かれこれ三日も、本田の声を聞いていない。
本田有紀は鈴科静の恋人で、同級生で、同僚でもある。けれど仕事の内容までは同じではない。だから時折、こうして離ればなれになる。非常に有能で社交的な彼の事だ、今も精力的に仕事をこなしているのだろう。恋人の自分が一時の感情に乱されて邪魔をするわけにはいかない。
けれど、彼から連絡をしてくれないだろうかという期待を捨てることができない。どれだけ短くても構わないから、彼の声が聞きたい。彼が部屋を出て、行ってきますと言ってからずっと連絡を待っているのに、三日経った今でも彼からの連絡はまだ無かった。
おそらく彼は忙しいのだろう。鈴科のことを大事にしてくれる彼が連絡すらできないのだから、相当難しい仕事のはずだ。彼だって好きで家を空けているわけではないのだから、こんな時に我が儘を言って迷惑をかけるわけにはいかなかった。
それに、しつこく連絡をしてもしも嫌われてしまったら、鈴科はこの先生きていける自信が無い。特に魅力があるわけでもない、平凡で面白みの無い、取り柄といえば頭が多少回ることくらいしかない鈴科が、本田のような完璧な男に愛されている現状は奇跡のようなものなのだ。ならばせめて、従順で物わかりの良い恋人を演じて、彼に好きでいてもらわなければ。
「――ん、」
電話の鳴る音がして、横たわっていたベッドからのろのろと起きあがる。眠い目を擦りながら時計を確認すると、丁度午前零時を過ぎたところだった。本田がいないここ数日、鈴科は十時には就寝していた。こんな時間に、いったい誰からだろう。スマートフォンを操作しロックを解除すると、液晶に待ち望んだ人の名が表示された。
一瞬で眠気が吹き飛ぶ。慌てて画面をスライドさせて、耳に当てた。大きく息を吸って、彼の声が耳に届くのを待つ。
『――もしもし』
「有紀」
『お久しぶりです、鈴科くん』
電話口から聞こえる声に胸が締め付けられた。愛しい恋人の、本田有紀の声だ。かたかたとスマートフォンを持つ手が震えた。冷めていた筈の脳が揺さぶられて、思考する前に口が動いた。
「有紀、どうして電話してくれなかったんだ…!僕はこの三日間ずっと、君からの連絡を待って…ああ、いや、忙しいのは分かってる、ただ僕は君がいないと寂しくて、だから…」
言葉を紡ぐうちに、早口だった声が少しずつ小さくなっていく。自分の声があまりに焦っていて滑稽で、却って冷静になった。さっと水をかけられたように頭が冷えた。彼は忙しいのだろうし、鈴科より優先すべき事なんていくらでもあるというのに。
「…その、済まない」
あまりに自己中心的な台詞に、自己嫌悪がふつふつと沸く。自分は本当に最低だ。一時の感情に駆られて、せっかく連絡してくれた恋人を詰るだなんて。自己嫌悪で死にたくなった。嫌われてしまったらどうしよう。
『……可愛いですね、静』
「っ、」
耳に注がれる声に息を飲む。優しく甘い声は鈴科の全てを赦す柔らかな響きをしていた。安堵しつつも身体が火照っていくのが分かる。可愛い、と本田に褒められると鈴科はどうしようもなく欲情してしまう。ごう、と血管の鳴る音が聞こえる。
『可愛い可愛い静、僕がいない間そんなに辛かったんですか』
「…ああ、とても辛かった。君の顔が見たくて、声が聞きたくてたまらなかった。毎晩君の夢を見ていた。僕は、君がいないと駄目なんだ」
女々しい言葉が次から次へと溢れて止まらない。たった三日彼がいないだけで、鈴科の頭はこんなにもおかしくなってしまう。冷静で無感動だった鈴科静など、彼の前では一瞬で吹き飛んでしまう。両手で握りしめたスマートフォンに縋るように、彼の言葉を待った。
『ええ、俺も、君がいないと生きていけませんよ。君に想われて、俺は幸せ者ですね』
「有紀…」
頭蓋を揺るがすような多幸感に頬が熱くなる。鈴科の我が儘を赦してくれるばかりか、彼も鈴科が必要だと言ってくれた。なんて幸福なのだろう。彼にこんな風に甘やかされて、どんどん駄目になっていく自分がいる。そうしてそれが快感になっている。駄目な自分を許してくれる本田が愛しくてたまらない。
『ねえ、静、僕が戻ってきたら何がしたいですか?』
優しい声にふと口元が緩んだ。彼とこれからしたいことは沢山ある。寧ろ、彼となら何をするのも幸福だ。
