漫画の国


 
真っ直ぐに森の中を伸びる一本の道を一台の旅荷物が満載なモトラドが走っていた。運転手は黒いジャケット姿、頭には耳を覆う垂れがついた飛行帽に似た帽子を飛ばされないようにゴーグルで固定し、腰のホルスターにはリヴォルバータイプのハンドパースエイダーが吊されている。短い黒髪に精悍な顔立ちで歳は十代の半ば程。

「あれ…?キノ」
「どうした?」

不意に少年のような声がモトラドから放たれて、それにキノと呼ばれた運転手が言葉を返す。
モトラドが小さく唸るように、人間ならば首を傾げているだろう声音で言った。

「大分先、森が途切れてるよ」
「え?…国の城壁まで森が続く筈なんだけど」

道を間違えたかな。いや一本道だそんな筈は。
そうぶつぶつと呟くキノにモトラドはあれ?と思わずと言ったようにまた不思議そうに声を上げる。
キノはなんだい?とモトラドに尋ねた。

「森は…続いてる、ただ、そこからすっぱり綺麗に木が切り株に変わってる」
「……取り敢えず道は間違えてないなら、国まで行こう、エルメス。何かわかる筈だ」
「そだね」

エルメスと呼ばれたモトラドが短く返事をした。
そうして、景色が背の高い木の群から切り株の群に変わり、次第にそう高くない城壁が見えてきた。その城壁に着くまで、切り株は続いていた。
入国審査で簡単な、どの国でもされるような質問を受けて答え、それから最後にこう聞かれた。

「本はお好きですか?」

真剣な表情で問い掛けてくる入国審査官にキノは首を傾げながらも「ええ」と頷いた。すると入国審査官はにっこりと満面とも言える笑顔を見せて、ようこそ旅人さん!そう言って城門を開けてくれた。




「えっと…右が本屋、で…左が本屋に、奥が…本屋」
「凄いねぇ、だから入国審査のあの質問か」

エルメスが感心したような、呆れたようなどっちつかずな声で言った。
キノは暫く悩むような素振りを見せてから小さく頷く。

「…昼食の前に本屋に寄るのも、悪くないか」
「え!?キノ大丈夫?底辺地位の前触れ?」
「……天変地異?」
「そうそれ!」

エルメスが言って、黙った。
心外だとでも言いたいキノはエルメスを押しながら、どの本屋に入ろうか悩んでいた。どこもぎっしりと言った感じで本棚が並んでいるからエルメスには待っていて貰う事にはなるが、どこにどんな本があるかわからない。キノは一番近くにある本屋を表から覗いた。
天井からは分類されてるのか、カードの様な物が下がっていて丁度見えたのは「週刊誌」だった。
そんな感じで覗いていてキノは首を傾げる。

「…少年…」
「よ大志を抱け?」
「と少女、で分類されてる、見える範囲では。そこから更に細かく分けられてるみたいだ」
「…珍しいね、本って言ったらフィクション、ノンフィクションとかの分類が多いのに。この国では対象で分けるんだ」

そんな会話をしていると丁度良く、本屋の店主が店先に出て来た。そしてキノの姿を見るなり実に朗らかな笑顔でこう言った。

「そのモトラドは月刊××××で絶賛連載中の『飛び出せヘロー』の主人公ヘローが乗っているモトラドを真似したんだね?うんうん。今日は月刊××××の発売日だよ、もう買ったかい?」
「…はい?」
「何それおっちゃん」

突然意味のわからない単語を連ねられてキノはぽかんとして、エルメスは正直に口に出した。そんなエルメスの言葉に店主は酷く驚いた顔をした。驚いたのは決してエルメスが喋った事にではない、モトラドは喋る。
何故月刊××××を知らないのか。
何故『飛び出せヘロー』を知らないのか。
そんな事に驚いたのだ。
それからキノは丁寧に自己紹介をした。自分は旅人である事、先程この国に来たばかりだと言う事、本屋が多いことに大変驚いた事。取り敢えず片っ端から説明した。
すると店主はああ、旅人さんか、とどこか安堵したように息を吐き出した。そんな店主の様子を見てキノはこう尋ねた。

「その月刊××××と言う雑誌と……『飛び出せヘロー』と言う作品は、全国民が知っているんですか?」
「そうだねぇ、全国民とは言えないな、やはり年代や性別なんかで読む作品は変わってくる、だが君くらいの男の子はみんなやっぱり『飛び出せヘロー』は必読さ」
「………………そうですか」
「しかし連載中だからね、旅人さんは続きが気になって旅に出れなくなってしまう、短編集でも読んだらいいよ、読み返せるのは素晴らしいけど本は旅では荷物になるって週刊少年○○の『旅人の行方』でも言ってたし図書館の方がいいかな。此処の道の突き当たりを曲がって真っ直ぐ行くとファミリーレストランがある、そこの斜め向かいの大きな建物だよ」

