っては 笑って見せる。
しかし、チチの視線は相変わらず、逸れる事無く、悟空を見詰めていた。
「 … 最近の悟空さは、そればっかりだ。
おらに聞きてぇ事でも あるんでねぇのか? 」
ブルマとクリリンに呼び出されたのは、三日前。
その日の夜からの逢瀬では、今回同様な事を、幾度も繰り返していた。
その所為で、流石のチチも不審に思ったのだろう。
図星を吐かれた上に
嘘を吐けない性格の持ち主である 悟空は、ははっ、と空笑い。
益々、不思議に思うチチは とうとう首を傾げて、眉を顰めた。
「 あのさー、チチ。」
「 何だべ? 」
「 神話 … って 信じてるか? 」
白き小望月を見上げながら、
隣には 自分の横顔を見詰めているであろう彼女へ 問う。
信じていない、と云うならば、
このまま 何も話さず、この気持ちを押し殺して 天使として生きよう。
その方が 彼女にとっても、自分にとっても、
人間は人間として、天使は天使として、
それぞれ違った 幸福を手にする事が出来るのだから。
しかし、彼女が 信じていると云うならば ―― 。
遥か胸の奥底、
静かではあるが 確かに存在する、淡い炎。
みなぎる思いの闘志をそのままに、全て 打ち明けよう。
とんでもない決心と覚悟を決めれば、
彼女の答え次第で、今後を左右する 言葉を、静寂の中 待ち続ける。
「 … 何だ、悟空さみてぇな人でも 神話なんて難しいもん 知ってるだか? 」
「 な、なんだよ。その馬鹿にしたような 云い方はよー … 」
「 ちっと、驚いちまっただけだべ、」
「 そっか。」
驚いた、と云う割には、冷静な表情を浮かべる チチの姿があって、
何を考え込んでいるのか、膝を抱え 座り込んだまま、俯いてしまった。
( あぁ、駄目か。)
訪れた沈黙と云う名の静寂。
何も云わないチチに、見兼ねた悟空は チチに手を伸ばす。
頭を撫でようとしたが、彼女に触れる 一歩寸前で、チチは顔を上げ 口を割った。
「 おらな、そういうの 信じてなかっただよ。」
「 そっか、」
ドクンッ、と 胸が強く波打つのを感じた。
神話を信じていないのなら、
真実を伝える事を諦めて 離れる、そう 覚悟していたから。
そんな決意を知らずのチチは、哀しみの色を瞳に映し出し、小望月を見上げた。
それは、初めて出逢った時に見せた、物悲しい瞳。
けれど、美しいと魅了させられた 月明かりに照る 漆黒の瞳だ。
「 もし、神様が居るなら、
どうして おっ母だけじゃなく、おっ父まで 連れてっちまうだって 思ってた。」
「 … だよな。」
「 でも、悟空さに会えたから …。」
静かに 呟く 凛とした声。
この時、時間が止まった気がした。
聞こえるのは、
二人の息遣いだけで。
「 オラ? 」
「 そう、悟空さだべ。
… だって、おめぇ ―――― ? 」
息が 詰まる。
息が 止まる。
―― おめぇ、天使だべ ?
確かにそう云った チチの声。
驚愕した悟空は 今までにない程、淡い蒼の瞳孔を見開かせ、チチを瞠る。
その横顔は、惹き込まれてしまいそうな程、美しい笑顔があって、
眩しい笑顔に 目が眩みそうになった悟空は 眉間に皺を寄せ 目を細めた。
「 … いつから、知ってたんだ? 」
我ながら、低く 静かな声だった。
「 きっと、悟空さに逢った時から。」
「 今まで 何で云わなかったんだ? 」
「 悟空さが隠したがってる事に気付いてたから … ってのもあるけんど、云う機会も無かったから。
悟空さが それらしい事 聞いてきたら 云おうと思ってただよ。」
「 … そっか。」
彼女は素晴らしい程、出来た人間だ。
普通の人間であれば、
天使だと知った瞬間、驚いて 悲鳴でもあげるだろう。
もしくは、天使と知って 好奇心で 尋ねてきてもおかしくはない。
それを、彼女は 感情を押し殺して、
今まで、知らん振りをし、それどころか 自分の真意を悟って、隠し続けてくれたと云う。
圧巻だとも云える、彼女の思考に、
悟空は 驚く暇も与えられることなく、僅かに微笑んだ。
「 なぁ、悟空さ? 」
「 ん? 」
「 悟空さは、おらを助けてくれた時 抱き締めてくれたべ? 」
確か、沈んで行く彼女へ人工呼吸を送り込み、池を這い出た後、
あまりにも冷え過ぎた彼女を心配し、躊躇いながらも 彼女の身体を包み込む様にして 抱き締めた。
純白の大翼で ―― 。
「 え、あぁ …。
抱き締めたっつーか、温めたけど それがどうかしたんか? 」
「 あの時 みてぇに、今 してくんねぇだか? 」
「 … えっ?