「話がしたい。君と二人だけで、君の部屋で、他愛もない事でもいいから、沢山話したい」
僅かに甘えるような口調でそう言うと、彼はふっと笑ったようだった。同い年の筈なのに恋人である彼にはどうしても甘えてしまう。本田が鈴科を過剰なまでに甘やかすからだ。甘やかされてぬるま湯で生きることに慣らされてしまった。
『それから?』
「え、」
『それだけで良いんですか?』
優しく、どこかねっとりした響きの声に下腹がずくんと疼く。夜に聞く声だ。鈴科を抱くときの、本田の色香を含んだ声。ごくりと息を飲む。
――彼にして欲しい事は、勿論ある。けれどそれははしたなくて恥ずかしくて、とても言い出せそうに無かった。それなのに、本田は鈴科の本音を引き出そうとしている。
とくとくと速度を速める心臓の音。彼の優しく甘やかな声に促されるように震える唇を開いた。
「その、きみに、だ、抱いて欲しい…」
『……』
途端訪れた沈黙に、気が狂わんばかりの焦燥を抱いた。やはり、はしたないと思われただろうか。今からでも訂正した方が良いのか、と思考が乱れていく。
やはりさっきのは間違いだ、と言う前に彼の声が聞こえた。
『鈴科くんは、僕に抱いて欲しいんですね』
その声は責める風ではなく柔らかで、鈴科を安堵させる。心臓が鳴る音がする。
「…ああ、」
『僕が三日居なかっただけで耐えられなくなるんですね、静は』
今度の声はほんの少し意地の悪い声だった。
本田にすべてを見透かされているようで恐ろしくもあり、嬉しくもある。彼に余すところなく把握されている事に倒錯的な悦びを抱いている。すべてを見せても、彼は鈴科を愛してくれるから。
「そう、なんだ、僕は、君に抱いて欲しくてたまらないんだ」
『いやらしい鈴科くん。…可愛い』
酷い目眩がする。耳から犯されているような感覚。どろどろに濡れた下半身が熱い。彼と離れて切なく寂しかった身体が解れてぐずぐずになっていく。唇から熱い吐息が漏れた。
「ん、ぅ、」
『静、そんな風で、僕がいない間、どうしてたんですか?』
「ん…一人で、していた」
『どうやって?』
そんなことまで聞くのか、と紅くなりながらも、答えねばならないと思う。本田が聞きたいというのなら、全て話さなければならない。彼の期待に応えたい。――他に彼に出来る事など、ほとんどないのだから。
「その、指、を、君がいつも、してくれるみたいに…」
『後ろでしてたんですか?』
「…っ」
かっと顔が赤くなる。そう、別にそこで自慰をする必要は無いのだ。それなのに、彼の手つきや声を思い出して自分を慰めていただなんて、なんて厭らしくて浅ましいのだろう。言葉にされると恥ずかしくて、羞恥で死にそうな気さえする。
くすり、と笑う気配がして、縋るように電話に神経を傾けた。冷たい言葉を言われないだろうか、と焦燥感で息もできない。
『静は本当に淫乱になりましたね…昔は、あんなに淡泊だったのに』
「それ、は、君が、僕をこうしたんじゃないか…」
うっすらと涙を浮かべながら、本田を軽く詰った。なぜなら、不感症だったはずの鈴科を何度も何度も優しく優しく開発して、気付いた時には取り返しがつかないほどの淫乱にしたのは本田なのだから。穏やかに優しく調教されていった日々を思い出すだけで下肢がじんわりと濡れていく。快感と喜びだけを与えられた日々。
『そうですね、君がそんな風になったのは僕のせいだ』
「そうだよ…こんな変態にした責任、取ってくれるんだろうな…?」
責めるように、縋るように言葉を紡ぐ。もしも今鈴科が鏡を見ればさぞや驚いたことだろう。普段の無表情さからは考えられないほどに蕩けた、甘えた表情をしていた。
『勿論。静は俺がいないと駄目なんですからね』
「…ああ、そうだよ」
彼の言葉に恍惚としながら頷く。彼のいない未来なんてとても想像できない。かつては本田がいなくても生きていた筈なのに、今はもう無理だ。そう言う風に作り替えられてしまったのだから。
『ふふ、そうですよね。それじゃ、僕がいない間どうしていたか、やってみてください』
「え…」
電話口から聞こえる声に瞠目する。聞き間違いかと思ったが、本田は訂正するつもりはないようだ。それは、つまり。
――彼の声を聞きながら、はしたない声を彼に聞かせて自慰をしろと、本田はそう言っている。