べらべらと喋り倒す店主の言葉を真面目に聞いてわかりました、と何度か頷いたキノは一つだけ尋ねた。

「ファミリーレストランと言うのは家族じゃないと入れないんですか?」




「あんだけ本の話されて聞くのはレストランの事か」
「だって…お腹空いてたから」

キノはファミリーレストランに向かいながら空腹の余りに腹を鳴らした。それから暫く互いに無言になったが不意にエルメスが、

「……男の子だって、」
「…」

キノはやはり無言だった。




大分時間をかけて食事を終えたキノが出て来てエルメスがどうだった?と尋ねる。キノはとても美味しかったし値段がリーズナブルで種類も豊富だった、と満足げに言った。
エルメスは、ああ何種類の料理を食べたんだか…、そう思った。
キノがエルメスに乗って図書館に行くと丁度閉館の準備をしていた。キノがどうしようか暫く迷っていると気付いた館員が声を掛けた。

「宜しければこの本を、この国を代表する作者の短編集です!」

そう言って備え付けられた返却ボックスからそのまま取り出してキノに渡した。キノは貸出の手続きは、と尋ねたが旅人さんに早く読んで貰いたいからやっておきます!と気合いが入った返事をされてエルメスが思わず館員には聞こえない声で呟いた。

「…結構押し付けがましい」



そして近くの、それなりに安くて部屋にシャワーが付いていてエルメスを部屋に入れられる、そんなホテルにチェックインした。
シャワーを浴びて下着と肌着を替えたキノは髪の水分をしっかりと切ってベッドに腰掛け本を手にした。本にはその国指定の白いカバーが掛けられていて表紙は見れない。
ぺらりと本のページを捲ったキノは、

「え?」

思わず声を上げた。

「なになに?」

興味を示したエルメスがキノに声を掛ける。キノは暫時無言でいた後に開いたページをエルメスに向けた。

「何か、見た事が無い…絵本」
「キノ、それは漫画だよ」

向けられたページを見たエルメスは訂正するように即答した。キノは即座に返ってきた聞き慣れない単語に瞼を一度瞬かせる。

「まんが…?絵本と違って…色々独特だけど…漫画って?」
「そうだな、あくまで知識的に言うと…視覚情報を絵として提示する、文章による説明は基本的にない。そして絵は話の展開を動的に描写して、情報の本質部分を占めるんだ、絵本や小説の挿絵とは全く異なるね」
「…うん、確かに」

ぱらぱらと何ページか見たキノは同意するように頷いた。
それを確認してからエルメスは続ける。

「それから聴覚情報――人物のセリフは文字として、音が擬音として表現される。ただし、音楽は擬音ではなく絵やコマの行間のようなもので表現される場合が多いね。コマ やフキダシ など独特の形式に沿っているよ」
「ええっと…ごめん質問、コマ、フキダシが解らない」
「コマって言うのはページの中を区切ってる箱みたいな物さ、フキダシは人のいる辺りから何か出て中に文字が入ってるだろう?それ」
「…つまり、簡単に纏めると、絵本には無い躍動感がある絵を用いて、且つ絵と台詞だけで話を進めていく本、が、漫画?」
「ま、そんなもんだね。」

エルメスの説明で一通り把握したキノは深く長く、感嘆の息を吐き出す。

「世界には知らない物がまだ沢山あるんだ」

そう一言呟いてから、気を取り直してその『漫画』を読み始めた。短編集と言われたそれは一話完結で全く異なる傾向の作品が幾つか載っていた。
初めはどのコマから見ればいいのか、どのフキダシから読めばいいのか、若干戸惑ったが慣れれば何て事はなかった。小説で言う背景や人物の描写等が絵になっていると思えば寧ろ文章ばかりを目で追わずに済んで楽だった。

キノがその本を読み終わった頃にはエルメスはもう眠っていたのでキノも寝る事にした。



翌朝、キノは夜明けと共に起きた。いつもの通りリヴォルバーの分解と掃除をして、抜き撃ちの練習をした。
ホテルで用意された朝食を食べてからエルメスを軽く叩いて起こす。

「むにゃ?」

気の抜けた声がして、珍しく早く覚醒したエルメスにキノはおはようと挨拶をした。しかしその返事は無く代わりに寝息のような、ぐー、と言う音を発したエルメスにキノは思わず上段蹴りを入れた。




「酷いなぁ」
「ボクの手を煩わせるエルメスは酷くないのかい?」

キノが黙ったエルメスを押して外に出ると太陽がサンサンと照っていた。カラッとしながらもじわじわ暑さを感じキノは思わず黒のジャケットを脱ぐ。

「昨日はエルメスに乗って風を浴びたり室内が多かったから気付かなかったけど…暑い」
「だろうね。個人的にはホテルで休むことをお勧めしたくなる気温だよ、知識的に」
「でも図書館に行かないと…」