オラの羽で … か? 」
コクリッ、と 遠慮がちに 頷くチチ。
”あんま 驚かないでくれよ ”と一言告げた悟空は、
瞳を固く閉じ、背へ意識を集中させ、バサッ、と一気に 大翼を生やす。
ゆっくり瞼を開け、抜け落ち舞う羽根のその向こうに見たのは、桜色に色付いたチチの顔。
「 悟空さは、本当に綺麗な人だべなぁ。」
大翼を生やした姿を見ても、怖気付く所か、
桜色に色付いた頬で、花が綻ぶ様な笑顔を見せる彼女は 綺麗だ、と また呟いた。
そして、気が付いた時には、
自分の欲のままに 彼女を抱き締めていた。
大翼を折畳み 包み込む様に、華奢な身体を 腕の中に 閉じ込める様に。
腕の中で驚愕したチチを見たのも一瞬で、次にはチチの腕が そっと優しく背中に回された。
「 … 悟空さ、何処にも行かねぇで、、」
「 …… チチ …。」
何かを悟っているのか、
腕の中に抱き留めた チチの身体は 僅かに震えていた。
( お前の傍から離れるなんて 出来ねぇよ。)
胸の中で何度も唱える様に 呟けば、
震えが治まる様に、強く彼女を抱き締め続け、
そんな時間を費やす事無く、彼女の体の震えは 徐々に落ち着き始める。
「 大丈夫か? 」
チチの両肩に手を置き、僅かに身体を離せば、
悟空へ視線を向け、”大丈夫だべ ”と 力強く笑うチチ。
愛おしさが込み上げる心中を隠しては、同じ様に笑って返した。
「 それより、悟空さ?
おらに 神話の事 聞いてきたって事は、何かあったんだべ? 」
「 うん。」
「 何があったか、教えてくれねぇか? 」
星々を映し出す 神秘的な池を見詰めながら、
肩を寄せ合い、無意識に 悟空はチチの肩を大翼で 抱いた。
「 確かに、おめぇが云った通り オラは天使だ。でも ―― 。」
今まで、隠してきた 自分の全てを打ち明けた。
自分が 天使と人間の間で生まれた子である事。
伝説の子である真柄、神の後継者である事。
神の後継者でありながら、神になりたくない事。
神の定めた 天界の掟条の事。
掟に背く行為を行えば、堕天使となり 天界から追放される事。
そして、最後に 神の後継者である もう一つの理由、己の能力の事。
説明が苦手な悟空だったが、
それに対し 何も問い返してくる事は無く、相槌を打ちながら チチは耳を傾けた。
「 それで、オラな 出逢っちまったんだ。」
「 うん。」
「 明日の夜、迎えに行こうと思ってる。」
「 … じゃあ、悟空さに会えるのは 今日が最後だべな。」
「 この姿じゃ 会えねぇかも。」
「 なんだべ、悟空さ。
変身でもして おらと会うつもりだか?
おめぇ、見掛けに似合わず 浮気者だっただか? 」
軽蔑の目を 投げ掛けてくるチチに、
悟空は 的外れな発想力に 思わず、ははっ、と苦笑した。
「 そうじゃなくてさ、
もう 明日には、チチが綺麗だって、あんなに褒めてくれた、
この髪の色も 目の色も 羽の色も 失っちまうかもしれねぇんだ。」
あれ程、綺麗だ、と笑ってくれた。
そういう お前の方が綺麗だ、と思える程、優しく微笑んでくれた。
淡い蒼の瞳。
淡い蒼の頭髪。
煌びやかな純白な翼。
美しいと謳われた この容姿。
それを失ってもいい、と 思える程 ―― 。
天使の身分を捨ててもいい、と思う程 ―― 。
「 … 悟空さ、それって、」
「 それでも チチは受け入れてくれっか? 」
もう、そこには 迷いも躊躇いも 存在しない。
大罪と知りながら、
愛してはならないと知りながら、
残酷な程、溺れて、愛してしまった。
二人は 秘め事を無くし、最後の抱擁を交わし合う。
神秘に包まれた星空の下、
何よりも美しい彼女と共に、
夜空へ溶け込めてしまえたらいいのに。
そう、切に願った夜でした。
2016.02.○○
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