なんていやらしくて、甘美な誘いだろう。とろりとした表情で頷くと、彼はそれが見えているかのようにくすくすと笑った。
右手の指を口に含んで入念に濡らした後、そっと下肢に手を伸ばす。こんな厭らしいことを、と思いながらも、彼の言葉には逆らえない。逆らう気になれない。
「っ、ん、」
濡れた後孔に指をゆっくりと差し込む。何度も馴らされたそこは簡単に指を飲み込んだ。本田と鈴科の指の太さは同じくらいだから、目を閉じると彼にされているような気がする。本田の指の方がずっと綺麗で優美だと思うけれど。
『静、今どうしていますか』
「うん…右手の指を、入れたよ、」
『何本?』
「その、二本…」
『二本?それで足りますか?足りませんよね?』
本田は優しく優しく告げる。そうだ、これでは足りない。本田はいつだって正しいのだから。言われるがままにもう一本指を増やすと、圧迫感と快感が倍増した。快感で頭がどうにかなりそうな気すらする。
「っあ、ん、…指を、増やしたよ、有紀、」
『良くできました。ちゃんと動かすんですよ?』
うん、と小さな声で呟くと、差し入れた指をゆっくりと動かした。粘液でとろとろになったそこは指にかき回されるたびに厭らしい音を立てる。堪えきれなかった高く甘い声が零れるのも、きっと彼は聞き逃さないだろう。恥ずかしくてたまらなくて、それも気持ちいい。
「ん、あ、は…」
『静、僕の可愛い静、左手はお留守ですか?』
「う、ん…左手で、電話を、持っているよ」
自らを慰める手を止めないまま答える。右手で後孔を弄るのに夢中になっていたが、彼の声を逃さないように左手は電話をしっかりと持っていた。彼の声が聞こえなければこの行為の意味がなくなってしまうのだから。
『駄目ですよ、ちゃんと他の場所も触ってあげないと。静の良いところ、沢山教えて上げたでしょう。電話は近くに置いて、両手をちゃんと使って』
「うん…」
咎めるような本田の言葉に従順に従い、スマートフォンをベッドの縁に置く。彼の声が少し遠ざかった事に寂しさを感じてはいたが、鈴科には彼の言葉に従う以外の選択肢がない。変わりに音量を少し上げて、彼の声を少しでも聞き逃さないように努めた。
「…っ、」
ワイシャツの下からおそるおそる胸元に左手を伸ばし、ゆっくりとこね回す。じんじんとした痛みと快楽が鈴科を犯した。元は小さく色も淡かった頂は本田にずっと弄られたせいで女のそれのように赤くぷっくりと腫れている。その間にも右手を動かすのも忘れなかった。
『静、どこをどんな風に触ってるのか、俺に教えて』
「左手で、胸、を、触ってる…。有紀がするみたいに、引っ張って、潰して、」
『ふふ。静はそこが好きなんですね。前を触るかと思ってました』
笑い含みの声が鈴科を辱める。けれど本田にされるなら、それだって快感になってしまうのだ。本田に与えられるものがすべて快感に変わってゆく。
「ん、だって、きみがたくさん、触ってくれるから、」
最近の本田は胸や後ろを弄ることが多かった。はじめの頃は分かりやすい反応を示す前ばかりを触っていたのに、最近ではあまり触れてくれない。そのせいか、鈴科も今では後ろを弄る事に快感を覚えている。彼に抱かれることを思い出して、自分の指を差し込んで。彼にされている、と想像することが鈴科に何より快感を与えるのだ。
『…可愛い』
刺激と同時に注がれた声音にどくりと心臓が鳴って、指が内壁に締め付けられた。とろとろとした粘液が指の間を伝ってシーツを濡らす。几帳面過ぎるほどに清潔に敷かれていたはずのシーツはべとべとに汚れて、見るも無惨な姿を晒している。皺一つ無かったシャツとズボンは鈴科の体液ですっかり濡れてよれて、もう使い物にならないだろう。……まるで鈴科自身のようなそれら。
「っ、あ、」
『静、もう達したんですか?』
「う、ん、済まない、有紀、」
『構いませんよ。だってまだ足りないでしょう?』
その声に押されて下肢を眺めると、また自分の物が硬さを取り戻しているのが分かった。まだ足りないのだ。淫乱で浅ましいこの身体は満足などしていない。そんな風に彼に変えられてしまったから。
「ああ、足りない…」
『それなら、もっと奥まで指を入れて…大丈夫、君の指は細いですから』