若干ぐったりとしながらもしっかりと放たれたキノの言葉にエルメスはぽかんとしてから慌てて聞いた。
それはもう人間なら身を乗り出していそうな声音だ。

「返却期限でもあったの?読み足りないとか?まさかこの国に住むとか言わないよね?」
「言わない…けど、謎を解かないとね」
「謎?」
「この国に来るまで見てきた物さ」
「あ」

すっかり忘れていたらしいエルメスは何ともまあ間の抜けた声を上げた。
そして昨日振りにやって来た図書館の扉を開けキノはエルメスを押し入れていいのかカウンターの見た印象が二十代程の女性に声を掛けた。女性はキノを旅人だと知ると自分は館長だと名乗った。キノは驚いた。

「、…お若いんですね」
「時代を担うのは若手ですから」
「本が盛んな国で図書館の館長って事は偉いの?」

生憎キノが殴れる近さに居ない事を良しとしてエルメスは無遠慮に聞く。キノはすみません、と頭を下げるが館長は穏やかに微笑んだ。

「いいえ、私なんて、漫画家の先生方に比べたら全然」
「漫画家の、って小説家とか絵本作家は?」

またエルメスが無遠慮に聞く。キノは殴りに行こうか悩んだがそこは気になっていた点なので握り拳を作るに抑えた。
そしてエルメスの言葉に少しだけ心外だとでも言いたげな表情で館長が口を開く。

「小説家や絵本作家なんかと漫画家を一緒にしないで下さい、あんな廃れた文化」
「…この国の漫画は素晴らしいですね、昨日借りて読みました。あんな素敵なお話を考えられる方がいる国なら小説や絵本もとても素晴らしいのかと考えましたが」

とても厳しい口調の館長にオブラートと言う包装紙に包んでキノは言う。エルメスは余りに遜る言い方に思わず呆れてしまった。しかしそのオブラートのお陰で気を悪くせずに館長は答えた。

「とんでもない、折角のストーリーを漫画に起こさないなんて、小説や絵本にしてしまうなんて邪道です。例え原作者がある作品だって文章なんてナンセンスな物じゃなくネームで渡しますもの」
「えっと…ネーム、とは?」
「構成やコマ割りを簡単に絵にした物です、漫画の下書きの更に下書きだと思って下されば。」
「成る程、勉強になります。するとこの国に小説の類は…」
「ありません、文章だけで心に響く何かが伝えられますでしょうか?絵本はコマも無ければ小説程の文章もありません、…この国では最早必要の無い昔の文化ですよ」

誇らしげに館長は言った。キノはそうですか、と納得を示した風に頷いた後にもう一つだけ、と言葉を紡ぎ直ぐに館長が何ですか?と問い返した。

「この国に来る途中森が途切れていましたがあれは…」
「ああ、あれは紙を作るために切り倒したんですよ」

館長は何も躊躇うことなくサラリと言った。キノは心の中で、エルメスは小さな声で、やっぱり、と呟いた。途中から感づいていたらしい。
何億何兆では勿論ききはしない量の膨大な本――漫画だ。当然たまの輸入だけでは紙も足りないだろう。

「ありがとうございました」

キノが頭を下げて出て行こうとすると、

「あら、借りて行かれないの?」
「…購入しようかと」
「まあ!それは素晴らしい!」

キノは最後までオブラートに包んだ。エルメスは呆れて何も言えなかった。


「びんぼーしょーがよく言えたもんだ」
「本なんて売って確実にお金になるとは言えないからね、買えないよ」


キノは早めの昼食を取った後、思い付きで製紙工場を見学して、思いの外に楽しかった。
ホテルに戻って、その日は早くに寝た。



キノが入国して三日目の朝。キノは夜明けと共に目覚めいつもの通りの行動をして、出国の為に買い出しを済ませて昼過ぎにエルメスを起こして城門へ向かった。
その途中、子供と母親の親子がいた。子供はこんな事を口にしていた。

「――それでね、その旅人の女の子はモトラドで旅をするんだよ!宇宙進出もして学園生活だって送っちゃうんだ!」

微笑み子供の言葉が終わるのを待って、母親は何度も静かに頷いて言った。

「まあ、素敵な話ね、いつか漫画にするといいわ」
「ううん、文章だけで書きたい!」

その言葉を聞いた瞬間、母親の目が釣り上がりパンッ と乾いた音が響いた。子供の頬を母親が叩いたのだ。子供は訳がわからずにただただ呆然としている。

「何て愚かしい事を言うの!漫画以上に素晴らしい表現方法なんか無いんだから!ごめんなさいは?」
「……」
「ごめんなさいは!?」
「……ごめん…なさい…」

キノは一言も口にはせずに横を通り過ぎて行った。
暫くして後ろから泣き声が聞こえた。その声は聞き取りにくかったが、でも文がいいの、そう言っていた。
それでもキノは何も言わずに、出国した。



小さな『小説家』の芽は摘み取られてしまうのか、それはキノには関係の無い話なのだから。





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