「わかっ、た…ん、ん…っ」
彼の声に従うことに被虐的な喜びさえ感じながら、指を奥深くまで差し込む。そうしながら、何度も本田に刺激された場所を探し出す。唇の端から唾液が滴ってシャツを濡らしたが、両手は自慰の為に塞がっているから使えない。使ってはいけないのだ、本田が赦すまで。
『左手もちゃんと動かしてますか?』
「ふぁ、ん、うごかして、る、腫れて、すこし痛い、」
『大丈夫ですよ。静は痛いのも好きでしょう?』
「ん…」
本田が言うなら間違いないはずだ。息を一つ吐くと、前立腺を右手で抉りながら左手で紅く腫れた胸を弄った。頭がおかしくなりそうな快感と、ぴりりとした痛みが走る。堅く立ち上がったものから先走りが溢れてシーツを汚した。
『静、俺の静、どんな気分ですか?教えて』
「は、ふ、…胸も、後ろも、気持ちいいよ…有紀に、触られて、舐められて、抱かれるのを、想像してる…ん!」
身体がしなって、熱が放出される。びくびくと身体が跳ねて、脳がどろどろに蕩けていった。射精で疲労感を覚えながらも、また自慰を続ける。制止の声がないからだ。覚えたての子供か動物のようだ、と自虐的な考えが沸く。
『静、何回達しました?』
「わ、からない、」
緩みきった唇の端から唾液をこぼしながらなんとか答える。本当に、何度だったのかもう分からなくなってしまった。快感で頭に靄がかかって、正常な思考が出来ない。普段していた事だというのに、彼の声があるのとないのとでは全く違う。一人で自分を慰めていたときよりずっと恥ずかしくて恐ろしくて、けれどおかしくなりそうなくらいに気持ちいい。
本田がここにいて、身体に触れてくれているのを想像する。快楽を教え込んだのは彼だから。彼は、今の鈴科にとっての世界の全てだ。彼の声やかたちを想像すると、熱くて気持ちよくて、死んでしまいそうな気がする。けれど、やはり何かが足りない。
『満足ですか?一人でも大丈夫ですか、鈴科くん』
「え、」
どことなく温度の低い声に恐怖を覚えた。それきり電話はしんと沈黙して、本田の声が聞こえない。自らの荒い吐息だけが聞こえる部屋で、鈴科は甘い夢から醒めた子供のように途方に暮れた。不意に涙腺が緩んで、片目から快感ではない涙が零れる。彼は、自分を捨てるのだろうか。
「っあ…駄目、だよ、君がいないと寂しい、君の手と、声と、君のがないと駄目だ、君が欲しい、君の全部が欲しい、足りないんだ、足りない…!」
『……』
電話から声が発せられるのを、胸元と後孔を刺激したままの間抜けな格好で待ち続ける。彼に見捨てられるのが怖い。彼が来てくれて、優しく笑ってくれないだろうか。もし彼に捨てられるような事になれば鈴科は死んでしまう。
「有紀、答えてくれ、有紀、有紀、」
何度も何度も彼の名を紡いだ。他の言葉など忘れたかのように、掠れた声で。他の事など何も考えられない。それほどに、鈴科にとって本田の存在は大きい。ほろほろと熱い頬に涙が零れた。彼がいないと鈴科は生きていけない。いつの間にか身体も心もそうなってしまった。彼に捨てられたらきっと死んでしまう。
「有紀、お願いだ有紀、返事をしてくれ、有紀…」
「――はい」
背後から聞こえたその声は、耳に直接届いた。
「あ、」
涙の浮いた瞳で振り返る。部屋の前に、片手に携帯を持って微笑む美しい男が立っていた。長い黒髪、白皙の美貌、完璧に整った服。精の臭いが充満する酷い有様の部屋に入って来た男は優しく笑うと、身体中を体液で汚して座り込む鈴科をそっと抱き寄せた。
「ただいま、静」
「有紀…おかえり…」
夢見心地で呟くと、本田は完璧な形の唇を綻ばせ、頬に口づけを一つ落とした。紅い舌が愛しげに鈴科の涙を舐めとる。鈴科はうっとりと微笑んで、彼の身体にもたれ掛かる。明日が休日で良かったと思う。今夜はきっと、眠ることが出来ないだろうから。目を閉じて彼の身体に擦り寄ると、優しく背が撫でられた。とてもとても幸せで、今なら死んでしまってもいいような気がした。


――鈴科の細い身体を抱きしめた男は妖しく、そしてどこか恍惚としたように微笑んだ。




午前零時のラブコール



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